【お知らせ】
*代々木上原でのセッションは終了しました。15年間、ありがとうございました。対面セッションは、山梨県甲州市のサロン(新宿から特急で80分)にて行っています。ハンモックで葡萄畑を眺めながら、ぼーっとお休み時間20分もプレゼント🌿 詳しくはこちら。
*RAS®認定ファシリテーター養成講座と特別解放コース💫新たな40セッションver.ご提供できるようになりました✨詳しくはこちら。
*10/11新月スタート✨「自分に寄り添う、5週間。part.2」〜遠隔ゼニスと音声サポートで、感情とのつきあい方を育てる伴走プログラム、 お申し込み受付終了しました。詳しくはこちら。
*11/7(土)響きと静寂の、あわい。其の二〜庭園ライトアップと、様々な民族楽器とサントゥール演奏@恵林寺本堂(山梨県甲州市)は、満員御礼となりましたが、数席でしたらご用意可能です。詳しくはこちら。
*チャリティ企画:11/24(火)ZOOMで屋久島のなおちゃんとのお話会🐳vol.4(録画視聴可)、お申し込み受付中。詳しくはこちら。

【リトリート】
*リトリートは基本、リクエストをいただいてから、少人数で開催しています。リクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前にはいただけると嬉しいです。大体の目安は☞こちら、大分&熊本♨️秘湯巡りリトリートの告知を参考にしてくださいね。
*山梨県甲州市への移住に伴い、お一人での1dayプライベートリトリートも始めました🌿 詳しくはこちら。
*2026年9月1日〜2027年8月31日の1年間、誕生日月の1dayプライベートリトリート、ギフト割します🧡 詳しくはこちら。

【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
*2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。
*11/3(火・祝)10:00-18:00 オンラインでレベル4授業、お申し込み受付中。テキスト発送の都合上、10/27お申し込み〆切。
*レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら。

2018/12/18

「わたしも、自分のあら探しをして、 苦手を見つけて、それを克服することが、 自分と向き合うことだと思っていました。」


9月にお客さんの気づきをシェアしたブログ
「自分を散々こき下ろして、自分と向き合ってる!と思ってました。」
は「私も!」って方が多くて、
感想を寄せてくれた方もいらっしゃいました。


時間を置くとまた過去のクセが出て、
つい自分のアラ探しして、自分を責め出してる方も
いらっしゃるのではないかと思い、、、
逆にちょうどいいかな、とも思ったりなんかして(笑)
ちょっと時間が経ってしまいましたが、
今更ながら、シェアさせていただきます。😁


まずこちら、ゆうさんは、ご自身のブログに
「今の私にスッと入ってきた言葉たち」と題して
書いてくれました。


お母さんとの完全同居が始まったことで、
「母親から毎日のようにダメ出しを受け続けている」
とのことですが、きっと
「わかる〜!!」って共感する方、多いのではないかと。。
読んでみてくださいね。😊


どんなことが起こっても、私は私を幸せにするんだって、
本気の本気でやりぬく覚悟を持ちます。 
 「持ちたいと思う」なんてぬるい言葉じゃ、
また同じことを繰り返すに違いない。 
ここに書くことで、自明のものにしてしまおう。 
悩んで迷ったら、またこのブログを読み返すんだ!ヽ(^。^)ノ>私


とも、書いてくれました。

そうなんですよねぇ。。

私たちはつい、自分のせいにしたり、人のせいにしたり、
「責める」ってことがクセになってしまってます。

だから、この「責める」をやめるって、覚悟がいるのです。


やってみたら、わかります。

すぐ「責めたくなる」自分に気づくはずだから・・・


そんな自分に気づいては、やめる。


「自分が自分を幸せにするのだ!!」
ってことは、
「誰も責めない」ってことでもあるのです。


そして、もうお一人。
シェアさせていただきますね。


萬夕さんのblogに寄せられていた手記……
「自分を散々こき下ろして、自分と向き合ってる! 
と思ってました」という、
Kさんの言葉、わたしもとても共感しました。 

Kさん、しばらくお会いできていないけれど、
声が聴けたようで嬉しかったです、
ありがとうございます! 

わたしも、自分のあら探しをして、
苦手を見つけて、それを克服することが、
自分と向き合うことだと思っていました。
それができなくて自己否定を繰り返してきました。 

苦しむことが真に生きることなのだと考え、
あえて苦しむ選択をすることもありました。 

でも、それはちがうと、わたしも思えました。 

全肯定って、自分をむやみに褒めることでもなく。
あってあるままを、まるごと、みとめることで。 

苦手はあるし、苦手でもいいけれど、
苦手上等とか、あるがまま万歳というのでもなくて。 

できないことや苦手なことはあるけれど、
できることや得意なこともあるわけで、
卑下することも思い上がることもなく、
それらを等しく見るようになってきました。 

そして、わたしに足りないところは素直に認めて、
逃げるのでも諦めるのでも開き直るでもなく、
もちろん底上げは試みつつ。 

でも、手を借りるという選択肢もある、
素直に手を借りよう、とも思うようになりました。 

だからわたしは、Kさんとは、
この点では、もしかしたら逆かもしれません。

一人で生きていこうと思っていたけれど、
自分を全肯定している存在同士なら、
互いに支え合えたら、そういう人が身近にいたら、
よりベターだと思うようになりました。 

ヒプノで“恋愛”三昧をみたおかげかもしれません。
これがすなわち結婚願望なのかはわからないし、
誰かいたらもっといいなんて、安易で欲ばりかな?
とも思いますが。。 

わたしはいまは、
「自分に向き合うこととは、
好き!と縁とタイミングを信じること」
と思っています。
それはめぐりあわせで、ひいては、しあわせだと。 

自分で自分を幸せにする、
そう腹をくくる、その覚悟。
すごく素敵な思いだな、と思いました。 

つけ加えちゃうけれど、腹くくって、腹を割る、が、
わたしの気分です。
だからこうして腹割って書いて……すみません。。 

人は覚悟するとき、「これだ!これしかない!」
と、思うものだと思いますが、
これは、ワクワクでもあるけれど、
悲壮感にも反転しやすいですよね。 

でも、しあわせへの覚悟は、
悲壮にはなりようがないから、いいな、と思います。
もしかしたら過程は悲壮かもしれないけれど、
その過程すら“しあわせへのひとあしずつ”ですから。 
(宮沢賢治の詩から。☞
ブログ「なにがしあわせかわからないです」でどうぞ)

感情を感じきらないと不幸、 
というわけでもないですよね。 
感じきったら絶対幸福、 
というわけでもないだろうし。 

しあわせになると覚悟したら、 
あ、自分、初めから、しあわせだった、 
と気づく瞬間があるような気がします。 

そういう、初めからしあわせだった、 
息することすら楽しい!という瞬間を、 
重ねていけたらいいな、と思っています。 
すぐ忘れるから、その都度、新しく。 

悲しいことや苦しいことも多いけれど、 
そう思わせられるくらいに、 
大切なものがあるということにも気づきます。

 “ぼくはぼくのおともだち”のエピソード、 
感動しました。真実ですよね。 

わたしの身近にも、重い障害を持つ幼い子がいます。 
彼にはいわゆる“友だち”はできないかもしれません。 
でも、それが不幸なことだとは思いません。 

彼にとっても、 
“ぼくはぼくのおともだち”ということは、 
揺るがないことのように思えます。 
そして、彼のママもパパも、周りの大人たちも、 
彼の“おともだち”です、ぜったいに裏切らない。 

たとえエゴなんだとしても、 
全力で祈ることと、 
何があっても愛し抜くという覚悟を、 
わたしは、彼が生まれてきてくれて、 
初めて知ったかもしれません。 

友だちだから、友だちが苦しんでいると、 
自分も苦しくなる…… 
苦しくなるくらいに、大切だから。 
もう、自分か相手かもわからなくなる…… 
それは危険でもあるけれど、愛でもある。 
執着と背中合わせの大切でもある。 

わたしの友だちは、わたしだけにとどまらず、 
これから増えるかもしれません。 
このまま増えないかもしれません。 

どちらにしても、“わたしはわたしの友だち” 
というベースは揺るがないから、 
友だちが増えたら嬉しいなと、 
わたし自身は思っています。 
大切が増えていけばいいな、と。 
それは、実際に友だちかもしれないし、 
恋人や伴侶や子どもかもしれないし、 
まったく違うかたちかもしれません。 

世間では、友だちが多い方がいい、 
友だちができないのは不幸、社会不適合、 
みたいな風潮がありますが、 
結婚も然り…… 
でも、それは違いますよね。 

誰を愛すか、何を好きかって、 
(誰も愛さない、何も好かないをも含めて) 
人間の究極の自由なわけですから。 
そこを暗にも強制されるのは、おかしいと思います。 

萬夕さんの「大切と執着は背中合わせ」というのも、 
頷きながら読みました。 
究極の自由である愛が、 
いつしか不自由にすりかわるんですよね。。 

でも…… 
自分自身、そして誰か何かを、 
愛して、大切に思う気もちは、 
やはり美しいと思うので、 
執着と背中合わせだとしても、 
臆することなく愛していたい、大切を大切にしたい、 
と、わたしは思います。 

お別れが悲しいから愛さない、愛したくないって、 
これまでは思っていたフシがあります。。 
でも。 
せっかくこの世に生まれてきたからには、 
喪えば壊れるくらい愛せたら、悲しくても、すごい。 

自分とは、自分の愛してきたものの総体、 
とも思います。 
悲壮感を持ち込むつもりはないけれど、 
わたしは敢えて執着を選ぶかもしれません。 
自分に酔っているかもしれません。 
でもそのくらい大切に思えるものがあるのは、 
幸福(降伏?)以外の何だろう?とも思います。 

それでもなるべくは執着せず。 
誰にたいしても思うことではあるけれど、 
大切に思う人には、ことさらに、 
その人がその人本来を生きられるよう、 
願いつつ、います。



2年前のブログ
「アレルギーと感情の相関性。そして想像と実際。」
でシェアしたお客さんの言葉の中にも

わたしは、もう、10年以上、観察が大事と言われて、 
ずっと、内観してきたつもりだったのですが、 
長い間、批判の視点でこれをやってたんですよね。 

あーこれもある、こんなものも有るって。
自分を責めてる感じです。 
自覚はないんだけど… 

<中略>

ジャッジしないというのが、最大のポイントだと 
今までの自分の経験から思いました。

というのがありました。


自分と向き合うのに、否定も批判も必要ありません。
自分に対しても。他者に対しても。
認めて、受け入れるだけで、いいんですよね。


人の数だけ、いろいろな、想いがあります。
それぞれの体験が、ありますからねぇ。
共感がすべてとも、思いません。

ここに、こうやって、私だけじゃなくて、
皆さんの想いや考えをシェアすることで、

それを読んだ誰かが、
何かに気づいたり、引っかかったり・・・
引っかかりを通して、また気づいたり・・・

そんな循環✨が起こればいいなと思っています。


皆さん、いつも、ありがとう。😊



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【参考になりそうな過去ブログ】
☆「自分らしくなる覚悟を持て」