友達の急なお誘いで、国立能楽堂で能を見る機会がありました。
その中の「邯鄲」という演目について、ちょっとお話したいと思います。
皆さんは「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」と言われる話、ご存知ですか?
チラシからあらすじを抜粋します↓
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青年盧生は、楚の国・羊飛山に高僧がいると聞き、人生の真理を尋ねるため旅に出ます。邯鄲の里で女主人の宿屋に雨宿りし、粟飯が炊けるまでの間、「過去・未来の悟りが得られる」という不思議な枕で一眠りします。すると枕元に勅使がやってきて帝位を授けると言い、輿に乗り王宮に赴き即位します。治世は五十年に及び、一千年の寿命を保つ霊薬を勧められ、盧生は喜びの舞を舞います。しかし「粟飯ができました」と知らせる女主人の声。すべてはひと時の眠りに見た夢だったのです。
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栄枯盛衰の儚さを例えたものとも言われます。
盧生は、夢の中ですっかり経験したことで、それまでの欲が消え、人生は全て夢のようなものなのだ、と悟りを得るんですね。
粟飯ができるまでの短い時間に、五十年分の体験をする、というところは、なんだかヒプノセラピーみたいだな、と思いました。
ヒプノセラピーで見る人の一生もあっという間で、皆さんはその人生を追体験することで、何かに気づいていきます。まさに「邯鄲の夢」。「邯鄲の枕」なしでも、盧生のような悟りを得ることは可能?かもしれませんね。(笑)
私はヒプノの度に何度も皆さんの前世の死に際におつきあいさせていただいている訳ですが(ちょっと不思議な体験といえば体験。。笑)、死に際にどんなことを思うか、ってすごく大事なんだな、ってことをつくづく思います。
例えば、誰かに裏切られて「もう絶対に人を信用しない」と決めて亡くなると、次の人生でもその思いを引き継いでいて、なかなか人に心を開くことができない、ということは多いですし、「絶対に許さない」という思いで亡くなると、次の人生では「許すこと」を試されるような出来事が満載の人生を送ることになっていたり、します。
たまたま見つけたんですけど、あるオーストラリアの看護婦さんが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5、というのがありました。
1「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4「友人関係を続けていれば良かった」
5「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
前世で語られる死に際の後悔、っていうのも、現代とさほど変わりはなくて、
「もっとやりたいことを思い切りやればよかった」
「もっと本当の気持ちを言えばよかった」
「もっと家族を大切にすればよかった」
っていうのが圧倒的に多いんです。
やって後悔することはあまりなくて、やらないで後悔する方が俄然多い感じ。
「後悔はありません」っていうのも、結構多いです。
そういう人生を、生きたいですよね。
「過去世を知ったところで何になるの?大事なのは今でしょう」ってご意見も時々聞きますが、「大事なのは今」だからこそ、「邯鄲の夢」を見ることで、今ともっとしっかり向き合って生きることができるようになる場合もあるんですよね。盧生のように。
日々、ヒプノを通して皆さんの輪廻転生の旅に寄り添わせていただいているとですね、本当に、この人生も、すべては夢のようなものだな、と思う訳です。
人の夢とペンで書けば
「儚い」って読むのですね
松田聖子の歌う歌を聞きながら「なるほど〜」と深く頷いていた小学生の頃の私。(笑)思い出します。
どうせ儚い人生ならば、とことん楽しもうじゃないですか!
能を見ながらそんなことを思った、暑い日の午後でありました。