天龍寺の禅道場の前で |
初めて禅を体験してきました〜!
以前、代々木のヨガスタジオで毎朝坐禅のクラスをやっていたお坊さんがいて、そのうち参加してみたいなぁ…と思ってブックマークしていたんですが、何となく思い出してそのページを見てみたら、「現在休講中です」の文字。「あら」と思ってリンク先の「雲水喫茶」を覗いてみたら、今はベルリン在住とあるではないですか。実は私、来年早々にベルリンに出張する予定がありまして、そこにも何やらご縁を感じてしまい。そしたら「禅の旅」の参加者募集を見つけ… 読めば開催は3日後とあるではないですか。予定もちょうど空いており、なんだかワクワクしてきてしまったので「これは行くべし、だな」と参加を即決した次第。最後の1席ということで、ギリギリの滑り込み。(笑)
そんなわけで、雲水の星覚さんが運転する「禅ワゴン」に乗り込み参加した、濃厚な1泊2日の「禅の旅」。レポートしちゃいます♪
私は特定の宗教には属していませんし、今後も属することはないと思いますが、信仰心は持っています。でもって、仏教でも神道でもイスラム教でもキリスト教でもヒンドゥー教でも、全般的にその思想や哲学、歴史、美術といったことにはとても興味があるんですよね。「ダライ・ラマと利根川進博士」でも書きましたが、ダライ・ラマの「仏教は意識の科学だ」という表現には私も賛成で、そういう意味でも、禅は是非体験してみたかったんです。
特に「禅zen」という言葉は海外でもよく目にしますし語られます。それもあって前々から、日本人として禅を知らないのはいかがなものか、というのもありましたし、なぜ海外の人をこんなにも引きつけるのか、という理由も知りたいと思っていました。もともと「百聞は一見にしかず」主義なので、興味のあることは実際に体験して自ら感じたいのです。
一日目は、朝6時に渋谷集合。
3連休初日とあって渋滞もありつつ、福井までドライブすること9時間ほど。長いようですが、初対面とはいえ、それぞれに話題豊富な皆さん(星覚さん含めて計9名)とマイクをまわしながらお話していくと、結構あっという間でした。なかなかないです、こんな充実した面白い道程。マイクを使うっていうのがポイントですね。ちなみに皆さん、お一人での参加でしたよ☆
15時過ぎ頃、無事に永平寺に到着。
永平寺は、770年ほど前に道元禅師によって開創された日本曹洞宗の第一道場。大晦日の「ゆく年くる年」で聞く除夜の鐘でもおなじみの、あのお寺です。
着くなり早速愛宕山を20分ほど登りました。先月、「森の遠足」で三峯山を3時間登山したのに比べたら楽々。とはいえ、ぜぇぜぇはするし、筋肉痛にもなりましたけどね〜。
さすが星覚さんは慣れたもので、すたすたと先頭を行きます。私は二番手。雨上がりだったのもあって、木々や苔の濃い緑がとっても綺麗でした。
愛宕観音堂のある山頂からは、永平寺の本堂が↑こんなふうによく見えます。吹き抜ける風も気持ちよく、「森の遠足」をしたくなる、弥衣さんに歌ってもらいたくなる場所でした。残念ながら、紅葉はまだでしたけどね〜。
17時前には、永平寺から車で15分ほどの天龍寺(永平寺の末寺)に到着。ここに1泊させていただきます。
私が代表させていただき、写真の↑木の板を思い切り3度叩いて「たのもう」の合図を送ると、副住職が出て来てくれました。荷物を置いてまず、翌朝に備えて「応量器展鉢(おうりょうきてんぱつ)」の食事作法について説明を伺ったのですが、これが思っていた以上に複雑。一度で覚えるなんてとても無理、と私は早々に諦めモード。。
どんなものか知りたい方は、↓こちらの映像をどうぞ。ちょっと略式ですが。
私が朝食で体験したものは、左からお粥、たくあん、ごま塩、そしてもうひとつのお皿に昆布とおから、でした。作法もさらに細かかったのでこの映像とはちょっと違いますが、全体の流れはご理解いただけるんじゃないでしょうか。しかしYoutubeで検索してみるだけでも、禅に対する外国人の方々の興味の高さを垣間見ることができますね。
さて応量器というのは禅僧が食事の際に使う漆器のことで、匙、箸と一緒に一枚の布に包まれています。鉢を展げて食事を頂くので「展鉢」と呼ぶのだそう。食事の後、鉢にお茶を注いで洗い、そのお茶も全て頂く、というのも特徴で、食事が終わる際には洗い物も片付けも終わっている、という。所作の美しさもさることながら、かなり合理的。禅僧が行脚中に外でも食事ができるようにデザインされているだけあります。
「悟りとは頭で理解するものではなく、日々の生活や行動そのもの」という道元禅師の教えの通り、禅は説法よりもスタイルで伝えるんですねぇ。言葉を介さないから、外国人にも理解しやすい。星覚さんとお話ししていて、海外の人に愛される理由も見えてきました。
その後、各自その応量器セットを持って坐禅道場へ。
自分が坐禅する座布団の前に、ひっかける所がありまして、そこにかけるように言われました。写真の奥にぶら下がってるそれが、見えますか?(笑)ちょっと面白い光景ですが、これも合理的なデザインの一部なのでしょうね。
そして今度は坐禅の作法の説明を受け、ここで一回目の坐禅。大体、一回40分ほど。私は坐禅も何気に初めてなので、やっぱりあの「パーン!」と叩く音に最初はビクッと反応してしまいましたが、実際は痛いというより気持ちいいのだそうです(もちろん、下手な人に叩かれると痛いこともあるそうですが)。後から聞いたので、今回は叩かれる経験はできませんでしたが、叩いて欲しければ合掌して催促すればいいそうで。また機会があった時には、あえて叩かれてみたいと思いまーす。(笑)
さて、この日の夕食はカレーライスでした。
基本的に食事中に話すのは厳禁。皆で一緒に食べ終わらなくてはいけないため、早過ぎても遅過ぎてもだめで、まわりを気遣いながら食事に集中することになります。なので、静かな中に何とも言えない緊張感が漂いまくり。(笑)
そしてここでは応量器は使いませんでしたが、禅の作法に則り、最後に福神漬けを1枚残すよう言われました。食べ終わったお皿にお茶を注ぎ、1枚のたくあんできれいに洗っていくんです。無論、洗った汁は飲み干さなければいけません。
つまり、薄いカレー水…。 初めて飲んだかも…。
これに抵抗のある人には、かなりの修行になるかもしれません。ご覚悟あれ。
食後はもちろん皆で食器洗い。
そして19時から二回目の坐禅。
天龍寺では毎週土曜日に参禅会を開催しているので、この坐禅には、京都などから日帰りで参加されている方もいらっしゃいました。三連休のせいか近くでカラオケ大会があったようで、いかにもローカルな歌声に、若干笑いをこらえながらの座禅… 貴重な体験でした。しかし完全な静寂って、東京じゃなくてもなかなかないものですねぇ。
その後、茶話会。
笹川老師を中心に、皆で集まって「正法眼蔵随問記」という道元禅師の説法集の一節を読み、一人ずつ感想を述べていきます。
今回取り上げられたお話は、中納言入道が家来に秘蔵の太刀を盗まれた時の話。調べてみると仕えていた武士の中に犯人がいたので、他の武士が取り上げて入道に返すのですが、入道は「これは私の太刀ではない」と言ってその太刀を武士にお返しになった、というんですね。これをもって道元禅師は「その人が間違っていても、うまい手立てを考え、腹を立てないようにして言うべきである。たとえ法に照らして叱っても、荒々しい言葉を使えば正しい法も長くは行われない。小人(少徳の人)は、少しでも乱暴な言葉で言われると、すぐさま腹を立て恥をかかされたと思う。大人(有徳の人)は、そういうことはない。たとえ打たれても、報復を考えない。」と説きます。
これに対し、修行僧含め30人近くいた参加者の感想はいろいろで、もちろん同じ考えもあれば、全く違うことを思う人もいて。自分のお茶会でも常々思うことですが、つくづくシェアするって面白いなぁと思いました。笹川老師も「それは違いますよ」なんて絶対おっしゃらないし、正しいとか間違ってるとかはなくて、皆違ってていい、そんな、お互いを尊重し合う茶話会の空気も、禅を象徴しているように感じました。
ちなみに私が思ったのは、「判断しない」ということ。得てして、正義感の強い人ほど「正しい」ということが絶対の基準になってしまい、人を否定したり責めたりしてしまいがちです。私もそういう時期、ありました。でも、個人のフィルターを通した「正しい」という価値基準が、絶対に「正しい」だなんて断言できるでしょうか? そもそも善悪というのは相対的なものです。白黒はっきりさせることだけが大事なわけではありません。最善の道は何かを考えた時、間違いを追求して正すよりも、皆の前で責めない、恥をかかせないことで、自ら反省を促す方が賢明、と入道は考えたのでしょう。こういう器の大きい人に、人はついていくもの。リーダーに必要な気質を示しているようにも思います。なかなかできることではないですが、見習いたいですね。
さらに面白いと思ったのは、道元禅師はこれと全く反対のことを言ってる一節もあるということ。手をあげて正している場面も出て来るのだそうです。相手を見て、どういうやり方が最善か考えてやっているのではないか、という意見もありました。いずれにせよ、矛盾したことを説いていても、どちらかでなくてはならないと決めつけることはせず、あえてどちらも内包し、どうとも取れる余地を残しているんですね。その包容力こそが、禅の魅力でもあるんだなぁと思いました。
茶話会の後は、ささっと順番にシャワーを浴びて、22時前には開枕(就寝)。この時間に寝るなんて、普段ならなかなかありませんが、朝も早かったのですでに十分眠かったのでした…。
永平寺の法堂。ここで朝課が行われます。 |
永平寺の法堂までは、 このような階段をいくつか登ります。 |
そしてまだ真っ暗な中、4:30頃には永平寺へ移動し、5時からの朝課(朝の読経)に参加させていただきました。100人ほどの修行僧が集まる中、夜明け前の寺内に響き渡る読経を一時間ほど聞き、お焼香もさせていただいたんですが、それはそれは厳かで、貴重な体験となりました。すべての行程の所作がまた、本当に美しいんですよ。修行僧たちは、かなり練習されるのだそうです。「学ぶ」は「真似ぶ」から来ている言葉だと言いますが、所作を真似ることからも、禅というものを学んでいくんですね。
青紅葉が綺麗な天龍寺 |
朝課の後は境内を軽く案内していただき、7時には天龍寺に戻って朝食。皆して緊張の「応量器展鉢」を体験。私もお隣のお坊さんに教えていただきながら、それでも所々間違いながら、おいしいお粥をいただきました。食事も大切な修行なのだということを、実感させられます。
永平寺の入り口 |
その後また永平寺へ行き、自由時間。
夜明け前とは一転、観光客でにぎわう永平寺が、そこにはありました。同じ場所でもエネルギーがまた全然違う。もし永平寺に行く機会がありましたら、皆さんにはできればあの、荘厳な夜明け前のエネルギーに触れていただけるといいなぁと願います。
私は傘松閣の「絵天井の大広間」がもう一度見たくて、また行ってしまいました。昭和5年当時の著名な画家144名によって描かれたという230枚の色彩画は、どれも素晴らしくて、首が痛くなる程見入ってしまいます。寝っころがって鑑賞したいところですが、そんな人はいるはずもなく。あぁ、画集にしてほしい…。
左から、出家したての尚寿さん、天龍寺の副住職、お母さん。 |
急いで天龍寺に戻ると、得度式(僧侶になるための儀式)がすでに始まっていました。
ちょうどこの日、13歳の少年が出家したのです。私たちはご縁あって、その場に同席することができました。そうある機会ではありません。感動です!
中学一年生ですよ? すでに出家しているお母さんを見て、何か思うところがあったのでしょうか。天龍寺のお坊さんたちのことが大好きで、自ら「ここに入りたい」と志願したのだそう。彼は今後、学校に通いながらお休みを利用して修行していくことになります。ちょっと照れくさそうな、初々しい姿を見ていると、彼がどんなお坊さんになっていくのかが楽しみで、またぜひ天龍寺でその姿を拝見したく思いました。
その後、皆でお祝いのおそうめんと天ぷらの昼食をいただき、12:30には天龍寺を出発。渋谷に着いたのは21時過ぎでしたので、帰りも9時間近いドライブとなりました。でも、皆で今回の禅の旅の気づきをシェアしながらの車内は、やっぱり充実していて、あっという間。この車中も含めてこその禅の旅。話もこれでもか!ってほど連想ゲームのように繋がっていき、学び盛りだくさんでした。
ここで皆さんにシェアしたい話もいろいろありますが、長くなりすぎるのでまたの機会にということで。この辺にしておきまーす。
話し上手で聞き上手な星覚さんはもちろん、今回主催してくれた穏やかでおしゃれな女性・リード京子さんにも、素敵な参加者の皆さんにも、ホントに出会えてよかったです。ご縁に感謝!!
「私も参加してみたい」と思った方には、11/1〜3に2泊3日の「禅の旅プレミアム」もありますよ〜。興味のある方はこちらをどうぞ。
あと、星覚さんの新しい本「坐ればわかる」がもうすぐ、10/18に出るそうです。「禅ってなんか面白そう」と思った方は、入門として読んでみると分かりやすくていいと思いますよ。
いやぁ、ご縁って、毎回のことながら不思議でありがたい。そしてやっぱり直感に従って間違うことはない。また確信しました。皆さんももしピンときた時には、その導きに従ってみて下さいね。