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2019/06/07

戸隠リトリート 皆さんのご感想と気づきのシェア


やらなきゃいけないことがてんこ盛り状態で、
バタバタとしておりまして、、、
なかなか戸隠レポ、書けずにおります〜😅

次々と日々が過ぎ去り、
どんどんと過去になっていくので、
早く書きたいところなのですが、追いつかず〜、、

先に、皆さんからいただいた「ご感想」というより
素晴らしい「気づきのシェア」を、UPさせていただきますね。


こないだ、お客さんにも、
「まゆさんのお客さんて、感想、すごいですよねぇ、、?!」
と感心の声をいただいたのですが、
私もホント、そう思います!😊

ただの感想の枠を飛び越えて、
気づきのプロセスをシェアしてくれる方が多いので、
それを読んだお客さんからも、「こんな気づきがありました!」って
感想メールいただくことも多くなっていて。

そういう経験をしている方はまた、ご自身が感想を書くときに、
「私も皆さんの感想で気づきをいただいたので」と
喜んでご自分のプロセスをシェアしてくださる…

この気づき愛♡スパイラル、ありがたいなぁ…と思います。


今回の旅も、泣いて、笑って、
シンクロも笑っちゃうほど起こりまくりで、
本当に濃かったです。


「会って2日しかたってない人に、
こんな深い話をすることになるなんて・・・」

リトリートでは、よく言われること。


リトリートは、仲良しこよしでただ楽しむ、
ってものでは決してなく、
大抵は、感情の浮上も伴います。


浮上なくして、解放なし。


私はリトリートを主催するにあたって
「楽しく過ごせるように」ではなくて、
「参加者みんなにとって最善が起こること」を
意図していますからね〜。
(まあ、意図するまでも、ないのですが。。😅)


「最善」というのは、
(もう皆さんご理解いただいてるかとは思いますが)
「自我」にとってではなく、「魂」にとっての最善、です。


「本当の自分」ではない部分 をそぎ落としていけば、
「本当の自分」が 自然とあらわれます。
何かを付け足すことでは、ないんです。


ムージが、3月のサットサンの中で、
こんなことを言っていました。

ジャマイカの漁村で出会った、もと漁師の話。
彼は、見事な木彫りの魚を彫りあげていました。


それで、
「あなたは下書きもせずに、どうしていきなり
そんなに素晴らしい 魚の作品を彫りあげることができるのですか?」
と 聞いたそうなんです。

そしたら彼はこう答えたとか。 

「私はもと漁師なので、魚は散々見てきて、知っています。
木を手に取り、魚ではない部分を、削っているだけです。
そうすると、魚が現れます。」


 「自我」と「セルフ(自分自身)」の関係性を
象徴するようなお話です。😊


浮上してくる感情は
「本当の自分自身」じゃあ、ない部分です。
「自分もどき」です。


 感情=自分自身 ではありません。


内側を見せ合ったからこその、モヤモヤ。

今回は、そこも、シェアしてくれました。
隠そうとする人も多い部分でしょうけど、
真摯に自分と向き合って、
こうやって書いてもらえることは、本当に、ありがたいことです。


「本当の自分に還りたい」
「変わりたい」「変わろう」って思ってる人たちが集まったら、
そのために必要な出来事は、当然、起こります。
未消化の感情を消化するプロセスも、そう。


自我は抵抗しますけどね。😅
こんな感情、感じたくない!!って。


でも、奥の奥で、本当の自分が望んだこと。


私はね、(今世では)出会ったばかりのメンバーで
こういうやりとりができるのって、
素晴らしいことだと思うの✨


気づき愛〜♡


私は、みんな、それぞれが、それぞれのテーマを
ちゃんと自分で「超えられる」ってことを、
それだけのパワーをちゃんと持ってるってことを、
信頼しています。


読む人によって、いろんな視点から、いろんなことを
気づかせてもらえるシェアだと思うので、
ぜひ、読んでみてくださいね。😊
(ありがとう♡)


おはようございます。 
東京がいきなり猛暑になって寝苦しい夜をすごし 
長野での過しやすい日々がすでに恋しくなっています。 
酵素も早速まぜまぜしましたが家族からは 
なにこれを飲むのとすごく冷たい目でうちの酵素ちゃんみられてます。。。 

今回の初リトリートでは 
私だけが何か変化を期待していたのですが 
家に帰るなり、いつもは洗いものをしない2人がなんと 
きれいに洗ってシンクに汚れたお皿が1つもないんです! 
洗濯物も畳んでいたりと自分たちで進んで行ってくれている変化がおこり 
いつもは帰って来てからの片付けに追われてから寝ていたのが! 
今回はみんなの優しさのお陰ですんなりと睡眠する事が出来、 
朝は、ぱっちりと目覚めました。 

やっぱり自分が変われば周りが変わるんだと 
早くも実感し今朝は家族に優しい気持ちで送り出しました。 

最終的に私は今回最後の最後に姉との向き合いが 
ミッションなんだと確信しましたので 
そのミッションに取りかかろうと考えています。 

今回の旅では、
たまには家族解散も良い起爆剤だなと実感しましたので 
また、機会があったら是非参加させて下さい! 

皆さん私の話しに3日間おつき合い頂きありがとうございました。 
また皆さんにお会い出来ます事、楽しみにしております。 

ありがとうございました。


今回も旅のガイドありがとうございました。 
いつもながらリトリート旅は色濃くて、
行く場所も天気もそこで出会う出来事も、共に行く仲間も、
すべてが必然なんだろうなあと思う旅となりました。 

萬夕さんの旅に参加するときは、
「すべてゆだねる」と決めていて、
今回も持ち物やスケジュール以外はチェックせず、
どういうところに行くのかも輪郭しか知らない状態で向かいました。
その方が現地でのワクワク感も高まりますし。

そして、今回も最高の旅でした。
メンバーみんなの最善を考えて旅をセッティングしてくれる
萬夕さんの旅では、いろいろな「最高」が起こります。

ということで、今回の旅の感想です。
ひとつのテーマに絞りました。
それが私にとって最終的に一番重要な心のレッスンだったので。
旅レポは萬夕さんにお任せ(笑) 


 「Eさんのバズーカ砲」 


今回リトリート旅初参加のEさんが、最終日に
「旅に参加しなければよかったと後悔しています」と言い出しました。
(ええええええ!楽しそうに旅してたよね?一緒に!)一同困惑。 

「私は面白い話もできないし、私がいなかったらきっと
この旅はみんなにとってもっと楽しいものになっていたと思う」
(なんすか、それ?十分楽しかったんですけど~!) 

メンバーみんな心から「そんなことない」って全力で否定しましたよ。
でもね、Eさんは納得しない。
「みんな優しいからそう言ってくれるだけでしょう」

いやもう本当にEさんと一緒でよかったと思ってるって!
と口を揃えて言いましたが、そのあと、その時、
「本当に?本当に心からそう思ってる?」と、
目を見開き私を見て強く言ったのでした。
(え?わたし?私に言ってる?) 

なんの心構えもなかったから、私はそのバズーカ砲をもろに受けました。 
その場ではただ突然の砲撃に驚愕しただけで、
Eさんを疎ましく思う気持ちは全くなかったので
「本当にそう思ってます」と伝えたのだけれど、
帰宅し、一晩寝て、翌日にじわじわ効いてきました~。 

胸のあたりがもやもやっとします。
Eさんの言葉は間違いなく私に向けられたものでした。
でもなぜ?考えているうちに思い当たることがありました。

Eさんは母親の愛情がすべて妹に向けられ、
自分には与えられなかったことに苦しんでいました。
そんな胸の内をシェアしてくれていました。
けれどその話を旅のスケジュールの中で、
十分に咀嚼、消化しないままEさんの手元に残してしまったかもしれない
と思いました。

各々の感情は各々で感じ消化していくものだと思いますが、
でもそれを伝えたということは
そこに共感を期待する気持ちがあったと思うのです。

話を聞いた時はその気持ちに寄り添っていましたが、
リトリートでは次から次へと心に響く刺激があるものですから、
気持ちはその都度ほかのことに向いてしまいます。
Eさんは途中で置き去りにされてしまったような気持ちになったかもしれません。
私は私の心に起こる感情の波や新しい出来事や話や、
自分自身との対話に忙しく、その間、私の心の中心にEさんはいませんでした。

つまり、私はEさんの母親と同じようなことをしてしまったのではないかと。
Eさんに対する意図しない無関心。それがEさんを傷つけたのではないかと。
これはあくまで私の想像ですが。 

そしてEさんのバズーカ砲は
自分でも忘れていた心の小部屋のドアをぶち破ったようで、
そこから古い自分、未消化の感情も顔を出しました。 

私は今でこそなんの悩みもなさそうにけらけらっと生きていますが、
20代30代の頃は自己肯定感が低い一方プライドが高くて、
その間を負の感情が渦巻くという、それなりに苦しい時期を過ごしました。 

30代初め、会社の人事異動で専門職から総合職に変わりました。
私が新しい環境、新しい仕事に四苦八苦する中で、
とてもあこがれる女性が配属先にいました。

帰国子女で、家柄がよく、快活で愛情にあふれ、
イタリア人の裕福なご主人との間にお子さんもいて、
麻布の高級マンションで暮らしている人でした。

彼女の周りにはいつも人の輪ができ、
仕事をてきぱきこなして上司からの信頼も厚く、
すべてを持っている人だと彼女にあこがれました。

物質的な環境はともかくとして、彼女のように
いつも朗らかに愛情に満ちた笑顔でいたいと思ったのです。

でも私が彼女にあこがれ、彼女のようになりたいと思う中で、
彼女にとって私はただ同僚の一人にすぎませんでした。
まあ、それが当たり前ですけど。でもその当たり前が苦しくて。
なぜなら私は彼女に私を好きなって欲しかったから。
彼女にもっと私を知ってもらい、悩みを打ち明け、共感して欲しかったから。
自分の負の部分を人からの気持ちで埋めようとしていたんでしょうかね。
自分で自分を十分に癒し、愛していたら、そんなふうに人からの愛情は求めない。
彼女は私に十分優しかったのですが、私は彼女を妬みました。
好きなのに嫌いになりました。私が彼女のようになれなかったからです。
その気持ちはさらに自分を傷つけました。 

そんなね、若いころのことを思い出したのです。
半日くらい内側で悶絶したかしら。
バイト先の厨房で(渋谷のとある喫茶店のキッチンでアルバイト中なのです) 
ミス連発しちゃいました。苦しかった、久々に。 

その彼女は第二子の妊娠を機に退職、その後も交友関係は続いています。
一緒に働いていた時からもう20年も経ち、自分自身が成長したおかげで
今では羨むこともありません。
彼女は3人のお子様を立派に育て上げ、50代半ばには見えない美しさで
ご主人と3人の美青年(お子様)に囲まれて今も太陽のように笑っています。
私も夫と二匹の猫に囲まれて同じように屈託なく笑っています。
結局は自分次第なんだな、と思いました。

自分の負の気持ちに決着をつけて自分を幸福にできるのは自分だけ。
自分が幸せになると自分とかかわる人も幸せになります。
夫も猫も私のそばで幸せだと思います。私が幸せだから。
幸せは伝染するのです。 

ちなみにこの話は、Eさんが私にあこがれて、
その気持ちが満たされなくてバズーカ打ったという話ではないですよ。
バズーカをきっかけに、私にその感情、その記憶が浮上したというお話です。

ここに書いたEさんの気持ちも、私が一方的に妄想したもので、
事実ではありません。でも私にとっては私がそう感じる現実なわけです。
現実というのは良くも悪くも自分が作っているんですねー。
なら悪いより、良いほうがいいじゃないですか。
それを決めるのは誰でもない自分です。 

他にもね、美味しかったお蕎麦のこととか、
最高に気持ちがいいカミツレの宿のこととか、
戸隠神社の奥社で法螺貝をたてさせてもらったこととか、
水輪で拝見したスタッフたちの全身全霊のソーラン節とか、
水輪を経営している塩澤理事長のお話とか、
早朝のストーンサークルとか、座禅とか、
鏡池のほとりで裸足でのんびり座って気持ちよかったこととか、
小淵沢のGarden Shed R カフェのこととか、
いろいろ話したい旅の思い出はあるんですよ。 

でもね、今回の感想はEさんバズーカ砲に一点張りします。
おかげさまで、心の奥底に残っていた澱が浮かんできて、
それを受け止めたことで消えました。成仏させた感じ!
Eさん、一緒に旅してくれて、気持ちをぶつけてくれてありがとうね!
あなたはいない方がよかった人なんかじゃありません。
いなければいけなかった一番のキーパーソンでした。 

そしてEさんの中のちぃちゃなEちゃんへ。
いっぱいいっぱいつらいこと悲しいことあったね。よく頑張ったね。
あなたはもう立派に成長して素敵な女性になってますよ。
旅の間もみんなにいろんなこと気遣ってくれて優しかったの!
素直に真っ直ぐ自分の気持ちを見つめる人だから、
そのおかげでみんなそれぞれに色々な気づきがあったの!
ありがとうね!
あなたもEさんに愛されていっぱいいっぱい笑ってね!


Mさんの感想にあった 「Eさんのバズーカ砲」のEです。
Mさんの感想を読ませて頂いてから書いています。
(Mさんの感想をブログにアップする前に、
私に先に読んでもらった方が良いかな、という萬夕さんの配慮により。) 

Mさんの感想を読ませて頂き、はじめに感じたのは、率直に言うと、
自分が放った矢は、やはり自分に返ってくるのだな、ということです。
Mさんにはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。 

ただ、Mさんの感想の中で、訂正させて頂きたいところが幾つかあります。 

まず、リトリートに参加したことについて
「後悔している」とは言っていません。
だって、そんなことは一度も思っていないから。
このリトリートに参加していなかったら、行けなかった場所、
出会えなかった体験が沢山あります。 

その一方でリトリート中私が感じていたのは、
「私はいてもいなくても同じなんじゃないか?
いや、むしろいない方がもっと盛り上るんじゃないか?」という思い。 

そこで「私は来ない方が良かったんじゃないかと思いました」
という発言になりました。
Mさんには「来たことを後悔している」と聞こえたのかもしれませんし、
同じことじゃないか、と思われるかもしれませんが、
私にとっては全然別のことです。 

「Eさんは母親の愛情がすべて妹に向けられ、
自分には与えられなかったことに苦しんでいました。」 

これも少し違います。
母親との確執が大人になった今も自分に影響していて、
生きづらさに苦しんでいる、ということです。
また、Mさんの書いて下さったことは母親との確執の一部であって、
全てではありません。 

それから、Mさん自身も、
「ここに書いたEさんの気持ちも、私が一方的に妄想したもので、
事実ではありません。でも私にとっては私がそう感じる現実なわけです。」
と、書いて下さっていますが、
私自身からもご推察頂いたこととは違います、
と書き記しておきたいと思います。
(リトリート中、ずっと相手に共感を求めるなんて、いくら何でも、、。
私でも勘弁して欲しいです。😅) 

人によって、フィルターや、感じ取るセンサーも違うのだから、
同じ場所にいても、違う現実を体験しているのだ。
人の数だけ現実があるのだ。ということをつくづく感じました。 

出来事が起きた時、人はそれを理解する為にストーリーを必要とします。
でも、それは自分が納得する為のものだから、
どうしても自分が納得し易いようなストーリーになってしまう。
そして、それが自分にとっての「現実」になる。
私も往々にしてやっていることです。 

しかしながら、Mさんに私の負の感情をぶつけてしまったのは事実です。
リトリートの最終日に、、スミマセンでした。 

小淵沢のガーデン シェッド Rで、あの時、
何で心の内を話してしまったのか、、。 

ガーデンの小さな小屋に、一人ずつ順番で瞑想しに行っていて、
テーブル席に萬夕さんとRさんと私の3人でいた時、
日登美さんの真似をして小鳥(野生)に手を伸ばしたら、
思いがけず私の手に止まってくれて!
すっごく嬉しかったのだけど、萬夕さんに「祝福されているよ!」
って言われて、そんなことない!って思って、
つい話してしまったんだったか。 

リトリートはずっとずっと行きたかった。
いつも旅のレポを羨ましく読んでいました。
だ けど、自分は行ってはいけないんだ、と思っていた。
今回、行こう!と決心して、やっと来れたというのに。 

自分の中の思いを皆んなの前で話した時、萬夕さんに
「それはお母さんへの未消化な感情があるから、そう見えるんだよ」
と言われました。
R子さんにhugしてもらった時には、
私の中の子供がR子さんの中の子供と共鳴し、
思わず声を上げて泣きそうになりました。 

リトリートで行ったところは、何処も素敵で不思議で
シンクロも起こりまくりで、ホント濃かったです。
それなのにモヤモヤ、ザワザワが残ったままリトリートが終わってしまい、
後で萬夕さんにメールしてしまいました。ちょっと話しを聞いて欲しくて。 

萬夕さんに言われたのは、
私の意識が完全に外側に向いている、ということ。
一部抜粋します。 


外を向いている限り、うちを見ずに済みますが、
それでは一向に、何も変わりません。
外側のあれこれは、人や環境や設定を変えて、
また同じ思いをEさんに抱かせます。どこまでも。キリがないですよ?
内側が外側、です。
その反対は、ないです。 


念願だったリトリートで、こういう体験をするということは、
もう本当に自分の内側だけを見つめる覚悟を決めなさい、
ということなのかと思いました。
起こる出来事に対して、全ては自分が作っているのだ、と肚をくくれ、と。 

私は「声」は嘘をつけないものだと思っています。
取り繕ろっても、隠しようもなくその人の本心が現われてしまう。
「目」は嘘をつける時があります。
でも、ふとした時(無意識の時)の眼差しは嘘をつけない。
まさに「心の窓」。 

だけど、そもそも皆、自分のフィルターをつけている訳で、
そのフィルターをつけたままで外側を見ても意味がないんだな、
ということが、ボディブローのように効いてきました。

Mさんには「かつての自分」、Yさんには「お姉さん」、
Rさんには「自分の姿」が私に重なり、
何かしらの気づきにつながったのなら、
それが私のこのリトリートのお役目だったのでしょうか。 

とは言え、ネガティブ担当ではなく、
楽しさの方に貢献出来るようになりたいものです。
(自分が楽しむ為にも) 

自分の中にいる可愛く思えなかった子供。 
Rさんに「ユリちゃん」と名付けてもらって(何故にユリちゃん?笑)、
少しだけ可愛いく思えてきました。 
Rさんの中のユリちゃんはとても可愛いく思えるのに、
自分自身のことは難しいものですね。 

「自分の負の気持ちに決着をつけて自分を幸福にできるのは自分だけ。」
とMさんも書いてらっしゃいますがその通りだと思います。 

結婚し実家を離れて20数年。
母とは物理的に距離が離れただけでも心理的に楽になりましたし、
この期間で親子関係も随分変わりました。 
年老いた母を労わる気持ちは勿論ありますし、
それなりに孝行もしているつもりです。 
それでも母と話すときは、どうしても素っ気なく、
硬い声になってしまいます。 
やはり完全には許せていないからだと思います。 
穏やかな声で母と話せるようになった時が、
未消化な感情が無くなったときなのでしょう。 

今回、リトリートでご一緒した皆さん、萬夕さん、ありがとうございました。

6/14追記 
誤解されたままでいるのは、本意ではないので、
後日、Mさんにはメールさせて頂きました。


>>>この後のMさんとEさんのやりとり、
そしてこの体験が気づきに変わるまで、、
続きはこちらでぜひどうぞ♡


今回、私にとって大きな気づきをもたらせてくれたリトリートでした。
私が感じたことを言葉にうまくできず、もどかしいです。

戸隠神社帰りの参道から、眠くて眠くて。
家に戻ってからも1週間眠り続けました。

大好きなガーデンシェドRに着いて、Eさんから
「私がいない方がよかったのではないか」と言われた時、
心の底から驚いてしまった。
全くそんなことを思わなかったから。

だけど、それは完全に私自身でした。
本当に鏡を見ているようだった。
いつも自分という存在が受け入れてもらえないと信じていました。
他人が光で、自分は影のようだと。

Eさんをみんなが抱きしめた時、私は自分自身も抱きしめていました。
Eさんの中に小さく泣いている女の子が見えて、
その子は私でした。


「私のいうことを聴いてください」というのは

「私に触れてください。私が存在することを知ってください」
ということだ。

という一文を読んだ時、
ずっと「気づいて!」と呼んでいたのかも…と思いました。

そして、その後EさんMさんの戸隠の感想を見て、ビックリしました。
実は、私は全く気づいておりませんでした。

リトリートで感情の浮上はよく起こるので
(その度に付き合ってくれた皆様に感謝しております)
同じだなぁと思っていました。

それでもお二人のメールのやり取りを見て、
Mさんの凜とした女性の優しさに、Eさんの素直さに、
感動しました。
お二人とも、本当にすてきだと思います。
そしてその旅に同行できたことがうれしいです。
同じ出来事を体験しても、それぞれが全く違う捉え方をしていたのが
驚きました。

「他者の想いにふれ、それを受け入れることで、自己のうちで何かが

変わる。これまでとは違ったふうに自分を感じられるようになる
という出来事が起こる。」

まゆさんのリトリートでは感情が浮上し苦しくなることもある。

「そういう出来事が起こるのが大事なのであって、

その場で分かるか分からないかはたいしたことではない」

(「」の文は全て『臨床とことば』河合隼雄著)

他者を通じて、自分を知る旅もしているんだと思いました。
今回ご一緒してくれた皆様、本当にありがとうございました。








☆「戸隠リトリートレポその1〜満開のカモミールと戸隠神社」はこちら
☆「戸隠リトリートレポその2〜水輪で野草酵素作り&森の中で過ごす時間」はこちら


次回のリトリートは、
「教会で春原恵子さんのコンサートと 空海を巡る旅(高知&徳島)」
2019年7月9日(火)〜11日(木)
室戸岬と足摺岬と唐人駄馬2泊3日コース
〜12日(金) +剣山3泊4日コース です。😊
詳しくはこちらをどうぞ

場所や日程など、リクエストも受け付けてますので、
お気軽にメールくださいね。