先日UPしました
「戸隠リトリート 皆さんのご感想と気づきのシェア」
はもう読んでいただけたでしょうか?
まだな方は、まずそちらをお読みくださいね〜。
これは、その続きになりますので。😊
Mさんが書いた「Eさんのバズーカ砲」、
そしてそれを読んでからEさんが書いた文章、で
ちょっと不穏な空気のまま終わっておりましたが、、😅
ちゃんと避けずに向き合ってくれたおかげで
その後、その体験は大きなギフトに変わりました✨
Mさんが書いた文章をEさんが読んだタイミングで
二人は「恵子さんとのお話会」で会っているのですが、
その時は、私から見ても、EさんはMさんを避けていましたし、
その後、送られてきたEさんからの文章が
「戸隠リトリート 皆さんのご感想と気づきのシェア」
これ↑でしたので、
どうなることかと思いましたが、よかったよかった。。😊
とはいえ、この一連の流れをどう伝えたらいいものか、、
お二人のメールのやりとりは、なかなかに赤裸々で、
(私はCCに入っておりました。😅)
そのまま載せるわけにはいかないだろうな、と思われ、、
かといって、
戸隠リトリートのご感想があのまま終わってもいいのかな、、
私はまあいいとしても、お二人はどうなのかなぁ、、と思い
メールしてみたんですね。
そしたら、お互いに「Eさんがよければ」
「Mさんが嫌でなければ」と、ありがたいことに、
そのままの掲載を許可していただけたのでした!!
Mさんは「その後も自分の変化は続いていて、
もはやその時点の自分と今の自分が少し違っていて、
手放して昇華した感情がちょっと他人事のようにも見えるのです。」と。
感じきった後って、そうなんですよね。😊
だから、改めて何か書いてもらうのも、もう違うよね、
って話になりました。
Eさんも
「今回の気づきを書かないで、そのままにしておくのもどうかと思うし。」
「私の誤解っぷりを読んで頂くことで、
人が人をどのように誤解するのかが良く分かり、
誰かの役に立つのではないか?と思うから。」と。
快く許可してくれました。
ホントになんて
懐の大きいお二人なのでしょうか〜〜っっ!😆
お二人のやりとりをそのままシェアすることで、
これを読んでくださってる誰かの、何らかの気づきにつながればと
私も思います。
かなり長くなりますが、どうぞ最後までお読みくださいね♡
<Eさんからのメール>
Mさんへ
私のリトリート感想をMさんが、どう思ったのかを
萬夕さんから聞いてはおりませんが、
多分、ご納得されていないことと思います。
私も誤解されたままではスッキリしないのでメールさせて頂きました。
まず、法螺貝を吹いている写真を私が何枚も撮って差し上げたことで、
もしかしたら誤解されたのかも知れませんが、
あれは自分が逆だったら、やって欲しいことをやっただけで、
あれがYさんやRさんであっても同じことをしていました。
初めてMさんと会った、
恵子さんのシークレットコンサートの時のことから説明させて下さい。
最初、Mさんは歩く姿や話し方が素敵な方ただな、と思いました。
そしてコンサートが終わって、皆で片付けをしている時、
私とRさんがカーネリアン(シャスタクラブでMさんとRさんが
引き当てた石)のことで盛り上がっていたところに
Mさんが通りかかり、Rさんが私を紹介してくれましたが、
Mさんは「あぁ、」か何か言って、スッと立ち去りました。
急いでいたのかな?とも思いましたが少し違和感がありました。
そして、リトリート当日、出発前に車の後ろで話しをしていた時のこと。
Mさんの視線が私の首元のネックレスの辺りにあるのを感じ、
ふと見ると、値踏みするようにこちらを見ていました。
車中でも何度か「ほら!Eさん、リトリートに来れているよ!」
と言って下さいましたが、その言葉に「心」が感じられない。
(ごめんなさい。あくまで私の感想です)
だから私はMさんに好意を持たれていないのだと感じ、
あまり近づかないようにしていました。
そして、小淵沢のガーデンでの出来事ですが、私が
「話さない相手なんて、居たって疎ましいだけじゃないですか?」
と言ったら、Mさんは「Eさんが、そう思うのね」と言いました。
私は、その時「私が疎ましくなかったとしたら、
それは私が近づかないようにしていたからでしょ!
近づいていたら疎ましかったんじゃないの?」と思い、
Mさんに向かって「(疎ましくないと)本当にそう思っているの?」
という発言になりました。
そもそもは、私が抱いている
「自分は受け入れられない人間だ」という思いからの発言で、
Mさんにしたら、訳が分からなかったことと思います。
すみませんでした。
思うに、Mさんは最初から
私という存在が面白くなかったのではありませんか?
Rさんと萬夕さんの3人のシャスタなのに、不在のEさんの話題が出てくる。
萬夕さんのレポにもRさんのシャスタ感想文にもEさんが出てくる。
Rさんのシャスタ感想に、Eさんが感想を書いて、
二人の間に心の交流が起こって、それをまた萬夕さんがブログに取り上げる。
自分の存在が霞んでしまったようで、何だか面白くない。
戸隠リトリートに参加表明したら、例のEさんがいる。
どんな人なのかと思ったら、なんだ、こんな地味な人か。
会話が弾む相手でもないし、大人しいからと言って
御し易いタイプでもないみたい。
取り敢えず、恐るるに足らず、と見下した。
一昨日、ふと、そういうことだったのかな、と、
何かが降りてくるように、そう感じました。
そうだとするならMさんの言動のアレコレが
私の中で腑に落ちるような気がしました。
はい、これも私の妄想で事実かどうかは分かりませんが。
MさんはMさんなりに、私を理解しようとし、感想文の最後では、
温かい気持ちを送ろうとして下さったのかもしれませんね。
素直に受け取れずにスミマセン。
私が伝えておきたいことは以上です。
最後までお読み頂きありがとうございました。
このメールには、私もCCで入っていたので、
私からもこんなメールを送らせていただきました。
その後のEさんの文章にも出てくるので、一応載せておきますね。
Eさん
また意識が外側を向いてしまっています。。
他者を理解しようとする気持ちは尊いものですが、
他者の言動に思考を巡らせているうちは、なんやかんや、
自分を見ずにすむんです。
その、自我の巧妙なトラップに、気づいていてください。
本気で自分自身を生きたいなら。
他者が自分をどう思っているか?なんて、どうでもいいことです。
人はそこに思考を使うのが好きですが、
前に進みたいなら、エネルギーの無駄遣い。
自我の生み出す幻想ドラマにハマって終わる人生を選択したいなら
別にこのままでも構いません。
でも、本当のEさんはそれを望んでいないはず。
だからリトリートにだって勇気を出して参加してくれたんですよね。
だったら、とにかく意識を自分に向けてください。
子供の自分、ハグしてあげられましたか?
まだなら、思いっきり抱きしめてあげてください。無条件に。
「可愛くない」なんて、ジャッジせずに。
そこから始めてください。後回しにしないで。
その子の気持ち、誰よりもわかっているのはEさん自身ですよね?
これは、自分でしか、できないことです。
それと、Eさんから別件でメールをいただいた時に、
「ちょっと伝えておいた方がいいかもしれないな、、」と感じたので、
下記のメールも送りました。
Mさん、恵子さんとのお話会の帰りの時は
「Eさんと話せなかったぁ〜・・・」って
肩を落としていましたよ。話したがってました。
「そりゃ、お茶会じゃないし、お話会じゃ、無理ですよぉ〜😅」
って言いましたが
「本当はハグしたかったけど、避けられてるのがわかったので、
無理にそうするのは、私のエゴだし、しなかった」と。
そんなニュアンスのことを、言ってました。
<Mさんからのメール>
Eさん
こんばんは!
昨日は昼から21時の閉店までバイト、
今日も昼から18時までバイトだったので返信が遅くなりました。
返信いらなかったかもしれないけど、私が感想やメールを受け取って
どう思ったかも気になるんじゃないかと思って返信することにしました。
まず、Eさんは想像力が豊かな人だなあと思いましたが、
想像された私の行動や気持ちは当然ですが私のものとは全く違ってます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ってことわざがありますが、
Eさんの想像はまさにそれだと思いました。
幽霊だと思って恐れていたものが、
よく見たら枯れたススキの穂だったという意味で、
何か自分の気持ちに怖れがあるとただのススキが幽霊に見えてしまう、
逆に幽霊と思って怖かったものが、ススキの穂とわかってなあんだ!
と安心する例えとしても使われます。
Eさんが見たのは幽霊で、それは実はススキの枯れた穂だったのよ、
という話を私はしたいのです。
見え方が変わったら、なあんだ!って安心するかもしれないじゃないですか。
Eさんのリトリートの感想はわかるところもあったし、
わからないこともありました。
でも、きっと私が無意識にしている言動の何かが気に障って
嫌われたんだろうな、と残念に思っていました。
でもメールを拝見して、なるほど〜、そこでそう感じたのか!
といろいろな事がよく分かりました。
あのメールを書くのはEさんにとっても辛かったのではないかと推察します。
教えてくれてありがとう。
では、Eさんの想像と異なる私の気持ちをお伝えしますね。
私は、戸隠にEさんが参加すると聞いた時から
一緒に行くことを心から楽しみにしていたのです。
シャスタでそこにいない人の話が出て嫌な気持ちがしたかって?
全然そんなことありませんでしたよ。
Rさんがシャスタに行く数日前にご主人にそれを伝えたことも
びっくりしたけれども、同じように勇気を出して
ご主人に行きたい気持ちを伝えたけれど、反対されて
その時は諦めたEさんという人がいると聞いて興味を覚えていました。
きっといつもはご家族に気を遣って自分の欲求を我慢しているだろう人が
自分の気持ちを兎にも角にも伝えたというその勇気を
素晴らしいと思ったからです。
いつか行きたいと思っている旅をそのEさんができるといいな、
と知らない人ながら思っていたのです。
だから戸隠にキャンセルが出て申し込んだときにEさんが来ると聞いて、
ついに勇気を出して初参加するんだ!すごい!そこに一緒に行けるんだ!
と思ってワクワクしていました。
Eさんにしつこく初リトリートはどうかと聞いたのは、
初めての体験にワクワクするEさんの気持ちが聴きたくて仕方がなかったから。
でもこれは私の悪い癖だったかも。
人が心を開いたり、勇気を出して自らを変えていく姿を見るのが好きなんです。
自分もいろいろな経験をして変わってきたという思いがあるから、
Eさんの変化やワクワクを共有したかったんですよね。
だからねえ、本当にEさんが思うような疎ましい気持ち、
見下す気持ちなんてなかったんですよ。
そこはきっと萬夕さんからも、客観的に見て、
私がEさんに悪い気持ちなど微塵も持っていなかったことを
証言してくれると思うけど。
首元を見たことはあります。首長いな〜、私と一緒だな〜と思ったのと、
あとひとつ思ったことがあるんだけどそれは今は教えません。
メールじゃなくて直接お会いした時にお伝えします。
Eさんの首元を見たときにある考えというか言葉が
私の頭の中に降ってきて、それに対して「え!?」と思ったのです。
その考えとはEさんがどうこうということではなく、
100パーセント自分自身についての、私自身のことです。
でもメールではお伝えしたくありません。
あとなんでしたっけ、カーネリアンですか。
あの時はなんだったか思い出せないけれど、
たしかにほかのことに気を取られていました。
そのためぞんざいな態度をとっていたかもしれません。
それはごめんなさい。
私もワークショップやリトリートの時は自分との対話に忙しくて、
あまり人のことを気にかけない傾向が確かにあります。
人の話を聞いていないと指摘されることもしばしばあります。
不愉快な思いをさせてしまったことは残念ですが、
でもそれは相手がEさんだからではないということは知っていただきたいです。
人の話を聞いていない、自分との対話に忙しいというのは
Rさんにもありますよね?
Rさんのそれは気にならないのに、私のはなるんですね?
だとしたら、やっぱり今回のリトリートはこういう思いをしたり、
対話をしたりするために私たちは出会ったんですよ。
だって私はもともとメンバーに入っていなかったんだから。
Eさんのためにキャスティングされたといってもいいくらいじゃないかしら?
Eさんが私のことを気に入らないとしたら、
その理由はあなたの中にあります。
どうかその気持ちから逃げないでください。
辛い感情が吹き出してきてもじっとそれを感じて耐えてください。
私は昨日一日とても嫌な辛い思いをしていました。
それで返事が遅くなったところもあります。
ザワザワした気持ちのままメールを書いたら
乱暴なことを書いてしまうかもしれないと思って。
もし今もEさんが嫌な気持ちで辛い感情に耐えているのだったら、
そこから逃げないでください。
本当の自分で生きるために。心の底から笑うために。
ほかの何者にも代えられない、ただひとつの存在である
自分自身を愛するために。
私はそのためにメールしました。
そして、Eさんはかつての私にとても似ていると思います。
私もかつて自分は受け入れられない人間だと思っていたし、
つまらない奴だと思っていたし、自分のことを大切にできなくて
ずいぶん自分を苛めました。
そんなこと、もうやめましょう。
そのままの、ちょっとダメなところもある自分を、
まずは自分から愛しましょう。
大事にして、自分がやりたいと思うことをやらせてあげて、
楽しませて、うんと可愛がりましょうよ。 世界が変わりますよ。
もし道に迷っても、私たちには萬夕さんという心強い道先案内人がいますし。
最後になりますが、茨木のり子さんという詩人の
「自分の感受性くらい」という詩をご存知ですか?
私は初めてその詩に出会った時、
頭をガーンと殴られたような気持ちになりました。
今でも自分に喝を入れる時とか読みます。
ネットで検索したら読めるのでもし関心があったら見てみてください。
長いメールを最後までお読みいただきありがとうございました。
では、またね!
<Eさんからのメール>
Mさん
ごめんなさい!!
Mさんのこと、誤解していました!
あれを読んで嫌な思いをしたでしょうに、
思いやりに満ちた返信を頂き、とても驚いたし
本当に申し訳なく思いました。
今朝、萬夕さんからメールを頂いて、
昼休みに途中まで書いていたのが下記の文章です。
萬夕さんのメールを読んで、ビックリしたし、
自分が恥ずかしくなったし、
Mさんにどう謝ったらいいのか、合わせる顔がない、
と頭を抱えながら書いていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
萬夕さん
私が送ったMさんへのメールの件ですが、
萬夕さんには「また、外側!」って言われるのは百も承知で、
それでも送信してしまいました。
このまま会わない相手ならいざ知らず、
Mさんとはまた何かのWSで出会うはずで、
それなら誤解されたままでは嫌だったからです。
だけど萬夕さんの今朝のメールで、
恵子さんとのお話し会の帰りでのMさんの様子を知って、
私が観たのは、怒りで肩をいからせて頑なになっている自分の姿でした。
Mさんの感想の、ガーデン シェッド Rでの私の描かれ方に
馬鹿にされているように感じ、
「母親の愛情を妹に奪われて苦しんでいた」という書き方に
「''現在の私"が、それで苦しんでいる訳ではないのに、
人の悩みを矮小化している!」と憤り、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここまで書いていました。
さらにMさんからの返信を読んでの、続きを書きます。
そう、Mさんに対して、私が特別の共感を求めていたかのような推察にも
「誤解を事実のように書かないで欲しい!」と思ったし、
最後の私の中の小さな子供への語りかけも
「自分の負の感情を人にぶつけるんじゃなくて、
自分で自分を満たしなさいね。そうすれば私みたいに幸せになれますよ」
と上から目線で言われているように感じていました。
本当に素直に受け取れなくてごめんなさい!
まさに、枯れ尾花を幽霊だと思い込んで、勝手に恐れて、
ネガティブな感情に捉われていたのかと自分で自分に愕然としました。
私は、戸隠リトリートにMさんも参加すると知って
「あぁ、秋のシャスタで揃わなかった3人がここで揃った!」
と嬉しかったのです。
Mさんのことは凛とした素敵な人だと思っていたし。
でも、私の目には、Mさんが喜んでいるようには見えなかったんですよ!
リトリートの初っぱなから、値踏みされたように感じたし、
ガーデン シェッド Rの時も
「この人は何をヘンなこと言っているの?」という風に
シラケて見られているように見えたし。
私は好意を持たれていないのだとばかり思っていました。
だから、Mさんのメールを読んで心底驚きました。
驚愕と言ってもいいくらい。
「えぇっ!嘘でしょ。全然そんな風に見えなかった!」
読んでいてそんな風に思うことばかり。
私のフィルターは、どれだけ汚れて曇っているのだろう?
昔、読んだ小説に「恐れは原罪である」というセリフがあるのですが、
全く、私は自分の恐れから、自ら
自分の敵となる者やネガティブな思いを沢山生み出している。
自作自演だったのですね!
何で自分は恐れるのか?その恐れの奥にあるのは何なのか?
向き合うべきはそこなのに、、。
萬夕さんにも散々言われているのに、、。
そんな馬鹿な私に、
びっくりするほど寛容で温かい言葉をかけてくれるMさん。
本当にごめんなさい!
そしてありがとうございます!!
茨木のり子さんは好きな詩人で、エッセイも2、3冊持っています。
(詩もいいけど、エッセイも面白いんです!)
「自分の感受性くらい」、勿論知っています。
知ったのはハタチくらいだったかな。
同じく頭をガーンと殴られたように感じましたよ。笑
Mさん、丁寧に気持ちを綴ってくれたメールをありがとう!
一緒にリトリートに行ってくれてありがとう!
心から感謝します。
人のことだと客観的に見れるから、
いろいろな気づきがあったのではないでしょうか?
Mさん、Eさん、シェアありがとう。😊
同じ時、同じ場所にいて、同じ体験をしているようで、
人の数だけ違う認識があり、違う記憶があり、
違う現実が生まれているんですよねぇ。
誰一人、同じものを、見ていない。
絶対的現実が一つじゃないなら、
私たちが認識してるものって、幻想・・・
ってことになりますよね。😅
だからむしろ、誤解する方が当たり前で、
分かり合える方が奇跡✨ っていうか。。
私たちはありのままなんて、見れていなくて、
自分のフィルター越しにジャッジして見ていたり
するもの。
このフィルターをRASでは「信じこみ」
ゼニスでは「ブロック」って呼んでいるわけですが。
それがなければないほど、
目の前の出来事をありのままに見て、受け入れることは
しやすくなります。
津留さんの文章もシェアしましたが、
☆「内側→外側。信じるものを見る」はこちら。
私たちは、この世界では、(深いレベルにおいて)
自分が信じ込んでるものしか見ることができない
んですよねぇ。。
だから、自分の認識を変えるしか、ない。
でもこれもね、
無理やり変えるって難しくって。
やはりまずは、未消化の感情の消化!
なのです〜。
これをした後じゃないと、
なかなかできないんだよねぇ。。
あ。それともし、これを読んで
「誤解されないようにしよう」って思った方がいたとしたら、
それもちょっと違うってことも、お伝えしておきますね。
そう思う時点で、「誤解される」が前提になってますから
むしろ誤解されるっていう体験をすることになりますよ。
おそらく。😁
痛み動機の行動は、結果も痛みになりがち。。
しかも、避けようとすればするほど、
その体験に追いかけられることになるのよねぇ・・・
この世界。😅
私も昔はね、誤解されるのってすごく嫌で、
誤解されたと思ったら、なんとかして誤解を解きたい!
って思って行動したものです。
でも、RASのファシリ講座&イントラ講座で
「誤解された」って信じこみを取りまくったら、
もう、誤解されても大丈夫になってしまいました。。😅
まあ、決して気持ちのいいものではないですけどね、
なんとかしたい!とは、思わなくなりました。
ダメージが、随分なくなりましたねぇ。。
この人は、誤解したいんだなぁ・・・
誤解という体験を通して、
未消化の感情を終わらせたいんだなぁ・・・
私がその役にキャスティングされたなら、仕方がない・・・
って、思考で無理やり、ではなくてね、
すんなり受け入れられるようになってしまいました。
ちなみにRASにおいて、
「誤解された」という信じこみがあった場合
「テーマに関して、自分が人や物事を誤解している可能性がある」
と見るのですが、
「誤解された」と感じたなら、誤解しているのは自分の方かも?
って、一旦は疑ってみるのも、いいかもしれませんよ。😊
人は、誤解したければ、誤解します。
みんな、自分のフィルターを通してしか、解釈できませんから。
誤解されたと感じた時に、
自分に引っかかりや痛みの感情が生じたなら、
それを消化して昇華させること。
それが特になければ、自分は、
その関係性におけるそのテーマは終了した、ってことです。
相手の未消化の感情や信じこみは、
相手にしか、どうにかすることはできません。
誤解を恐れていたら、
他人軸になってしまいますからね。😊
そもそもが、1人1宇宙。
みんな、同じ世界を生きてるようで、
違う世界で生きてるんですから。
☆「戸隠リトリートレポその1〜満開のカモミールと戸隠神社」はこちら。
☆「戸隠リトリートレポその2〜水輪で野草酵素作り&森の中で過ごす時間」はこちら。
それもちょっと違うってことも、お伝えしておきますね。
そう思う時点で、「誤解される」が前提になってますから
むしろ誤解されるっていう体験をすることになりますよ。
おそらく。😁
痛み動機の行動は、結果も痛みになりがち。。
しかも、避けようとすればするほど、
その体験に追いかけられることになるのよねぇ・・・
この世界。😅
私も昔はね、誤解されるのってすごく嫌で、
誤解されたと思ったら、なんとかして誤解を解きたい!
って思って行動したものです。
でも、RASのファシリ講座&イントラ講座で
「誤解された」って信じこみを取りまくったら、
もう、誤解されても大丈夫になってしまいました。。😅
まあ、決して気持ちのいいものではないですけどね、
なんとかしたい!とは、思わなくなりました。
ダメージが、随分なくなりましたねぇ。。
この人は、誤解したいんだなぁ・・・
誤解という体験を通して、
未消化の感情を終わらせたいんだなぁ・・・
私がその役にキャスティングされたなら、仕方がない・・・
って、思考で無理やり、ではなくてね、
すんなり受け入れられるようになってしまいました。
ちなみにRASにおいて、
「誤解された」という信じこみがあった場合
「テーマに関して、自分が人や物事を誤解している可能性がある」
と見るのですが、
「誤解された」と感じたなら、誤解しているのは自分の方かも?
って、一旦は疑ってみるのも、いいかもしれませんよ。😊
人は、誤解したければ、誤解します。
みんな、自分のフィルターを通してしか、解釈できませんから。
誤解されたと感じた時に、
自分に引っかかりや痛みの感情が生じたなら、
それを消化して昇華させること。
それが特になければ、自分は、
その関係性におけるそのテーマは終了した、ってことです。
相手の未消化の感情や信じこみは、
相手にしか、どうにかすることはできません。
誤解を恐れていたら、
他人軸になってしまいますからね。😊
そもそもが、1人1宇宙。
みんな、同じ世界を生きてるようで、
違う世界で生きてるんですから。
☆「戸隠リトリートレポその1〜満開のカモミールと戸隠神社」はこちら。
☆「戸隠リトリートレポその2〜水輪で野草酵素作り&森の中で過ごす時間」はこちら。