「今は世界が半分になっちゃった」
養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと
僕は「情報化」という言葉をちょっと違う意味で使っています。
その人が現実をどう捉えているかは、
↑っていうインタビューが、面白かったので
シェアしますね。☺️
特に「日々と宇宙の講座」の受講生にシェアしたかったのが
コレ↓😆
要するに、頭の中で暮らすようになったんですね。
すると、意識は身体が気に入らないんですよ。
自分のほうがえらいと思っているのに、必ず身体に復讐されるから。
だって、朝目が覚めるのもひとりでに覚めるのであって、
意識的に覚めてるわけじゃないでしょう。
意識的に覚めようとすると、目覚まし時計をかけないといけない。
意識は自分が出てくることも引っ込むことも
コントロールできないのに、
起きてる間はコントロールしていると思っている、
そこがそもそも間違いなんです。
たとえばコップで水を飲むときも、
意識は飲みたいから飲んだと思っている。
でも脳を測定すると、
手のほうがコップへ向かって先に動き出して、
0.5秒くらい経ってから
「水が飲みたい」という意識が発生しているんです。
だからさっき「理屈はあと追い」と言いましたが、
根本的にそうなんですよ。
でも意識が動かしていると思ったほうが有効に動けるので、
誤解しているだけで。
それが文明化であり進歩だと言っているんですね。
ここで言う「意識」は、
「日々と宇宙の講座」では「思考」であり「自我意識」と
説明しているもののこと ですね。
「自我意識」は「私」がやってる、DOしてる、
って信じ込んでいますが、
実は「身体」の方が先に動いてますよ〜!っていう。😆
これ、つまり、どういうことか、わかります?
私たちは、自分が思考して、
「こう動こう」と思ったから「こう動いた」と
信じ込んでるけども、実はそうじゃないですよ〜、
ってことです。😂
「こう動こう」と思うより0.5秒先にすでに
身体が動いてますよ〜、と。
てことは、ですよ。
よく、私たちは、
「あの時ああしていれば」って後悔したり、、
「あの人さえあんなことしなければ」と責めたり、、
過去の出来事についてあれこれ
考え込んで、悩んで、縛られて、苦しんで、、、
いるわけですが、
「ただ、それは起きただけ」
ってことに、、
なるわけです。
そうなってくると、
自分を責めることも、他者を責めることも
必要ない、、、ってことに、
なります。
同時に、「私のおかげ」とか
「私が成し遂げた〜!」みたいなのも
違うってことになってきますが、、、😂
RASでよく言う「体験してるだけ」っていうのも、
真の意味で、そうなんです。
私たちは、体験することしかできない。というか。
・・・って話をすると、自我意識はまた
「じゃあ、これはどうなの?」
「あれはどう説明するの?」
って、質問祭りになるかと思いますが、、、😂
この手の「なぜ」にはきりがありません。
このことについて、「日々と宇宙の講座」の受講生には
以前、フォローアップでも説明しましたよね。☺️
OSHOも言っています。
「まず第一に理解すべきことは
『なぜ』を落とすということだ」と。
「あなたの質問がストップしたとき
<解答>は来る」と。
そのフェイズの話を、しています。☺️
スピリチュアルどうこう、じゃなくて、
養老先生が言ってることなら、
きっと耳を傾ける人も、信じる人も、
いっぱいいるでしょう?😁
なので、受講生じゃない人でも、
これを読んで、当たり前だと思い込んできたことを
疑ってみていただくのも、いいんじゃないかな〜、と
思いました。
「身体が先に動いてるってどういうこと?!」
って、改めて自分を観察してみたり、ね❣️
当たり前を疑う、ってことでいうと
コレ↓も深いですよ〜。😁
子どもの質問で、「唾は口にあるときには汚くないのに、
口の外に出るとどうして汚いの」っていうのがあったんですよ。
これは、自分の身体をえこひいきしているわけですよね。
だから一旦外にでると、えこひいきの分だけマイナスがつくんです。
それが水洗トイレの根本の動機だろうと。
だってお腹の中に抱えている分には、
誰も汚いって言わないじゃないですか。
でも外に出すと耐えられないって言うわけ。
そういう身体性っていうのはかなり深いところに入っているから、
子どもの頃から慣らさないと難しいですね。
ここで養老先生が伝えようとしてることとはズレますけど、
この子の質問は、「どこからどこまでが『私』なのか?」って
問いにも、通じますよね。
凝り固まった既存の概念に汚されてない、
子供って、やっぱり、すごい🌟
私たちはよく、「私」を示す時
「私」の「身体」を指しますが、、
唾もウンチも、「私」の「身体」の中にある時は
「私」として在るわけですよね。
でも、「身体」の外に出てしまったら、
それは「私」とは呼びませんよね。。
逆に、カップに入ったコーヒーがあって、
それを飲んだら、=「身体」の中に入ったら、
そのコーヒーはもう「私」なんですかね?
どこまでがコーヒーで、
どこまでが私・・・?
・・・頭、おかしくなってくるでしょう?😂
ただ、それくらい、
「私」「私」っていっても、
実はすごく曖昧なものですよ〜・・、ってことです。
覚者の皆さんは
「実体がない」って、言いますよね。☺️
この辺も↓面白かったなぁ…
僕は「情報化」という言葉をちょっと違う意味で使っています。
僕の言う「情報化」は、
五感から入ってきたものを情報に変えて人に伝える、
ということです。
たとえば自分の目で見たものを、
文章として表現することなんかそうですね。
今みなさんがやっているのは「情報処理」なんですよ。
今みなさんがやっているのは「情報処理」なんですよ。
すでに情報になったものをどう扱うか、ということをしている。
その人が現実をどう捉えているかは、
自分がどういうことに時間をとっているか
に影響されると思いますよ。
脳が浸っている時間が長いものほど現実化するんです。
だから、テレビばかり観ている人はテレビが現実になるし、
お金ばかり扱っている人はお金が現実になる。
そのことばかり考えていると、現実もそうなるんですね。
現実が、自分の脳みその大きさまで縮小してしまうんです。
スピリチュアルで言われることと、さして変わらない…
そう。そのことばかり考えていると、現実もそうなりがち。
思考だけでは現実化しませんが、、
過去の痛み(感情)がもとになってできた思考パターンが
そればかり考えさせる、って場合がほとんどなので、
感情+思考=現実 になるわけですよね。
同じことでも、誰が言うか、
どういう言葉で表現されるか、で、
伝わる伝わらない、受け入れられる受け入れられない、って
人によってあると思うので、
「面白そう!」って思った方はぜひ
全文、読んでみてくださいね❣️
↓
私はリトリートを主催したりとかもして、
月に1週間くらいは、
自然の中で過ごす時間🌿を作るようにしてますが
「五感から自然を入れること、やっぱり必要だよね〜」
って、ますます、思いました。☺️