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2017/07/29

坂本龍一×福岡伸一(生物学者)〜当たり前のことにやっと気がついた


ちょっと前にEテレでやってた
坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの対談の内容が
面白かったのでシェアしておきますね〜。

なんか、すごくね、
分かる分かる〜!って感じだったのです。


一つ目は、山登りの話。

生物学者の今西錦司さんて方がいたんですって。
山が好きで生涯に2000近い山を登って来たそうで。

山に登るとその頂上からしか見えない景色がある。 
そこに次の山が見える。
だからその山に登りたくなるんだ。

って、言ってたと。


その話を受けて、教授(坂本龍一さん)がね、

去年アルバムを作っていて、
まるで山に登っているようだなと実感したんですよ。 

僕の場合はね、地図のない登山なんですね。 
だからまさに登ってみないとその山自体も分からない。 
一歩踏み出してみないとどういう景色かも分からない。
(略) 
作り出してみないとどこがゴールか分からないんです。 

で、ある日、これがゴールだと実感した瞬間があったんですね。 
そしたら、今まで見えてなかった次の山が見えたんですよ。 
あ、これが終わりじゃないんだって。 
ここに行かなきゃいけないんだ。 

でも登ってみないと向こうは見えないわけですよね。 
それをね、実感したんです。

って、話すんです。


教授ですら、そうなんですよ〜。
同じ人間だ!って感じがして(当たり前だが。笑)
嬉しくなりますな。


山登りも創作活動もね、
「自分と向き合う」作業じゃないですか。

だから「登ってみて初めて分かる」ことがあったり
「登ってみたら今まで見えてなかった次の山が見える」って
人生そのもの、だよなぁ… って思いまして。


それは自分で登ってみないことには、
絶対分からないんですよ。


誰かが言ってたこと、書いてたこと、
それはヒントにはなると思うんだけど、
自分が体験してはじめて、
自分の内に落とし込むことができる


体験すること自体を怖がる人も多いけど、
それはとてももったいない話で。


いや、そりゃね、
特に「自分にとって嫌な体験」をわざわざしたい!って人は
そうそういないと思いますよ。


でももし、あなたの目の前にそういう現実が展開されたなら、
それは体験してみる価値があります


特に、避けても避けてもやって来るような
パターンになっている「自分にとって嫌な体験」なら、
なおさら。


なぜって、、
それはほぼ間違いなく、、
自分の魂が生まれる前に設定して来た
チャレンジだから!!!


それを超えた時に何かしらの
ご褒美=気づき
があるはずです。


チャレンジを何も設定してこない魂なんて、
いないですからね。


そして、自分で設定したってことは
超えられるってことが前提です。


だから安心して、体験しましょう!

2010年N.Y.にて

二つ目は、
これを読んでくれている友達やお客さんには表現者も多いので、
教授の言葉、シェアしておきたいかな、と。


(音楽は)一回性っていうのは非常に大事だし、
(科学は)再現性ですよね、 
何度繰り返しても同じ結果が得られるっていうところに
信を置くものじゃないですか、科学って。 

それと反対で(音楽は)一回しか起こらないから良いと思うんですね。 
そういうところにアウラがあると。ベンジャミンに言わせれば。 

*ヴォルター・ベンヤミン:ドイツの思想家 
「芸術は複製されるとアウラ(オーラ)が失われる」

毎回同じことが必ず起こるとか、劣化しないとか、
たくさん同じものがある、複製技術時代 
ますますそれは高まっている訳ですけど、今の時代はね。
その時に一回性の問題っていうのは
今真剣に考える必要のある問題だと思ってるんですね。


たぶん考えてる人、多いんじゃないかなと思ったので。

有名なジョン・ケージの「4’33’' 」にも触れてましたね。
4分33秒の間、演奏が行われないっていう問題作。

音を人間のコントロールから解放する試み。。
ノイズを排除するのではなくて、ノイズを聞いてみよう、っていうね。

すべてのものは無の残響である
という彼の言葉についても、熟考されたようでした。

2013年モニュメントバレーにて

三つめは、ふたつめの流れからなんですけど

教授:
我々人間の脳の特性としかいいようがないんですけれども、 
どうしても何かの意味ある情報を受けとろうとする
見ようとする聞き取ろうとする。


博士:
星座を取り出すっていうのは、言葉の作用というか 
人間の場合は特に
ロジック、ロゴス=言葉、意味、論理の作用ですよね。 

言葉による分ける力、文節の力っていうのはすごくて、
そのことによって本来ノイズだらけの世界から 
星座、シグナルが切り取られて行くわけで。 

あまりにもロゴスの力によって切り取られ過ぎると、
本来の自然というものが非常に変形するというか 
人工的になってしまう。 

物理学、生理学の Physis っていうのが
本来の「自然・ありのまま」っていう意味で 
プラトンやソクラテスが出るよりもっと前のヘラクレイトスの時代に 
自然というのは混沌としていてノイズからできているけれども
豊かなものだ っていうビジョンがあったわけですけども 
プラトンやソクラテスがイデアみたいなものを言い出して。

ロゴスの強力さっていうのに、ある種辟易することがありますよね。 
認識の牢屋ですよね。 


教授:
一度、思考実験として、「名詞を使うのはやめてみよう、1日。」
と努力したことがあるですよ。
まあ、ほとんど、不可能ですよね。生活できないというか。
もちろん話もできないし。難しい。
でもね、僕は大事なことなんじゃないかなと。
(略)
まず、自分もノイズだと認識しないといけませんよね。
自分がまるで自然の外にいて観察しているかのような
認識の枠組み自体が、もう間違いですね。
自分自身も木と同じ、自然物ですよね。
果たしてどれだけの人がそれに気づいているかどうか。



認識の牢屋」って、
まさに!って思いませんか?


私たちは、知らず知らず、
それが当たり前過ぎて、普通に、
目の前の対象を言葉で切り取りますよね。
名詞をつけて呼ぶだけじゃなくて、
ジャッジしてカテゴリー分けしちゃったり。


もともと混沌としているのが自然なのに、
何らかの型にはめ込まずにはいられなくなっているというか。


それによって、こぼれ落ちてしまうもの、
もあるんだけど、それには気づかないことが多い。


結果、自分たちの認識に苦しめられたり。。
認識が制限になってしまってるんですねぇ。


星だって、どんな風に見たっていいわけですよ。
星座として見てもいいし、
全然違うものに見えてもいい。


ひとつの切り取り方を絶対だと思わないこと
そう思い込むと、他の見方ができなくなってる
ってことにすら、気づかなくなっちゃうかもよ?
ってことですなぁ。



四つ目。

遺伝子欠損させた実験マウスの話も興味深く・・・
それでもマウスは元気だし、異常もなく、
寿命も変わらなかったんですって。
部品を欠損させているのにもかかわらず、何も起こらないことの方に
驚かないといけない」と。


博士:
欠損しているという状態を元に、新たなバランスを立ち上げる 
その回復力というか、可塑性ですよね。 
それこそが生命を生命たらしめているものなので 
それをもっとちゃんと・・

教授:
だってそうしなきゃさ、
40億年近くも生きてこれないでしょ、生命は。



三浦梅園(思想家)が
枯れ木に花咲くより生木に花咲くを驚け
と言ったそうなんですが、


当たり前のことを疑うこと!
当たり前のことに改めて神秘を感じること!


これ、音楽家じゃなくても、生物学者じゃなくても、
誰にとっても大切なコトですよね。


五つ目。

動的平衡: 
人間も分子レベルでは、体全体が一年ほどで
全く別の分子に置き換わっている。 
生き物の中身と外とを、分子が行き来する絶え間のない流れ、のこと。


博士が唱えている考え方。
面白いですよねぇ。


私たちの体、分子レベルでは
一年前と全く違うんですよ!!
「変わってない」は気のせいなんです!!!(笑)


20世紀の生物学は「作ること」中心だったそうなんですが
今は「壊すこと」に注目している、というのも面白く。


博士:
生命現象は、作ること以上に壊すことをやめない。 
どんな時でも壊し続けているし、壊すやり方は何通りもある。 

タンパク質も常に壊され続けてる。 
(壊さないと生まれないというか。 )
壊すことの重要性っていうのを
もうちょっとちゃんと認識しなきゃいけないなって
いうふうに思ってますよね。
壊すことの積極的な意味をもっと考えなきゃいけない。

生命現象が持っている流れそのものを
なんとかこの要素に名前を与えるんじゃなくて、
要素と要素のふるまいとして説明する、
新しい言葉を作らなきゃいけないなと考えて、そ
れをもうちょっと精密化して、数理モデルみたいにできないか
っていうのをずっと考えるっていうのを実際やってきたんです。


生命は常に合成と分解で成り立ってる、って、
=作ることと壊すことを同時にやってる、って、
(陰と陽ですなぁ…)
その絶妙なバランスをすでに持ち合わせているって、
すごいことだと思いませんか?


それが「自然」なんですね。
それが「命」なんですね。
私たちは、生まれながらにして、そういう存在なのです。



最後に。


教授:
空気の振動、音という現象が
人間がやらなくても常に起こっているので 
別に誰かが演奏しなくても、それを聞けば音楽なんですよね。 
わざわざ新しい振動を呼び起こさなくてもいい、
作らなくてもいい、ということだと思うんですね。 
そんな当たり前のことにやっと気がついた
っていう感じがね。ずいぶん時間がかかった。

博士:
それは同じです。
当たり前のことに気がつくのに時間がかかる
っていうのは、まあ 
年をとることのいいことのひとつですよね。


うんうん、本当に!
当たり前のことに、やっと気がつく。
教授だって、博士だって、そうなんですから!(笑)
それが人生なんだよなぁ〜〜、って、思います。


当たり前のことほど、疑わないから、
なかなか気づけないんですよね。


そういう意味で、
私は今、自分をとことん疑う日々を送っております。
<自分がこれまでずっと自分だと信じ込んできたコト>
を疑う、ってことね。
ひたすら、アイデンティティ剥がし、観念剥がしです。


「それ、ホントにそう?」
「それ、ホントにいる?」

って、自問自答。
まあ、究極、全部いらないってなるんだけど。(笑)


気づけば、
来月のカウアイ島&マウイ島リトリートのテーマ
「破壊と再誕生」を
まーんま、実践しておりますね。


その頃には、果たして
どうなっているのかな〜〜


楽しみにすることにします!


感情消化してったら、
そんな余裕も生まれてまいりました。
( ̄▽ ̄)


あ、感情消化のための「セルフケア講座」、
絵本の在庫確保ができたので、
8月も開催できそーです!


☆「気づきのヒント まとめ」はこちら