高校時代からの親友たっち(左)と母(右) |
☆「元気にインプット、しまくってます❣️」はこちら。
↑にも書きましたが、9月の終わりに母と
母の故郷・釧路を中心に、北海道を旅して参りました。☺️
写真は、母の高校時代からの親友・たっちと母。
お昼にお蕎麦をいただいた後、
「また来てね、」「元気でね、」と
手を繋いで別れを惜しむ、かわいい二人💓
外反母趾の悪化で、歩くことが辛くなってきて
「体が動くうちに、最後と思って行きたい」
と言ってた千葉在住の母だけに
また会えるかもしれないけど、
これが最後になるかもしれないし、、
別れがたいものがありますよねぇ…
私は、母が「たっち」「あお」とあだ名で呼び合うのって、
初めて見た気がして、、なんだかとっても新鮮でした。
二人を見てたら、なんだろ、
二人の間に流れてる空気が女子高生のまんますぎて😆
母は嬉しそうにずっとしゃべってるし、
たっちはひたすら「そうなのねぇ」「うんうん」って
嬉しそうにずっと相槌打ってるし、、
おそらくは変わっていないであろうこの関係性に、
女子高生の時の二人の姿がだぶって見えるようで…
不思議な感覚になりましたねぇ。😌
そして、母が話してくれた
たっちとのエピソードがとっても素敵だったので、シェア💖
母にとって思い出深い場所 |
高校時代、習字の時間でのこと。
母の隣にTさんが座ってて、Tさんの前にたっちが座っていたそう。
そしたら、Tさんが
墨のついた筆を右手に持ったまま
「ちょっと」って肩にポンして、たっちに声をかけたそうな。
「ちょっと」って肩にポンして、たっちに声をかけたそうな。
で、たっちが振り向くと、
夏の白いセーラー服に墨がべったり、、😱
Tさんが
「あ、ごめん!ついちゃった」と謝ると
たっちは
たっちは
「どうせ洗濯しようと思ってたんだからいいんだよ!」
って、
全くTさんを責めることもなく、
あっけらかんとしてたのだそう。
・・・高校生にして自然と出た、
このとっさの対応は、すごい✨
つい「えーっ!ちょっとぉぉ」とか
言っちゃいそうじゃないですか?😅
母はそんなやりとりを見ていて、
「すごい人だなぁと思って、それ以来リスペクト。
そう言えるってすごいなって思った。」と。
この話を、母が、たっちのいる前で私にしてくれたんだけど、
それを聞いてるたっちは
「いやいや、そんなこと…」って、恥ずかしそうに、
たいしたことじゃないって様子でいて。
たっち、なんて謙虚なんでしょうか。
しかも器が大きい❣️
この言動は、たっちにとっては
当たり前のことだったんでしょうね。
さらりとできたってことは。
でも、なかなかできることじゃないですよねぇ?
そして、そういう友達と出会えた母も、そう思えた母も、
いまだに繋がり続けてる母も、素敵✨って思いました。
「たっち、母と親友でいてくれて、ありがとう」
と、娘の私からも感謝の気持ち。😌
黒岳の紅葉と🍁 |
そして、北海道のおじいちゃんの
「人を責めない」素敵エピソード✨も。
☆「私のルーツのお話」はこちら。
10年以上前のブログ↑にも書いたことがありますが、
私には3人の祖父がいまして、
北海道のおじいちゃん=母の育ての親であるお父さん、
になります。
母の結婚式の2日前のお話💖
北海道から来たおじいちゃんたちは、
横浜に宿泊してたそうなんですね。
で、横浜駅から親類の家へタクシーで行こうとした時に、
タクシーに乗ってから、おじいちゃんが
住所を書いた紙を「どこやったかな?」と探して
モタモタしてしまったようなんです。
すると、運転手がチッ!と舌打ち。
こういう人、いますよね〜!😂
わざわざ舌打ちする人!
感じ悪っ!😠って思っちゃいますけどねぇ。
ところが、おじいちゃんは、
2000円くらいの距離だったにもかかわらず、
わざわざ5000円札を出して「お釣りはいいよ」と
言ったそうなんです‼️😳
そしたら、運転手の態度が
目に見えてガラリと変わったとか。😂
この手のエピソードに事欠かない祖父なので、
さほど驚きはしませんが、
さすがというか、なんというか、、
なもので、おばあちゃんが
「全くお父さんたらバカみたい。
親切にしてくれたのならまだしも、
あんな嫌な態度とられてチップを弾むなんて、
お人好しにもほどがある」
ってプンプンしたら、
おじいちゃんが
「いや、あれでいいんだよ。」と一言。
わかるよ、おじいちゃん。
わかる。😌
でも、自分にできるか?っていうと
なかなかできることじゃあ、ない。
おばあちゃんの気持ちも、とってもわかる。
おじいちゃんは、『個』じゃなくて『全体』をみて
動くことのできる人だったんだなぁ…✨と
つくづく思います。
「なんだその態度は!」とか責めたところで
運転手が<本当の意味で>態度を改めるとは思えないけど、
こんなふうに器の大きい態度を取られたら
逆に刺さるというか、、
「態度を改めよう」って自発的に思えるかもしれない。
おじいちゃんに直接の利はなくても、
次のお客さんへの態度は、改めるかもしれない。
全体として考えた時には、
その方が絶対いい。
『私』じゃなくて『私たち』なんですよねぇ…
基本の考え方が。
これって、すごく
今の時代にフィットする在り方な気がしていて、、☺️
今はもう、子育てとか、社員教育とかも
ダメ出しすればいいってもんじゃない、って
なってきてるじゃないですか。
(私は、『愛をもって叱る』はアリだと思いますけどね❣️
痛みの連鎖からの怒り、とかではなくて。)
THE・昭和な時代に、、
おじいちゃんてば時代を先取りしすぎだわぁぁ😂
私が6歳の時に天に召されてしまったけれど、
大人になってから話してみたかったなぁ…って
すごく思います。
屈斜路湖のペンションにて |
最後に、
「全体で見る」に繋がる、もう1エピソード💖
この北海道のおじいちゃんが、
おばちゃん(おじいちゃんの妹)の結婚相手をお世話したそうなのですが、
その旦那さんも、おじいちゃんが連れてきただけに、似ているというか、、
そんなおじちゃんの話です。☺️
おじちゃんの甥っ子が来て
「いま、浜で釣りをしてる人がいたんだけど
『そこは釣れない場所だから、もっと釣れる場所があるよ』って
違う場所に案内して連れてってあげたよ」
って言ったら、おじちゃんは
「そうだ。街の人間には親切にしてやれよ。
ここから出ていった何人もの人が
街の人間の世話になってるかわからない。
だから、街の人間には親切にするんだぞ。」
って言ったのだそう。😌
これも、自分が直接お世話になったわけではないけど、
村人の一人として、街でお世話になったであろう誰かの代わりに
自分が親切にして返す、みたいなね。
そしたら、
親切の循環✨が起きますもんね。
『個』対『個』じゃなくて
『全』対『全』なんだよなぁ…🌈
日本語にある「おたがいさま」精神が
生きてますよね✨
言葉に現れてるくらいだから、
それが、日本人の本来の考え方、
だったはず🌟
昆布森の港 |
この秋、母とゆっくり母の故郷を旅したことで
母の子供の頃の話、青春時代の話、
知らなかった話もいろいろ聞けて、なんとも面白かったです。☺️
親子といえど、意外と知らないことって
いっぱいありますからねぇ。
実際にその場所に行くことで、
すっかり忘れてたことも
どんどん思い出す… っていうのもありますし。
私が生まれる前に母が体験したことって
DNAを通じて、私の中にも情報として引き継がれてますから
思い出して、感謝してくことっていうのも
まさにヒーリングだなぁ✨って思います。😌
こういう親子旅も、オススメですよ💓