学生の頃から、まわりに芝居をやってる友達が多かったのもあって、今でもよく芝居を見に行きます。私自身は関わったことはないんですけど・・・といっても、ラジオドラマを作ったりはしてましたし、当時アルバイトしてたニッポン放送「伊集院光のOh!デカナイト」では、女子が一人しかいなかったのもあって、伊集院さんとアナウンサーの荘口さんと3人でブースに入って、伊集院さん作のコントのお母さん役とか恋人役とかは、やったりしてました。「drama」という授業では、英語で台本書いて演技もしてました(アナウンサーの木佐彩子ちゃんも同じ授業とってたんですよ。かわいかったなぁ〜。)。
どうも、キライじゃないようです。(笑)
それはさておき、ハイバイ「ポンポン お前の自意識に小刻みに振りたくなるんだ ポンポン」@こまだアゴラ劇場 を見に行きました。荒川良々さんがゲスト。
ハイバイは、2008年にリトルモア地下に「オムニ出す」を見に行って以来、なんだか妙にハマってしまって見に行ってる劇団です。
主宰の岩井秀人さんは、15歳から20歳くらいまでを引きこもって過ごしていたらしいのですが、その時の経験が表現として爆発していて、理屈っぽいんだけど不器用な人間模様が微笑ましいというか、なんか、好きなのです。お母さんが精神科医らしいんですよね。そこも、皮肉な話で、でも、こう、人間らしいなぁと思うんですよ。
この日はアフタートークもあったんですが、それも面白かった。
日常生活の中で、誰でも何かしら、イヤな思いをすることってあるじゃないですか。
そんな時、岩井さんは「芝居のネタにして元を取ってやろう」と思うのだそうです。その、イヤな出来事を芝居の中に盛り込んで、それを見たお客さんが客観的にその出来事を見た時に「コイツ、ヤな奴〜」と賛同したら、岩井さんの勝ち、っていう。それで気持ちのバランスが取れる。健康的。(笑)
芝居だけじゃなくて、表現者には、そういう役得はありますよね。
こういう発想の転換は、イヤな出来事を昇華するにはすごく大事。じゃあ、表現するものが特にない人はどうしたらいいのか。
嫌悪感を抱く対象には、何かしら、自分を投影しているものだと言います。つまり、自分の中に全くなければ気にすることもなくスルーできるんだけども、自分の中にあるからこそ反応してしまうのだ=そのイヤな部分は、実は自分の中にもあるということなのだ、と。だとしたら「気づかせてくれてありがとう」ですよね。
実際には、感情が先立つものなので、すぐにそんな気持ちにはなれないことが多いと思います。感情を沈めて、フラットに物事を見る訓練をしていくしかありません。
でも最終的には、なんだかんだ、そういうふうに考えられた方が人生はうまくいく。
って思いませんか?
人生には「気づき」が満載です。
「この出来事は、自分に何を気づけと言っているのだろう?」
という視点で考えるようにしてみると、
ちょっと何かが変わってきます。
芝居や映画やドラマは、そこで起こっている出来事をどう捉えるか?いろんな視点を与えてくれますよね。それと同時に、登場人物に感情移入することで、他の気持ちが理解できる感覚にもなります。だから私は好きです。「結局は作り話じゃん」と言われることもありますが、人がその人の人生フィルターを通して作っているものですからね、そこには真理もあると思いません?