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【リトリート】
リトリートのリクエストは、場所にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけるよう、お願いします。例えば11月に秘湯巡りリトリートをご希望の場合は、9月上旬までのリクエストが望ましい、です。詳しくはこちら

【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/01/22

日々と宇宙の講座ベーシック4回目の、皆さんのご感想


1/15に最終回を開催しました、4回連続の

そのご感想を、受講生同士が読み合えるように、
そしてそこからさらに気づいたり、より深められるように、
またここにシェアさせていただきますね。☺️


いやぁ〜、、
理解してもらえているかどうかはさておき、
(私自身も最初こういうことを知った時は、わかったつもりが
後で思うとわかってなかったな、とかね、あったので😂)

この4ヶ月、こういう話ができる場を共有できた、ってことが
私としてはうれしい限りでした❣️


願いが叶うとか、思い通りにできるとか、
人が魅かれるであろう分かりやすい謳い文句の一切ない😂
マニアックなこの講座を受講してくれた皆さん、
ありがと〜う❣️
心からの、ハグを💕


でも、毎回「濃かったぁ〜」と言われてますが、
これでまだベーシック。なのでね。😂
やっーと、アドバンスにて「ヘルメスの7つの原理」をお伝えできる
土台ができました。😆


詳細もまだ出してませんし、
受講するかどうかはまだ決定でないにしても、
みなさんアドバンスにも興味を示してくれてて、
ふっふっふ〜。

この世界や自分を知っていくことの面白さ✨
感じはじめてくれている?!ようで、
「仲間が増えた♪うれしいなぁ〜」と思います。☺️


アドバンスでは、
ベーシックでお伝えしてきたことをさらに深め、
(そしてズレはその都度、軌道修正しながら)
7つの原理と照らし合わせて参りますよ〜。


宇宙の法則を知った上で、
この地球遊園地を味わい尽くしましょう❣️



さて、感想ですが、
毎回お伝えしている通り、

私にああ言われた、こう言ってた、的な部分に関しては、
その人のフィルターを介してますので、
私が伝えたままにはなっておりません。😂

受講生にはLINEグループのノートの方で軌道修正しますが、
(質問にもそちらでお答えしています)
このブログだけを読んでいるみなさんには、すみませんが
そのままになってしまいますので、何卒ご了承のほど〜。

それでも、読んでいただけると、今悩んでいることへの
ヒントが見つかったり、「私だけじゃないんだ!」と勇気を
もらえたりね、すると思いますので、ぜひ〜❣️




いつもありがとうございます。今回もとても濃かったです。 
私,そこからだった・・・( ;∀;)アゼン・・・こんな感じです。 
それは,この⾔葉です。 
「⾃分と相⼿は違うことを認識すること」 
これが今回の講座で⼀番の衝撃でした。 
「たとえ,家族であっても・・・」 
ですよね,私,ここからでした。 

みんな違って当たり前,みんな違うことが⾃然。 
そう思うと,いろんなところにひっかかりを感じて,
⾃分のルールに⼈を当てはめて,
勝⼿に⾃分の願い通りにしていこうと強制していた,
私ってなんだったの〜〜〜!!! という感じです。 

そして,⺟親にも夫にも,⼀⼈の存在として接するのでなく, 
「⺟親のこういうところが問題なんだよね」 
「夫のここを直してもらわなくちゃ」
と 問題でもなんでもないことを,
私が勝⼿に問題に仕⽴て上げていました。
そして,⽬くじらを⽴ててイライラするという・・・ 

それでも,ここのところ,
⾃分を責めることはホントに少なくなっていて, 
「あ〜〜〜っ,また,癖がでちゃったわ。なんて私は可愛いの???」 
と,⾃分に突っ込みを⼊れています。 
その後で,どうしてその思考回路に⼊ってしまうのか,
すぐ,スイッチが⼊るのか,痛み の原因を探しています。 
それが⾒つかったら 
「無理ないよ〜〜〜!!!
 だれだって,そういう思考回路になっちゃうわ!!!」 
そんなふうに⾃分に声をかけています。 
わざとというかつぶやいてます。⼼の中でやらないで,声にだしてます。 

この講座を受ける前は,まだまだ,
「褒められたい」「ちゃんとしなきゃ」「間違ったらい けない」
とどこまでも⾃分に×を付けていました。 
でも,だいぶ,存在としての私に「それで,いいよ〜〜〜!!!」と
⾔ってあげられるようになっています。 

そして,⾃分でもびっくりするのが,
やりたくないことを「やりたくないです」とか「こ れは無理です」と
⾔えるようになったことです。
やるべきことは責任をもってやりますが, それ以外のことで, 
そこまでしょい込まなくても・・・ということまで⼿を出していたのを
⽌めました。 
そうしたら,なんだか,だれも困っていないし,私はご機嫌でいられるし,
こんなことなら早くやればよかった。 

そして,ちっちゃな幸せを⾒つけるのがとても上⼿になりました。
「じわっと幸せ」と感じられるようになったのです。 

『⽇々と宇宙ベーシック講座』は,お値段以上で,とても濃かったです。
まだまだ理解 しきれていませんが,理解することより
教えていただいたことを⽇常の中で気づいていけたらなぁと思います。
なんだか,遠回りのような気もしますが,
⼀晩でゴロっと変わる魔 法よりも,
じわじわ効いてくるお薬の⽅がいいです。
そして,お薬の⼒に頼らなくなって ⼀⼈で解決していける。
そこを⽬指したいなぁと考えているのでした。



ノートを見返してもかなりのボリューム、
聴き返してみても盛りだくさんの内容、今回もありがとうございました。 

3つの段階の特徴についてのお話、解りやすく理解が深まりました。 
プレイヤーからの視点で日常を過ごすということ。 
プログラマーの存在も自分、意図があるということ。 
最近は起こってくる出来事に感情消化が必要な時もありますが、
「きたな」と冷静にとらえられたり、面白がれることも増えてきました。 
プレイヤー意識が働き、余裕がある時が増えたような気がしています。 
こうやってシグナルを受け取りながら、
日々体験を落とし込んでいければなと思いました。 

後で書きますが、つい先日まで
ここはもう大丈夫だろうって思っていたポイントも、
以前のように反応してしまうことがありました。 
「戻っている~」と思いましたが、テヘペロ精神で、
地道に付き合っていきたいなと思います。 

プログラマーの意図がわかるようになる、
意図を汲みコントロールすることができるようになるというのは
興味深かったです。 
とはいえ今の私には心に留め置く程度で、
あまり深堀りせずにおこうかなと思います。 

六芒星のシンボルのお話、面白かったです。 
縦横両方組み合わせたら最強ですね! 
考えて見るとゼニスのシートでもいつも見かけているシンボルでした。 
横の力だけは確かに弱く、縦の力の存在を知れたということは
自分にとっては大きいことだと思います。 
この縦横をうまく使っていけるよう、日々実験していきたいなと思います。 

あと人間としてのシステムは分離してまた戻っていくのが目的のようなもの
とおっしゃっていたこと、まゆさんも「わざわざ分離」と表現されていた
意味がよくわかっていませんでしたが、
ようやく理解できてきたような気がします。 
せっかく今は人間やらせてもらっているんですから、
人間であること味わい、楽しみたい!
と素直に思えるようになってきました。 
この意識は自分にとってすごく貴重な大きなことだなと思います。 

あと今週起こったことを書かせてください。 
私のモヤモヤポイントの1つに電車(公共の場でのふるまい)
があったのですが、以前通勤時に体験した気づき以来、
人混みや電車内での人のふるまいは全く気にならなくなっていました。
気づけば不思議なくらい気にならなくなり、
克服できたのではと自信を持っていたのですが、
今週そうではなさそうなことに気づきました。(笑) 

私が乗る朝の通勤電車には毎日スマホで話している女性がいます。
(私がその電車に乗る時は、その女性もいつも乗っています。) 
とても静かな車内なので、その雰囲気が今はたまらなく好きなのですが、
その方が話しはじめるとうるさいなあと不快に思っていましたし、
車内マナーを破っている!とイラっとしていたのだと思います。 
その人と同じ車両に乗ると、降りる時に階段が近いので
都合が良いのですが、不快なのでこの講座をうけるずっと前から
1両ずれたところに乗るようになりました。 

今週水曜はそのことを忘れてその方と同じ車両に乗り合わせました。 
少し前にも一度忘れて乗り、その時は全く気にならなかったのを
覚えているのですが、今週は久々にイラっとしてしまいました(笑)。 
イラッとしたなあと思って、同じ車両のその人から
少し離れたところに移動しましたが、しばらくするとその人が
いつもの席からなぜか私の目の前の席に移動してきて
大きな声で話していました。 なんで離れたのに追いかけてくる?と。
しかもこんなにガラガラの車内でわざわざ選んだように目の前に来て
電話してるの?とかなりイライラしてきました。 
そして自分が以前の状態に戻っていることに気づきました。。笑。 

そして木曜日、迷いましたがその人の近くに座ってみようと思い、
ほぼ正面に座りました。 座っていると、ガラガラの車両に
別の女性と男性が1人ずつ乗ってきて私の近くに座りました。
女性は消毒スプレーを席などにまいて手を消毒した後、
おにぎりなどを出して人目も気にせず食事を始めました。 
斜め前に座った男性は小さなセカンドバッグを持った
サングラスの怖い雰囲気の方でした。 
そして目の前はいつもの電話の女性です。

全部無理!!とすぐ車両を移動したくなったのですが、
この状況は全部まとめて気づけというプレイヤーからのメッセージ
のような感じがしてきておかしくなってしまいました。 
なので、とりあえずそのままでいました。 

そして金曜日、またその女性の近くに座りました。
電話で話していましたが、いつもより声は小さいようでした。 
完全に受容できたかはわかりませんが、抵抗をやめたら、
イライラはしませんでした。
これで含めたと思っているわけではないのですが、
さっと車両を移るだけとはまた違う体験や心境を味わうことが
できたかなと思っています。 
そして実験して自分を観察してみることって面白いかもと思いました。
(できる範囲でですが。。) 
あと答えは自分でみつけるということが大事ということも
忘れないようにしたいなと思います。 

講座の続き、とても興味がありますので開催してほしいなと思います。 
ぜひよろしくお願いします!



「自分というゲームはどういう意図で作られているのか」
というのは非常に興味深かったです。まさにそれを知りたい!と思いつつ、
どういう意図で、というのが
いまいちはっきりしないような気もしてきました。
それはこの人生における「自分の使命」
(というか本当の自分はどう生きればいいのか)
みたいなものとは違うのでしょうか? 

今まで本当のたくさんのドラマを体験してきたわけなのですが、
自分がコントロールしたい、と思うと
ドラマの罠にはまってしまうものですね。
なるようになるのだと思えば良いのでしょうが、
いろいろ考えてしまいます・・・くせで。 

「こっちの方がお得かも、あ、でもあっちにした方がもっとお得かも」
とか、延々と考えてます。で、出した結果、「こっち」にしても、
結局「あっち」にした場合と変わらない、
もしくは「あっち」のほうが安かった。とか・・よくありますが、
これはまさに、両側が立ち上がっているということなんだろうな、
と身にしみて感じます。 
「お金」は私にとって大きなテーマみたいです。 

何か「これが欲しい」と思うと無性に欲しくなってしまい、
反対されると説得にかかります。が、ここで「どっちでもいい」と思い、
流れに任せたいのですが、無性にしがみついてしまいます・・・。
気になって気になって仕方ないのです。 
「どっちでもいい」と言葉にしていうと、ざわざわして
「得を取りたい(お金だけではなくて、利便性とかも含む)」
ようなのです。 
まゆさんは、そして皆さんはこういう時、
どうしていらっしゃるのでしょうか?
(ちょっとこの講座の趣旨とそれてたらすみません・・) 

若い頃の自分は恋愛ドラマで悲劇のヒロインやってたなーと思います。
狭い枠の中でうごめいている感じだったのですが それが変わったのは、
勇気を持ってからを破ったことが起因していると思います。 
あまり自分のこと、家族のことを話したくないので
(特に社会人になってから)、
その話には触れないように、その手の話になると逃げていたのですが、
それに向き合ったことで先に進めたのだと思います。 

決して楽ではなく、ムカムカしたり、落胆したりという感情が
わわーっと湧いてきたけれども、自分でもここを乗り越えないといけない、
みたいに感じたようで、向き合うことができました。
知って傷つくようなことは知らなくてもいい、と思ってましたが、
知った上でその時の感情を感じて向き合うことが必要だったのだ、
とその時思いました。 タイミングもあったと思うのです。
いろんなことがあってこそ、その時向き合おうと思えたので。 

未消化の感情を浮上させてくれる人と結婚させられていることも・・・
という話には「おおー、まさに!」と納得です。 
主人にはありがとうございますと言いたいです。
(ムカつくことも満載ではあるのですが) 

ドラマに巻き込まれないようにするという知恵も良くわかりました。
私は感情移入してしまう癖があるのですが、それが必ずしも
相手にとってよろしくないということも分かりました
(ドラマを助長させるし)。 

あと、心配より信頼する、という言葉はぐっときます。
心配して色々世話を焼いたり、
口を出したりする人(特に親)も多いですが、
それが相手にとって必要な体験を邪魔することもあるなんて
考えたこともありませんでしたので。 
人には人の必要な体験があり、
それがどんなに辛いこと、悲しいことであっても、
それを感じるためにここにいるのだから、邪魔しちゃいけませんよね。 
そう考えると、今まで自分に起こってきたこと、これから起こることは
全て必要なこととして受け止めることができるような気がします。 

「あー、こっちの方向に行かせたいんだなー」
とわかるようになったら・・・選択も迷わなくなりそうです。 
どんなことが起こったとしても、言われたとしても、
それにどんな意味をつけるのか、つけないのかは自分次第。 
フィルターや枠を通しているのだということは
心に留めておくようにします。 

そして、講座の内容と外れるような気もするのですが、質問が・・・。 
初めて会った人でもすでに見知っている人でも
「なんかちょっと違和感あるな、私とは合わなそう」と
なんとなく感じることがあるのですが、それは何を意味するのでしょうか。 

たとえば、知っている人ならその人の気になる部分、
好きではない部分の鏡ということも考えられると思うのですが、
初めて会った人だとそこまで知らないのに、
「なんとなく・・・」ということがあったりします。
これは過去世が関係したりしている可能性もあるのかな、
とも思うのですが、それ以外に何かあるのでしょうか? 
特にそういう人と深く付き合う必要があるとかいう訳ではないのですが、
引っ掛かりを覚えるということ自体に「なんでかな?」と思ったので・・・。 
どうぞよろしくお願いします。



ラストの講座では、これまでの復習を兼ねて、
さらにわかりやすく説明をしてくださり、ありがとうございました!
その中でも、横軸と縦軸が重なると六芒星の形になるというお話が
とても興味深いなぁと思いました。 というのも、日々の生活において、
いろいろな出来事から自分自身の内面と向き合いながら、
分離や統合を繰り返していくと、六芒星の形ような、
分離だけでは味わえない、また、統合だけでは味わえない、
2つが重なり合って誕生する新たな領域を味わうことができるのかなぁ、
それをあらわしているのかなぁと感じたからです。  

これまでの4回の講座の中で、まゆさんが丁寧に
具体例を出しながら説明をしてくださったので、
頭ではこの講座ベーシックの内容を理解できたかなとは思います。  

今回で、ベーシックの講座は終了しますが、これから、
日々の生活の中でまだまだ実験しながら、内面と向き合いながら、
この講座をとおして知識として得たことを
地道に深めて味わっていこうと思います。  

確実に言えることは、この講座に勇気をもって申込をしてよかった!
毎回宿題もあるし、リアル受講できないときあるかも??など
不安が少しちらつき迷いましたが、、申込むと決めたら、
実際は宿題もできたし、録画受講も可能にしていただき、
最後まで受講することができました。

そして、一緒に受講しているみなさんが
それぞれに自身の内面と日々向き合っている姿を拝見し、
とても勇気づけられ、1人ではないこと、チームのような感覚を感じ、
とても励まされました! 

まゆさん、みなさん、本当にありがとうございます♡ 
シェア会、楽しみにしています!



マリオゲームのキャラクター、プレイヤー、プログラマーに
例えたお話しは、これまでにもして頂いていましたが、
「このゲーム、全然、進まないんですけど!!」には笑ってしまいました。
「認めてくれるなら、進んでもいいけど」 
「謝ってくれないなら、ジャンプしない」 、、、私そのものです。 

そもそものゲーム設定自体
(家族関係、経済的なこと等色々あった家庭環境)に、
仕方ないと諦めつつも釈然としない思いが残っていました。 
だから「環境がこうだから」とか「あの人がああだから」と言い訳して、
被害者意識で一杯で、おまけに親の愛を受けて育った人を羨んでいました。 

昨年、とあるWSに参加した時、開始直前に他の女性と一緒に
参加者の輪に入ったら、隣にいた男の人が「凄い、急に場が重くなった」
と独り言のように呟きました。
一緒に輪に入った女性とその男性は顔見知りのようでしたので、
私のことを言われたのだと思い、ちょっと傷つきました。
(その男性は鍼灸師でエネルギーに敏感な方のよう) 

その後、萬夕さんにその話しをしたら「内側が外側に現れているだけ」
ということを言われました。
萬夕さんは責めるつもりで言った訳ではないと分かっているのに
「内側が外側」=「ただ単に自分が悪いだけ。自分のせい」
だと言われているように感じて、
その時は反発と同時に落ち込んだ気分になりました。 
が、あのWSでの体験は、
そういう重いエネルギーを放っていたのは私の方なのに、
何で被害者みたいに「傷ついた」とか言っているの?
ってことなんだな、と今では納得。 

私をイライラさせる母親も、ストレスになっている職場の女性も
「自分で色々やらかしているクセにそれには全く気づいていなくて
指摘されても認めず、自分は何も悪いことをしていない善人なのに、
とばかりに被害者ぶる人」なのですが、
これも私自身を写してくれている鏡なのか?
認めたくないけれど、そうでした。 

それで、私は自分自身をずっと、こき下ろしてきたのに、
私と同じような人間である母親と職場の女性が自分のことを
善人だと思い込んでいるのが許せなかったのですね。 
だから「貴方はそんな善人じゃないよ!」と、
彼女たちが、やらかしているアレコレを突きつけてやりたくなるんだな。 

それから、私には
「自分は許されて、愛されている存在なんだ」的なことを体感出来るのは、
親(或いはそれに類する人)に愛されたことがある人で、
そうでない人には難しいのでは?という根強〜い疑問もありました。 

これは講座のLINE内でのやり取りで、そうでは無いことを知り、
私にとっては希望となりました。そして皆さんそれぞれに
色々な体験をしていて、それでも分離を超えようとして
試行錯誤しながらチャレンジしているのだ、ということが分かりました。 

あと、気がついたことは
「自分は親に愛されていない」というストーリーに固執している、
ということ。
「どうせ自分なんか」と思い込ませて被害者役を続ける為に。 

講座を通して、やっとスタートラインに立てたような気がしています。 
いや、まだ母親や職場の女性に「ありがとう」「ごめんなさい」
という気持ちが湧いて来ないので、
スタートラインにすら立てていないのかも知れません。 
それでも、私も私を諦めたくは無いので、
引き続き、相手に何か言いたくなったら、
そのベクトルを自分に向ける、をやっていきます。



偏りを直す。直すけどまた逆に偏りすぎないように…。
萬夕さんが丁寧に何度も言っていたので、
とても大切な事なんだなと思いました。
仏教で言う中道を行くというのはそういう事なのかなと感じました。
常に俯瞰して自分を見られるようにし、
偏りを含んでいけたらと感じました。 

私はキャラクターから抜け切れてないなと感じました。
目の前の問題をなんとかしようとしてしまっている事が
まだまだ多いなと思います。特に仕事かな。
最近はもめ事が多くて、まだ闘おうとしている自分がいるように思います。
自分を何としても守ろうとしているのか?
やられたら自分しか守る人がいないと思っているのか?。
ノーガードで大丈夫って思える所まで行きたいです。

また自分の中の正しさ、正義も枠になっていると思うので、
じっくり見つめてみます。
なんか殺される前にやり返す?みたいなちょっと強烈な怒りというか、
そんなのを自分の中に感じているので、そこも見つめてみます。
それが敵対心とか警戒心、疑心に繋がってるのかなって…。
かなり強い怒りのように感じています。 

自分は間違ってないっていう視点で
相手をジャッジする癖から抜け出したいです。
一人一宇宙。皆私と同じ見方、考えではないという視点で
改めて周りを見るよう意識していきたいです。 

マリオを例にしたキャラクターとプレイヤーの関係のお話で、
マリオがジャンプするところで、キャラクターが
ジャンプするのイヤ!認めて貰えたらジャンプするけど
認めてくれないならしない!って正に自分だと
聞いていて思わず笑ってしまいました。
そしてそれを無視してると、やがて気付かせる為に
大きなシグナルが来るという事もそうだよなあと思いました。

怖い気持ちが強いとなかなか進めないし俯瞰して見られない。
でも進まないと変わらないし…。
ここまできたら、覚悟を決めて進むしかないですね。 
どうしても苦しいから目を逸らしたり、逃げたり、楽ではないですが、
ここまで来た以上は怖がりつつ進んでいきたいです。
今までせっかく教わった事が身に付いていないと感じているので、
しっかりやっていきたいです。ありがとうございました。



今回の講座で初めて、あ、なんかわかってきたかもと思えました。 
いや、本当にはわかってないのかもしれないけど、
今までのような なんかもやもやする、すっきり理解できてない、
何かがつっかえてる感じが なかったです。 

思ったことは、私はやっぱりドラマチックが好きで、
そのドラマを感じ尽くすために 生まれてきたってことです。 
もしもう一度生まれ変わってどんな人生を選ぶ?と聞かれたら、
やっぱりドラマチックで お願いしますって答えます。
でもそのドラマはハッピーエンドであって欲しい。 
そうするためにはどうしたらいいのかなぁ。 

ここでジャンプすれば次へ進めるのに、
ジャンプせずによじ登っているのかもしれない。 
隠し階段はどこにあるの~?と探し回ってうろうろしてるかもしれない。 
でも、そんな自分も頑張ってるね、かわいいじゃん
と思えるようになりたいなと 思いました。
それにはやっぱり時には上から見るプレイヤー目線が必要なのでしょうね。 

最近はコロナの影響で旅行はもちろん外出も最低限なので、
道を聞かれることも シャッター押してと頼まれることもありませんが
 「断ってもいいんだ」と思ったら、気持ちが楽になりました。 
聞かれたら教えなければいけないという枠をはずして、
断る選択もあるんだと思えば なんてことないことなのかもと。 

すぐ近くに駅員さんがいてもイヤホンしてる私に
「どっちの電車が先に〇〇に着きますか?」と 聞く人。
電車に乗り遅れそうで階段を駆け登っている私に話しかけくる人。 
断っていいんだ~。 
コロナが収束しないとかつてのようには外出しないので、
話しかけられた時の自分自身の 反応はまだわかりませんが、
前とは少しは違うのじゃないかなと思いますね。 

今でも難しいなと思うのは子供を見守る、です。 
見守るというのは何も言わず、ほっておくということとは違いますよね。 
もうすぐ私立入試です。1週間くらいしかありません。 
でもですねぇ、今日も友だちが遊びに来ていました。
今日も!なんですよ 笑 
その友だちは私立推薦組です。勉強はもう必要ないでしょう。 
でもうちは国公立受験組で、私立も受けます。 
見守るというのはこんなときも自由にさせること? 

勉強しなさいと言われてもしないし、
自分がやりたい時にやりたい方法でやると 言ってきます。疲れます。
信じてないのかもしれません。
でも、このまま 見守ればいいのかと迷います。まだ中学生なので。 
言ってもやらない。わかります。でも、ほっておいていいのかな?と 
親としてそれは放任ではないのかと思ったり・・・ 
見守ると放任の違いはどこにあるのでしょうか。
見守るが子供のすべてを含むだと すると、放任は切り捨てること?? 








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