11/14に2回目を開催しました、4回連続の
毎回1週間以内に感想を提出していただいて、
それを読んで、次回の講座の進め方を決めたり、
日常で実際に落とし込んでいただくための宿題の内容を
考えたり、しているのですが、
「またまたかなりの情報量」
「とても、とても奥が深くて」
「理解するだけで、いっぱいいっぱい」
「とても、とても濃かった」・・・といった言葉をいただくにつけ、
嬉しいのと同時に、
やはり、たったの4回で伝えられる内容ではなかったな・・😂
と思ったりも、しております。
すぐにはわからないのが当たり前、の内容ですので、
まあ、とりあえずでも聞いておいて、
日々、目の前に起きてくる出来事とともに、
かんで、かんで、味わって、味わって、
ゆっくり飲み込んでいくのがよいかと、、思いますね。☺️
「する」をおとす の小さな寺子屋シリーズをやってた時も、
最初はみなさん「???」となってたり、してましたし。😂
でも、参加して1年経ってみて、私の過去ブログを読み直してみたら
最初に読んだ時よりずっと理解できたり、
ギャラクティック・ルーツカードの寺子屋のレポを読んでも
理解度が全然違う!って、
おっしゃってた方、いらっしゃいましたしね。😆
今回のみなさんもどうなっていくのか…
楽しみ楽しみ♪
さて、参加者同士がお互いに読み合って、
他の方の感想からまた気づくことができれば、という意図で、
またここに、参加者の皆さんの感想をシェアさせていただきます✨
参加者ではない方も読んでいただけるようにはしてますが、
結構キワキワの話をしているため、感想の中から、
一部分だけを切り取った話をそこだけで受け取ると、
簡単に誤解したりズレたりしやすいので、
どうぞ、ご了承のほど。。参考程度にしてくださいね。☺️
参加者の皆さんには、グループLINEの方で質問に答えたり、
必要と思われるコメントはしているので、
そこで誤解やズレは修正できるのですが、
ブログだけ読んでる方には、それはできないので、、😅
そこのところは、ご理解くださいませ❣️
それでも、読んでいただくと、私だけでは伝えられない、
個々の言の葉が、人それぞれに、響き合うと思います✨
何かあると、これは良い、悪い、と無意識に判断しているなー
と気づきました。
そして、問題は問題じゃない、思い通りにならないことが問題じゃない、
というのがとても心に残りました。
そう思うと、自分が何かにぶつかった時に、今までとは違った対処?
というか道が見えてきそうな気がしています。
こうした方がいいかな、それともああした方が・・・いや、
一層の事しない方がいいのかも。と思うこともありますが、
しないのは閉じてしまう事(私の場合は閉じているのだと思います)。
どっちにしようか選択を迷うこともたくさんありますが、
Aをやってみて、ダメならBに行けばいいだけの話、
そんなに迷うことはないのだとも思いました。
失敗することが怖いので、吟味して吟味していろんな可能性を考えて、
失敗しない選択をしようと一生懸命になってました。
そもそも、必要なことは起こってくるなら、その自分が思う失敗も必然、
必要なことということ、ですよね?
最近はとりあえず「どーしよーかなー、やろうかなーやめようかなー」
と悩んだことはとりあえずやってみるようにしてます。
・・・がこれでいいですよね?まゆさん?と聞きたくなる私がいます
・・くせですね。
「あの時、ああしてればこんな気持ち味わわなくて済んだのに!!」
と思うこともありますが、その気持ちを味わうために人間やってると思うと
なんか面白く、可愛く思えました。
私自身にはまだまだたくさんの「すべき」フィルターがあって、
それによりムカついていることが多いんだなーとしみじみ思います。
日本の社会では「他人様にご迷惑をかけてはいけない」というのが
とても強く他人様の気持ちを考えましょう、というのも。
そのフィルター、とっても厚いです・・・。
毎日朝のワイドショーでも「迷惑男・女」の話が流されてますし。
人にどう思われるか・・・がすごく気になる。
そのためなのか、人のことも気になっているんだと分かりました。
人と比較する癖があるせいかも。おまけにコントロール欲も強いです・・・。
こうすべき、ああすべき、と人(家族)に指示。
しかも自分は人(家族)に指図されるとむかっとくるという・・・・。
「人に指図されてもいい」とつぶやくとムカムカするので、
丁寧に寄り添っていきたいと思います。
そういえば、私が苦手なGさまについて、
「なんで嫌い?カブトムシと一緒じゃん」という人が。
あの時は信じられない、全然違うし!と思いましたが、
分かりやすいフィルターだったなーと思い出されました。
あと、どれだけ自分が正しいかを主張し、一生懸命戦ってました。
自分の意見がなくちゃいけない、自分がちゃんとしなくちゃいけない、
と思っていて、これも手放したいのですが、
その反対を口にした時は珍しく、なんだかほわんとした緩い気持ちに
(大概怒りと恐怖が出てましたが)。
自分が思っていることが普通、正しいと思い、その枠に入ってくる人と
「あーだよね、こーだよね」(→ほぼ会社のグチ)とドラマを
「楽しんでいた」ように思います。
私は「これって常識」という観念がとても強いと思いますので、
自分が何に反応しているのか、どうしてなのか、
どんな枠を持っているのかなどきちんと見ていきたいと思います。
なんだか思うままに書いたのでまとまりがない感じになってしまったかも
しれないです。
では引き続きよろしくお願いします!
今回もまたまたかなりの情報量だと思いました。
萬夕さんの意気込みを感じました。
その中で,やはり理解しきれないことが多かったのですが,
頭で理解しようとすることはあきらめました。
やめたというより今はわからなくてもいい。そんな感じです。
今までは,なんとか理解しなくちゃいけないと
すべてを力づくでねじ伏せて,理解してきたつもりでいました。
でも,ゆっくりでいいんだと思えるようになっています。
今回,引き寄せについては,萬夕さんが丁寧に説明してくださり,
言われていることはわかるのですが,
やはり,
「より強く願うと反対側も立ち上がる」ことが
実体験を伴っていないせいか,
腑に落ちるところまでよくわかっていません。
私は,引き寄せを強く意識したことはなくて,
新月の願いやお財布ふりふりをしなくても,
豊かに循環されそれを抵抗なく受け取るだけと思っているので,
したことはありません。
これは、引き寄せと関係あるかどうか・・・
でもある意味引き寄せかなと思ったので,書きます。
昨日のことだったのですが,ゼニスの練習会がありました。
生徒さんとランチに行ったのですが,そこでおもしろいことが起きました。
Aさんは,会計の初めにドリンクバーの割引券を1枚もらい,
会計終わりにもう一枚もらいそうになったのです。
「さっき,いただきました」と1枚だけ受け取りました。
Bさんは,ドリンクバーの割引券をもらえなかったそうです。
「会計の値段によって違うのかな?
でも,みんな同じ日替わり定食を頼んだし・・・
私だけもらえなかったのか・・・」そう思っていたそうです。
午後からの練習会の流れの中で,
生徒さんが選んだシートを発表していく順番で,
私がBさんを指名せず先に進めようとしたときに
「私,まだ発表していません」と言ってくれて,
私が,「ごめんなさい」と言ったところから,
Bさんは,ご自分のことを話し始めました。
「自分なんか・・・どうせ・・・」と日常で思うことが多く,
よく,こういうことが起こるそうです。
「さっきもサービス券をもらえないのは,自分のせいかな?」
とも考えていたのだそうです。
「自分は値打ちのない人間だから,順番を抜かされることがあったり,
みんなと同じ扱いを受けないことがあったりする」
そんなふうに感じていると話していました。
「サービス券をもらえなかった,ください」と言ってもよかったね。
とみんなで話していました。
同じ枠に入らない選択というのは,
今,まさに私が体験していることなので,よくわかります。
私は,長いこと母親に支配されていると感じてきました。
それを断ち切るために家出をして母と距離を置いたりしました。
今は,実家で暮らしていますが,父が亡くなってから,今度は,
私がマイルールを炸裂して,母を無理やり私の土俵に上げて,
「〇〇はこうしないと」「なんでこんなことできないの」と
チクチクいじめていました。
自分がやられて嫌だったはずなのに・・・
私は,自分がマイルールを母に押し付けていたことに気づいたとき,
愕然としました。
そして,「どうでもいいや・・・」と思えたとき,
この枠から降りたのだと思います。
その後は,とても平和です。
母が,私の大事にしているアイスクリームを食べてしまった時でも,
「別にどうでもいいや・・・」と思えて,
怒りを感じることがなくなったのです。
今までろいろな方がアドバイスしてくれて,
それも間違ってはいなかったのですが, 私の感情にフタをしたり,
感じたことをなかったことにしなかったのが大きいと思います。
夫,長男家族,次男の方だけを向いているととても幸せです。
母のことを見なかったことにすると
一旦,苦しさからは逃れられるのですが,また,
避けているだけと気づかされるような出来事が起こります。
母のことを切り離して,忘れたふりをしていましたが,
これは,分離だったと思います。
今は,認められるようになり,含めて考えられているので,
「ほら,気づいて!!!」という出来事は起こって来ません。
頭で理解しようとしたり,感じていた感情をなかったことにせず,
体験を通して理解していきたいです。
そのためには,自分に起きている出来事を当たり前と思わず,
見ていきたいと思っています。
次回もよろしくお願いします。
1回目の宿題をやってみたときに、同じ事柄であっても、
その時の状況や環境で自分自身の中で分離になったり、
分離にならなかったりすることがありました。
2回目の講座を受ける前は、どうしてそうなのか、感覚としてなんとなく、
ぼんやりとはわかるけれど、言語化するまでは理解できていませんでした。
今回の講座で、自分と自分意外の誰かとの関係性の
その同じ『枠』の中に入ることでドラマが生じるということ、
そして、その『枠』の中に入っているメンバーによって、
無意識に自分の出方を変えているということを教えてもらいました。
日常を振り返ってみると、、あたりまえのように本当に無意識に
自分の出方を変えている自分がいます。そして、
自分を含めたその『枠』の中にいる一人一人が
それぞれのフィルターを通して世界を認識しているからこその、
いろいろなドラマが日々生じるんだなぁとも思ったり、逆に、
みんながそれぞれに違う認識をしているからこそ、
プラスの何かが生まれたり、
わかりあえたと感じたときの喜びがあるんだなぁ
ということを同時に感じました。
また、同じ『枠』に入らなければドラマが生じることはなく、
自分がその『枠』の中に入るか入らないかという選択ができるのです!
もし、その『枠』に入るという選択を自分がしたのであれば、
その枠内のルールが適用されます。
ここで忘れがちになるのが、
この自分がいる『枠』内でのルールや常識が、全てのあたりまえではなく、
環境やそれぞれの国の文化などによっても異なります。
だからこそ、全てにおいて、いい、わるいではないのだろうなぁ。
日々の生活の中、他者との関わりから生じる事柄から、
自分の中にあるあたりまえを疑うことがわたしの世界を広げる一歩
に繋がっていくことでもあり、新たにわたしが信じる世界を創る一歩にも
繋がっていくことなんだろうなと今は講座を受けて感じています。
とても、とても奥が深くて、
毎回の講座では理解をするだけで、いっぱいいっぱいです。
だけど、受講前よりもわかってきたこともあり、嬉しいです。
残り2回の講座も楽しみにしています!
ありがとうございました。
第2回の講座ありがとうございました
今回の講座も何度も見させていただくことになると思いますが、
今回もとてもとても濃かったです!
「分離」と「含める」ことについては、それぞれをさらに深く、
徹底的に説明していただきました。
私は、コントロールできないこと、問題を問題と思わないということを
頭ではなく受け入れられるようになれたら本当に素晴らしいと思いますし、 そのための道を進んでみたいと思いました。
「あたりまえを疑う」ことについては、自分の中の「あたりまえ」や
「ねばならない」を引き続き意識するようにしてみようと思います。
今週も自分の意味のない「ねばならない」を発見して驚きがありましたが、
生活していて、少しずつ気付いていくことが確かに大切なんだなと思います。
自分で選んでいる「枠」については、
今まで全く気にしたことがはなかったので面白いなと思いました。
これも意識して生活してみようと思います。
他人の分離についてですが、私も以前やっていて、
他人の分離やジャッジしている行為をジャッジして、
1人しんどくなっていました。
今はあまり気にならなくなっていますが、「1人1宇宙」を意識して
引き続き注意していきたいです。
感情消化については、もやっとした時などに
感情をどうにかしておさめてしまうことを、
反射的に結構やっていると思います。
少し考え方などがこの1年くらいで変わったことによって、
周囲も変わるということを実感していたのですが、
「発してはいけない」というフィルターも強くなってしまったのか、
以前より自分の感情をおさめることが多かったと思います。
ついつい避けたくなりますが、
感じることを丁寧にやっていくようにしたいなと思いました。
そして同時に頭で解ろうとしたり、理由探しをしてしまうので
これはやめていきたいです。
「解らなくてもいいんだよ」と言っても
素直に納得してない自分がまだいますが。。。
あとはこの間の宿題の続きのようなことになりますが、
最近反対のことを思うと
よくわからない感情がわーっと沸き上がって
泣きたくなるような感覚になるものがでてきました。
「苦しんでもよい」「時間を無駄にしても良い」
と思うと泣きたくなります。
傷?と関係しているんですかね。。
この感情が何からきているのかよくわかりませんが、
認識するだけでOKということだったので
とにかくそれだけやってみようと思います。
最後に、今週前半に混乱というほどではないのですが重いというか、
これはちょっとよくないぞ?って感覚になりました。(笑)
考えすぎているつもりもないのですが、、、あせりなのか?
肩の力が入りすぎていたのかもしれませんね。
それと関係ないかもしれませんが、感動や共感しやすい状態に
入りやすくなっているような気がします。
自己ヒーリングもしたりして 力を抜いて行こうと思えたら、軽くなりました。
まとまりなくすみません!
来月も楽しみにしていますね。
よろしくお願いします!ではでは
「''自分のフィルターを通した偏りの中で物事を見ているということ"、
はい、これ毎日、試験に出まーす」と、私の頭の中に現れた人物に
そう言われたような気がしました。^_^;
この言葉に限らず、自分の中の分離に気づいていくには、
頭の中の黒板に板書しておいた方が良いと思う言葉が
講座の中で幾つもありました。
勿論、知識で終わらせても全く意味がないのですが、
頭の中に板書しておくくらい意識的にならないと
日々の出来事を丁寧に観ていくということは、
忘れがちな地道な作業ですね。私の場合は、ですが。
「その枠組み(自分の居る場所又は価値観)を選んでいるのは自分ですよ」
というお話しを聞いたときに「それはそうなんだけど、そうは言っても‥」
と私のエゴが反発しました。
職場について言えば、私は「自営だから辞められない」と思っています。
これを「自営だけど辞められる」と言ってみると
「いや、無理無理」とザワザワします。
「頑張らなければ認められない」とか「奥さんなんだから」等の
フィルターの奥に、自分への無価値感があることを認識します。
萬夕さんは「自分の湧いてくる感情に寄り添うだけでいい」
とおっしゃっていましたが、
その時に湧いてくる感情は居心地の良いものではないから、
寄り添ってあげることが出来ずに、分析して深堀りしてみたり、
と思考に走るクセがあるようです。
(←講座の中で、深掘りは自我のマインドゲームと仰っていましたね)
或いは放り出したくなったりコントロールしたくなったり。
時に怒りだったり、嫌悪感だったり、哀しみだったり、
その都度、そういう感情があることは認識出来ても
「寄り添う」ということがよく分からず、分析に走っていたようです。
その感情は認識していたので蓋していないつもりだったけれど、
蓋していることと同じことだったんですね。
試しに表面的なザワザワの奥にあるものを、よくよく観てあげて、
その感情にホオポノポノを唱えてみたら、
何かが緩んで涙が出そうになりました。
「感情を丁寧に見る」ということが、少しは出来るようになったのかな‥?
それから過去世のことですが「今の自分に思い当たることは無くも
過去世で体験していることかも知れないから、
過去世の自分に寄り添ってあげるといい」というお話しには、
「現世のことは現世で片をつけられるシステムにして欲しい!」
と思ってしまいました。
過去世のことなんて言われても、
萬夕さんの出雲の巫女の過去世みたいに詳細が分かることなんて
稀だと思うので、中々のハードルに感じます。
過去世と言っても、時間なんて本当は無いのだから、
過去も未来も現在も今ここに全てあるという話しになってくるのかも
知れませんが、そうなると益々混乱しそうです。
「善行」について、自分の庭と、他人の庭又は公共の場所の
ゴミを拾うことの違いって何?って話しもありましたが、
本来、日本人は、自他の区別が曖昧だと聞きます。
本当だったら、「自分も他人も同じ」という境地に行き易いのかも知れません。 が、余計なモノを一杯くっつけてしまった今、容易いことではありませんね。
「全部自分」とか「自分すら居ない」とか、
今の私にはまだよく分かりません。
ただ、子供の頃、鏡を見ていて
「自分は、たまたま今、この身体の中いるんだな」って、
ふと思ったことがあります。
自分はこの身体の中にいるだけの存在ではないという感覚。
それから同じ頃、家族で車に乗っている時に、
「あ、この家族とは、お互い役割を決めて、今、家族をやっているんだな」
と急に直感めいたものが降りてきたことがあります。
小学校低学年だったので、前世なんて聞いたことも無いし、
あの世だとか魂のことすら、考えたこともないような頃です。
講座で学んだことを実践した先に、
子供の時に感じたこの世の真理、宇宙の理のようなものに触れられたら、
と思います。
録画を3回見直しました。
それでも、まだストン!と理解できたという感覚がありません
「含むって簡単じゃないですよ」まゆさんのお言葉そのままの感じです。
先回の講座のあとにも同じことを感じた部分があり、
繰り返しになって
しまうのですがやっぱりどこかで
判断基準となる軸を求めてしまいます。
いい、わるいってことではないよとまゆさんに言われると、
そうなんだ
と思うのですが、でもふと気がつくと
いい、悪いで判断をしている自分
に気づくのです。
例えば、もともとこの講座を受講しようと思った動機に
まゆさんのブログでどんなことを学ぶのかを見て、
知りたい!と思ったか
らですが、そこに
これを受けることは自分にとっていいことだという判断があったから。
いい、悪いではないというと、この受講自体も?
となってしまう部分が
あります。
あ~、でも一旦振動数を上げてみて、その後
どっちが自分にとって心地
いいかを選択すればいいんですね。
と、ここでやっぱりまゆさんに確認するような書き方をしてしまう私・・・笑
でも、振動数を上げたら他人の庭のゴミも自分の庭のゴミも同じです、
には そっか!!と思えました。
私自身は実は引き寄せでかなった経験が結構あります。
つい最近も引き寄せで言うところの”ベストのタイミングで。
これ以上
ないと思う方法で”叶いました。それも
私がそれに付随して考えていた
条件を全てクリアした叶い方でした。
でもそれは、引き寄せでかなったと思っているだけかもしれないとも思
います。
そして、引き寄せなんかしなくても、こうなったのかもしれな
いとも思います。
なので、引き寄せについては今も半信半疑ではあるのですが。
単にそれをしていたほうが、叶わなかったからどうしようという不安が
なくなるので、やっていたというだけで。
まゆさんの林檎さんの話(コンサートに行きたいと思わされた様な、
と
いうくだり)をお伺いして、
潜在意識での引き寄せのブログを書いている男性の話を思い出しました。
願いが沸き起こるのはすでに未来でかなっているからだ
という趣旨のものです。
だからどうしたという話ではなく、
私もその点についても謎~
と思っていて、
まゆさんの経験が潜在意識による引き寄せだと思っているというわけでもありません。
そういえば、同様にアンの上から目線の政治家が嫌いっていうのも、
引き寄せでいうところの反対側も同時に立ち上がるに近いものがありますよね。
くどいですが、だから引き寄せでは?と言っているつもりはない
です。
ただ、なんかどこかでリンクしてるのかなぁとは感じました。
私自身の中には~べきがたくさんありました
もし、全てのべきをなくしたら・・・
朝は寝たいだけ寝て、一日中ごろごろとすごし、
料理も気が向いたとき
だけにして外食が増えます。
けれど、起床や就寝の時間は一定にして方が体にいいし、
家族のために
朝は起きて準備をするべきだし、
自分は良くても家族の健康によくない
から
外食よりも家で作ったものを摂取したほうがいいし・・・
と
判断している自分がいます。いい、悪いで判断していて、
それにある
程度沿った生活をしています。
と、考えている途中に、~するべき、~したほうがいいという生活を
きちんとこなしている自分でいたいという気持ちがあるのに気づきました。
そこには適当にやりたいけど、適当にやってる自分も嫌
という矛盾した
気持ちがあります。
未消化の感情というところでふと思ったのは、
過去の嫌だった記憶が
忘れられない
=未消化の感情なのかなぁということです。
なぜ忘れられないのだろう、あの時の先生の対応が嫌だったとか
店員さんの対応が嫌だったとかあるのですが、もしかしたら、
その時に
言い返さなかった自分に対しての怒りもあるのかもしれない
と思いはじめました。
自分を守れなかった自分に対しての歯がゆさなのでしょうか。
今回の2回目の講座を受けてから、
感情に同一化している時間が少し減ったように感じています。
同一化してもすぐに気づくというか、
ずーっと同一化したままというのは減って来ました。
当たり前の中に偏り感情に気づきのヒントがある。
日々当たり前だと思って気にしなかったことにも
少しづつ気が
行くようになったというか、
これはこうだからこうすべきだとか、こうして当たり前
といった時にふと立ち止まり、違う角度で
考えられる機会も
少し出てきています。
偏りがあると認識しつつ気付いて生きていけるようにしたいです。
良い悪いじゃないという言葉も、今までずっと聞いてきましたが、
今までと少し自分の中で意味合いが変わったいうか、
嫌なことも体験したくて見たいように見ているんだということが
少し理解しかけてきたのかな?って感じです。
良いことだけ起こってほしい、悪いことはナシ!は違うんだなーと
思えるようになりました。
萬夕さんが何度もおっしゃっていた、
切り捨てと閉じこもりに注意ということは、
正に自分が最も気を付ける必要があると
ますます感じています。
日常の中で’私は在る’と気付けるようにありたいです。
世間を離れて特殊体験することが悟り的な
イメージも
植え付けられたものと感じています。
そういう方ももちろんいることは否定はしませんが…。
ワンネスの話を聞いて早く自分もその段階にいきたいなと強く思いました。
ただ地道に自分と向き合い続けるエネルギーが
必要とのことですが、
私は時期的にもう待ったなしの状態、
そうならざるおえない時期のように感じています。
コントロール出来ないことを知っておく…。
私は特に不安から抜け出したいのであれこれジタバタしたり、
頭の中で考えすぎて
余計にエネルギーを与えてしまう傾向があるので
肝に命じたいです。
Kan.さん、アインシュタインの話でおっしゃっていた、
問題が問題でないことに早く気付いて、
マインドゲームから早く脱却したいとますます思いました。
思い通りにならない苦しみから
早く抜け出すためには、
思った通りにならないことが問題じゃないということに気付く。
問題が問題だと思っている次元に居続けるのはもう苦しくて嫌ですね。
2回の講座の復習を進めつつ、日々の中で実践を深めたいと思います。
ありがとうございました。
また次回もよろしくお願い申し上げます。