グランドキャニオンで見た夕景 |
だいぶ前に読んだ本に書いてあったことですが、
なんとなく今シェアしたくなったので。
読んだことのある方も多いと思いますが
エックハルト・トールの「ニュー・アース」の中に
こんなことが書かれています。
***
スーフィ教徒たちに伝わる古い物語によれば、
中東のある王様はしょっちゅう幸福と意気消沈を繰り返していた。
ちょっとしたことで動転して激しい反応を起こし、
幸福はあっというまに落胆から絶望へと変わる。
やがて王様もそんな人生がほとほと嫌になり、
なんとか脱出できないかと考え、使いを出して、
悟りを開いたと評判の賢者を呼び寄せた。
賢者がやってくると、王様は言った。
「私はあなたのようになりたい。
人生に調和と静護と智恵をもたらしてくれるものはないか?
あるなら望み通りの報酬をとらせるが」。
賢者は答えた。
「そのようなものはないこともありません。
しかし報酬となると王国すべてをいただいても足りないでしょう。
だからお受けくださるなら、贈り物として差し上げましょう」。
王様はぜひ欲しいと答え、賢者は立ち去った。
数週間後、賢者は戻ってきて王様に
ヒスイに彫刻を施した美しい箱を渡した。
開けてみると、箱のなかにはシンプルな金の指輪が入っていて、
開けてみると、箱のなかにはシンプルな金の指輪が入っていて、
指輪には文字が彫り込まれていた。
こんな言葉だった。
「これもまた過ぎ去るだろう」。
「どういうことか?」。
王様は尋ねた。
賢者は答えた。
「いつもこの指輪をはめておられることです。
そして何かが起こったら、それが良いことか悪いことかを決める前に、
指輪に触れてこの言葉をお読みになるのです。
そうすれば、いつも平和な気持ちでいることができます」。
(中略)
抵抗しない、判断しない、そして執着しない。
この三つは真の自由の、
こんな言葉だった。
「これもまた過ぎ去るだろう」。
「どういうことか?」。
王様は尋ねた。
賢者は答えた。
「いつもこの指輪をはめておられることです。
そして何かが起こったら、それが良いことか悪いことかを決める前に、
指輪に触れてこの言葉をお読みになるのです。
そうすれば、いつも平和な気持ちでいることができます」。
(中略)
抵抗しない、判断しない、そして執着しない。
この三つは真の自由の、
そして悟りを開いた生き方の三つの側面なのだ。
指輪に記された言葉は、
指輪に記された言葉は、
人生の良いときを楽しむなと言っているわけでもないし、
苦しいときの気休めを提供しているわけでもない。
この言葉にはもっと深い意味がある。
すべての状況は変化し、すべての形は
(良いものも悪いものも)一時的でしかないと気づきなさい
ということだ。
すべての形は無常であると気づけば、
すべての形は無常であると気づけば、
形に対する執着も、形への自分の同一化も減る。
執着しないとは、
この世界が提供してくれる良いものを楽しまないことではない。
それどころか、もっと楽しむことができる。
それどころか、もっと楽しむことができる。
すべては無常で変化が不可避であることを知って受け入れれば、
楽しいことを失うのではないかと恐れたり
将来を心配したりせずに、
楽しいことが続いているあいだは楽しむことができる。
***
似たようなお話に、ユダヤ経典の
ダビデの指輪ともソロモンの指輪とも言われるものがあります。
ダビデ王が王宮の職人に
「戦いに勝利した時は、高慢になろうとする気持ちを戒め、
また戦いに敗れ、絶望に陥った時には、勇気と希望を与える言葉
を彫った指輪」を作るよう命じました。
そこで悩んだ職人は
ダビデ王の息子であるソロモン王子に相談し
「それもまた、過ぎ行く」(This, too, shall pass away.)
という言葉を授かったとか。
日本には「諸行無常」という言葉がありますね。
私たちの外側で起こっていることは、人も、ものも含め、
すべて、過ぎ行くもの、です。
今どんなに苦しいと思っていることであっても、
どんなに問題だと感じていることであっても、
逆にどんなに楽しい時間でも、関係性でも、
過ぎ去っていきます。
今までも、そうであったように。
なのに
私たちはこの「過ぎ行くもの」にばかり
どれだけ気を取られているか。。
どれだけエネルギーを注いでいるか。。
下手したら、それで一生終わってしまう。。
それが、あまりにも当たり前過ぎて。
この世界には、私たちの気をそらすものが
あまりにも、あまりにも多すぎる。。
・・・そんなことを思いながら、できる限り
外の世界には気をとられぬよう
「過ぎ行くもの」は「過ぎ行くもの」として
それでも
確かに今ここに留まっている「変わらぬもの」に
フォーカスを続ける日々を送っております。今。
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。
☆メニューと料金はこちら。
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似たようなお話に、ユダヤ経典の
ダビデの指輪ともソロモンの指輪とも言われるものがあります。
ダビデ王が王宮の職人に
「戦いに勝利した時は、高慢になろうとする気持ちを戒め、
また戦いに敗れ、絶望に陥った時には、勇気と希望を与える言葉
を彫った指輪」を作るよう命じました。
そこで悩んだ職人は
ダビデ王の息子であるソロモン王子に相談し
「それもまた、過ぎ行く」(This, too, shall pass away.)
という言葉を授かったとか。
日本には「諸行無常」という言葉がありますね。
私たちの外側で起こっていることは、人も、ものも含め、
すべて、過ぎ行くもの、です。
今どんなに苦しいと思っていることであっても、
どんなに問題だと感じていることであっても、
逆にどんなに楽しい時間でも、関係性でも、
過ぎ去っていきます。
今までも、そうであったように。
なのに
私たちはこの「過ぎ行くもの」にばかり
どれだけ気を取られているか。。
どれだけエネルギーを注いでいるか。。
下手したら、それで一生終わってしまう。。
それが、あまりにも当たり前過ぎて。
この世界には、私たちの気をそらすものが
あまりにも、あまりにも多すぎる。。
・・・そんなことを思いながら、できる限り
外の世界には気をとられぬよう
「過ぎ行くもの」は「過ぎ行くもの」として
それでも
確かに今ここに留まっている「変わらぬもの」に
フォーカスを続ける日々を送っております。今。
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