友達に勧められて、山崎亮さんの「まちの幸福論-コミュニティデザインから考える-」を読みました。山崎さんは、地域が抱える課題をそこに住む人たち自身で解決するための「コミュニティデザイン」を実践している人。今や日本全国で引っ張りだこなんだそうです。
コミュニティデザインて、何??という方は、ちょっとこの↑「情熱大陸」の映像を見てみて下さいね。デザインにもまちづくりにも興味ないわ、という方も、ちょっと見てみると(もしくは読んでみると)普遍的な気づきもあるんじゃないかと思いますよ。
私はデザイナーではないけれど、ビジュアル関係のプロデュース業を15年近くやってましたので、「デザインとは何か?」ということについては考えさせられる機会が多くありました。最初のうちは、目には見えないアイデアを目に見えるモノに変換することがデザインだと、ただ単純に思っていましたが、だんだんそれだけではないことに気づき始めます。豊かさや幸せはモノという物差しでは計れない、ということに気づいている時代になったからこそ、目に見えない枠組みをデザインする、コミュニティデザイナーやコミュニケーションデザイナーという肩書きが生まれたんでしょうね。
さて、山崎さんのまちづくりの特徴は、その町の人たちに主体性を持たせること、にあります。
著書の中にも「幸せを手にするには、自分の意志で動いていく勇気が必要になる。まちづくりに関わるとき、そこに暮らす人たちの主体性を何よりも尊重するのは、その意味もある」と書かれていますが、大抵の場合、プロのコンサルタントなどに外注されできあがった案というのは、結局、そこに住む人たちのモチベーションを刺激することにはならず、実行されずに、されても継続されずに、ただ無駄になっていくことが多いのだそう。それではお金と時間をかける意味がない。最初から住人を巻き込んで、一緒に考えて、一緒に活動していく、そうすればその活動は持続されるし、発展していく可能性も高い。…その通りだと思いました。
これは人が癒されていくプロセスにも共通しています。
以前のブログにも書きましたが、癒しに主体性は不可欠です。
本人の意思なしに、私たちヒーラーは何もすることはできません。
癒すのも、変わるのも、あくまで本人であって、本人が心からそう意図することで始めて、ヒーリングもセラピーも活きてきます。どうぞ、主体的であって下さい。
今という時代はネットによって一気に、共存、共栄、共感、共有の時代になった気がします。明らかに分離の時代とは違う。そんな時代に求められるリーダーについても、こんなことが書かれていました。
「一般的にリーダーというと、ビジョンを示し、メンバーを統率してグイグイ引っ張って行くようなイメージがある。高度成長期の右肩上がりの時代であれば、それがリーダーの理想像でもあっただろう。しかし、いまはそのスタイルは求められない。
先行き不透明な時代は、ビジョンを示すことすら困難と言っていい。まちづくりは短時間で勝敗を決するスポーツとは違う。先が読めない中を、リーダーの判断だけで勇敢に突き進んでもらっては困るのである。」
「意見を出し合い、試行錯誤を重ねながら解決を目指すのは、メンバー全員の共同作業だ。リーダーに求められるのは、全員が歩調を合わせて自由に意見が出し合える状況をチームの中に作り出し、出てきた意見を調整しながら方向性を定めることである。」
オーラソーマ的に言うならば、男性的リーダーシップの終焉、女性的リーダーシップの始まり、といったところでしょうか。実際、マヤ暦の終わりによって、男性性の時代から女性性の時代に移った、と言われています。職場の中でもそれは実感できるのではないでしょうか。求められるリーダー像、確実に変化していますよね。今の若い子は根性がないからついてこられない、という諦めからではなく、共同作業という視点から見直すと、また違ったやり方も見えてきそうです。
私は山崎さんの、しなやかに、ゆるやかに、柔軟に前を向いている感じが、すごくいまという時代にしっくりくるというか、共感しました。好きな考え方のひとつを、下記にちょっと長いですが抜き書きしますね。
「先が見えない時代に、フォアキャスティング(現在の立ち位置の延長線上にある未来を予測すること)で未来を考えようとしても、山積みする課題に行く手を阻まれて、発想を広げてやることは難しい。だからこそ、想定できない未来へと一足飛びにイメージを膨らませる必要がある。
現在の延長線上に答えがないのであれば、自分で答えを作ってしまえばいい。夢を描くとはそういうことだ。何が正解なのかわからない時代だからこそ、自分で答えを提案できる能力が必要となる。自分が主体となって、どんな未来に生きてみたいのか、どんな生活なら豊かさを実感できるのか、あるいはどんなまちなら人々が幸せに暮らすことができるのか。考えた結果をゴールに設定し、実現するためにいまできることを考える。それがバックキャスティング思考法だ。(略)
目の前ばかり見ていても、新しい解決策はなかなか見つけられない。自分が何をすべきか立ち止まって悩んでいるくらいなら、思いきり思考を未来へと向けて、そこから引き返してくればいい。」
「バックキャスティングで物事を考えるとき、思い描く未来はゆるやかに構えておくべきだ。『こうあるべきだ』『こうでなければならない』と、きっちり考える必要はない。むしろ、どこからも異論が出ないような未来ではつまらない。最初に思いついたことは、穴がたくさんあっていいのである。穴だらけの大風呂敷を広げれば、大阪弁で言う『いっちょかみ(関わること)』したくなる人がいっぱい口を挟んでくる。たくさんの人たちと議論を交わすことができれば、その過程で穴を埋めてくれる意見や妙案も出てくる。
そして、すべての穴を埋めなくてもいい。思い描く未来は、いまの時点で完璧である必要はない。僕たちはいつどこで想定外の出来事が起こるのかわからない現実の中を生きている。(略)
ゴールを固定し、そこに至る道筋をひとつに決めていると、さまざまな事情でその道を進むことができなくなったとき、自分が何をやっているのか分からなくなってくる。(略)
状況が大きく変わったり、避けて通れない深刻な課題が生じたときは、描いた理想もいまやるべきことも、柔軟に変わることができなければならない。難しいことではない。迷ったら、あらためてバックキャスティングしてみればいい。未来と現在を何度も行ったり来たりして、適宜修正を加えながら、いまの自分にできることを見つけ出していけばいい。」
いかがでしょう?
これはまちづくりに限ったことではなく、人生そのものに当てはまりますよね。
悲観的になろうと思えばいくらでもその材料はあるけれど、どうせ生きるなら、やっぱり楽しく、幸せに、今を生きていたい。状況を否定するのではなく、常に受け入れながらも糸をたぐり寄せて何かしらの解決策を見つけていく、山崎さんのそんな姿勢に学ぶことの多い本でした。
☆こちらの対談も面白いのでオススメ→THE FUTURE TIMES「豊かさと未来」