受けてくれたお客さんから、
嬉しいメールをいただきました。ご本人も「思えば目の前の景色が全然違う」と
書いてくれているけど、
彼女を知る人たちも「全然違う!」「変わった!」
って言うくらい、彼女は変わりました。
眩しい〜✨✨
もちろんね、人間だから、
生きてる限り、山あり谷あり。
私もそう。
ただ、落ちても復活するのは確実に早くなる。(笑)
許可をいただいたので、シェアさせていただきますね。😊
(ありがとう♡)
まゆさん、今年は本当に一年お世話になりました。
一年前のRASから、私の解放を手伝ってくれて、
お陰で自分を取り戻したどころか、新しい自分に出会えたことが
今年一番の収穫です。
思えば目の前の景色が全然違うしね。
本当は、2018年が終わるころには、RASとかゼニスとか
もっと形になってると思ってたんだけどね。
これが今の私の精一杯。
形にはなってないけど土台はできたし、
この一年がこれからのいろんなことに結びついていくような感じがしてる。
そして、ただ生きる。
さっき、まゆさんのブログ読みながら思った。
本当、それだけで十分なのかも。
自分が光であることを体験、体感したら、ただここに居るだけでよくて。
頑張らなくていい。頑張る必要は何もない。
自分がここにいるだけで、きっと周りが和む。
自分がここにいるだけで、
自分が媒体となって必要な光が周りに勝手に届く。
こんなこと言ったら何言ってるの?と周りに思われそうだけど、
そんな自分になれることを許可したというか。
それは、傲慢でもなんでもなく、自分の本来のありのままの姿というか。
これから、そんな方向へ流れていくような気がしています。
まゆさん、本当にありがとう。
感謝してます。
「ただ生きる」っていうのは、以前書いたブログ
「ひかり / 高田裕子展で、屋久島の森の息吹を感じる」でも
紹介した、裕子さんの言葉で、
屋久島の森のなかで、
数千年を生きる屋久杉から足下を覆う無数の苔まで、
あらゆるいきものたちのなかに混じると、
私という存在があまりにちっぽけで、
人生はあっという間なのだと思い知らされるようで、
けれどだからこそ、生きよう、と強く思います。
それぞれ数千年の、数十年の、数日の、この限られた命を、ただ生きよう、と。
私はこの「ただ生きよう」っていう感じが、
すごくしっくりくる、って書いたのですが、
そのことです。
私たちは「今のままでは完全じゃない」「欠けている」
という認識から、その何かを埋めるために、
「何かをしなくてはならない」って、
ずっと、頑張ってきました。
そうじゃないと価値がない、意味がない、
って、「すべきこと」を探し続けてきました。
でも、もうこれからは、
「する」を頑張る必要はなくて、
「あるがままに、在る」ってだけでいい。
本当は、最初からそうだったんだけど、
「頑張らなければならない」って価値観は
みんなの中に、何世代にも渡って、
深〜く根を張っちゃってましたよね〜。
to do(する)から to be(在る)へ。
やっとそこに気づく人が増えて、
いよいよ集合意識も変わり始めたなって、感じがします。
(いや、二極化してるか…😅)
私があるがままでくつろいでいたら、
それは集合意識に影響与えるしね。
私がただただ楽しんでいたら、
それも集合意識に影響与えるしね。
だから、世界を変えたいなら、まず自分から。
内側が、外側だから。
(最終的には内も外もないって話は置いといて)
・・・な〜んて、言いつつも、
このシンプルな「内側が、外側」を
自分の人生で<完全に>落とし込むには、
まだ私にも残っている抵抗が・・・ありんす。😭
エゴ(自我)の断末魔、
ってとこかなぁ〜〜。くぅぅ。。。
ジタバタすることも、許可してます。
人を頼ることも、許可してます。
自分だけじゃ気づけないことって、あるからねぇ。
責めることなく、どんな自分にもOK出して、
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています
です。
きっとこういうプロセスも、
こういう仕事をしているからこそ、
そのうち皆さんにも還元できる、大事な宝となるのでしょうね。
にしても自分のは、あまりにレアケース過ぎて、
「一体全体なんだってんだよ、おい!」と
宇宙に(=自分に😭)悪態つきたくなりますけどね。
それでもなお、
必要なものは必要な時にやってくる、
起こることは全て最善、
って「宇宙の采配」を信じて、進むしかありません。
今までもそうだったから、
きっとこの先もそうなるでしょう。
委ねきる。
を試み中です。
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