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2018/12/18

「わたしも、自分のあら探しをして、 苦手を見つけて、それを克服することが、 自分と向き合うことだと思っていました。」


9月にお客さんの気づきをシェアしたブログ
自分を散々こき下ろして、自分と向き合ってる!と思ってました。
は「私も!」って方が多くて、
感想を寄せてくれた方もいらっしゃいました。


時間を置くとまた過去のクセが出て、
つい自分のアラ探しして、自分を責め出してる方も
いらっしゃるのではないかと思い、、、
逆にちょうどいいかな、とも思ったりなんかして(笑)
ちょっと時間が経ってしまいましたが、
今更ながら、シェアさせていただきます。😁


まずこちら、ゆうさんは、ご自身のブログに
今の私にスッと入ってきた言葉たち」と題して
書いてくれました。


お母さんとの完全同居が始まったことで、
母親から毎日のようにダメ出しを受け続けている
とのことですが、きっと
「わかる〜!!」って共感する方、多いのではないかと。。
読んでみてくださいね。😊


どんなことが起こっても、私は私を幸せにするんだって、
本気の本気でやりぬく覚悟を持ちます。 
 「持ちたいと思う」なんてぬるい言葉じゃ、
また同じことを繰り返すに違いない。 
ここに書くことで、自明のものにしてしまおう。 
悩んで迷ったら、またこのブログを読み返すんだ!ヽ(^。^)ノ>私


とも、書いてくれました。

そうなんですよねぇ。。

私たちはつい、自分のせいにしたり、人のせいにしたり、
「責める」ってことがクセになってしまってます。

だから、この「責める」をやめるって、覚悟がいるのです。


やってみたら、わかります。

すぐ「責めたくなる」自分に気づくはずだから・・・


そんな自分に気づいては、やめる。


「自分が自分を幸せにするのだ!!」
ってことは、
「誰も責めない」ってことでもあるのです。


そして、もうお一人。
シェアさせていただきますね。


萬夕さんのblogに寄せられていた手記……
自分を散々こき下ろして、自分と向き合ってる! 
と思ってました」という、
Kさんの言葉、わたしもとても共感しました。 

Kさん、しばらくお会いできていないけれど、
声が聴けたようで嬉しかったです、
ありがとうございます! 

わたしも、自分のあら探しをして、
苦手を見つけて、それを克服することが、
自分と向き合うことだと思っていました。
それができなくて自己否定を繰り返してきました。 

苦しむことが真に生きることなのだと考え、
あえて苦しむ選択をすることもありました。 

でも、それはちがうと、わたしも思えました。 

全肯定って、自分をむやみに褒めることでもなく。
あってあるままを、まるごと、みとめることで。 

苦手はあるし、苦手でもいいけれど、
苦手上等とか、あるがまま万歳というのでもなくて。 

できないことや苦手なことはあるけれど、
できることや得意なこともあるわけで、
卑下することも思い上がることもなく、
それらを等しく見るようになってきました。 

そして、わたしに足りないところは素直に認めて、
逃げるのでも諦めるのでも開き直るでもなく、
もちろん底上げは試みつつ。 

でも、手を借りるという選択肢もある、
素直に手を借りよう、とも思うようになりました。 

だからわたしは、Kさんとは、
この点では、もしかしたら逆かもしれません。

一人で生きていこうと思っていたけれど、
自分を全肯定している存在同士なら、
互いに支え合えたら、そういう人が身近にいたら、
よりベターだと思うようになりました。 

ヒプノで“恋愛”三昧をみたおかげかもしれません。
これがすなわち結婚願望なのかはわからないし、
誰かいたらもっといいなんて、安易で欲ばりかな?
とも思いますが。。 

わたしはいまは、
「自分に向き合うこととは、
好き!と縁とタイミングを信じること」
と思っています。
それはめぐりあわせで、ひいては、しあわせだと。 

自分で自分を幸せにする、
そう腹をくくる、その覚悟。
すごく素敵な思いだな、と思いました。 

つけ加えちゃうけれど、腹くくって、腹を割る、が、
わたしの気分です。
だからこうして腹割って書いて……すみません。。 

人は覚悟するとき、「これだ!これしかない!」
と、思うものだと思いますが、
これは、ワクワクでもあるけれど、
悲壮感にも反転しやすいですよね。 

でも、しあわせへの覚悟は、
悲壮にはなりようがないから、いいな、と思います。
もしかしたら過程は悲壮かもしれないけれど、
その過程すら“しあわせへのひとあしずつ”ですから。 
(宮沢賢治の詩から。☞
ブログ「なにがしあわせかわからないです」でどうぞ

感情を感じきらないと不幸、 
というわけでもないですよね。 
感じきったら絶対幸福、 
というわけでもないだろうし。 

しあわせになると覚悟したら、 
あ、自分、初めから、しあわせだった、 
と気づく瞬間があるような気がします。 

そういう、初めからしあわせだった、 
息することすら楽しい!という瞬間を、 
重ねていけたらいいな、と思っています。 
すぐ忘れるから、その都度、新しく。 

悲しいことや苦しいことも多いけれど、 
そう思わせられるくらいに、 
大切なものがあるということにも気づきます。

 “ぼくはぼくのおともだち”のエピソード、 
感動しました。真実ですよね。 

わたしの身近にも、重い障害を持つ幼い子がいます。 
彼にはいわゆる“友だち”はできないかもしれません。 
でも、それが不幸なことだとは思いません。 

彼にとっても、 
“ぼくはぼくのおともだち”ということは、 
揺るがないことのように思えます。 
そして、彼のママもパパも、周りの大人たちも、 
彼の“おともだち”です、ぜったいに裏切らない。 

たとえエゴなんだとしても、 
全力で祈ることと、 
何があっても愛し抜くという覚悟を、 
わたしは、彼が生まれてきてくれて、 
初めて知ったかもしれません。 

友だちだから、友だちが苦しんでいると、 
自分も苦しくなる…… 
苦しくなるくらいに、大切だから。 
もう、自分か相手かもわからなくなる…… 
それは危険でもあるけれど、愛でもある。 
執着と背中合わせの大切でもある。 

わたしの友だちは、わたしだけにとどまらず、 
これから増えるかもしれません。 
このまま増えないかもしれません。 

どちらにしても、“わたしはわたしの友だち” 
というベースは揺るがないから、 
友だちが増えたら嬉しいなと、 
わたし自身は思っています。 
大切が増えていけばいいな、と。 
それは、実際に友だちかもしれないし、 
恋人や伴侶や子どもかもしれないし、 
まったく違うかたちかもしれません。 

世間では、友だちが多い方がいい、 
友だちができないのは不幸、社会不適合、 
みたいな風潮がありますが、 
結婚も然り…… 
でも、それは違いますよね。 

誰を愛すか、何を好きかって、 
(誰も愛さない、何も好かないをも含めて) 
人間の究極の自由なわけですから。 
そこを暗にも強制されるのは、おかしいと思います。 

萬夕さんの「大切と執着は背中合わせ」というのも、 
頷きながら読みました。 
究極の自由である愛が、 
いつしか不自由にすりかわるんですよね。。 

でも…… 
自分自身、そして誰か何かを、 
愛して、大切に思う気もちは、 
やはり美しいと思うので、 
執着と背中合わせだとしても、 
臆することなく愛していたい、大切を大切にしたい、 
と、わたしは思います。 

お別れが悲しいから愛さない、愛したくないって、 
これまでは思っていたフシがあります。。 
でも。 
せっかくこの世に生まれてきたからには、 
喪えば壊れるくらい愛せたら、悲しくても、すごい。 

自分とは、自分の愛してきたものの総体、 
とも思います。 
悲壮感を持ち込むつもりはないけれど、 
わたしは敢えて執着を選ぶかもしれません。 
自分に酔っているかもしれません。 
でもそのくらい大切に思えるものがあるのは、 
幸福(降伏?)以外の何だろう?とも思います。 

それでもなるべくは執着せず。 
誰にたいしても思うことではあるけれど、 
大切に思う人には、ことさらに、 
その人がその人本来を生きられるよう、 
願いつつ、います。



2年前のブログ
アレルギーと感情の相関性。そして想像と実際。
でシェアしたお客さんの言葉の中にも

わたしは、もう、10年以上、観察が大事と言われて、 
ずっと、内観してきたつもりだったのですが、 
長い間、批判の視点でこれをやってたんですよね。 

あーこれもある、こんなものも有るって。
自分を責めてる感じです。 
自覚はないんだけど… 

<中略>

ジャッジしないというのが、最大のポイントだと 
今までの自分の経験から思いました。

というのがありました。


自分と向き合うのに、否定も批判も必要ありません。
自分に対しても。他者に対しても。
認めて、受け入れるだけで、いいんですよね。


人の数だけ、いろいろな、想いがあります。
それぞれの体験が、ありますからねぇ。
共感がすべてとも、思いません。

ここに、こうやって、私だけじゃなくて、
皆さんの想いや考えをシェアすることで、

それを読んだ誰かが、
何かに気づいたり、引っかかったり・・・
引っかかりを通して、また気づいたり・・・

そんな循環✨が起こればいいなと思っています。


皆さん、いつも、ありがとう。😊



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