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2013/06/05

私のボトル体験記

私は20本以上のイクイリブリアムボトルを使ってきましたが、
面白いシンクロニシティも体験したことがある、と書きました。
今回は、そのことについて詳しく書いてみますね。
長くなりますので、興味のある方だけ、どうぞ。(笑)

さて、そのボトルは、0番のスピリチュアル・レスキュー。
ロイヤルブルー/ディープマゼンダのボトルで、その名のとおり、
スピリチュアルな側面をレスキューするボトルでもあります。

私の場合、まさにゼロ。
ゼロ地点、つまり原点に戻される感じがしたんです。

このボトルを体に塗込んでいた時期、
びっくりの原点回帰な出来事が相次ぎました。
2009年のことです。

まず2月。
解散してから17年ぶりだったか、
バービーボーイズが復活ライブツアーを行いました。

超個人的な話になりますが、私は中3の時からハマり、
ライブが楽しくて、出待ちもちょくちょくしてまして。
その時にスタッフパスを付けたスタッフさんが出入りしているのを見て、
「私もいつかあのパスを付ける側の人間になってやる!」
と自分に誓ったんですよね。
なんて不純な動機。(笑)

でもこの時の強い思いが、
その後の人生を動かしていくことになります。
まさに私にとっての原点。

で、高校時代には「音楽雑誌の編集がしたい!」と思い、
でもどうしたらなれるのか分からなくて、
「○○になるにはガイド」みたいなのをたまたま読んだら、若さ故、
「4年制大学を卒業して出版社に入る」とか書いてあるのを
鵜呑みにしちゃったんですね。

結果、短大から四大に進路を変更し、しかも母に言ったら
「四大に行くならお金かかるから、国立か、
私立に行くなら推薦で行ってね。」と言われたもので猛勉強。

そもそも当時通っていた高校が、
受かるはずがなかったのに受かっちゃったもので、
もったいなくてつい行ってしまったような偏差値70以上の高校でして、
最初の試験の結果は250人くらいの生徒の中で200番代な有様だったんです。

推薦とろうと思ったら、10番以内に入らないと難しいですからね、
ここからのスタートで、とにかく人生で一番勉強しました。(笑) 

塾にも通わず、我ながら見事、高3の秋には10番以内に入りましたよ。
で、無事、私立の大学に推薦で入りました。

私の人生にとって、バービーボーイズの影響がいかに大きかったか、
ご理解いただけたでしょうか?(笑)

白くとんでおりますが、RSRライブ中に
がんばって撮ったバービーです。(笑)

この辺の熱い思いは、2007年に
mixiで見つけたギタリストのイマサに直接メールして伝えましたけどね。
しかも即返事がもらえて、その時の興奮たらなかったです。

そしたら2008年には「SMAP×SMAP」で一夜限りの復活があり、
夏にはもともと私が行く予定にしていた北海道のライブフェス
RSRにも登場。ラッキーすぎ。

高校時代の思いに始まり、レコード会社でも仕事して、
数えきれないほどのライブにパスを付けて入った自分を思い返し、
一層感慨深い気持ちになりました。

その流れでの今回のライブツアー。
私の中では、あの頃の自分に
「あなたはちゃんと自分の願い、実現させるからね〜!」
と伝える時間でもありました。

続いて3月。
私は大学4年生の時、
某ラジオ局の深夜番組でバイトをしていたんですが、
その時のディレクターと15年ぶりくらいに再会。
しかも歩いて5分くらいのご近所さんであることも発覚。
当時は想像できなかったんですが、実はスピリチュアルな人で、
セドナに行った時の体験も聞くことができ、
「神との対話」という本も勧められました。


新装版 神との対話 1 (サンマーク文庫 に 1-10)
尊敬する某有名アートディレクターが
「これを読んで、今まで疑問に思ってたことが全部、分かったんだよねぇ…」
と言うのを聞いて、「読んでみたいけど、今じゃないな。」と思って
読まずにとっておいた本でした。

このタイミングでまた出て来たということは、
「今読みなさい」ってことだな、と思い、すぐに読みましたよ。

確かにいろいろ、その時だったからこそ、腑に落ちました。
これを機に読書熱に火がつき、その手の本も随分読むようになります。


つじあやのちゃんとオアフ島&ハワイ島にも行きました。
健康診断の結果が軽い胃炎、
で、数ヶ月前に大腸ポリープもやったばかりだったので、
ちょっと限界を感じて、
「ストレス解消してくる!」と割と急に、会社を休んで。

オアフでは、元WINOのボーカルの吉村潤くんとも会いました。
前年にメンバー皆と再会したばかりだったので
1年ぶりくらいなレベルではありましたが。
WINOとのご縁については先日のブログで書いた通りですが、
今、彼はワイキキでアートショップを経営しているのです。
「ハワイにも来てよ」とずっと言われていたんですが、
やっと約束が果たせました。
そして彼のお店に私の会社の商品を置いてもらうことにもなり…
昔と今が、どんどん交錯してゆきます。

4月。
当時一緒に会社をやっていた佐藤武司君が、
出張先のラスベガスから連絡してきました。
細かい理由はここでは省きますが、
私の昔の上司で評論家の、室伏哲郎さんに会いたいから
段取ってほしいとのこと。

私はこの頃、「編集長(室伏さんのこと)、元気かなぁ。
もういい年にもなってるだろうし、この辺で久しぶりに会いたいなぁ。
でも特に用があるわけでもないしなぁ。」とちょうど思っていたので、
この申し出にはすぐに便乗。

室伏さんは、政治経済から美術まで幅広い分野の著作を
100冊以上残している人で、アート雑誌の編集長でもありました。
また、「サンデー毎日」に「パチンコ放浪記」という連載も持っていて、
その担当でもあった私は、毎週いろんな著名人の方をブッキングして、
パチンコ対戦後に対談をする、その場を常に共にすることになり、
かわいがってもらったんです。

池田満寿夫さん夫妻とも仲良しで、ある時いきなり
「放浪記っていうタイトルなんだから、たまには東京を出ないとな」
と言い出し、満寿夫さんの熱海のお宅まで伺ったこともありました。

「ヒロちゃん」「てっちゃん」と呼び合う仲のヒロ・ヤマガタさんの時は、
帝国ホテルのスイートに伺うという、人生でこの先もなさそうな(笑)
機会に恵まれたことも。

ジュディ・オングさんの時は、
その横にいたマネージャーさんを見てびっくり!
なんと私の中学の同級生ではないですか!
彼女は分かっていて、面白いからわざと黙っていたらしく、
驚く私をニヤニヤしながら見てましたけどね。

ちなみに彼女は後にジュディさんのバンマスと結婚し、退社。
結婚式はコンサートのようでしたよ。
その8年後かな、私は私で偶然にもジュディさんのCDジャケットと
PVを担当することになるという…
なんでしょうね、これもご縁ですね。


話がそれましたが、そんな室伏さんと、5月も終わる頃、
10年ぶりくらいに再会。一緒にご飯を食べました。

そして、これが編集長との最期になりました。

10月に突然、亡くなったのです。
急性肺炎だったそうです。
あの時会えていなかったら、すごく後悔したでしょう。
本当に、会えてよかった、と心から思いました。


場所との再会もありました。
小学5、6年の夏休み、父の会社の山荘があったので、
家族で戸隠に旅行したんですが、まさにその時ぶりに、
家族で戸隠旅行に行ったのです。

あの頃はもちろんまだ、パワースポットなんて言葉もありませんでした。
でも、箱根にしても戸隠にしても、龍神さんに縁のある場所には、
何も意識していなかった小さい頃から、偶然にも連れて行かれていました。
不思議なものです。
奥社にも行って、久しぶりに九頭龍さんにもご挨拶してきましたよ。

そうそう、大学時代の仲良かった男友達とも、
「地元に帰って就職することにした」と言うので、
彼の飲み仲間による送別会に途中参加するかたちで、
久しぶりに会ったんですよね。

で、「ここでよくコイツらと飲むんだよ」と連れて行かれたのが、
代々木上原のとある居酒屋。

そこにはなんと、
以前同じ事務所を間借りしていたデザイナーさんがいるではないですか!

「え?!なに、そこ、知り合い?!」と二人に言われ、
3人して「世の中狭いよね〜!」と驚いたという… 

そんなシンクロもありました。


6月。
出張でニューヨークへ。
修道院ヒプノ」にも書きましたが、
そこで6年ぶりに再会したのが、前世での繋がりも深い、
ソウルメイトだと後に発覚する、ジンちゃんです。(笑)

帰国後。
そもそもバービーを好きになったキッカケというのが、
中3の時に好きだった男の子が好きだったから、という、
これまたありがちな、不純な、否、ピュアな動機だった訳なんですが、
その子とも再会して、なおかつ中学の同級生だった伊坂幸太郎原作の
映画「重力ピエロ」を見に行く、という摩訶不思議二重奏も体験。

あと、何月だったか忘れましたが、
とある駅のホームで電車を待っていた時のこと。

ふと、本当にふと、後ろを振り返ったんですね。
そしたら、右手からツカツカと歩いてきた女性と目が合ったんです。
「…!!!」
二人して目が漫画のようにどんどん大きくなりました。

私が大学を卒業して最初に就職した
某英会話学校のマネージャーだったのです!
(結局、出版社には受からず、
英語関係の出版部ができるということで、入社しました)

「編集の仕事をするには遠回りすぎる」と思って
1年もたたずに辞めたんですが、彼女とはそれ以来だったので、
15年ぶりくらいでしょうか。

「ねぇ、なんで今、後ろを振り返ったの??!」と聞かれましたが、
自分でも分かりません。

振り返ってなかったら、こんなに近くですれ違っても、
気づかないままで終わってたんだよなぁ…
人生、そういうこと、いっぱいあるんだろうなぁ…と、
しみじみ思いました。

というわけで、
この時の私に、どれだけ原点回帰な出来事が畳み掛けて起こったか、
お分かりいただけたでしょうか?(笑)

他にもあるんですが、この辺にしておきます。


中学、高校、大学、
最初の就職先、2番目の就職先、3番目の就職先…
全ての場所から再会の波がやってくるなんてこと、あるんですねぇ。
結果、あの時はこんな気持ちだったなぁと、
なにかにつけて初心を思い出させられました。


ちょっと、私の仕事の時系列が分かりにくいかもしれませんが、
順番としては、
英会話学校→室伏さんの事務所でアート雑誌の編集→レコード会社
→カメラマンとかのマネージメント→佐藤君との制作会社です。

お客さんに、
どういう流れで今の仕事を始めたのか?もよく聞かれるので、
あまり個人的なことを書きすぎるのもどうなんだろうと思っていましたが、
こんなに興味を持っていただけるならそのうち書こうかな、と思ってます。


これらのシンクロが0番ボトルを使ったから起こったのか、
そういうタイミングだったから0番ボトルを使いたいと思ったのか、
正直どちらかは分かりません。
どっちもなんでしょう。


でも、なんというか… 人生って面白い。
つくづく、面白い。

いつにも増してそう思った一年でした。

原点回帰なだけに、
なにやら私の半世紀、みたいなブログになってしまいましたが、
笑い飛ばしていただけましたら幸いです。