2/10に荻窪の6次元で開催させていただいたオーラソーマお茶会、14人の方に集まっていただき、無事に終了しました。来て下さった皆さん、本当にありがとうございました!!
1月にも参加してくれて今月もまた来てくれたお客さんや、半年ぶりにまた来てくれたお客さんもいて、ここのところリピーターも増えてきたのが嬉しいな〜と思います。
毎回私の友人知人も数名参加してくれているのですが、今回は、クリエイティブ系のお仕事をしてた時に知り合った友人で、去年からアカシック・リーディングのセッションも始めた梅澤さやかちゃんも遊びに来てくれました。もともと知り合ったキッカケはアートだったのに、何年もたってお互い同じような所にたどり着いてる感じが、心強い仲間というか、同志というか、面白いなぁと思うのです。(笑) 彼女のブログにお茶会のことも書いてくれているので、よかったら読んでみて下さいね。
さて、今回選ばれたボトルの特徴はというと・・・圧倒的なブルー!!
ついでオリーブグリーン、クリアが多かったかな。
これは個人的にニヤニヤしてしまったんですけど、実は今回のお茶会で私は特に「ブルー=大いなる意思」について話したいなぁと思っていたんです。見事な引き寄せっぷり。(笑)
というのも、ちょうど1月にエックハルト・トールの「ニューアース」を読んで、またぐっと、ブルーの大いなる意思とイエローの個の意思(エゴ)への理解が深まったんですよね。
「大いなる意思」というブルーのキーワードについては、プラクティショナーによって様々な説明、表現が考えられると思うんです。私も、神様のようなもの、とか、大きな流れみたいなもの、と伝えることもありました。でも「ニューアース」を読んでいて、また違った説明の仕方もできるな、と気づいたんですね。
デカルトの有名な言葉に「我思う、故に我あり」があるじゃないですか?
私たちは思考する、だから存在していると言えるのだ、っていう。
学校で習った時は「へぇ〜、そうなのか」くらいにしか思ってなかった気がしますが、ちょっと待った!それは違うんじゃないの?「我思う」って「自分が思考している」ということに気づいている別の次元の自分もいるじゃない?!ということが分かったと同時に、それこそが「大いなる意思」だと言えることに気づきました。
つまり、思考している自分はイエロー=エゴの部分で、思考している自分に気づいている、俯瞰して見ている自分はブルー=大いなる意思、ということ。大いなる意思=本来の自分自身、でもあるのです。
私たちは自分の抱く感情や思考を私たち自身、私たちそのもの、だと思いがちです。
だからすぐに、感情や思考に自己を同一化してしまいます。
本当は、感情や思考はコントロールできるもののはずなのに、むしろ支配されてしまうことも多く、結果、混乱してしまいます。イエローには「混乱」「恐れ」というキーワードもありますが、それらは思考や感情というエゴの部分に支配されると浮上するものです。ブルーの大いなる意思に繋がると、それと真逆のブルーのキーワード「内なる平和」がやってきます。
そんなブルーとイエローが交わるとグリーン=真実、道、方向性、ハートとなるわけです。つくづく面白いですよねぇ。真実、ハートが感じること、っていうのは、大いなる意思でもあり、個の意思でもあるってこと。
この違い、分かりますか?
例えば、何か迷ったことがあったなら、まず自分のハートに聞いてみる。何をどう感じているか。こっちを選んだらどんな気持ちがして、あっちを選んだらどんな気持ちになるのか。
感じているのはイエローの自分。
それを感じさせているのはブルーの自分。
・・・そんな感じでしょうかねぇ。
だから、感じている感情そのものにフォーカスしていくのではなく、なぜそう感じるのか、の方にフォーカスしていくと、新たな解決の糸口が見えてきたりするのです。(ヒプノセラピーの中のコア・トランスフォーメーションという手法は、まさにそんな感じです。)
キリストは「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知ることになる。」と言ったと聖書にあります。
これ、多くのキリスト教徒はきっと、私=キリストという意味で捉えている部分かと思いますが、よーく考えてみて下さい。ここで言う「私」とは、私たち一人一人のことだと思うのです。大いなる意思としての「私」です。本来の、本当の「私」です。
「父」というのは「大いなる源」のことでしょう。
私たちが本当の自分を知り、大いなる意思としてあるなら、大いなる源とも繋がることができる。そんなイメージかなぁ。
チャクラとの関係も思い出してみて下さい。
私たちはレッドの第1チャクラから、ヴァイオレットの第7チャクラに向かって上昇しようとします。そのためには、イエロー=エゴを通り、グリーン=真実、ハートを通り、ブルー=大いなる意思を通らなくてはなりません。そこに気づいてからでないと、ヴァイオレット=スピリチュアリティー、その先のマゼンダ=神聖なる愛には届かない。「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」というわけです。
オーラソーマではよく「何をするかではなく、どのようにするか、が大切」と言われます。
「ニューアース」には「大切なのは目的や行動ではなくてそのもとにある意識の状態」と書かれていましたが、同じことを示唆していますよね。興味のある方は、読んでみて下さい。よく言われる「今に在る」という意味についても理解が深まると思います。
さて、次回のお茶会は3/27の満月の夜の予定です。
また近々、告知しますね。
★オーラソーマについて、詳しくはこちら。
☆第一回目の「オーラソーマお茶会〜満月の夕べ〜」の様子はこちら。
☆第四回目の「オーラソーマお茶会〜新月の夕べ〜」の様子はこちら。
☆第五回目の「オーラソーマお茶会〜新月の昼下がり〜」の様子はこちら。