だいたいみんな最初は、
自分のやりたいことをやれることが自由だ!って、
思うんですよね。
私もそうでした。😂
で、もちろん全部ではないですけど、
仕事でもプライベートでも、
かなり、やりたいことはやってきました。
そうするうちに、途中で気づいたんですね。
真の自由って、
自我から自由になること以外に、ないぞ、
ってことに。
誰かから、何かから、自由になること、
ではなく。
自分から自由になるしか、ない。
内側=外側、ですからね。☺️
自我のやりたいことをやり続けている限り、
自我を満足させることにエネルギーを注ぎ続けている限り、
自我の言いなりですから、
自我から自由になれるはずもない。
これは、自我トラップを見抜かないといけないぞ、、と。
やりたいことをやることが自由だと思ってたら、
いつまでも真の意味では自由になれないという・・・😂
この、パラドックスな自我トラップに
すでにハマっている自分に、気づいたわけですね。
自我実現から自己実現へ。
とでもいいましょうか。😁
だからね、
「やりたいことがないんです…」って、
それが悪いことかのように言うお客さんも多いですが、
自己否定さえしなければ、実は、
やりたいことがない方が、自我から抜け出すのは早いのでは・・
とも、思うのです。
多くの人が
「やりたいことがあるのはいいことだ」
「やりたいことを持つべきだ」
と思っているせいで、転じて、
「やりたいことがないのはダメなことだ」
「やりたいことを見つけなくては」
と思いがちなので、
どうしても自己否定のもと、になりがち
なのですが・・・
それもね、本質へ還るシナリオのひとつ。
人によって違うだけで、優劣はないです。
良い悪いはないのですが、
私たちは善悪とか、正しい間違ってるとか、
なんでも二極、二元論で考えることに慣れきってしまってるので、
当たり前に受け入れてしまっている観念ほど
疑うってことをしないんですよね〜💦
で、私の場合、
やりたいことが次々出てくるタイプのシナリオだったもので😅
ある程度やり尽くしてから気づく、という流れ
だったわけです。
そして、RASファシリ講座受講をきっかけに始まった
例の感情の大消化祭りとともに、
自我剥がしのプロセスが始まりました。
↑
これ、セットなんですよね。
「〜べき」「〜でなければいけない」といった
観念落とし。(笑)
その観念には、感情が気づかせてくれますから。
しかも、その感情を消化しないと、
そこにこびりついた観念は、なかなか落とせない、っていう。
まさに、セット。なんです。
この感情と思考の1セットを
RASでは「信じ込み」と呼んでいるわけですが。
意識的になってみると、自我が、いかに、常に
「思い通り」にしたがっているかにも
気づくようになりました。
そして「思い通り」にならないと
何かしらの感情が動く。
あぁ…
なんてコントロール欲が強いのでしょうか。😱
これこそ、苦しみのもとではないですか。
「思い通りにしたい」と思うから、苦しいのだから
「思い通りにならなくてもいい」になれば、いいわけですよね。
でもこれね、
思考で無理やり思い込んでも意味がないのです。。
そこに隠れている、未消化の感情を消化しないとね。
「思い通りにならなくてもいい」なんて、いきなり思える人は
そうそういないと思います。
私はそんなこんな、七転八倒中に
ムージのYoutubeも見まくり、
自我と自己(セルフ)の違いの理解も深めていきました。
☆ブログ「何かを変えようという態度を取らないで下さい。
〜ムージの言葉」はこちら。
まさに、「失うのを恐れているもの」=自我 こそが、
「苦しませ続けている」原因、なんですよねぇ。
自我を落としていくには、
「何かを変えようと言う態度を取らない」〜ムージの言葉」はこちら。
まさに、「失うのを恐れているもの」=自我 こそが、
「苦しませ続けている」原因、なんですよねぇ。
自我を落としていくには、
つまり、外側をコントロールしようとしないことって
難しいけど、本当に、大事で。
外側のせいにしない、ということでもあり、
起こることをそのまま受け入れる、ということでもあり。
思い通りにしたがることが悪いわけではないですよ?
何度もいいますが、良い悪いは、ないので。
ただ、個性・本質に還りたければ、
自我との同一化をやめるしかなく、、
そのためには
自我の「思い通りにしたい」欲に振り回されていては無理
ということです。
でも、前にも書きました↓ように
☆「欲があるのにないフリしない。
自我をとことん満たしてあげるのも、ひとつ!」
まずは、とことん自我の欲を満たしてあげるのも、
プロセスとしてはアリだと思いますけどね。😁
なにせ自我は狡猾ですからね〜。
(でも、決して悪者ではないですよ😅)
正当化や言い訳が得意だし。
意識的でいないと、目覚めていないと、
つい同一化、しちゃいます。
よく「自分を信じなさい」と言いますが、
私も自信のない方には言いますが、
あるフェイズに来たら、
それも疑わないといけないんですよね。。
自我を信じきったままで、
自己には還れないから。
・・・あんまり言うと、混乱しますよね。😅
ホントはこれ、
十把一絡げに多数に向けて言うことではなくて
その人のタイミングで、一対一で伝えるべきこと、なのでね。。
私も、自分が体験すべきことを体験していく中で、
だんだん腹落ちしていったことなので、
あんまり頭で考えすぎずに、
みなさんはみなさんの体験を、進めてくださいね。
陥りやすいポイントのひとつは、
先日もブログに書きましたが、
☆「向き合ってるつもりが、自分を責めてしまってませんか?」
自分のことは自分では気づきづらかったりもしますので
他者から客観的に観てもらった方がいいこともあります。
他者を頼ることも、必要。
甘えるのは得意ではない私も、😂
ここぞという時は、ちゃんと頼ります。😊
で、自我からの「やりたいこと」をやった時と
個性・本質からの「やりたいこと」をやった時の
違いですが、
大きいのは、
結果に執着しない、ってことでしょうね。
自我はどうしても、
結果に一喜一憂してしまって、
それが自己価値を上下させることにもなったりしますが、
そういうことがなくなります。
他者にどう思われるかも関係ないですから
行動することへの恐れもありません。
そう、それこそ、自由✨
真の自由=個性・本質から生きること
を望まない魂はいないはずなので、
RASでは
「葛藤は個性・本質と違うことをしてますよ、というサイン」
と言ってますが、
苦しい!と感じている時って、気づくチャンスなんですよ。
中には我慢しすぎて麻痺して、
苦しいとすら感じなくなっている方もいますから…
かくいう私も、自分では自由な人間だと思いきや、
2010年に故・アモラさんからシャスタで
「こんなにグルグル巻きの、きつく縛られたハートは
久しぶりに見たわ」
って言われて
「???!」って、なってますからね〜😂😂😂
意外とね〜、、気づかないものなんですよ。
だから「苦しい」って感じられるのもまた
センサーがちゃんと機能している証拠。
それに気づいたなら、放置しない方がいいです。
いや、しても別にいいのですが、
もっと苦しくなるか、病気になってしまうと思います。
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。