ポートランドにて |
なんとなく古本屋で買った、
ウィリアム・レーネンさんとよしもとばななさんの対談本
「超スピリチュアル次元 ドリームタイムからのさとし」
を読んでいて、
ちょっとシェアしたいなと思った部分があったので、書いておきますね。
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「長男、長女が親の面倒を見ること--- 親の要求によって生きてはいけない」
私は長男、長女が親の面倒を見ることに責任を取るというあり方は、新たなカルマを創造すると思います。親を助けるべきであり、親を訪問することはよいことですが、私たちが親の面倒を見る責任はないと思います。
私が強調したいのは、いつもワークショップで言っていることですが、期待を持たないということです。さまざまな変化を迎えた現在、高齢者たちも自分の親たちと同じような扱いをしてもらえるという期待をすべきではありません。
また、多くの人が自分はしたいことがあるけれども、親の面倒のためにしたいことをあきらめたと言いますが、これは自分の人生を見つけないことへの言い訳です。また、親が親自身に直面し、自分のことは自分ですることに目をそむけていられる言い訳を許しているのです。
私のクライアントは、親の家のローン、さまざまな経費を親、兄弟のために払っていました。親、兄弟たちは何も支払いませんでした。
大事なことは、私のクライアントがそれぞれの家族メンバーに、何ドルでもかまわないから、きちんとお金を毎月出すことを伝え、家族全員でチームとして努力をすることなのです。ちなみに、このクライアントの親は、毎月、きちんとローンを払える能力がありました。
それぞれが、自分で自分のことを対処することに責任を負わず、だれかが一方的に責任を負うと、これがカルマになるのです。
人は、何かに直面したとき「こんなことが起きるなんて、私が何かしたのでしょうか?」と言います。多くの場合、私たちが経験することはカルマによるものです。この人生で、何かをすることによってこういう経験をするのではないのです。ほとんどの場合、過去世からの未完了のことを完了するために出来事が起きるのです。ですから、親の要求によって生きてはいけないのです。そうすることは、私たちがバランスに到達することを邪魔します。
私たちが親を否定するということではありません。親子として近い関係を保ち、愛し、コミュニケーションをするけれども、それが主観的ではなく、客観的でなければならないということです。
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私にはこんなふうに言い切ることはできないですし、
もうおじいちゃんのレーネンさんだから言えることだと思うんですが、
「それぞれが、自分で自分のことを対処することに責任を負わず、だれかが一方的に責任を負うと、これがカルマになるのです。」「ほとんどの場合、過去世からの未完了のことを完了するために出来事が起きるのです。」
という部分はすごく、その通りだなぁと思いました。
「一方的に責任を負う」と
「自己犠牲」になってしまいますからね。
やっぱりそれは、バランスを崩すことになってしまうんです。
大体、バランスを崩した部分が、カルマになります。
カルマっていうと、
「罪と罰」みたいに考えてしまう人も多いですが、
決してそういうことではないんですよね。
「罪と罰」という考え方自体
「善悪」という二元論にとらわれた考え方ですから、
すごく人間的というか…
いかにも人間が考え出した思想、って感じです。
「ほとんどの場合、過去世からの未完了のことを完了するために出来事が起きる」というだけ。それがカルマと呼ばれるものの正体です。
RASを受けたお客さんは
「聞いたことあるぞ…」って思いましたよね?(笑)
そう、RASで説明していることと同じです。
感情は、感じきれば終わる。
でもほとんどの人は、感じきるどころか抑圧してしまうので、
それはやがて「信じ込み」に昇格する。
私たちが過去世で感じきらずに抑圧してきた未完了の感情が、
今世でこそ完了しようとして、そのための出来事を引き寄せる。
だから、「信じ込み」を外せば、
その出来事を体験する必要もなくなる。。
そう。起こることはすべて、
必要があって起こっているんです。
あなたがその感情を感じきるために。
親に限らず、他者の要求によって生きてしまうと、
自分の感じていることを無視してしまいますからね。。
それはまた、「未完了」を増やすだけ、
カルマを増やすだけ、というわけです。
自分なりに、
どうすることが一番バランスをとることになるのか、
意識しながら選択していきなさい、
とレーネンさんはおっしゃっているのでしょう。
私は長女なので、余計に考えさせられましたが、
その時は、自分なりの最善を見つけていきたいと思います。
☆ブログ「自己犠牲は、誰も幸せにしない」はこちら。
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