4/28に5回目を開催しました、5回連続の
最後となる5回目の宿題ワークは
「もう読んだから違うのがいい」というリクエストもあって
前回とは変えてみました。
based on RAS® を受けた方には
たまにお伝えしてきましたが、
RAS®のウチソトワークをやっていただくことに。☺️
「頭ではわかってるんですが」と言いつつも、
私たちの意識はついつい
『外側の対象』に向いてしまいがちです。
そして、『外側』をなんとかしようと
問題を解決することに躍起になる。
『外側』に振り回されてしまう。
別にそれが悪いわけでも
間違っているわけでもありませんが、
それは映画館のスクリーンをはがしたり、やぶったり
変えてみたり、、しているようなもので、
フィルムの中身の方が変わってなければ
映し出されるものは一緒ですよ、っていう、、ね。
スピリチュアルな知識というのは
体験して落とし込まないと意味がないので、
私もホントさんっざんやってきたんですが
『内側→外側』『内側=外側』
をトレーニングするためのワーク
をしていただきました。
受講生の皆さんはお分かりの通り、
私たちは、3つの振動数の世界の『自分』が
同時存在しているわけです。
なので、
ウチソトワークをしていて
「私はこんなのクリエイトしたいなんて
思った覚えはない!」
といった反応をしているのは
キャラクター意識の個の『自分』。
この想いが強く出るものほど
抵抗が強いということでもありますので、
痛みが大きい可能性大ですね。😌
でも、
書き出したものたちを眺めて
「私はこんなことをオーダーしているのかぁ…」
と受け入れるようになれると、
振動数は上がります。
書き出してみると
自分の傾向もわかってきますのでね、
プレイヤー意識の自分は
どういう痛みがあることに氣づかせようとしているのか?
も、つかめてくるようになります。
まずは、「自分がクリエイトしている」
ということを認める。降参する。
・・・ところから、ようやく
嫌なことだけでなく、うれしいことだって
クリエイトできるのだ‼️というところ、
『クリエイターの立ち位置』に
入っていけるんですよね。
では今回もまた、
受講生同士がお互いに読み合えるように(過去の受講生含め)
ということをメインの目的として、
ここに宿題の感想をシェアさせていただきます💫
書いた問いの答えが、
他の方の氣づきの中にあったりするのも
偶然という必然で、面白いですよね。
もちろん
受講生じゃない皆さんもぜひ❣️ ではありますが
「??」な部分は、下手にズレて理解するより
そのままスルーしてくださいね👍
それでも、みんなの氣づきは宝の山✨ですので
きっと、その時の自分に必要な何かに
触れられると思いますよ。
・基本健康だと思っていたけど、こうして不快なことをメモると、
ちょいちょい体の不調や痛いところは出てくることは日々起きていて、
教えてくださったとおり未消化の感情がいろいろ体に溜まっているのかな、
と思いました。
・ただ嫌なことが起きた、ムカつく、ではなくて、「これが最善」、
あるいは
「何かを教えてくれようとしている」と考えるのは、
実は精神衛生上もいいですよね。
いちいち不快になったり落ち込まなくなるし。
これで終わりですね。本当にありがとうございます。。!
今回のウチソトワークは
毎日やった方がいい、、ということでしたが
なかなかそこまでの回数取り組むことができませんでした。
時間がないとか前のようにエゴが邪魔したというよりは、
単純にネガティブなわかりやすいトラブル、負の感情になる出来事が
日々そこまで起こらなかったせい、、です。
以前から仕事や人間関係でのトラブルが少ないと思っていましたが
さらに輪をかけて感情が揺らぎにくくなっている、ようにも思います。
とはいえ、そんな中でも
自分の思い通りにいかないことで強い怒りを感じる場面が2、3回あり、
改めてコントロール欲求が強いことの自覚と、
怒りを感じさせる外があるということは
自分の内に強い怒り、憤りを持っているんだなと思いました。
さらに印象的だったのは、見知らぬ他人に怒っている夢をみたことです。
子どもが私のものを壊して謝らなかったというのが理由でしたが、
その親である見知らぬ夫婦に向かって、そのことを強く叱責していました。
他人に怒鳴るということを普段はやらない、というかできないので
夢で感情を解放するってこういうことなのだろうか?
と目覚めて思いました。
(しかも当人ではなくその親、理由が躾、
というのも何か示唆的ですが。。)
それで、途中からは何か起こる出来事に対してというよりは
主には自分自身について、些細なことでもネガティブと感じることを
書き出してみる、ひっかかりに対してウチソトを書き出すという
取り組み方になりました。
オーダーの内容はバラバラといろいろあったのですが
その中で感じたことは、
とにかく他人からの目を基準にしている自分、です。
自分軸がなっていなくて自分自身を認めたり愛せていない、
のではなくて
他人から認められているし、愛されている、にも関わらず
自分でそれを信じられていない、認められていない自分
というものがあるなと。それで、それを深掘ると
心の底では、おそらく自分のことをちゃんと好きなのにも関わらず、
自分のことを好きな奴は嫌な奴、そう「思われたくない」
つまり自分好きイコール自己中心的で鼻持ちならない奴(笑)で、
そう他人に思われてはいけない、、という
謎の刷り込み、マイルールが あるのでは?
それが素直に自分に好意的な行動を許させていないのでは、
ということに思い当たりました。
他人からの見え方を気にするあまり、
自分の素直な感情さえ捻じ曲げている、、
何かのびのびと自分と仲良くできている感が薄い、
と感じてはいたのですが、それはここに原因がありそうだ、と。
頭では、自分のことが好きで自己肯定感が高いことは素晴らしいこと、と
ちゃんと理解していてそんな他人に憧れるにも関わらず、
それは自分には適用されず、どこかで刷り込まれた謎の思い込みは
奥底からずっと自分を縛って離さずにいたのです。
前にブログの中で、怪我でテニスができなくなったのは
テニスをやらない方がいいということではなく
遊ぶことへの思い込みを手放した方がいいということへの気づき、
というような内容をシェアいただきましたが、
エゴというのは本当に巧妙というか複雑で、
(そうさせたのは自分でその理由があったのだと思いますが、、)
一筋縄ではいかず、根底の真意を理解するのはすごく大変だなと。
タマネギのように何層にも気づきがあるなと思いました。
もしかしたらウチソトワークで本来学ぶべきことから
ズレているのかとも思うのですが、、
マイルール、分離への気づきというものが結果的に一層深まり、
今回の気づきは自分にとっては大きかったと感じるので
取り組むことができてよかったです。
ありがとうございました。
あわせて、今回の講座を一緒に受けてくださったみなさんの
たくさんの気づきや質問のシェアもすごく助けになり、
なんというかとても励まされました。
まゆさんが何度も書いてくれていたとおり、学び愛、気づかせ愛。
改めてありがとうございました!
登場人物が多すぎて、
そんなに他者のことを考えているのかと可視化できた。
そして細かい人物設定まで丹念に描いているなと思った。
そんな細部までドラマチックに演出出来るなら、
もっと自分の理想通りの細部まで描くことエネルギーを使いたいなと。
もし、このオーダー内容が事実であるとしたらコメディのようだ。
そこまでして、自分にドラマを起こさせたり
感情の起伏を起こさせたりしたいのか。
狭い世界観で生きている母が嫌だったが、
今回のオーダー内容を見ると狭い世界の話ばかり。
それは狭い世界で生きているからなのかもしれないし、
広く大きな意味ではそんなに気がかりなことがないからなのかもしれない。
現に、書きたいけど今はやめておこうと思った
ポジティブ発見も多々あった。
しかし、大きいとか小さいとかは心の持ちようで
如何様にも変わる出来事なのかもしれないとも思った。
好きじゃない人達のことや思い通りにならなかったことに
エネルギーを割くのではなく、逆のことをしていきたい。
今回のワークをやってみて、
こんなに嫌なことを日々自分でオーダーしているのか…
ほんとうに嫌になる。
嫌だから向き合わず無意識に避けてきた
→何度も同じオーダーがされ続けるの状態だったのか。
根っこは同じだけど、形を変えて何度も登場している感じも受けました。
嫌なことを自らオーダーするのはなぜでしょう?
例えば、
私の存在を忘れられる
→私を忘れてをオーダー
でもこれって私を忘れて欲しくないんですけど…
なぜそんなオーダーを出すのだろう?
忘れているのは外側の誰かではなく(外側の誰かも実際忘れてるけど)、
自分がほんとうの自分を忘れているのだと
気がつかせているのでしょうか??
なんかちょっと混乱しているかもしれません。
最後の最後であと一歩、モヤモヤしてます。
講座の宿題を送るのも最後ですね。(ちょっとさみしい)
ワークの感想を送ります。
さて、自分のオーダーのパターンは、とにかく
「不安にさせて行動させない」でした。
なるほど確かに今まで何かやりたいなと思っても、
思考が押し寄せ不安をあおり、
不毛に時間を費やさせ行動させないことを徹底していて、
ずっと「まだ本気出してないだけ」で、
でも新しいことは経験させてくれるので手当てになってたから、
経験は積んでるけど、結局何がやりたいかわからない。
いやいや、でもこれも、それこそ自分の使命を見つけなきゃ!
という分離でもあるし、
いやいや、生きてるだけでいいんだよ、っていうのは、
切り捨てじゃない?と、ぐるぐるしています。
萬夕さんが前に言っていた、座りが悪い感じがこれなのでしょうか。
講座を受けたすぐ後は、
プレイヤー意識になって進めていくことの面白さを知識として知り、
あんなにワクワクしていたのに、
3週間経った今はあまりワクワクしていません。
とても居心地が悪い今ですが、
その「不安にさせて行動させない」っていうのが、
なんでこんなことさせたいんだよ!って、自分に憤りを感じるんです。
でも憤りを感じてても、愛すべき私なので、
心がもじゃもじゃしています。
もじゃもじゃしてるなーと思いながら、生きて、日々を重ねています。
最近は悲しみたいみたいで、テレビでやってた実写版ダンボは、
悲しくないシーンでもダンボを見るだけで悲しいし、
国際霊柩送還士を描いたエンジェルフライトという映画を見て
ずっと号泣していました。
「そうかい、悲しみたいのかい」と思って、悲しいなぁと思っています。
悲しみの奥に何が隠れているのかな?にちょびっとだけワクワクしつつ。
そんな今です。
講座やLINEでのお返事など萬夕さんの言葉がたくさん聞けて、
とても豊かな時間でした。
ベーシックの知識を日々の暮らしに沁み込ませ、
アドバンスを楽しみにしています。
ありがとうございました。
ウチソトは日頃から意識してやっているつもりでしたが
あらためて文字にして書いてみると「自分、マジか・・」と驚きますね笑
私の場合は予測できないことがたくさん起こるように
オーダーしている感じがあって
ちょっともうやめようよ!落ち着いて行こうよ、という気持ちになりました。
この1年ほど人生もうちょっと落ち着きたい・・と思うことが多くて
そのために分析モードに入ってみるも邪魔が入ったりもしていて。
その邪魔も自分で呼び込んでいるんでしょうね。
と、
これを書いている最中のたった今ですら
忘れ去っていたはずのお邪魔虫から
1年ぶりにチャットが入ってくるなどして
げんなりしています。
なんだこれ。と思っている今、げんなりしたのは キャラクター意識で、
なんだこれ、と思ったのがプレイヤー意識という
ことなんでしょうか。
このオーダーを書き換えていくには
やはり意識的に立ち止まって考えてみるのがいいのでしょう
ということで、今日こそは静かに考えたいと思います・・・
そう思った日に限って、またてんやわんやする設定になっていたりして
いや!そう思っているからそうなるのか!?
今日はどうなるのかしら
ああ無限ループです^^;
【第一期・二期の受講生が新たなワークをしての氣づき】
最後のワークですね。
未だにちゃんと理解したい、出来ていたい、
かっこ悪い、恥ずかしい・・・
いろんな感情が出てきます。
今まで分かっている風を装っていただけなんだなぁと感じました。
私は普段、食材の買い出しと週末のお出かけ以外は
引きこもりのように家にいるので、社会とのかかわりがほとんどなく
他人を介して嫌だと感じる出来事が少ないと思います。
ただ少ないなりにワーク期間は探すことに集中していると、
嫌なことを人からされなくても自分自身を嫌だと思っていたりして、
嫌だと感じることのない日はないんだなと思いました。
正直に書くと、自分の内側が外側に反映されるということは
学んだので知っているという程度だからなのか、
私はこんなオーダーをした覚えはないけどな・・・と思ったり、
ワークの意図がつかめずこれでいいのか迷いながらの約2週間でした。
自分が嫌だと感じたことを眺めて気付いたのは、
自分が尊重されていないと感じた時や
自分がこうあるべきと思う行動ができなかった時、姿ではなかった時に
集中していることです。
自尊心が強いというか、自分をすごく守っている感じがしました。
日々をだらだら過ごしていても
ちゃんとしなきゃとどこかで思っていて、
常に緊張している(勝手に自分で自分を緊張させている)なぁと感じます。
嫌だと感じることがパターン化されていると、
同じような出来事が起きるとつい反応してしまって
またやってしまったということもありました。
本当は同じことの繰り返しに飽きていて、
ワークの後半は少し俯瞰して見ることができたような気がします。
💫
ここまで細かく日常で起こった出来事を「自分のオーダー」として
定義しなおすような作業は今までなかったのですが、
「気づかないように見過ごしてしまいたいこと」を
目の前に突きつけられるような出来事がだんだん増えてきたように感じます。
前半は黙々と取り組んでいたのですが、
後半になるにつれて結構辛くなってきました。
ワーク開始から1週間ほど経った頃、友人が
「軽く見ている(私へも、様々なヒトモノに対しても)」
と感じるやりとりがあり、強い怒りを覚えました。
友人は全くそんなつもりはないと思われ、
私がそう受け取っているだけなのですが、長い付き合いの中で
これまでは怒りを感じるほどではなかった友人に対し、
過去の出来事のモヤモヤまでもさかのぼり、更に怒りが湧きました。
そこで初めて、自分が感情に蓋をしてきたことに気づきました。
そして、「私自身が自分を軽んじているということなのか…」
とハッとしました。
そしてその日くらいから、あらゆる場面で
「軽く扱われるように感じる」とか「ジャッジされる」といった出来事が
ちらほら起こってくるようになりました。
同時に「どうせ私なんか」という思い込みも、
まだまだ根底にしみついているなということに気づかされています。
でも、今は「自分を大切にする」ということが
「どうしたらいいの?」と難しく感じてしまうので、
これはよくないモードかな(笑)と。
このままだと頭の中でぐるぐるコースになりそうなので、
まずは気づけたことをよしとして、観察してみたいと思います。
ちょうどゼニスの復習もやっているので、改めて
「自己価値の回復」のシートをやってみたりしました。
以前は自分にあまり関係ないと思っていたシート達を選ぶように
なったりしていて、この変化は嬉しいなと感じています。
今回のワーク、 参加させていただいてやはり良かったです!
今現在も絶賛辛めではありますが、引き続き続けてみますね。(笑)
いつもありがとうございます!ではでは!
追伸です。
事が起こった時、感情に丁寧によりそったり、自分への声かけすること
しばし忘れてました。。
癖づけられたらいいんですが、つい頭から抜け落ちてしまいますね、、。
【日々と宇宙の講座ベーシック第三期生の皆さんのシェア】














