心から敬愛するお二人です |
南アフリカの第9代大統領であり、
1993年ノーベル平和賞受賞者の
ネルソン・マンデラさんが亡くなりましたね。
本当にすごい人だったと思います。
何がすごいって、マンデラさんは、
反アパルトヘイト運動で国家反逆罪に問われ
27年間も投獄された後、釈放され、大統領になったわけですが、
就任演説の際、自分を監禁した人たちに
わざわざ最前列の席を用意してるんですよね。
こんなこと、普通はなかなかできることじゃありません。
だって、27年間ですよ?!
そう簡単に許せることではありませんよね。
なのに単に「許す」だけでなく、それを公に示す意味でも、
あえてそうやって敬意を表して見せた。
「許す」ことなくして、
この国も、国民も、自分自身も癒されることはない、
憎しみはまた憎しみを生むだけ、
「許す」ことがいかに大切か、
ネルソン・マンデラさんが亡くなりましたね。
本当にすごい人だったと思います。
何がすごいって、マンデラさんは、
反アパルトヘイト運動で国家反逆罪に問われ
27年間も投獄された後、釈放され、大統領になったわけですが、
就任演説の際、自分を監禁した人たちに
わざわざ最前列の席を用意してるんですよね。
こんなこと、普通はなかなかできることじゃありません。
だって、27年間ですよ?!
そう簡単に許せることではありませんよね。
なのに単に「許す」だけでなく、それを公に示す意味でも、
あえてそうやって敬意を表して見せた。
「許す」ことなくして、
この国も、国民も、自分自身も癒されることはない、
憎しみはまた憎しみを生むだけ、
「許す」ことがいかに大切か、
本当に分かっていた方なのだと思います。
尊敬するリーダーが先頭に立って許したのを見たら、
後に続く者は自然とそれに従うものですしね。
世界中のリーダーが、この姿勢には学ぶものがあっただろうと思います。
ガンジーさんは
「弱い者は赦すことができない。赦しとは強い者の性質なのである。」
と言ったそうですが、
それにしてもマンデラさんの強さは、相当です。
私が好きなマンデラさんの言葉に、
尊敬するリーダーが先頭に立って許したのを見たら、
後に続く者は自然とそれに従うものですしね。
世界中のリーダーが、この姿勢には学ぶものがあっただろうと思います。
ガンジーさんは
「弱い者は赦すことができない。赦しとは強い者の性質なのである。」
と言ったそうですが、
それにしてもマンデラさんの強さは、相当です。
私が好きなマンデラさんの言葉に、
我々が最も恐れているもの、それは自分が無力だということではない。
我々が最も恐れているもの、それは自分には計り知れない力がある、ということだ。我々が最も恐れるもの、それは我々の光であって、闇ではない。
我々は自分に問いかける…。
自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物
であるはずがないではないか?
だが、そうあってはなぜいけない?
あなたは神の子である。
あなたが遠慮しても世界の役には立たないのだ。
まわりの人が気後れしないようにと、
あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。
我々は、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。
そしてそれは限られた人々のものではなく、
すべての人の内にある!!
我々が自らの内にある光を輝かせるとき、
無意識のうちに他の人々を輝かせることができるのだ。
我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、
我々の存在は…
同時に他の人々をも解放することができるのである。
なんて力強く、愛に満ちたスピーチなんでしょう。
一国民に留まらず、全人類に向けて、放ってますよね。
本当に、その通り!
私はこの素晴らしいスピーチを
オンタイムではちゃんと分かっていなくて、
オーラソーマの会長、マイク・ブースが授業の中で、
私にこの一節
「我々が最も恐れているもの、それは自分が無力だということではない。
我々が最も恐れているもの、それは自分には計り知れない力がある、
ということだ。」
をメッセージとしてくれたことで、
改めて全文を調べ、心打たれたのでした。
そう、私たちはみな、内側に光を持っている。
それを輝かせるも輝かせないも、私たち次第。
でも輝かせることを恐れる必要なんてない。
誰に遠慮する必要もない。
自分を解放し、輝くこと。
そうすれば、他の人たちもそうなっていく。
だからまず、あなたが光になりなさい。
もし自信がないとしても、とりあえず、
自分を信じてみることに決める、ってことも大事なんだと思います。
ただ待っていたところで「自信」が向こうからやってきてくれる
なんてことはないわけで、決めないことには、何も始まらない。
そして、行動し、やり抜いてみる。
その連続があってはじめて、本当の意味で
自分を信頼できるようになるんじゃないかなぁと思います。
だから、最初は嘘でもいいんですよ。嘘から出た真になればいい。
あなたの内なるパワーを、信じてみて下さい。
そして同じように、他の人たちの内なる光にも敬意を。
マンデラさんは
「自分がどれほどその習慣に誇りを持っていようと、
自分自身の習慣に照らして他者を断罪する権利は
一切ないと思うようになった」
改めて全文を調べ、心打たれたのでした。
そう、私たちはみな、内側に光を持っている。
それを輝かせるも輝かせないも、私たち次第。
でも輝かせることを恐れる必要なんてない。
誰に遠慮する必要もない。
自分を解放し、輝くこと。
そうすれば、他の人たちもそうなっていく。
だからまず、あなたが光になりなさい。
もし自信がないとしても、とりあえず、
自分を信じてみることに決める、ってことも大事なんだと思います。
ただ待っていたところで「自信」が向こうからやってきてくれる
なんてことはないわけで、決めないことには、何も始まらない。
そして、行動し、やり抜いてみる。
その連続があってはじめて、本当の意味で
自分を信頼できるようになるんじゃないかなぁと思います。
だから、最初は嘘でもいいんですよ。嘘から出た真になればいい。
あなたの内なるパワーを、信じてみて下さい。
そして同じように、他の人たちの内なる光にも敬意を。
マンデラさんは
「自分がどれほどその習慣に誇りを持っていようと、
自分自身の習慣に照らして他者を断罪する権利は
一切ないと思うようになった」
とも言っています。
「私自身も1人の仏教徒ですが、
仏教という自分が信心している宗教に
あまりに強い執着をするということは正しいことではありません。
なぜなら私たち人間は執着の心を持った時に
心は偏見に満ちたものになってしまい、
他の人たちの立場などを理解すること、
現実をあるがままに見ること、ができなくなってしまうからです。」
先日のブログでも書いたダライ・ラマ法王の
「私自身も1人の仏教徒ですが、
仏教という自分が信心している宗教に
あまりに強い執着をするということは正しいことではありません。
なぜなら私たち人間は執着の心を持った時に
心は偏見に満ちたものになってしまい、
他の人たちの立場などを理解すること、
現実をあるがままに見ること、ができなくなってしまうからです。」