去年の利根川進博士との「癒しと智慧」に続き、
一年ぶりにダライ・ラマ法王の講演に行って来ました。
今回は「宇宙・生命・教育」をテーマにした科学者との対話です。
「科学者との対話」は去年も開催されていて、
私はそちらはテレビ番組で拝見したんですが、
まず科学者が10-15分プレゼンして、それに対して
ダライ・ラマが質問したり意見を言ったりするという形式で、
とても興味深い内容でした(「こころを学ぶ」という本にもなっています)。
「癒しと智慧」も
「癒しに関する古代と現代の智慧:身体と心のバランス」
をテーマに、宗教と科学を分離したものとして考えるのではなく
融合させていくことが大切、という視点に立ったものでしたが、
このイベントの趣旨もまさにそれ。
協力し合うためにはまずお互いを理解し、対話していくことが不可欠ですからね。
アインシュタインは
「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である
(原文はScience without religion is lame, Religion without science is blind.)」
と言い、
現代の科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが仏教だ
と言ったそうですが、今はもう、
多くの人がその辺りのことに気づいている時代なのではないでしょうか。
私は特定の宗教には所属していませんので、
それが必ずしも宗教である必要はないと思いますが、
精神性を補うものは何かしら必要だと思っています。
午前の部と午後の部に分かれていたんですが、
私は「おとの雫」を一緒に開催しているchacoさんを誘って、
午後の部に参加しました。
午後の部は、まず天文学者の海部宣男さんの
「膨張し進化する宇宙の中で」というプレゼンからスタート。
「私たちの宇宙は物理法則と莫大な偶然とが混然一体となって豊かに進化してきた世界であり、私自身もその一つの結果・通過点である。」
この、自分も全体の中の一部に過ぎない、という考え方は大切ですよね。
そうあることで謙虚になれるし、ご先祖様にも感謝の気持ちを持てるし、
自分も皆も繋がっている、なおかつ
偶然(必然)なしにここに存在しえない自分という奇跡を感じることもできる。
そしてこの奇跡はまた未来へと続いていく…
これは、科学から見ても宗教から見ても、同じなんですね。
「ここでは、永劫不変や輪廻を見出すことはできない。」
ここは科学と仏教の違うところ。
輪廻は目に見える物質として存在しているわけではないし、
証明ができませんからね。
だからといって目に見えないもの、証明できないものは存在していないのか、
というとそうではないわけで。
そこを、続いて医師の西川伸一さんによる
「実在しないものの科学」というプレゼンが言及していきます。
「今も昔も、私たちは物理的に実在しているものと、今ここには物理的に実在していない何かの間で生きて来ました。例えば、時計は物理的存在ですが、その時を表示するという機能や目的は物理的実在ではありません。このように目的や機能にとどまらず、意図、デザイン、情報など、物理的実体でなくても、直接物理的過程に影響を及ぼす力が生命にはあります。しかし、この力について、科学は追求を避けてきました。」
時間や情報は目には見えませんが、確かに存在していますよね。
でも実在していないので、近代科学では扱ってきませんでした。
これは、心と身体を別物として分けた
デカルトの心身二元論から始まったもので、
そもそも昔は、科学と哲学は分離していなかったんですね。
まず王の未来を予想するための占星術があって、
星の運行を的確に知るために科学技術が発達していった、
という歴史がある… つまり共存していたわけです。
それが次第に逆転して物質主義となり、
20世紀には科学が圧倒的な位置を占めるようになってしまいました。
でも同時に、物理的には実在しない
「情報」と機械の関係が理論化されたことで、
21世紀という今の時代の科学は非実在も扱うことになってくるのでは、
っていう。
西川先生の科学の歴史概観、面白かったです。
宗教と科学、どちらに偏ってもおかしなことになるわけで、
やっぱりバランスが大切なんですよね。
ダライ・ラマ法王もおっしゃっていました。
「私たちの脳がどのようにふるまうのかを理解するためには、私たちはさまざまな感情と、感情の影響について研究しなければなりません。
なぜなら一方は、物質世界の知識を扱い、もう一方は心という内なる世界を扱うからです。私たちはその両方について知る必要があるのです。」
私は宇宙も哲学も大好きなもので、お二人のプレゼン、
楽しく聞かせていただきました。
ただ失礼ながら、私は偉い先生方のおっしゃることでも
鵜呑みにはしませんが。
知識・考え方としては取り入れるけど、自分フィルターを通した時に
「それは私にとっては真実ではないな」と思ったら、
それは「私の真実フォルダ」からは外れます。
「世間の常識フォルダ」行き(笑)。
ダライ・ラマ法王も
「仏教の教えを単に信じるのではいけない。自ら調べ、無知を取り除くことで心の健全さを養える」とおっしゃってますし、
そもそも仏陀が
「何処かで読んだ言葉だとしても、誰が何と言おうとも、たとえ、私の言った言葉であっても、汝自身の理性と常識にそぐわない限り、信じてはならない。」
とおっしゃってますからね〜。
私もそう思います。
そうしていれば、人のせいにすることもありませんし、
自分の選択で、自分の人生を生きることができますから。
かといって頑になることなく、柔軟であること。
一旦は受け入れて、それをどうするかは自分で考えるってことが、
大事なのだと思います。
しかし今回残念だったのは、
佐治晴夫さんと村上和雄さんも会場にいらっしゃったのに、
世話人というだけで、ほとんどお話が聞けなかったこと。
それにせっかくモデレーターが池上彰さんだったのに、
ディスカッション形式じゃないから本領発揮できないというか、
もったいない立ち位置だったこと。
池上彰さんがいて、あれだけの科学者が一堂に会しているなら、
もっと対話が行われる形に持っていった方がさらに有意義な会になった気がしました。
ところで皆さんは、去年参議院議員会館で行われた
ダライ・ラマの特別講演をご存知ですか?
安倍首相も含む国会議員の方々に向けてされた講演です。
「人類はみなひとつである、全世界は自分の一部なのだという認識を持つべき時が今来ている」という基本的なことから入って、法王がいつもよくおっしゃってることが集約されているので、よかったら皆さんにも見ていただけたらなぁと思います。
この中でも
「ある優れた科学者の方がこのようにお話されました。
彼自身は量子力学という分野の科学者ですが、
自分の研究している科学の分野に特別な執着をするのは間違ったことだと。
これは素晴らしい考えだと思います。
私自身も1人の仏教徒ですが、仏教という自分が信心している宗教にあまりに強い執着をするということは正しいことではありません。なぜなら私たち人間は執着の心を持った時に心は偏見に満ちたものになってしまい、他の人たちの立場などを理解すること、現実をあるがままに見ること、ができなくなってしまうからです。」
とおっしゃっていますが、
私はダライ・ラマのこういう常にフラットな姿勢がとても好きです。
自分を信じることはもちろん大切なんだけれども、
「私が正しい」ということにあまりに強い執着を持ってしまうと、
結局「あなたは間違っている」ということになってしまい、
偏見が生まれ、争いが生じてしまう。
国と国、民族と民族、という大きな枠組みだけでなく、
家族や友達、会社といった日常の身の回りでも、よく見かけませんか?
注意深くありたいところですよね。
11/25(月)には両国国技館で「日常の中で活かす仏教の智慧」という講演もありますので、ダライ・ラマのエネルギーを直接感じたい方はぜひ〜。詳しくはこちらで。