朝露に濡れた薔薇♡ |
皆さんに、『ご自分の中の日々の分離』に気づいていただくための
宿題を出したのですが、
それを通してのそれぞれの気づきを読んでいたら、
「これを私一人の中に留め置くのはもったいないなぁ…」
と思いまして。
宿題は基本
「ご自分で、気づき、深める」ために出しているので、
シェアするつもりはなかったんですけどね、😅
少なくとも受講生同士はお互いに読んでいただけた方が
より気づきが深まるな、と思い、
皆さんの許可をいただいて、
ここにシェアさせていただくことにしました。☺️
(ありがとう❣️)
宿題の詳細については書けませんが、
参加していない方でも、お読みになると
共感することや気づかれること、
あるんじゃないかなぁ、と思いますよ🌟
ここまで書いてきて
私の中に私のルールで人を見て,
それに合わない人をジャッジしたり,怒りを感じています。
また,従わせようともしていました。
それに気づくと,「どうでもいいこと」と感じて怒りが静まります。
私が気づかないことでも
自分のルールで人をジャッジしていることも多いのだろうな。
そして,
「良い・悪いはないです」と言われて「そうだよね」と,
頭ではわかっていたつもりでも,
「〜でいいということですか?」と質問していて,
それも萬夕さんに良いのか悪いのかを聞いていることにすら
気づいていませんでした。
「浸透している」と萬夕さんは書いていましたが,
脳みそを侵略されてます。
「萬夕さんに答えをもらって安心したい」なんて,
「気持ち悪っ!!!」
もう,癖になってしまっています。
たぶん,重症ですが,あきらめず,自分で考えます。
やってみて,そこに違和感や苦しみが湧いてきたら
「これはどうしてだろう?」と観察することをしていきます。
○自分の中にある、『〜すべき』という考えや意識が
たくさんあると認識したのと同時に、
今まで気がつかなかったぐらい無意識に、
相手にもそうすべき、そうするものだと
自分フィルターを通して勝手に思っていて、
それを強要していた自分がいることに気がつきました。
○分離がでるときの傾向は、
心理的、物理的に余裕がないときに発生することが多く、
同じ内容でも心理的、物理的に余裕があるときは
分離にならないこともあることがわかりました。
私の中にある分離の思考だけでなく、
そのときの状況や環境の影響を受けている自分にも気がつきました。
まず口に出して分離の反対側を言うと体に反応が必ずある様に感じました。
体の特定の部位の力が抜ける感じが一番多かったです。
その分離のせいで身体が凝り固まっているのかな?と思いました。
またそれに伴い呼吸がしやすくなったり。
気持ちが楽になったりといった感じがほとんどでした。
日々の日常の中で色々その場その場で感じた分離を
こうしてゆっくり観察することもほぼ無いので、
その出来事が指し示すメッセージというのかな?
を受け取り活かして行けたらと思います。
あと、特にこの宿題に取り掛かってから、
自分の中のマグマだまりの様な怒りの感情を
やたらと気付く様になりました。
私が理不尽な目に合い、怒り狂って復讐してしまい。
暴力でやり返し、場合によっては
人を殺めるくらいのイメージが湧いていること。
社会の理不尽さに対しての怒り。
復讐あるいは解らせる為にはテロのようなことで
解らせてやるみたいなイメージ。
これらは多分私の中で度々出てきていましたが、
さらに気付くようになってきました。
感情消化が必要に感じます。
分離に気付くことは、物事を眺めて見られること、
俯瞰して見られる様になる一歩の様に感じました。
今回の宿題で終わりではなく、時々また自分でやってみます。
また今まで教わったことも生かしつつ、進んで行きます。
宿題をしてみて感じたことは
自分があらかじめ想像できた内容の分離だけではなく、
考えてみればこれは分離だなとか、
今まで気づいていなかった様々なタイプの分離が
いくつも存在しているなということでした。
「過去の痛み」につながっているものが多く、
結構出てきたなと思うのですが、まだ気づけていないもの、
無意識に避けているもの、まだまだあるかなと思います。
私の中でよく発動する代表的「べき」の中の1つに
「人に迷惑をかけるべきではない」があります。
「人に迷惑をかけるべきではない」を細分化してみると
様々なシチュエーションで発動していることに気づきます。
1つ例をあげてみると、駅や電車など公共の場での
人のふるまいについてジャッジしてしまうことがあります。
また、自分では「人に迷惑をかけないように」としている意識が
強いものほど、強く反応してしまうようです。
よくよく考えてみると実際に迷惑をかけていることだけではなく、
もしかしたら迷惑をかけるんじゃないか?
ということでも
先回りし発動している時も結構あるので厄介だなと思いました(笑)
「人に迷惑をかけてもよい」と口に出して感じたことは、
はじめは受け入れる感覚になれなくても、考えてみれば
自分も迷惑をかけながら生きているわけだし、
これからもそうなんだろうと思えば、お互い様なんだな
と考えることができました。
あとは子供時代に親や家族の影響を受けたであろう分離もありました。
子供の頃に親の分離を見て「嫌だな」と思っていたことでも、
いつのまにか「かけら」が擦り込まれていたりするんですね。
分離に気づいた時は悲しかったのですが、
まゆさんが以前おっしゃっていた「究極、誰も悪くないんだよね」
という言葉を思い出し、まず気づけたことが良かったなと思いました。
他にも反対のことを言ってみて寂しい気持ち、
しゅんとした気持ちになったものもありました。
頭では分かったつもりでも、
なかなかすぐに受け入れられないことがあるのだな。と思います。
この宿題によって、たくさんの分離に気づけたことはもちろんですが、
狭い視野での思考や感覚から気づかぬうちに人を傷つけたり、
自分自身を苦しめていることに気付けたと思います。
やってみて良かったなと思いましたし、
宿題ではなくても続けた方がよいことだろうなと思いました。
宿題、全体を眺めて感じたことは、
まあ、随分と色々なことに自動反応しているなぁ、ということです。
自分が書いたものなのに読んでいてゲンナリして
「これって、この人(私)側にも問題があるのでは?」
と、思えてきます。笑
こうやって自分が書いたものを眺めている時は、
ある程度距離を置いて眺められますが、コトが起きた時には
自動反応している自分と一体化しています。
ある人曰く「自動反応している自分は本当の自分じゃない」そうですが、
まだ私には、この自動反応している自分=自分、のように感じています。
だけど、自分の人格や存在を軽んじられたり、
否定されてように感じる時に特に反応するのは、まさに
私自身が自分の存在を軽んじていたり、否定していたりするからなんだ、
ということが、頭だけではなく分かってきました。
被害者役をやっている限り、何も変わらない、ということも。
まずは「他者に言いたくなることは、自分ごとと捉える」を
クセづけしようと思います。
やってみて気づいたことは
対象が他者であった場合
例えば順番を守らない人に順番を抜かされたとか
他者に対しての違和感に共通するものは
~すべきなのに、という自分の価値観や規範意識から
はみ出たもの対して発生するものという共通項がありました
その価値観を崩して、~でなくてもいいと考えると
なぜか開放感がありました。その反面、自分の軸がなくなったような
不安感もあるような。
対象が自分であった場合
別の選択肢や可能性を考えると、それはいわゆる酸っぱいぶどうでは
ないかと思ってしまうのです。他のもので自分を納得させているような
感じ。すっきりしません。やっぱりもともとの希望が叶う形でないと
それはどうしても第二志望の進学先になってしまった時の気持ち。
だからといって、第二志望へ進学したその先にさらに嬉しいことが
待っているかもしれないという可能性は否定しないのですが。
でもその場合は、第一希望だったらもっと楽しかったかもしれないと
思ってしまうかもしれません。
21個中9個が怖い、8個がむかつく怒り、恥ずかしい2、
負けたくない1、さみしい1でした。
宿題出て最初の頃は、「怖い」という感情ばかりでした。
イラっとすることや気持ちが「もぞ」っとする事で湧いてくる感情が
そればかりなので、「・・・・?これであってるかな?
宿題ちゃんとできているかな?まゆさんに確認したほうがいいかな」
と思ってしまいました・・・。
多分、怖いにも色々あると思うのですが、
他人の目が怖い、とか他人にどう見られるかが怖いということのようです。
恥ずかしいも負けたくないも同じようなところにつながるのかな、、、
と思えます。
あと、損することが怖いみたいです。
効率的に動かないとという意識がとても強いです。
例えば、人より早く行動しないと、とか。人に負けたくないみたいです。
効率を重んじることは
以前していた仕事ではとても役に立ったのですが・・・・。
損したくない、という気持ちも結構強いです。
後半は旅行に主人と行ってたせいもあり、
怒りを感じることがとても多かったです。
ある主人の発言にムカッというか、
「いちいちそんなこと言わなくたっていいだろうが」と思うことが
度々あったんですけれども、きっとそれは
私の何かを映し出しているのだと思いました。
具体的に書いてしまうと、例えば、車で移動中、突然渋滞にはまった時、
「なんでこんなに混んでんだろうなー」とか、
「あの車がのろいからだ!」とかいうわけです(主人が)。
それはただの発言なのに、私はまるで自分が怒られたように感じて、
どよーんとします。
別に自分に向けられた非難ではないとは思えているのですが、
もぞもぞしてしまい、それ以上話をする気になれず
眉間にシワを寄せて黙ります。
そして心の中で
「混んでるもん運んでんだからいちいちいうな」と叫ぶのです。
かつ「いちいちそんなこと言うあなたは悪い」とさえ思っているのです。
でも、私自身も同じように「なんで混んでるのか」とか
「あの人遅い」とか思ったりします。
事実、自分が運転していると、
「早くいけ、のろま」とか「あー、信号にかかっちゃったー、
あの車がさっさと行けば・・・」と言っているのです・・・・
これは私に自分の行動に気づいてね、と教えてくれるために、
主人にそれが投影?されているのだろうと思ったのですが、あってますか?
しかしながら、不思議なのは、こういう渋滞のシチュエーションで、
他人と一緒でその人が同じことを言ったとしても全然平気で、
「そうだねー」と普通に言えること・・。
これは家族というものに何かあるのか・・・?
あと、私に注意を向けて欲しい傾向があるようです。
それは前にも思った(気づいた)ことがありますが、
私的には手放したいと思っているのですが、まだありました。
主人はさっさと先に歩いて行く傾向があるのですが、
私はどうにもそれには慣れられないようです。
「二人で買い物にきてるんだから、普通同じペースで歩くよね」
と思いながら、先に行く主人の背中を見つつ、
若干わざと歩みを遅くしたりする時もあったりして・・・。
一般的には友達や家族と歩く時って並んで歩き、
バスガイドさんと客のようにガイドさんが先に行って、
客がその後ろをついて行く、とはならないですよね、
という観念があるようです。
別に一人で歩いててもいいってことはわかってはいるんですが・・・。
この時は「さみしい」です。
でもまず最初に出てきたのは、
なんで私を置いて行くのだ、という怒りです。
損得に関する出来事についての発言にもいらっときましたが、
これもやっぱり私の考えと重なる部分があり、
自分にイラっとしているのですよね。
怖さや不安が大きいな・・・としみじみ思いました。
こうやって書き出してみると整理できてよくわかるものですね。