カウアイ&マウイ島リトリートと禅の旅に
参加してくれたお客さんに誘っていただきまして、
(ありがとうございます♡)
大森俊之さんの、サラウンド環境での音色や響きを追究した
ソロプロジェクト・Spaciousのコンサートを見に行ってきました。
朝早い禅の旅の前日の夜ではありましたが、
うちのすぐ近所だったのと(→ここ、ポイント!笑)、
とっても素敵そうだったので。^ ^
それに、
私も音楽業界との関わりが長いのでなんとなく分かるのですが、
たぶんこれだけのミュージシャンが一堂に会する機会は
あんまりないんじゃないかなぁ…と感じ、
見れる時に見ておきたいな!と思ったのでした。
私、一番多い時期は週2、3回はライブに行ってましたが、
さすがに今では月1回くらいになり、、、^ ^;
でもやっぱり音楽のある空間が好きなので、
行くと豊かな気持ちになりますね。
その中で、詩がとても印象に残った一曲があったのですが、
誰が書いたのかなぁ、、と思って聞いていたら
金子みすゞさんの詩でした。
蜂と神さま
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町の中に、
町は日本の中に、
日本は世界の中に、
世界は神さまの中に。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。
降りてきていた言葉が
「循環」「還元」だったんですが、
その、巡り巡って全体として在る感覚、
内側も外側もない感覚、
その感覚が、
見事に、シンプルに、表現されてる!!
って、感動しました。
宇宙も、神さまも、
外側にあるようでいて、
内側に、あるのよねぇ。。
最後に、外側と内側がひっくり返って
反転する感じがね、
何気ないのだけれど、深いなぁって。
メビウスの輪、みたいじゃないですか。
マスターKan.さんのメッセージも、思い出しました。
いくら時をさかのぼらせても始まりには行きつかない。
どこまでいってもそれは時間の中だから。
どんなに未来に想いを馳せても本質的な変化はない。
それはやはり時間の中だから。
地球の外を宇宙だと思い込んではいないか。
いくら地球の外に途方も無い距離進んだとしても
自分という認識が同じままならば、
そこは地球にすぎない。
時間も空間も創られたのだ。
始まりとは時間に属さない。
中心も空間には属さない。
今という言葉で指し示したいものは時空には属さない。
時間と空間がゼロから1になったポイントから同時に未来と過去が発生した。
この文が書かれるのも同じことだ。
未来と過去が同時に紐解かれていく現象なのだ。
ここまでは、語られてきた。
そして、
創られた時間と空間から、創られたものに属することなく、
進化していく可能性が始まったし同時に完結した。
全ては幻想だ。
時空の原理のもとに起る現象は幻想である。
そのカラクリが生まれ続けるゼロポイント以外は。
時空に属しているものでは現すことのできないハートの次元以外は。
(崑崙寺院より抜粋)
ものすごく、示唆に富んだメッセージ。
伝え方は違うけど、同じことだと、思うのです。
金子みすゞさんの詩といえば、
震災時に通常のCMが自粛されて、
ずっと流れていたACのCMで使われていた
「こだまでしょうか」なら、
皆さん聞いたことがあるのではないでしょうか。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
UAが読んでいましたね。
くしくも、私はこの翌年、沖縄に移住したUAを訪ねておりますが。
この詩も、シンプルながら
とっても深い。。
他者は鏡だって、言いますよね。
この世界は、自分の内側が外側に投影された世界。。
自分が自分をホントに認めたら、
他者からも認められ、
自分が自分をホントに愛したら、
他者からも愛され、
自分が自分を否定していれば、
他者からも否定され、
自分が自分をホントに受け入れたら、
他者からも受け入れられ、、、
わたし(主体)とあなた(客体)の在り方が、
その境界線の溶け方(主体と客体の一致)が、
なんてさりげなく描かれているのだろう、、
って思いました。
もちろん、詩の受け取り方は人それぞれでよくって。
どんな風に受け取ってもいいからこそ、面白いっていうかね、
器の広い表現形態だな〜って、改めて思い、
奥深さに感じ入った次第です。。
秋、ですね。(笑)
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