シャスタリトリートに参加してくれた方に、
「自分と向き合うっていうことが分かってきた気がして、
最近嬉しいんです😁」
と言われたので、
「向き合うってどうしたら?って思ってる人も
多いのかもな〜」って言ったら
「私、そうでしたよ〜
自分を散々こき下ろして
自分と向き合ってる!と思ってましたもん😅」
とのことだったので、
「その違いについて、気づきを書いてほしいわ〜っ!」
ってお願いしたら、書いてくれました!
(ありがと〜💕😆)
自分をいじめることが自分と向き合うことだと勘違いして
自己否定や自己批判を強化しちゃってる方、
ぜひ読んでみてくださいね〜。😊
漠然としていてどういうことなんだろう。
よく分からないくせに、
私は自分とちゃんと向き合ってるもん!と思っていました。
でも実際は、
自分の嫌なところばかりピックアップして
改善しようと努力する、
そういうことではなかったかなと思います。
目を背けたくなるような嫌な部分に目を向ける
ということが自分と向き合うことだと思い込んでいたんですね。
シャスタで過ごしている間、
森や川、あふれる雄大な自然の中で
私の心は優しく解きほぐされていったのかもしれません。
自分自身であることの大切さ、
そしてどうあるかは自分自身が決める
ということが頭ではなく腑で理解できた時、
方向性の違う努力をし続けてきたのでは・・・と思い当たりました。
自分と向き合っているつもりで
外に自分探しを繰り返していた私。
自分の個性をベースに別物になろうとしていた私。
もうそのまんまでいいやって自然に思えました。
そして改めて自分の手持ちのカードを見てみることにしたのです。
その内容が私の人生の目的に適っていると気付いたら、
なんだか腹が決まった。
そう、自分と向き合うっていうことは、
感覚的に腹をくくることに近いのかなと今では思っています。
そして腹が決まったというのは、
私が私を幸せにするということ。
何があっても決して自分だけは見捨てない、味方だということ。
意地の悪い目で
じっと自分を見張るように向き合っていた時に比べると、
フラットな目と感情で対面している感じです。
私はこの覚悟ができていなかったなと思います。
自分と向き合うって、嫌な自分やダメな自分、
できれば知りたくない部分も含めてということなので、
そこにイエスと言えなかった。
今でも正直言えない部分はあります。
でもそこで自分を叱咤激励するのではなく、
嫌な感覚を味わった後に、
『まぁ、しょうがないか、これも私。』と思う感じです。
かつては今よりももっと自分にイエスが言えなかったから、
周囲に求めていました。彼氏とか。
『私を好きといって!』と言って迫るなんてことはしてませんが(笑)、
求めるポイントが分かりにくくめんどくさい女だったと思います。
ほんと、よく受け入れてくれたなと。
でも自分で自分を受け入れ、幸せにすると誓ってからは
結婚願望がさらになくなりました。
逆に考えると、私は結婚に何を求めていたかがよく分かりますね。
そして生きるのがちょっと楽になってきたと思います。
ここでちょっとシェアしたい話ですが、
詳細は記憶が曖昧な部分もあるのであしからず・・・。
以前雑誌の投稿で目にした内容ですが、
軽度の知的障害を持ったお子さんのお母さんからの手紙でした。
幼稚園に行くことになり初めての集団生活で
周囲とうまくやっていけるのか、お友達はできるのか、
お母さんは入園前から気を揉んでいたそうです。
幼稚園での生活が始まり、
案の定お友達ができなくてぽつんと一人過ごしていた彼が
お母さんに言った言葉が印象的でした。
「大丈夫だよ。僕は僕とおともだちだから」
思ってもみなかった返答に
お母さんはハッとさせられたと書いていました。
自分との向き合い方は、人それぞれでいいと思いますが、
決して、自分を否定したり、
非難したりすることではありません。
その逆で、どんな自分でも、
認めて、許して、受け入れて、愛していくこと。です。
そのためには、
日々の違和感を、無視しないで
丁寧に拾ってあげること。
(こだわる、とは違いますよ)
味わってあげること。
そうやって、
分離していた自分自身を、統合していくこと。
自分自身であることに、
本来、努力なんていりません。
だって、それは自分にとって
一番自然な状態なのだから。
そのままで、
ありのままで、
在るがままに、在る。
ってことを難しくしてしまったのは、
「何かしなければいけない」
「何かしなければ価値がない」って
あまりにも信じ込んでしまったから。
だから、
そういう痛み(未消化の感情)が、
認めよう、受け入れよう、とする時に
「ありのままでいいわけがない!」って、
邪魔してくるわけですね。
かといって、その痛みに
「嫌!手放したい!あっちいけ!」ってやってたら、
=抵抗、否定
いつまでたっても終わりません。
とにかく、
その感情を感じている自分を否定も非難もせずに
ただただ、認めて、受け入れて、感じていくこと。
=消化していくこと。
認めてほしい
許してほしい
受け入れてほしい
愛してほしい
私たちは、そうされることを外側の誰かに求めがちですが、
他の誰でもない、自分自身が自分にそれをしない限り、
真に満たされることはありません。
外側は、関係ないのです。
外側は、自分が自分にしてることを教えてくれる
シグナルでしかないからねぇ。。
だから、
自分自身と向き合うしか、ない。
ほんとは、この世界には、
自分しか、いないのだから。
内側→外側 も、
境界線(信じ込み)が溶けてなくなれば
内側=外側。
ここは、自作自演の世界。
です。
2018年のシャスタの旅
☆シャスタリトリートレポその1
〜飛行機が飛ばない・・シャスタ山が見えない・・
パンサーメドウズへ はこちら。
☆シャスタリトリートレポその2
〜モスブレー・フォールズとスチュワート・ミネラル・スプリングスにて、浄化が始まるはこちら。
☆シャスタリトリートレポその3
〜サウスゲートで何かが開いた!はこちら。
☆シャスタリトリートレポその4
〜キャッスル&ハートレイクから見渡せたのは、自分自身だったかもね。はこちら。
☆シャスタリトリートレポその5
〜滝と再びの温泉とアッシュランドからの、真逆の地・ラスベガス!はこちら。
☆参加者の皆さんのご感想
〜決めた時から導きは始まっている
〜やっと自分自身と再会できた はこちら。
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。
☆メニューと料金はこちら。