今朝、氣づいたら裏庭に福寿草が咲いていて✨
どこからか、種が飛んできてたのかなぁ…
美しい黄色に、心を持っていかれました。😌
春はもうすぐ、ですね🌸
さて、
『ご自分の中の日々の分離』に気づいていただくための
宿題を出しました。
宿題の詳細については書けませんが、
やはり皆さんの氣づきが素晴らしい&面白い❗️ので
ここにもシェアさせていただきますね。☺️
(ありがとう💕)
受講生同士が読み合えるように(過去の受講生も含め)
というのがメインの目的ですが
参加していない方も読んでみると、
共感することや氣づかれること、
あるんじゃないかなぁ、と思いますよ🌟
今回も、第一期・二期の受講生が
このタイミングでまたワークをやってみての氣づき
も送ってくれたので、そちらもシェアしてます。
(ありがとう💕)
気づいたことはシンプルですが、
・私は「正しさを人に押し付けてめちゃくちゃ怒っているが、
逆に自分が誰かの正しさを押し付けられるのもめちゃくちゃ嫌」
ですね。
まーーー人間なので仕方ないですが(自分に甘い?)、
無理せず手放せていけたらいいな~、と思います。
生クリームを泡立てすぎた時に発生する、
あのブツブツの舌触りです。
もうやり直す材料もないのだからと無理に絞り出し
袋に入れてデコレーションしようとすると、
「ぶりぶりッ」と音を立てて空気と一緒に無惨な飛び散りを生じます。
作業工程のちょっとしたタイミングを逸して、
本当に一瞬気を抜いた瞬間に
なめらかフワトロに纏まるはずだった生クリームがぶりぶりに分離して、
美味しくないものに仕上がるあれ。
それは手でゆっくりホイップする分にはあまり起こらなくて、
電動ミキサーを使うときに起こります。
早すぎて止めるタイミングを逸してしまうのです。
別に電動でやってもいいのですが、
一度立ち止まって様子を見る手間と注意力を惜しみ、
あろうことか外の世界、テレビなんかに気を取られていると、
ぶりぶりの分離クリームができます。
私にとって、あれは本当に取り返しのつかない嫌なものであります。
ケーキが美味しくなくなる以上に、
自分の注意力の欠如を思い知る瞬間です。
教えてもらった日々の分離が起こる工程と
大体同じかもねと思いながら、この期間中何度も
電動ミキサーでかき混ぜる生クリーム入りのボウルと、
分離クリームの舌触りをイメージで味わいました。
さて反対のことを口にしてみると、すぐに白黒つけたくなります笑
それで、おっと白黒つけなくていいんだっけ・・?と立ち戻る
その繰り返しで
白黒つけたくてたまんないばっかりに、
白黒つけなくていいということをすぐに忘れてしまいます。
なんなら、まゆさんが書いてくれた課題の文面も読み取れなくて
何度もラインを開いて読んじゃうぐらいです。
早く、早く、早く。
結論を急いで読み取ろうとして読み取りミスを起こしています。
電動ミキサーで生クリームを泡立てようとするみたいに。
なのでとりあえず、落ち着け・・・ということと
落ち着くためにどうしようか、が課題なのですが
落ち着くために更なるタスクを追加するのが私のいつもの動き方で
まずはそこをちょっと保留で見つめてみようと思いました。
**今回ワークをしていて起こったこと
①ターミネーター2のT1000がやってきた**
※T1000はシュワちゃんじゃない方です
課題をやりながらイラっとしたことを読み解こうとしていたら
(今回は寝ているのではなく、起きている状態です)
「それを自分がどう思うかは重要ではない」っていう
プログラム音声のような無機質な感じで言い返してくる人が
私の中にいたんです。
ターミネーター2のT1000みたいな無表情の人で、
みたいな、と言いましたが、いや、まんまターミネーターです。
「敵かな!?」と思って
重要ではないってどういうことでしょうか、
わからないと課題が解けないから困るんですけどと強めに言い返すと
「それはプログラムにない」って返してくるんですよ。
腹立つぅ
とりあえず真正面で観察しているんですが、
抱きしめに行くとめっちゃ優しく抱きしめ返してくるではありませんか
T1000のくせに。
ああ、この人、私を守ってくれているんだなと思いました。
重要ではないって突き放しているようでいて含んでもいるようであり。
**今回ワークをしていて起こったこと②抜き打ちテストされる**
夜、いつも寝る前に娘と他愛もない話をしており、
だいたい5歳娘からの「なぜなぜ」で
「ねえ、『ついつい』のついって何?」とか、
「どうして病院に注射はあるの?」と言ったことを聞かれていた流れで
「あのね、○○ちゃんはね、ママのお腹の中にいるときはね、
自分は自分だと思っていなかったの。
でも今は自分は自分だと思っているの、なんでだと思う?」と
自分の手を眺めながら不思議そうに聞いてくるではありませんか。。
何これ!?復習テスト!?
こないだ習ったのに
ママ5歳児にうまく噛み砕いて説明できないな!!
まゆさんヘルプ!ってなりました。。
うううううん、なんでだろうね・・・と言って寝ました。
5歳児にもわかるように言語化するほど
自分の中に落とし込めていないぞと思いました。
以上です(^^;)
ルール自体は100個近く挙げられたけれど
気づきや感想を書けるかなと思っていた。
しかし振り返って見つめてみると
自分の特徴がよく表れていると感じた。
今までRASのセッションで出てくる思い込みともかなり重なっていた。
・物事を突き詰めようとしてきた、答えを出そうとしてきた、
前に進もうとしてきた、そのために先読みしてきた
→それがやる気の源だったので無くしてしまうとつまらなく感じたり
虚無を感じる。一方でその縛りがなくなると少し楽や自由さも感じ
何でもやっていいんだという感覚になる。
・外側の世界からの刺激を欲していた、ゆえに
自分自身も刺激的な存在でなければいけないと思っていた
→それがやる気の源だったので無くしてしまうとつまらなく感じたり
虚無を感じる。
一方でその縛りがなくなると疲れから解放される、周りに求めなくなる
・自分なりの正解基準でジャッジや取締りをしてきた
→多種多様さを認めると楽、任務も減る感じ
・普段から自分ファーストで自分を見つめて自分を主張して
中心に添えていいのかと思うとうきうきする。
それだけ自分を中心にしてそれを主張することはいけない
と思い込んでいた。
まわりや全体や後のことを気にしていた。
・自分自身の中に居座っていた男女の役割や年齢の固定概念を
認識できたので、勝手に自分をしばっていた規制が少なくなりそう
・評価というか他人が抱くかもしれない不快感を気にしすぎて
自分の言動を制限していた、その結果
自分の魅力を下げていたかもしれないと思った。
相手にとって良かれと思ってしていた行為も
もしかすると逆の意味合いにつながっていたのかも。とすると、
相手が感じることなんてわからないのだから
自分の自然体がいいのではと思った。
相手の厚意を素直に受け取りたいときは受け取ろう。
・自分を守るためのルールに関しては
手放すのが恐いと感じるものもあった。
・自分の感情や表現や行動を沢山縛っていたことを認識した。
これらを手放せると楽や楽しみを感じる
・頑張っていることを認められたいというのが少しはあるようだ、
まずは自分がもっと認めてあげよう。
・自分を責めること(あらさがし)は好きだと思っていたが、
実は自分を敵視することにつながっていて、自分と友達になれていなかった。
・魅力的な人間像として自分に自然と課していたものは、
実は自分の魅力低減につながっていた気もする。
今後魅力が開花すると思うと楽しみ。
・責任を勝手に背負いすぎていた、
自分でやるべきことを勝手に増やしていた、忙しくさせていた。
それは自分を疲弊させ苦しくさせやる気をなくさせていた。
(ライトボディのセッションを受けた後、なぜか約束時間に対して
ゆとりを持って到着するようになれたのはこれが関係しているのかも)
・常識と思われていたことが正解でなく、
例え不正解と思われていることを掴んだとしても人生は楽しめる、
もっと人生を楽しんだらいいと感じた。
傷つけられたとしても、それがどうした、お互い様だし
そんなに問題ないことだと感じた。
・take it easy
・仕方なく任務のようにやっていたことも
実は面白味を感じてやっていたのかも
・自分の本来の願望にもいろんな恐れからフタをしていた。
それは自分を不自由や不自然にさせていたし
苦手項目を作り上げていたのかもしれない。
・意外と手放そうとしたときに
ネガティブな感情を抱くものは少なかった。
痛みや怒りのもとになっていたものが明確化できてびっくり。
・不自然な自分像を理想像として作り上げていた。
そのままの自分できっと色んな魅力があるはずなのに。
どちらもきっと完璧ではなく、だとしたら
不自然な理想像より自然なそのままがいい。
他の目線を気にすると軸(自分)がなくなる。
それは窮屈なことだし勿体ないこと。
頑張って自分を守ろうとしてきたつもりが
自分を不自由にさせてたり負荷を与えていた。
・ネガティブな感情は長続きさせようと思っても出来ないものかも。
瞬間的には強い感情を抱かせるものだとしても。
だからこそスパイス的に設計されてきたのかも。
つまり本来は穏やか。
よくもまぁ毎瞬毎瞬これだけのマイルールの中で
生きているなぁとつくづく思いました。
しかも、当然といえば当然なのですが
ごく真っ当な社会人として、あるいは確立した大人の人間として
こうあるべき!を積極的に取り入れて
疑うこともしていなかったものばかりだなと。
そうではない独自ルールももちろんありましたが、
いわゆるこだわり、ポリシーとして自分らしさを作ってきた
という内容も多く、
それで自分の行動を常に計り、
よかれと思ってジャッジすることをしているんだなと。
翻って、他人に対しても
それを無意識のうちにやっていたなと思いました。
スピリチュアル的なことを知っていくと、
なんというパラドックス!やってきたことは真逆なんですが!
という価値転換に遭遇して驚愕することがありますが、
今回もその1つになりました。
それもまぁ今までが悪く、新しい方が正しい、というのではなく
どっちも含んでいくということなのかなと思うのですが。
どっちでもいい、と思うと
すごく自由で肩の荷が降りる感じがあります。
改めて、取り組んだ感覚としては
①もやもや、負に近い感情
②ほっと安心、そうだそうだという肯定感
③特に何も感じない、よくわからない
のごくおおまかに分けると3パターンでした。
自分は思考が強くて感情を蔑ろにしてきたという自覚があるので、
なるべく思考をはさまず湧いてくるものを感じようとしたのですが
感情を感じる、
感情と思考の区別がなぜか難しい、、と気付きました。
感じているようで考えているよね?
アタマで整理しようとしているよね?
感情がどれかすらわからないって重症では、、と。
(それでぐるぐるしてしまいLINEさせていただいたのでした)
LINEの返信を読み、感情か思考か判断するのも置いておいて
今は特に何も感じない、わからないでもオッケー
とできてほっとしました。
どうしても何かしらの型にはめ、他の例と比較したりして
解決への道のりをちゃんと辿っていると思いたい
そういうエゴがやっぱりあるなぁと。
なので強い感情が湧くものはほとんどなかったのですが
その中でも反応があったのは「寂しい」とか「怒り」とか
ネガティブとされる感情を表にだしていい、というようなことでした。
それが今優先的に取り組んで消化させる感情なんだなと。
(だからこういう宿題の反応になっているというか。。)
でも何も感じないという無反応含め、
この宿題に取り組んでいるという状態自体を
インナーチャイルドが喜んでいるというような感覚があります。
自分は今回の講座を、知らない知識や情報を得るためという
わりと単純な座学のつもりで申し込んでいて(すみません、、)
自分的には解決しないとならない深い悩みや強い課題を
抱えているつもりはなかったのですが、
無自覚で自分は問題がないと思っている、
問題意識がないという状態こそ
取り組む必要があり、気づきも多いというやつだよなぁ、、
と思っています。
引き続きよろしくお願いいたします。
日々たくさんの分離、引っかかりがあって、
ただただ自動的に反応して、起きた出来事に
私が正しい理由を頭の中でグルグルと考え、
誰かが悪いで片づけてしまっていたのかもしれないと思いました。
自分の中の何が発動して、
そこにはどんな感情があるのか、ないのか、
内側をみていくことは大事だなとあらためて感じました。
気をつけないと、すぐに自動的な反応で終わってしまいそうなので、
意識していけたらいいなと思います。
出来事は違っても、そこに関連してくる未消化の感情は、
何度も同じものが出て来たりして、
やっぱりそれだね、寄り添うことが必要なんだね、
教えてくれてるんだねと感じました。
やってみて、いや、やっぱりそれはダメでしょ、
今は譲れないかなと感じることがあったり、
ああ、反対側も案外あるかもと思えることなど、様々でした。
宿題で言っている反対側とは意味合いが違う反対側にはなりますが、
ちょっと面白かったのは、
〜してはいけないが発動したとして、
自分が受けた時は正義を振りかざして、
それはダメでしよ!と怒るのですが、よく考えると、
自分も誰かに同じようなことしてる時あるかもと
自分勝手な部分にも気づいたりもしました。
(話がちょっと逸れました)
同じものを見ても、体験しても、
みんな見えている、捉えている世界が違ってるのだから、
時にはいろんな方向、反対側からも見てみる感じてみることは、
内側をみることにもなって
自分が軽くなっていく手助けになるかもしれないなと思いました。
無理やりそうなろう(こっちじゃなきゃ、あっちじゃなきゃ)
とするのではなく、
出てきた感情を消化していった先にどうなっていくのか、
そこまで辿りつけるのか今はわからないけれど、
少しずつやってみようと思いました。
入口は違っても、向き合っていくと同じところに集約して、
これが私がずっと心に抱え続けてきたモノなんだと気づきました。
それは大きく2つに集約されました。
・私は特別!と全地球・宇宙の誰もに思っていて欲しい
という承認欲求の強さ
自分はとんでもなく物分かりの良い人間で
誰にとっても役に立てる存在であるということが、
自分の最も重要なアイデンティティ!
人の役に立てないなんて何の価値もない。
人に迷惑をかけるなんてとんでもない悪行。
みんなに認めて欲しいから、他人より優れているから、
そう見えて欲しいから、
そうじゃない人を見つけるとほくそ笑んでる。
ジャッジして見下してる。
他人に認めてもらえると嬉しい。
忙しいお店で仕事をこなせる自分が好きなのは、
アドレナリンが出ると感じるのは、
他の人より動けて理解も早くて、
とにかくこんな私を見て欲しい、
とにかく認めて欲しいから!
・自分で自分をがんじがらめにして不自由にしている
自分が不自由になる方を選択する。不自由になるよう人を仕向ける。
私は不自由、不幸せ。不幸なヒロイン。
ドラマに生きてる。波乱万丈どんとこい。
何度もこれらにたどり着く度、
本当は何にも背負ってないよ、自由。
好きなようにすればよし。
自分で自分をわかってればそれだけで十分。
「私が私を幸せにする」という覚悟。
シンプルにそれだけでいい、と思えました。
前から、ノートでこうして自分と向き合っていると、
手が勝手に書いているというか、
頭で考えずに言葉が出てくる時があって、
今回の宿題をやっている最後に出てきたのが下の言葉です。
自分で自分を不自由にしてる。苦しいね、苦しいよね。
それ、もういいんだよ。自由になりなよ。そこを出なよ。
誰も閉じ込めてないよ。いつでも出られるよ。
何もしなくても、何も壊さなくても、
そっとそこから静かに出られるの。すっごく簡単に。
その先はとってもきれいな世界。あ、見た目じゃないよ。
自由というきれいさ。
厳しさはあるけれど。とてもきれいだよ。美しいよ。とても簡単だよ。
あ、でもね、すぐに流されちゃうんだよね、世の中に。
世界はとても美しいんだけど、世の中はすぐに、向き合うことを、
私と私が仲良くすることを忘れさせようとするの。
だけど大丈夫。一度気づいてたら、戻るのは簡単。
そう、最初はね、行ったり来たりもあるかもしれない。
けど、すぐに戻れるから、美しい方に。
だんだんその時間が多くなればしめたもの!
【第一期・二期の受講生がまたワークをやってみての氣づき】
*また届いたら追加します
書き出したものを見て今回感じたことは、
以前ワークした時と似たような内容が多く、
未消化の感情はまだまだあるなあと思いました。
そして、分離が強い状態だとやはり窮屈、
自分で作ったせまーい檻にいる感じですね。
分離が強くなっているのかそうでない状態なのかは
感覚的にわかるようになっていると思います。
まゆさんは上げたり下げたりしていきましょう
とおっしゃっていましたが、コントロール難しいです。
自然と高い時もありますが、バリバリ重い時もあって、
気づいていてもなかなか抜け出せない時も。。
あまり抵抗せず、じっとするようにしていますが、
調整できたらいいのになあと思っています。
あと、ちょっとした発見があったのでシェアします。
このワーク中、イライラして感情消化しているときに、
自分の中に漫才師の横山やすしがいることに気づきました。
最初認めたくなかったけど、これはもうやっさんだなと。。
その後、またなにかイラっとした時に心のやっさんがでてくる。
やんややんやと怒っている。その様子を眺める。
3回目くらいにそのやっさんの様子が面白く思えてきまして。
その後はモヤっとしそうなシチュエーションは想像がつくことも多いので、
あ、ここは心のやっさんが登場しそうな場面だな、
そろそろでるのか?と待つようにしていたのですが、
そうなると登場しない!あれ?(笑)
静かだなと、なるほどと。
そしてやっさんがでてこなければ軽いわーと!
あ、でもこれやりすぎて切り捨てにつながならなければいいな
とは思いました。
あと「怒ってはいけない」もですね。
それ以外にもワークをしている間、現実に起こってくることや、
夢の中、
湧いてくる感情も普段とちょっと違っていたり、
今までにないこともありました。
それに対しての解像度もあがっていて、
丁寧にみていけるなあと改めて思いました。
良い機会をありがとうございます!
来週は2回目の講座を聞き直しますね。
ではでは!
💫
分離について書き出す時、いまだによく掴めていないためか
これは分離なのか違うのかと迷いました。
ずらっと並んだ私の分離を読んでいると
『~しなければならない、~であらなければならない』
というような文章ばかりで、
これを実行していたら苦しくなるわ・・・と思いました。
まるで独裁国家の厳しい戒律みたいです・・・。
湧いてきた感情は悔しい、ムカつくというように
生々しいくらいフレッシュなものからホッとするものまで様々でした。
ホッとするものは分離から含むに近づいているものなのかなと思いました。
もうこの考え・信条に従わなくてもいいというか、
今の自分とそぐわなくなっている感じがしました。
自分の信じてきたことが変わってきたのかもしれません。
その反面、分離の反対を言った時に
そんなことありえない!というくらい
自分の分離が正しいというか、
自分の正当性を主張したくなることがあり、
この場合は分離をより強化してしまうのではないかと感じました。
強い感情が出るものに対しては、
その分離をそれだけ重要視している
(それが自分の価値観のベースになるくらい)大切なものなんだな
と思います。
でも文章にしたらそれは絶対的なものではないと分かるし、
そんなもの手放してしまえば楽になるのに~♪と
人事のようにも思えるから不思議でした。
【日々と宇宙の講座ベーシック第三期生の皆さんのシェア】

