皆さんは、毎年五月の満月に京都の鞍馬寺で行われているウエサク祭をご存知ですか?
京都在住の友達に聞いてもたいてい「ウエサク祭?なにそれ?」と言われます。どうも、いわゆる一般的なお祭りではないようです。(笑)
私は5年程前にたまたま何かを検索している際に知って、ずっと「行ってみたいなぁ」と思っていたんですが、今年、ようやく参加することができました。
ウエサク祭とは何か?
当日にいただいた「五月満月祭」資料から引用します。
「五月満月の宵に、山内の僧侶がつどい、満月に灯を捧げ清水を供えて、宇宙の大霊より大いなるお力をいただき、自己の魂のめざめを祈る儀式が鞍馬山で古くからひそやかに続けられて来た。
この儀式が、ヒマラヤ山中やインドで五月満月の夜に行われているウエサク祭と相通ずるものであること、また東南アジアの仏教諸国においても釈尊の生誕と成道と涅槃を同時に祝うウエサク祭が行われていることから、鞍馬山でも広く信徒に呼びかけ、多くの人々が共に祈りを捧げることになった。昭和29年のことである。
五月の満月祭に天界からふりそそがれるエネルギーは、プラスもマイナスも常にも増して大きく増幅させると言われる。それ故に五月満月の宵は、非行悪言を慎み、真実誠心をもって世に尽くす心を専らに、愛と光と力の尊天のみ心に近づくように努めねばならない。(略)
五月満月祭は、ひとりひとりが自分の霊性とめぐり合う時である。」
「五月の満月には天界と地上の間に通路が開け、ひときわ強いエネルギーがふりそそがれるという。この夕、満月に清水を捧げ心のともし灯を輝かせつつ、ふりそそがれる神秘的なお力を身に受けて、自分とすべてのものの「めざめ」のため熱い祈りを捧げるのが、光と水と聖音の祭典「五月満月祭(ウエサク祭)」である。
祭典は三部に分かれ、第一部は「きよめ」の祈りで、祭典に集う人々は、まず自己と場の清浄のために魔王尊を讃仰する。月が天頂に近づく頃、ひとりひとりが持つ純粋無垢な心の象徴の「心のともし灯」に灯が点される。祭場がともし灯に埋まると、銀碗に清水を満たし月に祈りを捧げる。
次にともし灯を高く掲げて、真実に生きぬくための強い力を与え給えと「お力の宝棒」の加持を受け、月光のふりそそがれた明水をわかち頂き、慈愛のみ恵みを心に満たす。
そして第二部では、月光を受けながら大地に腰をおろし静かに「はげみ」の瞑想を行い、夜明けの近い第三部には、智慧の光を輝かせ真実に生きることへの「めざめ」を象徴する聖火が天を衝いて上がる。最後に全員で「心の書」を唱え魂の夜明けを迎える。」
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鞍馬寺の仁王門 |
交通手段をどうするか?
2013年のウエサク祭は5/24(金)の夜19時スタートで、第3部が終了するのは23:30くらいになるようだ、ということは調べて分かったんですが、問題は交通手段でした。
というのも、鞍馬駅から出町柳駅行きの
叡山電鉄の最終は23:17で、第3部までいたら乗ることは不可能だからです。(増便されない時点で、この祭が普通の祭の有り様とは違うことがお分かりいただけるかと。笑)
でもやっぱり第3部までいたいじゃないですか。かといってお堂に泊まるのもできれば避けたい。ホテルでゆっくり寝たい。
というわけで、いろいろ考えた末、深夜までやってるレンタカーを借りることにしました。
当日のスケジュール
レンタカーを借りるのはいいけど、もうひとつの問題は駐車場。鞍馬寺のまわりの駐車場はすぐにいっぱいになってしまうことが予想されましたが、何時までに行けば確実に止められるかが分からない・・・というわけで、私と妹が日邦レンタカー河原町営業所(24時間営業!)で待ち合わせたのは朝9時。10時過ぎには無事、鞍馬寺に到着。さすがに余裕で駐車することができ、とりあえず、ほっ。
とするのも束の間、一眼レフカメラをホテルに置いて来たことに気づく私…。この日に限って何故だ…とも思いましたが、ウエサク祭は本来、撮影しちゃいけませんからね、そういうことなんだと思います。なので、この日の写真はすべて妹のカメラで撮ったものです。時々、貸してもらいました。(笑)
ちなみに駐車代金は深夜までとめて1500円でした。
鞍馬寺のすぐ近くの駐車場は予約ですでにいっぱいと言われましたが、少し離れた駐車場のおばあさんは良心的な方で「予約とっちゃうと、その日に来たお客さんが困るでしょう?だからうちはとってないんです。」とおっしゃってました。
15時にはいっぱいになっていたようなので、そのくらいまでに来ればなんとかなるかもしれません。ご参考まで。
さて、時間はたっぷりあるので、まずは叡山電鉄とバスで貴船へ。
鞍馬もですが、
貴船神社もこれで3度目。
1度目は「京都」という写真集も出している写真家の
MOTOKOと、
2度目はミュージシャンの
つじあやのちゃんとデザイナーの
矢口えりと。
龍神さんに縁のある身としては、やはり落ち着くし、好きな神社のひとつです。
妹も2度目ながら、結社と奥宮には行ったことがなかったらしく、嬉々としてました。
しかしこの日は朝から突然下痢になり(満月とか新月にはよくなるんですが)、風邪の前触れのような関節の痛みとだるさと頭痛でふらっふら。奥宮まで往復歩きましたが、いつになく、かーなりしんどかったです。一体どういうことなのだぁ…
私の体調とは裏腹に、青紅葉が綺麗でしたよ〜。
川沿いの川床料理のお店も、いくつか早々と営業されていました。
今回は寄らなかったので、昔あやのちゃんとやぐと行った時の写真でも。
料理はまあ、普通でしたが、天然の流水クーラーの涼しさとあの雰囲気は、一度は体験する価値ありですよ〜。
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これも、もう4年前… |
さて貴船から鞍馬に戻り、鞍馬駅からの無料送迎バスに乗って
くらま温泉へ。ここも久しぶり。私と妹以外誰もいなかった(!)本館大浴場でのんびりしてから、遅めの昼食。お食事処で湯豆腐膳をいただきました。
そしてもうとにかく、体調が… 横になりたくてたまらず、広間休憩室に行ってバタン。つらーい。なんなのぉー、これ。って感じです。でも妹は鞍馬寺の奥の院まで行く気満々。行けるのか、私…と思いながら、体力が回復するのを願うばかり。
1時間ほど休んでから、ちょっと離れにある露天風呂へ。こちらは混んでいたので、軽くつかってまた休憩室に戻りました。うーん、温泉に入るとますますだるくなりますね。立つのが一層しんどくなり、マッサージを仕事にしている妹に頼んで、ちょっと首〜腰をマッサージしてもらっちゃいました。これがまた痛い。気持ちいいけど、痛い。今回私は夜行バスで来たもんで、腰も参っていたんですねぇ。しばし撃沈。。
とはいえ、いつまでも撃沈している場合でもないので、なんとか起きて駐車場に戻り、荷物を持っていざ、鞍馬寺へ。
ちなみに荷物というのはこんなの↓です。
1)夕飯として買っておいたパンとかおにぎりとか
2)飲み物
3)夜はかなり寒いと聞いたので、はおるものをいくつか
4)ビニールシートとタオル(シートに直接座るより、タオルの上に座った方が、温かいしお尻も痛くない)
5)懐中電灯
6)空いたペットボトル(以前は第一部の後の明水をいただけたようですが、今年はおちょこサイズの器で一口だけいただくようになっていたので、持っていくだけ無駄でした。そもそも、ちゃんとした容器じゃないとダメみたいです。)
仁王門をくぐると受付で資料をいただけます。
そして「ここから携帯電話は切って下さいね」と言われます。「祭」というより、「厳かな儀式」と言った方が近いので、入り口から、そこをちゃんと意識させられますね。
16:30くらいの時点では、ケーブルカーもそんなに待つことなく乗れました。そのチケットに書いてあったお言葉。
「人を倒してでも前へ出ようとする
倒されるのはまず己れである」
本殿に着くと、すでにレジャーシートを敷いて座っているお客さんでいっぱいでした。
私たちはまず赤いろうそく(800円)だけ購入し、日が沈む前に急いで奥の院(魔王殿)を目指すことに。
普段ならあまりこの時間から奥の院を目指す人はいないと思うんですが、さすがにこの日はウエサク祭とあって、結構いました。(笑)片道40分くらいかかったかな… ただでさえすでにフラフラな私には、この山道はきつかったです。とにかくこの日は、足下がおぼつかないというか、頭の方のチャクラばかりが活性化されて、グラウンディングができてない感じというか、ふわっふわしてしまっていましたからね。いろんな山道を経験してきましたが、こんな感覚は初めて。そりゃ、コケましたよ。足が自分の足じゃないみたいな感覚になってて、参りました。鞍馬と満月のエネルギー、恐るべし。
木の根がこれまた、すごいことになってますから、普通でもコケやすいです。
妹は「ジブリみたーい」と喜んでました。
魔王殿。
そのネーミングしかり、鞍馬寺は「寺」と言いながら完全に仏教の枠を超えています。「宇宙エネルギー」なんて言葉、普通のお寺は使わないですよね?(笑)でもここは、本当に宇宙的。魔王尊は、650万年前に金星から地球に降り立ったサナトクマラであるとも言われています。(オーラソーマの
マスターボトルにもありますね) 変なところです。
護法魔王尊=力=大地の精霊
毘沙門天=光=太陽の精霊
千手観世音菩薩=愛=月輪の精霊
の三体が祀られ、この三身を一体として「尊天」と称しているのも興味深い。
また尊天を「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」と定義しているのも面白い。
まあちょっと、新興宗教っぽい言葉遣いかもしれませんが。
鞍馬というと、源義経が幼少時代に鞍馬天狗に剣術を習った、とも言われる場所ですが、あながちただの伝説ではないのかも…と思わされる気配に満ちていましたよ。
なんとか本殿に戻ってくると、きれいなまんまるお月様が。
そして前庭にはさらにたくさんの人。
私たちも適当な場所を見つけてシートを敷いて座りましたが、第1部が始まる19時前になると、係の人に立つように言われ、席取り?をしていたはずが、みんな一斉に立ち上がることに。あれれ。座って見られないのか…。
第一部 午後7時 地鏡浄業(きよめ)
体調が限界に来ていた私にとって、第一部の2時間近く、立ちっぱなしでいることは、自分との戦いでありました。「うぅ、倒れる… むしろ、倒れたい… でも、おじいちゃんおばあちゃんも頑張って立ってるのに、しゃがみこめないよなぁ…」と思いながらのふらふらりん。(笑)
お坊さんがお祈りの言葉や般若心経も唱えますが、スリランカのお坊さんがマントラを唱えたりもするし、神道の巫女さんのような格好のサポートの女性たちも何人かいて、いろんな宗教がミックスされてる感じ。
途中、尊天ご宝前の「消えぬ灯」から移された灯を、参列者みんなのろうそく「心のともし灯」に移していくんですが、その様子は見た目だけでなく、一体感からくる美しさもありました。「心のともし灯」はひとりひとりに備わっている霊性を象徴するらしいんですが、そんな灯を、人からいただき、また人へ分け与える、そのあり方が、人間のあり方そのものだなぁと思ったりして、ね。
第一部の祭典が終わると、本殿向かって左側の入り口から地下を通ってお参りし、「お力の宝棒」の加持を受け、満月に捧げられた明水を一口いただくのですが、たくさんの人がいるわけなので、当然並びます。これも含めて2時間近く立ちっ放しとなりますので、行ってみたい方はご覚悟あれ。