【お知らせ】
2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

【リトリート】
2025年も2/7以降で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、リクエストいただいてます。他にも希望者いらっしゃいましたら、まだ日程確定前なので、調整できるうちに早めにご連絡くださいね。今回の告知はしてませんが、以前の告知、こちらを大体の参考にしてください。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。


【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2020/04/23

こちらからの景色 あちらからの景色

シャスタにて

先日の、オンラインでの恵子さんとのお話会で、

「世の中にはあまりにも凄惨な悲惨な事が起こるのに
 意味はあるんだと思いますが、人間が成長する為に
 そこまで辛い経験が必要なのか?という事が
 以前からずっと聞いてみたいなと思っている事でした。
 辛い経験が程々では魂は成長できないのですかね?」

という質問をいただき、お答えしました。


私も以前は持っていた疑問です。☺️


私たちは、自分が体験しているわけではなくても、
ニュースなどで見聞きすることに対して
「凄惨な」「悲惨な」「辛い」出来事、といった
判断をしてしまいますよね。


当事者にとってどういう体験なのか、
また、長い目で見た時に、その体験がどう繋がっていくのか、
それは、私たちにはわからないというのに。。


それなのに、その時だけの、一側面だけから見て、
「凄惨な」「悲惨な」「辛い」出来事、
などと判断(ジャッジ)してしまう…


4年前に書いたブログも参考までに。
☆「ジャッジって何?委ねるって何?を理解するためのヒント



恵子さんが、宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩も
読んでくれました。☺️



眼にて云ふ


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。



死に際の、今まさに亡くなろうとしている側からの
気持ちを綴ったものですね。


私は、ヒプノセラピー(前世療法)をする中で、
何百回も、数え切れないほど、
お客さんたちの前世の臨終場面に立ち会って来たので、

肉体を離れる前と後で、
ご本人がどういう気持ちになるか、とか
どんな気づきが起こるか、とか
様々、一緒に体験させてもらってきました。


あくまでも表面的に見て、ですが、
「幸せな」最期もあれば、
「悲惨極まりない」最期も、たくさん、ありました。


皆さんだけでなく、私にも、もちろん。


そのおかげで、私は、死んだ側の気持ちにも、
一般の皆さんより、
思いを馳せやすくなっているかもしれません。


そして、
死は、もちろんとても悲しいし、寂しいけれども、
決して終わりではないし、
本当の本当は祝福✨ですらあることも、腑に落ちています。


黒澤明監督の「夢」という映画の中で描かれる
村のおばあさんのお葬式の場面が、まるでお祭りのようで、
まさに祝福✨でねぇ…

私は初めて見た時、この表現に感動しまして。
とても好きなのですが。☺️

現代にも、こうやってお見送りする国、
ありますもんね。



笠智衆演じるおじいさんの台詞も、いいんですよ。
↑これは一部なので、できれば全部見て欲しいくらい。

私にとっては、
黒澤明監督の霊性を、特に感じる映画です。☺️


誰もが、生まれたら、いつかは必ず死ぬ、と
わかってはいながら、
死は良くないこと、悪いこと、のように捉えてしまうのは、
やはり、死を恐れているから、なのでしょうね。。


私は、人に死なれるのは嫌だけど、
自分が死ぬのは怖くないなぁ、と思っていました。

でも、数年前に、2方向から
ものすんごい大きな津波にのまれる、という夢を
見たことがあるんです。

そしたら、反射的に逃げるんですよね、
本能で、生きようとするんです。
どうやっても逃げ切れないな、とわかっていても。

で、まさに今、波にのまれる!!という瞬間に
「あれ。私、いつ死んでもいいと思ってたんだった!」
って思い出して、
死を受け入れたら、一瞬で場面が転換して、
何事も起こっていない場面に移動したんですよね…。

言葉では説明しづらいのですが、
私の中でものすごく「!」って、なりました。

「私」には、何も起こっていなかった。。のです。
(夢の中の夢オチ、ってことではなく。😅)


☆「何かを変えようという態度を取らないで下さい。
〜ムージの言葉

の中で、ムージが言う
「あなたには何も起こっていません。」
が、腑に落ちた感じ、と言いましょうか。


なんだか、とても象徴的な夢で、
度々思い出します。☺️


とにかく、死に限らず、どんなことも、
一側面だけでなく、多様な側面を持っているのですから、
一側面だけで判断するのはいかがなものでしょうね、
ということです。


多様な側面の、どの側面に自分が反応するか?は
結局、自分の中に引っ掛かりがあって、
その痛みを投影してその出来事を見てしまっている、
ってことなんですよね。


だから、外側をどうこうしようとする前に、
まず自分の反応に気づいて、
自分の痛み(未消化の感情)を見てあげること
が大切です。


この世界に、偶然はありませんから、
そこに気づかせようと、「見たくなかった」と感じるような
ニュースや映像などの情報に、出会ったのではないでしょうか。


その情報の周波数と、自分の周波数が合ってしまった、
という言い方もできますよね。


津留晃一さんは、
こんな風に書いていました。


病気で苦しんでいる人やケガをして痛がっている人を見ると、
私たちは条件反射的にすぐ助けたくなります。
これを優しさだと思っている人が大勢います。

ですが、真の理由を冷静に見てみると、
人が苦しんでいるという映像を見るのがつらくて、
何とか見ないで済むようにと思っているのです。

自分のハートを感じてみてください。
自分のハートの痛みから解放されたくて、
病人やケガ人を何とかしようとはしていませんか。

痛がっている人を見たら自分の肉体が緊張する。
こんな肉体の自動反応に気づいてください。


自分の痛みと向き合うことを無意識に避けて、
人のことばかりやってしまう、自己犠牲タイプの方も
多いので(私もかつて、そうでありました😂)
この視点は今、特に、とても大事だと思います。


もちろん、人の気持ちに寄り添うことは尊いこと。
それと、ただただ感情移入することは違う、ということです。

その辺について、
クンルンネイゴンのマスターKan.さんと、
生まれながらに(肉体的には)重度の障害を持ちながら
素晴らしい感性をお持ちの日木流奈さんの対談が
とてもわかりやすくて素晴らしいので、シェアしますね。
対談全文は☞こちらで、ぜひ✨)


流奈さん:
当事者の人たちには本当に申し訳ありませんが、
私にとってこの世はすでに天国です。
地獄の苦しみがあったとしても、たぶん天国だと思います。
私が災害や何かに身を投じることになったとしたら、
それは私の役目だと思います。

だけど、当事者に対して、役目なのだからそれを受け入れろ、
というのは大きな間違いです。
その人がその人たちで学ばなければならないのは事実だけれど、
外の人が「あなたの役目だから」とは、絶対言ってはいけません。

それが本人にとって、どれだけ大変なことか。
当事者でない私は、その人たちに感謝しています。
大変な思いを、私の代わりにしてくれていると感じています。

だからといって、私は当事者ではないので、
本当の意味で彼らの苦しみや大変さをわかったとは言えません。
わかっているふりなんて、傲慢だと思います。
私はただ寄り添うだけです。
彼らの思いに心を馳せるだけです。

悲しみや辛さは人それぞれ違います。
「大変だ」と言う人がいれば、それはその人にとって真実です。
誰の心にしても、思いに嘘はありません。
その思いを受け取る心だけは、私は失くしたくありません。

私は災害が起きるたびに、いつもそんな思いでニュースを見ています。
だからこそ、私は私の生活を充実したものにすることに余念がありません。

<中略>

Kan.さん:
勘違いしてはいけないのは、やはり当事者にとっては
100パーセント悲しいわけですから、
何かで取り繕うのではなく、ちゃんと悲しむことだと思います。 

それはお芝居によく似ていて、
「本当に起こっていることではないから、悲しくないのだ」
という前提で見ていたら、
あらゆるお芝居が面白くなくなってしまいます。 

でも、作り物だということはお構いなしに、
お芝居に引き込まれ、感情が揺さぶられると、
作品を見終わったときに、すごい感動があるでしょう? 

それと同じで、起こることは全部、
起こるべくして起こっているので、受け入れて、ちゃんと味わって、
いいも悪いも、悲しみも怒りも等身大で味わう。

そうやって全身全霊で生き切ったときに、
初めてその人その人の人生が浮かび上がってきます。 

それがないまま、いつでも誰かの理論や思想や常識をもってきて、
こういうときはこうしないといけないという、
いわば眠ったまま生きる生き方こそが、
実はいちばん悲惨なことではないでしょうか。


こうなる前からずっと大切なことですが、
こうなってる今、ますます、

皆がこのことを真に理解し、
外の世界に振り回されず、
相手の体験は尊重しながら、
自分の命を、全身全霊で生き切ることに専念しなさい、と

宇宙から求められているように感じます。☺️



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