だいぶ前に読んだ阿部敏郎さんと雲黒斎さんの対談本
「降参のススメ」から、
当時メモしておいた部分が出て来たんですけど、
改めて大きく頷いてしまったといいますか、、、
やっぱり未消化の感情の消化からよねぇ〜〜って、思いまして。😅
この本を読んだのは、RASを学ぶより前のことですが、
我ながら、同じようなことに共感しておる。。。(笑)
たびたび皆さんに「よくわからない」と言われる
「感じ切る」についても出て来ますので、
ここでシェアしておきますね。
阿部 :
「自我」によって「自我」を消すことはできないんだよ。
消そうとすればするほど、余計に反作用が加わって
「自我(自我を消そうとしている私)」が巨大化してしまうから。
「さとり」って何かと言ったら、「いまのあるがままの自分」に降参して、その「あるがままの自分」を認めて、そして、そこにくつろぐ。そこから始まるものだよね。
「いま」認めりゃいいんだよ。
で、いま認められない理由としてさ、「これまでため込んで来てしまった感情」っていうのが大きくあると思うの。要は、消化不良、未完了の感情たち。それが残ったままだから、いまのままでいいような気がしないワケだよ。
それをさ、どんどん「感じていく」、そしてその感じていくときに大切なのは、その感情というものは、実は自分のものであって、「誰かのせいで起きたものじゃない」っていうさ、感情に対して100%責任を持つ、そういう態度で感じていくことができたらいいと思う。
たいていの場合はね(略)外側に原因をなすりつけて感情を正当化しちゃうんだよ。 「感じきる」っていうのはさ、「それ(感情)が自分のものなんだ」っていう、そういう立場が必要なんじゃないかなと思う。
いわゆるハプニングっていうのは、その未完了の感情の存在を気づかせてくれる、大切なきっかけになるんだよね。そのことが理解できていたら、自分に不都合なことを避けるのではなくて、逆に、そういう不都合が起きてほしいって願うことになるんじゃないかな。
「何に対してサレンダーするか」が重要なんじゃなくて、「自分がサレンダーの境地にいるかどうか」が重要なワケ。
黒斎:
被害者って立場は、実は気持ちがいいんですよ。
被害者ってことは、自分は「善」なんですよ。立場として「正義」になれるんですよね。
「悪いのはオレじゃない、周りなんだ!」って。
その優越感に浸りたくて、被害者でいることに納得しちゃうんですよ。
自分で自分を苦しめてるんですよ。
阿部 :
「どうやって手放せばいいんですか」って聞かれるんだよね。笑
でも、その質問は実はおかしいんですよ。
だって、「手放す」っていうのは「行為」じゃないから。「どうすれば」っていうことじゃないんだよね。
「握り締める」ってのは、これは「行為」ですよ。でも、「手放す」っていうのは、その握りしめるという「行為をやめること」だからね。
だから「どうしたらいいですか?」と行為の内容を求められても「こうしてください」なんていうふうには答えられないワケ。言い換えたって、「握り締めていることをやめてください」としか言えない。
黒斎 :
自分にとって、本当にいらないものなんだって気づけたら、そのときは自然に手放せますから。
さすが、大切なポイントだらけ。(笑)
今ピンとこない方は、未消化の感情をある程度消化してから
また改めて読んでみると、もっとスーッと入ってくると思います。😊
そうなんですよねぇ…
自我(エゴ)によって自我を消すことはできない。
なのに、つい、思考でそれをやろうとしちゃうところに
限界があるんですね。
思考も自我の領域ですから、
できるはずがないのに。(笑)
自我は「私は別に悟りたいわけじゃない!
幸せになりたいだけなのに!!」って言ってくるかと思いますが、
これ、よくよく体験していけばわかることですが
悟り=幸せ ですからね。。
同じことなんです。
同じだと思えないとしたら、「幸せ」という概念について
自分自身で、本気で熟考したことがないのではないでしょうか。。
「いまのあるがままの自分」にくつろぐって、
「今のままの自分」とは違いますからね。
ここも勘違いされやすいとこですけど。
昔書いたブログ
「『ありのまま』と『今のまま』は違うって話」
をよかったら参考にどうぞ。
で、「いまのあるがままの自分」にくつろごうとした時に
「今のままでいいはずがない!頑張らなくていいわけがない!」
ってね、邪魔してくるのが、未消化の感情。
この辺は何度も書いてきておりますが、
これは自分でひたすら消化していくしかありません。
(ちゃんと知りたい方は「セルフケア講座」をどうぞ。)
で、例の「感じ切る」。(笑)
どうしても、その出来事のせい、誰かのせいで
こんな感情にさせられた!って思いがちですが、
(→感情の正当化)
実際、そうも見えますので、
しょうがないっちゃしょうがないのですが、、、
それでも!それでも、なんです。
あなたに見えているそれは、真実ではない。のです。
ここを受け入れると決めるかどうかが、分かれ道。。
その、外側に向いた意識を、覚悟を持って内側に向ける、
それができないと、なかなか感じ切るって、できません。
感情を感じている最中に、
「なんであの人はあんなことを言ったんだろう?」
「なんであの人はあんなことをしたんだろう?」
「なんであの人はこうしてくれなかったんだろう?」
「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんだろう?」
・・・・
っていうような、
別に思うのは仕方ないんですけど、
外側に原因を求める思考がいつまでも働いてると
感情を感じてるんじゃなくて、
いつのまにか思考のスパイラルにハマっちゃうんですよね。
結果、感じきれてない、っていう。。😅
私もさんざんやって来て、コツをつかんでいったので、
皆さんも自分なりにいろいろ試してみたらいいと思いますよ。
こちらも参考にどうぞ。
☆「人のせい?自分のせい?
〜RASの被害者(加害者)意識の解放のこと」はこちら。
この辺も参考になるかな・・・
☆「フラットならいいってものでもない〜思考優先?感情優先?」
☆「feel(感じる)をthink(考える)してないか?」
☆「感情と思考って、どう違う?」
☆「人のせいにしているうちは・・・」
☆「「人のせいにしない」に感じる抵抗。の正体」
「手放す」もね、
「どうやって」って、確かに私もよく聞かれます。(笑)
黒斎さんの言う通り、
「自分にとって、本当にいらないものなんだって気づけたら、
そのときは自然に手放せます」ってことなんですよねぇ。
握ってるうちは、まだ、なんやかんや、諦めてない。
どこかで「思い通りにできるはずだ」って思ってる。
外側(の誰か)によって満たしてもらえるはずだ、
って思ってる。
痛みが、自我が、そう思わせる。
だから結局、まずは未消化の感情の消化、
になるわけですが。😅
何でもとことんやってみて
「思い通りにはならないのだ」って
最終的にお手上げ=サレンダー=降参すると、
コントロール欲を手放せます。
で、ようやく「委ねる」に入っていけます。
本当にいらないものなんだ、って気づくには、
自分が納得するまで、自我が諦めるまで、
とことんやるしかないのだ〜〜っ!
ただ、素直な方が、体験はスムーズに進みますけどね。
頑固に抵抗すると、長引きますから。😅
降参の、ススメ。
目の前に起きてくることに、全てがあります。
☆「気づきのヒント まとめ」はこちら。
☆メニューと料金はこちら。
☆感情の適切な扱い方、消化の仕方を学ぶ
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詳しくはこちら。