2017年モニュメントバレーにて |
RAS認定ファシリテーター養成講座
及び解放コース39セッションの中に
「被害者(加害者)意識の解放」というのがあります。
被害者っていうのは、「○○のせいで」と
人や環境のせいにする立ち位置。
加害者っていうのは「私のせいで」と
自分を責める立ち位置。
被害者・加害者っていうのは、陰と陽でセットですから、
どっちかだけでは成立しません。
被害者がいれば、加害者がいるし、
加害者がいれば、被害者がいます。
なので、セットで解放していくんですね。
以前、RAS代表の松坂さんがFBに投稿していた文章が
分かりやすいと思いましたので、許可をいただき、
ここに転載させていただきます。
人のせいにしていると、なぜなかなか変われないのか?
自分を自分で幸せにする覚悟、責任って、どういうことなのか?
その辺をクリアにしたい方は、
読んでみてください。^ ^
〜・〜・〜・〜・〜・〜
被害者意識がある時は、自己回復を選んでいない時です。
例えば、~に見捨てられた(と感じる出来事)が
内側で動いたとしましょう。
そのターゲットは、見捨てた人。
そこで、見捨てた人を変えようとか、
自分の納得の領域に向かわせようと
コントロールしたり、闘ったりする場合もあります。
「自己回復を放棄した上で」
自分の傷の手当てになるように相手を持っていってしまいます。
時には、道理・倫理・人間性という社会に通用している
と思われる王道(と信じ込んでいる)ツールを使ってさえも。
見捨てられたと感じる出来事が起こったら、
それは、
「自分で自分の大切な部分を見捨てていること」の
証明になるんです(笑)
内側の状態が外側の現実になりますので。
内側(心の状態)が先、外側(起こる現実)が後です。
★これが逆になることは「絶対に」ありません。
鏡の中の自分が先に笑うことは「絶対に」ありません。
ですから、
「~が嫌なことしてくるから!」
「~さえいなければ!」
で、外側に責任を求めている時は、
内側の自分を大事にするという責任を放棄している時です。
◆自分の個性と違うことしている
→自分の個性にとって嫌なことを自分で自分に強いている時、
外側の現実で、嫌なことをしてくる人が現れます(笑)
◆~さえいなければ
→自分なんてもうどうでいい、自分さえいなければ、、、
いなくなってしまえ!
※自分さえいなければ!は「自分は社会や人に多大な影響力を持っている」という前提を含んでいるので、 「自分さえいなければ」=「僕は社会や人にたくさんの影響力を与えられるすごい人なんだ!」といってるようなもんです(笑)
※この前提がなければ、そう思う間もなく「今すでに」
この世にいないのですから。
閑話休題
「見捨てられる」に話を戻しますと、
そこに怖れがあるので
見捨てられないようにに努力しちゃいます。
身を削ってでも相手の役に立っている間は
見捨てらないだろうと。
つまり、自分の個性をさらに大事にしていない状態です。
そこでサインはやってきます。
つまり、見捨てられます(笑)
もう身を削るのやめましょうよ!
そして、見捨てられたという痛みと信じ込んでいるものを
見ていきましょうよ。
相手を傷の手当てに使ってはいけませんよ!
というサイン。
そのサインを見逃すと
見捨てた人との間に闘いのゴングが鳴り響いたりします(笑)
「あの時!あ~いってくれたのは嘘だったの!裏切者! 時間を返して!」
→自分で自分のことを裏切っているに過ぎないのですが(笑)
「私はあなたのことを一生懸命考えて尽くしてきたのに!」
→私が欲しい何らかの利益(見捨てられないetc)と交換するために、身を削ってきたのに!あなたがくれたものより身を削った割合が大きいのでその分をどうにかしなさいよ!
自分の痛みの手当に相手を使い、
自分の痛みで身を削っておきながら、
その身を削った分までの補償をお相手に?(笑)
とことん、自己放棄の上の他人のせい(笑)
あきまへん!(笑)
まずは自分を大事にするという責任を引き受けることから
始めることが大切なのです。
自分を幸せにする責任は他人にはない。
自分にあるのですから。
お互いの道の違い、個性の違いを尊重していれば
例え別れが起こったとしても
相手を傷つける行動はそこには生じえないのですから。
自分にも魂があるように、相手にも魂があるのです。
そして、
そこには尊重する必要がある
「自分が気にいらない相手の体験」(笑)
があるだけなのですから。
「傷つくならばそれは愛ではない」byチャック・スペザーノ
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