先日のお茶会の感想の中に
「この2ヶ月間、感情の動きが表面に出ることが多かったので、
皆と話してみたいと思ったから参加した。
初めての方だったのにとても話しやすかった。
最近、人と接することがおっくうだと感じることが多かったのに
もっと話していたいなと思った。
自分の過去というか自分を知らない人だからこそ話せることも
あると思う。
他の皆の話も共感することも多々あり、有意義な時間だった。
気づきがあった2時間でした。」
と書いてくれた方がいらっしゃいました。😊
お茶会などで話をしていただくと
「自分を知らない人だからこそ話せた」と言われること、
結構あります。
友達や家族だと、そのあとの繋がりもありますからね、
余計な心配をされるから話せない、という方も
割といらっしゃいますね。
でも、それだけじゃなくて、今は特に、
かつてないほどにエネルギーが変わっていってる時代だから、
新しい意識にシフトした人、シフトしつつある人、
古い意識パターンのままの人…
いろんな状況の人が混在していてカオス状態なので。。
(ちなみにもちろん、どの状況でも上下はありません。
違う、というだけです。)
今までは理解し合えていたはずの人とも、
急にすれ違ったり、かみ合わなくなったり、
話していてもチグハグな感じがしたり、
相手の話に全く興味を持てなくなってしまったり、、、
そんな方も、ますます増えているのではないでしょうか。
☆昔のブログ「かみあわなくなってしまった人間関係に
落ち込んでいる方へ」はこちら。
でもそれ、変化している最中には、
全くもって自然なことです。
寂しいと感じることも、あるかもしれませんけどね。
それに、自分のことを知っている人たち、というのは、
どうしたって、「過去の自分」の情報をもとに、
「あなたはこういう人」って思っちゃいますから、
(↑もちろん悪気なく、みーんな、してるコト。)
それを判断(ジャッジ)に感じてしまって
イマイチ心地よくないこともあるかもしれません。
知っててもらってることがありがたいって時もあるけど、
変化している最中は、
なんだか違和感を感じてしまっても、仕方ないのです…。
だから、自分に対してなんの情報も持たない、
自分を知らない人の方が、話してて楽だったり、
することもあるでしょう。
まあこの判断、一番やってるのは、
自分自身だったりしますが。😅
人の行動に対して何か引っかかる時っていうのは、
自分が自分にやってることだから!の法則〜〜。(笑)
「私って、こういう人」って、
自分に対して何かしら、思っているでしょう?
「思い込んでいる」もしくは「信じ込んでいる」
って言った方が適切だけど。
アイデンティティってやつですね。
私たちは、自分が自分に思うアイデンティティに
縛られまくってます。
学歴とか、年齢とか、性別とか、職業とか、職歴とか、
資格とか、役割とか、能力とか、性格とか。
築き上げてきたもの。
でも、ありますね。
だから、がんばってきた人ほど、
なかなか捨てられなかったりして。
プライドが先立ってしまって、
失敗したらどうしようとか、
人にどう思われるか気になって、
やりたいことができなくなっちゃったりとか。ね。
「私は人見知りだから…」とか
「私は人から好かれないから…」とか
「私は甘えるのは苦手だから…」とか
自分が自分に対して思い込んでいるイメージからも
私たちは制限を受けまくってます。
そのせいでできないこと、いっぱいありますよね?
でも、このアイデンティティ(というただのイメージ)
に縛り付けてるのって、
エゴ(自我)の部分の自分、です。
大いなる自分、根源としての自分は、
「そんなの、さっさと手放しちゃえ!」って
見守っている…っていうか、
手放すための出来事を、じゃんじゃん起こしてきてるはず。。
それはエゴ(自我)にとっては
嫌な出来事。
破壊と再誕生って、
エゴ(自我)が崩壊して、
やっと本当の意味で生まれる、
根源の自分として生きる人生が始まる、ってことだからねぇ。。
アイデンティティ(というただの設定)
を通して、体験できるテーマや感情があるから、
ここで肉体持って生きるには、それも必要
とも言えるわけですが、、
体験が終わりさえすれば、
ホントはもう、縛られる必要は、ない。
なので、嫌な出来事を通して、
もう、終わりにしていいんだよ〜、
それ、ホントは手放せるんだよ〜、って
教えてくれる。
でも、そのアイデンティティとすっかり同化してしまった
自分にとって、それを手放すのは、コワイ。
エゴ(自我)にとっては、そのアイデンティティこそが
リアル、になっちゃってるから。
で、なかなか手放せない。
これが、葛藤を生むわけですね。
これ、役者が役に乗っ取られて、
自分自身に戻ってこれなくなってしまった
ようなものなのですが…。😅
エゴ(自我)は役こそが本物だよ!って
引き戻そうとしてくるので、、
そこで引っかかっちゃうと、
本来の自分自身に戻ることはできません。。
で、役は役に過ぎなかったんだ…!ってことに
気づくために、
それまでの自分にとってはありえない選択、
ってのをすることが、有効!
だったりも、するのです。
「時間は守るべき」って役の人なら
あえて遅刻をしてみる、とか。
「人に甘えてはいけない」って役の人なら
あえて自分でやらずに人にやってもらってみる、とか。
「仕事を休んではいけない」って役の人なら
あえて思いっきり休んじゃう、とか。
「あなたらしくない」と言われるかもしれませんが、
気にすることは、ありません。
そもそもその「あなたらしさ」はエゴ(自我)が
握らせている役。だから。
別に何度もやれとは言いませんが、
一度やってみて自分がどう感じるか、
体験してみては?っていう提案です。😁
最初は勇気がいると思いますが、
やってみちゃうと、意外と、なんてことなかったり、
するものですよ〜。
少なくとも、自分という存在は、消えないし。(笑)
それに、自分もやっちゃったからには、
それやってる相手を責められなくなるしね。😉
これ、意外と収穫大きいんですよ。
「大変!」「問題!」ってしてるのも、
自分の思考と価値観なのだ、ってことに気づけたら、
儲けもの。
そうやって、身を以て、
自分が自分に押し付けているイメージを壊していく。
そうすると「別に、どう在っても、いいんだな」って
思えてくると思います。
荒行っちゃ、荒行なので、😅
セッション受ける方が楽かもですけどね〜。
TEDでのジャ・ジャンさんの
「100日間拒絶チャレンジで学んだこと」も、すごい勇気!で
なかなか真似はできないですが、
「無理」は本当に「無理」なのか?
そこにある可能性について、光をあてる機会になると思うので
よかったら見てみてくださいね。😊
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