ティク・ナット・ハンが16年ぶりに来日すると知って早速、
東京講演のチケットを買いました。
ティク・ナット・ハンはベトナムの禅僧で、
欧米ではダライ・ラマ14世に並ぶ高い評価を受けています。
キング牧師にノーベル平和賞候補に推挙されたこともあるほどの、
人権活動家でもあります。
私は彼の著作はまだ読んだことがありませんが、
ワイス博士が本の中で彼について書いていたのを読んで、
初めて知り、感銘を受けました。
欧米ではダライ・ラマ14世に並ぶ高い評価を受けています。
キング牧師にノーベル平和賞候補に推挙されたこともあるほどの、
人権活動家でもあります。
私は彼の著作はまだ読んだことがありませんが、
ワイス博士が本の中で彼について書いていたのを読んで、
初めて知り、感銘を受けました。
ここに、ワイス博士の「魂の伴侶」から、
師について書かれた部分を抜粋させていただきます。
***
ベトナムの仏教の僧侶であり、詩人でもあるティク・ナット・ハンは、
一服の茶の楽しみ方について書いている。
お茶を楽しむためには、
人は完全に、今という 時に目覚めていなければならない。
今という瞬間を意識している時にのみ、
手は茶わんの快い温かさを感じることができる。
今という瞬間のみに、香りを楽しみ、甘さを味わい、
繊細さを感じとることができる。
過去のことを思い煩っていたり、将来のことを心配していたりすると、
一杯のお茶を楽しむという体験を失してしまうだろう。
茶わんを見おろすと、もうお茶はなくなっているのだ。
人生もまったくこれと同じである。
人生もまったくこれと同じである。
今という時に完全に心を向けていないならば、
まわりを見回してみると、もうそれはどこかへ行ってしまっているのだ。
人生の感触、香り、繊細さ、美などをすべて見すごしてしまう。
人生はただ、あなたの目の前をあっという間に通りすぎてしまうだろう。
過去はすでに終わっている。
過去はすでに終わっている。
そこから学ぶことを学び、手放せばいいのだ。
未来はまだここにない。
未来に対する計画をたてるのはよい。
でもそのことを心配し て時間をむだにしてはいけない。
心配は必要ないことなのだ。
すでに起こってしまったことを気に病むのをやめ、
起こらないかもしれないことを心配するのをや めた時、
あなたは今という瞬間にいることができるのだ。
その時、あなたは人生の喜びを十分に体験し始めるだろう。
***
このことは、ヒプノセラピーの哲学にも関連しています。
前世も含む、過去の思いを思い出すことで、気づき、学び、手放す。
もうそれは終わったこと、過去のことなのだと、
それを潜在意識で理解することで、捕われていた思いからの解放が起こる。
私達は今を生きずに、過去に縛られていることが、
なんて多いことでしょう。
こう考えると、お茶の時間も瞑想のようなものですね。
日々の暮らしの中で、今ここ、この瞬間に、気づきとともにあること。
四季の移り変わりを感じたり、雨のにおいを感じたり、
そういうささやかなことを忘れないでいたいものです。
あるヒーリングの先生が、
こう考えると、お茶の時間も瞑想のようなものですね。
日々の暮らしの中で、今ここ、この瞬間に、気づきとともにあること。
四季の移り変わりを感じたり、雨のにおいを感じたり、
そういうささやかなことを忘れないでいたいものです。
あるヒーリングの先生が、
「お坊さんが寺に籠って修行するなんて、むしろ簡単なこと。
すでに整った聖なる環境の中で、
聖なる自分でいるようにすればいいんだから。でも、
本当の意味での修行は、俗な世間の中でこそ。
俗の中でいかに聖なる自分でいられるか。その方がよっぽど難しい。」
というようなことをおっしゃっていたのだけれど、
いわゆるスピリチュアルな考え方も、
いわゆるスピリチュアルな考え方も、
日常生活に活かせてこそ、だと思います。
私達は目の前のことでいっぱいいっぱいになりがちで、
まわりに振り回されることもしばしばですが、
そういう時こそ、一杯のお茶を楽しむ余裕。
大切ですね。
私達は目の前のことでいっぱいいっぱいになりがちで、
まわりに振り回されることもしばしばですが、
そういう時こそ、一杯のお茶を楽しむ余裕。
大切ですね。