お客さんからこんなメールをいただきました。
許可をいただきましたので、シェアしますね。
(ありがとうございます😊)
小さな寺子屋と久々のRASは、
最近薄らいでいたスピチュアルな感覚を思い出すきっかけになりました。
薄皮がはがれていくようにまた楽な方へ変わっていっている感覚がしています。
日常に追われると、ついその感覚が薄らいたりぶれたりするので、
今後は定期的にお茶会なり何なり参加していこうって思いました~。
時折、自分の内側から何か
「出たい」「出したい」「この体を十分に使ってやりたい」
と沸き上がるものがあるのを感じています。
何かをやりたいんです。
何をやってもアリ!、と考えてはいるんですけど、
ここがまだクリアにならず具体的に動けず。
アンパンマンマーチの歌詞に、
「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ」
とありますが、まさにこの心境で。
これさえも手放す、ということでしょうか・・・?
「そんなのは嫌だ!」って思っている方、
きっと多いのではないでしょうか?
それでも今までは、我慢できたのかもしれない。
なんとなく、流して、流して、過ごせていたかもしれない。
これが、もう、我慢できなくなって来てるはずなんです、
みんな。
魂からの衝動✨
って感じでしょうか。😁
マスターKan.さんが、
「この世で成し遂げたこと、獲得したことっていうのは
ある時を境にキレイに消える。
何が残るかっていうと、生まれてきた時に抱えてたもの。
自分と一体だった<それ>。
<それ>を出せたら宇宙は満足。」
って言っておりましたが、
<それ>を出したくてしょうがない!
っていうのが、人の、本来の、本当に求めるところ
なんじゃないかなぁ。。
<それ>っていうのは、個性・本質であり、
作られたり求められたり演じたりしてるウソの自分ではなくて、
本当の、根源としての、創造する者としての自分自身。
<それ>を取り戻す、<それ>に還って行く流れが
宇宙レベルで起きているんだと思います、今。
で、その還る道っていうのは、
人の数だけある。
だから、これが正解!っていうのはないんだけど、
おそらく残念ながら
「〜たい」は<それ>とは直結はしていません。
例えばRASではね、
「〜たい」は全部信じ込み!
って考えます。
「〜たい」の動機って、痛みだったり、
エゴ(自我)からくるものだからねぇ。
それが悪いって話ではないですよ。
普通、そこから始まるものだと思うし。
世の中のほとんどが、それだし。
私も、自分の中の「〜たい」を叶えていくこと、
散々やってきました。
会いたい人がいれば会うようにしてきたし、
行きたい場所があれば行くようにしてきたし、
やりたいことがあればやるようにしてきたし。
でも、散々やってきたから思うんですが、、
エゴ(自我)の満足って、、終わりがないんですよねぇ。。
ひとつ叶うと、次の「〜たい」を探し出して、
それを叶えようと頑張ったり。
キリがないのです。
だからここ数年は、
ひたすらエゴのそぎ落としをやってきました。
「〜たい」の奥にある痛み、信じ込みを手放してきました。
(やりたくてやった、というより、やるより他なかった、
のですが😅)
ただ、私はもうやってきたからそうなのであって、
「〜たい」をやってきていない人は、まずは
それを叶えていってあげた方がいいと思います。
いきなりエゴのそぎ落としに取り掛かってもいいのですが、
一旦はエゴを満足させてあげないと、
なかなかそぎ落としには進めないと思いますし、
不自然というか、、人間らしくないから!!!(笑)
その時が来たら、、もう、
選択とかじゃなくって、必然的にその荒波に
揉まれる流れになります。。😅
だから別に、<それ>にいきなり取り組まなくてもいい、
って思うのです。
もしやりたいことがあるなら、
まずはそれをやってみる。
そこから、たどり着くものが、あると思います。
ないならないで、
「そんなのは嫌だ!」っていう思いの奥にある痛みを
見ていってあげる。
実はこっちの方が<それ>にたどり着くのは、早いかもしれません。😁
向かう先は一緒だから、
どっちでも、いいのです。
<それ>に還った時には、
頭であれこれ考えることも、ひねり出す必要もなく、
自然な形で、自分の喜び=みんなの喜び な、
やりたいことが湧き出てくるんじゃないかなぁ…
って思ってます。
私もまだ、途上ですが。
だから、本当は、無理に考えなくていい。
無駄とは思わないし、
もちろんやってもいいんだけど、
思考は、エゴの領域を絶対に出ないから。
今はね、私は、オールは手放してる感じで。
オールを漕ぐのは、やめたんです。
漕がなくても、自然な流れに任せていたら、
いずれ、どこかには、行き着くでしょう?
漕ぐっていうのは、まさに「〜たい」ってやつで、
どうしたって流れに逆らっちゃいますからね。😅
<それ>に還るには、遠回り。
そう、気づいちゃったから、もう、
起こることに任せて、流れに委ねています。
これさえも手放す、ということでしょうか・・・?
って質問ですが、
「そんなのは嫌だ!」の奥にある痛み(未消化の感情)
は、手放した方がいいでしょうね。
何が自分にとっての幸せで、
自分は何をしたら喜ぶのか、
そこは「意図して委ねる」に近いかなぁ。。
<それ>に還った時にはもう、
そんなことも考える必要はなくなるのでしょうけど。
他者に聞くのではなくて、
他者と比べるのでもなくて、
自分自身に問いかけ続けることは、
私たちにできることのひとつだと思うのです。
3次元は陰陽の世界ですから、
「問い」と「答え」は同時に用意されます。
「問い」がなければ「答え」もない。
なので、「答え」が届くまでに時差はあっても、
問いかければ、そのうち答えはやってくる。
だから、問いかけておいて、
でも答えに執着するのではなく、
そのうち答えがやってくるのを楽しみに待つ、
みたいなね。
必死になるんじゃなくて、
リラックスして待つ、って感じ。
ただ、「委ねる」って、
何もしないわけじゃないですからね〜。
ここ、勘違いされやすいんですけど。
ふと、思いついたこととかね、
気になったこととかね、
それは実行に移した方がいい。
行動しながら、気づいたら、
答えにたどり着いてたりも、するから。
つらつらと書いてみましたが、
頭でぐるぐる考えてても何も始まりませんので、
思いついたらとりあえず行動、を繰り返して
自分の体験から答えを見出していくのが
一番いい!って思います。☺️
☆RAS(Release and Awakening System)について
詳しくはこちら。
詳しくはこちら。
☆未消化の感情の消化の仕方を学ぶ、RAS認定「セルフケア
&親子で出来るストレスケア講座」について詳しくはこちら。
&親子で出来るストレスケア講座」について詳しくはこちら。
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。
☆メニューと料金はこちら。
☆ブログ「ゴールドドラゴンボディのKan.さんに会いに行く」はこちら。
☆ブログ「マスターKan.さんのクンルンネイゴン<序>を受けてきました!」はこちら。
☆ブログ「Kan.さんの「山教回帰 里行還穹」に参加して」はこちら。
☆ブログ「心が静かっていうのは、心が動かないのではない〜Kan. さんの『山動 川不動』に参加して」はこちら。