【3/29メルマガに書いた内容にちょっと加筆しました】
誰かのせいで、
会社のせいで、社会のせいで、、、
そうやって、外側のせいにしているうちは、
どんなにすごいと言われている人に会おうが、
どんなにすごいと言われている場所に行こうが、
どんなにすごいと言われているセッションを受けようが、
残念ながら、<根本的には>何も変わりません。
一時的に変わった気がすることはあるかもしれませんが、
手当でしかありませんから、また引き戻されます。
意識が外側にフォーカスしているうちは、
内側を見ずにすみますからね。
だから、誰かを責めたい、誰かのせいにしたい、
というところにいるうちは、
本当に自分と向き合っている、とは言えません。。
意識が自分じゃなくて、他者に向いてますから。
責めてはいけない、誰かのせいにしてはいけない、
って言っているのでは、ないですよ。
良い悪い、正しい間違ってる、って話ではないので。
散々人のせいにする体験をしてようやく、
「それでは何も変わらないんだ」ってことが
本当に腑に落ちるわけですから、
プロセスとしては、やったらいいと思います。
ただ、いつまでも、ずーーーっとそこにい続けることを
選択するなら、何も変わらないです。
去年書いたブログ「人のせい?自分のせい?
〜RASの被害者(加害者)意識の解放のこと」
にも通じる話ですね。
そりゃあ、私だってわかりますよ。
この世界を普通に表面だけ見たら、人のせいに、見えるでしょう。
その人を、責めたくもなるでしょう。
ここは、どうにも、そう見える世界ですからね。
でも、そこにとどまってちゃ、永遠に抜けられない。
立ってる場所を、変えないと!
奥を、見抜いていかないと!
物語(ストーリー)、ドラマ、エゴ(自我)に
どっぷり自分を同一化させているうちは、
そこからの景色しか、見えません。
本当の意味でスタートラインに立ちたいなら、
人のせいにするのをやめる!と本気で決めることです。
例外なく。一切合切。
中途半端はむしろやっかい。
できてる「つもり」になっちゃうからねぇ。。
「向き合ってます」と言いながら
人のことを責めている人は、結構、多いです。
それは、前述した通り、「向き合ってる」にはなりません。
意識を<完全に>自分に、内側に、向けることが
「向き合う」です。
なんでも自分のせいにして、自己否定しろって
言ってるんじゃないですよ。
↑ここ、要注意!!
外側を責めがちな人は、結局、無意識に
内側(自分)を責めているので、
「どうせ私のせいなんだ・・・」って
自己否定・非難に流れやすいですが、
そういうことではありません。
自分がこの世界を創造しているのだ、という立ち位置に
<完全に>立つことが、
自分に100%、軸を取り戻すこと。だからです。
人のせいにすればするほど、
自分のパワーを他者にあげてるようなもの。
どこまでいっても他人軸。
人のせいにしたくなったら、
「あ。また人のせいにして自分から意識をそらそうとしちゃった!」
と、そんな自分に気づいていてください。
自分を責めるんじゃ、なくてね。
あ。もちろん、感情は抑圧せずに、
ちゃんと感じてあげつつ、ですよ。
まあ、、この辺のバランスは、
自分でやりながら、掴んでいくしか、ないです。
人それぞれ、違いますから。
自分自身が創造者、ってことを
信じる信じないはもちろん自由。
でもどうせ信じるなら、とことん信じて、
「そうだとしたら」という立ち位置から、目の前の世界を見てみてください。
人のせいにしない、と決めるのは
覚悟がいります。
逃げ道がなくなるし、
見たくない自分とも、向き合うことになるから。
けど、もうそろそろ、いいんじゃないですかねぇ・・・
覚悟を決める時かと。思います。
詳しくはこちら。
>>一度感じた感情は感じ切るまでなくなることはなく、
何度でも繰り返します。
感情との適切なつきあい方&消化の仕方を学んで、
日々の感情の消化をスムーズにできるようになりましょう。
「人のせいにしたい」時に湧き上がる感情・・・
怒り、悲しみ、憎しみ、悔しさ、嫉妬、、なども、
まずはちゃんと消化してあげること。
そこ抜きに、先に進むことはできません。