なにがしあわせかわからないです
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中での
できごとなら
峠の上りも下りも みんな
ほんとうの幸福に近づく
一あしずつですから
こないだ「SONGSスペシャル 宇多田ヒカル」を見ていたら
「銀河鉄道の夜」の一節が紹介されていました。
ちなみに、ここでの「ただしい」は、
宮沢賢治がどういう意味で用いたかはわかりませんが、
正しい・間違ってるって意味のではなくて、
その人(の魂)にとっての適切な道、最善な道、って、
と私は捉えてますけどね。
そして彼女は続けます。
「今を今だけで評価できない
すごく悲しそうな出来事があったとしても
それで誰かを憐れむっていう気持ちは
私 あんまりなくて
もしかしたら今すごい辛そうだけど
その出来事のおかげで5年後10年後
今よりももっと幸せになってるかもしれないじゃない?
その出来事の以前よりも
ああ あれがあってよかった って思ってるかもしれないし
そうじゃないかもしれないし っていう
全く今を評価できないなって思っちゃうんですよね」
彼女の人生を思うと(表面的にしか知りませんが。。)
余計に説得力を持って響きますね。
昔書いたブログ
「ジャッジって何?委ねるって何?を理解するためのヒント」
を思い出しました。
私は、こういうお仕事をさせてもらってますので、
日々、皆さんの悩み事、苦しいと感じていることを
聞いています。
たぶん、普通の仕事をしていたら触れることのなかった数、
何百倍もの苦しみを聞いています。いや、千倍かも…。
生きていると、本当に、
いろいろなことが、ありますからね。。
でも、宇多田さんと同じで、あまり憐れむような気持ちには
なりません。
もちろん共感はしますが、
「今」という「点」だけでは、何も決めつけられませんからね。
何がどうなるかなんて、誰にもわかりませんし、
いつだって、未来はその人次第ですから。
だから、ただ、信頼します。
どんなことが起こっていたとしても、
全てはプロセスであり、
超えるだけの力が、必ずご本人にある、ということを。
自分を救えるのは自分だけですし
自分を癒せるのも自分だけですし
自分を幸せにできるのも自分だけ、です。
私ができるのは、サポートのみ。
だから、よくなったのも、変わったのも、
抜けたのも、楽になったのも、全部、
ご自身の力、なのですよ〜。
しかし・・・
そもそも、幸せって、なんでしょうねぇ。。
外側に求め続けている限り、
「手に入れる」ものだと信じ込んでいる限り、
それこそ終わりなき旅、ですよね。。
「手に入れる」は「失う」とセットですから。。
「生」と「死」が必ずセットなのと同じように。
手に入れたら手に入れたで、
他の手に入れていない何かをさらに求めたり、
失うのではと不安になったり、
失わないように必死になったり、
失ったと思ったら、また、別のそれを求めたり、、
ほとんどの人にとっては当たり前のこの繰り返しは、
もはや自動反応というか、、
エゴちゃんの性質であり、罠ではないか
と思うようになってしまいました。😅
ここのところ、当たり前を疑いながら
ずっと内側を見続けてきたので、
真の幸せってものについても、
いろいろと、思うところがありますねぇ。
考えているうちは、まだエゴちゃんの範疇ですが。(笑)
私もまだまだ、破壊中です。
自分の観念。概念。信じ込み。枠。ルール。
だからねぇ、
こうやって、人の文章とかセリフとか引用してみてますけど、
それもひとつの観念ですから、
自分の中では留めることはなく、
流れてゆく感じ。ではあるのです。。
なので、いろいろ書いてはいますけど、
皆さんも、とらわれることなく、
流してくださいね〜。適当に。(笑)
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。