松濤美術館で舟越桂「私の中にある泉」を見てきました。
渋谷区民は、金曜日は無料で見れるのです。😆
舟越さんの個展は2008年の目黒の庭園美術館ぶり。
もう12年以上前かぁ…
庭園美術館は、アール・デコ空間で素晴らしいので、
あの中に展示された作品たちは、一層際立って最高でした…
また見たいくらい。
今回の個展は、それに比べると小規模ではありますが、
今だから響く作品や言葉も、たくさんありましたよ。☺️
20代半ば、アート雑誌の編集をしてた時。
バックナンバーに彼の特集があったので。
本物の作品を見たのは、いつが最初だったか…
なんだかとっても魅かれたのは、たぶん、「目」のせい。
そこだけ、木彫りではなく、大理石なんですよねぇ…
見ていると、どうも、不思議な気持ちになります。
今回思ったのは、この「目」ってね、
ダライ・ラマ法王やムージと目があった時に感じた
「空(くう)」の感覚に、なんか、似てるんですよねぇ…
あとね、今回この文章↑を読んで知ったのは
函館トラピスト修道院から聖母子像制作を依頼されていたこと。
去年、函館に行った時に、この修道院のこと、
なんとなく気になっていて、今なんてまさに朝
トラピスト修道院で作られたバターを食べてるんですけど😂
ここでも繋がるのかぁ… って、個人的には思ったり。
聖母子像も、見てみたいな。
☆2020年2月「偶然が必然の連続な、函館の旅と
春原恵子さんのコンサート♪ その1」はこちら。
春原恵子さんのコンサート♪ その1」はこちら。
「自分の中の水の底に潜ってみるしかない」と、創造にあたって、
まず自分自身と向き合う姿勢をとり続けてきました。
とも書かれてますが、
それは作り手というのは皆そうだと思いますけど、
今はもう、誰もがね、
「私の中にある泉」=根源 とともに創造する時代
なんじゃないかなぁと思っているので、
このタイトルも、好きです。☺️
その前には、「自分の中の水の底に潜る」ってプロセスもね、
必須だと思いますが。
こちらの映像↑で、展示がどんな感じか伝わるかと。
私が特に「おぉぉ」と思ったのは
「山を包む私」という作品のエピソード。
学生時代に八王子城址を見て、突然
「あの山は俺の中に入る」と思った、という
すぐには整理のつかない体験をし、
20年経ってから、ようやく作ったそう。
これってね、私としては、
去年のサイレントリトリートの体験からするに、
☆「沈黙。あけまして、」
(9日間の一人サイレントリトリート後のレポ)
「あの山は俺の中にある!」って体験なんじゃないかと
思うんですよねぇ… 😌
「個」としての私ではなく
「全」としての私で在った時、私は「空(くう)」で
「スペース」だから、山すら、私の中に、
あるんですよねぇ… 😌