2013年 ホースシューベンドにて |
先日ヒプノセラピーを受けに来てくれたお客さんが
光のもとで神様(のような存在)に言われていたことを
許可をいただいてますのでシェアさせていただきます。
(ありがとうございます!)
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何かを生み出すってことをするんだけど、
ゼロから生み出すというより、育てるってことができる。
何もゼロから生み出すことだけがクリエイティブなのではない。
育てて花開かせるのも十分クリエイティブ。
そこに自分なりのエッセンスが加わってるから。
同じ種を育てても、人によって花の咲き方は変わるもの。
そういう方向のことをしてもいい。
相手にそった導き方ができるし、
相手にとって最善の形を模索してやっていける。
そこに自分がいないわけじゃない。
あなただからこそそれができるし、
あなたらしいクリエイティブな仕事になりえる。
ゼロから生み出す人達にコンプレックスを持つ必要もない。
それが上位なのではなく、役割が違うだけなのだから。
***
自分じゃない誰かに対して
「いいな、自分もそうしたいな、うらやましい」
って思うことってありますよね。
自分にはそれができない場合、コンプレックスを感じたり。
もちろんコンプレックスをパワーに変えて
やってのける人もいます。
それはそれで、素晴らしい。
でもみんな、当然ですが、
自分以外の誰かになんて、なれません。
だから、自分じゃない自分になろうとすると、
苦しくなります。
「どっちが上でも下でもなく
役割が違うだけ」っていう言葉が、
ヒントになる方もいるのではないかと思って
シェアさせていただきました。
役割って、どうも、生まれる前から大体決まっているようで。。
これは、誰とも代わってあげられないし、
代わってももらえない。
・・・って言ったら、
「人生へのモチベーションが下がる〜〜」
って、前に妹には言われてしまいましたが ^ ^;
それを「どのようにするか」ってことは
私たちの自由ですからね。
自我(エゴ)の部分では
「あの役割がいい」「この役割がやりたい」って
思ってしまいますが、
どんな役割にも、ぞれぞれの葛藤はあるし、
その葛藤を通して感じる感情を味わうために、
その役割というか、設定をわざわざ選んできているので、
ほんと、上も下もないんですよね。。
それは、それぞれの個性でもあり、才能でもあります。
個性=才能を生かせるのが、役割。以前レコード会社にいた時、
某国民的アイドルのプロデューサーが、
こんなことを言っていました。
若い頃はバンドを組んで音楽をやってたけど、
途中で諦めて、自分はプロデュースする側にまわったと。
で、大ヒット曲をたくさん世に送り出しました。
また、私が担当してた新人バンドで
売れないまま解散してしまった男の子は、
その後、プロデュース側にまわって
某人気バンドを世に送り出しました。
そういう話って、たくさんあります。
私自身も、マネージメントをしたり、
代表取締役ではなくて取締役とか、
そういう、「1番手ではなくて、
2番手の立ち位置でサポートするのが向いている」と
思いながら仕事をする期間が長かったんですが、
こうしてフリーランスで仕事をしてみると、
これが一番あってるんじゃないか?
って思ったりもするわけです。^ ^;
どっちもやってみたからそう思えるんですけどね。
やらないで、人に「あなたの役割はこれですよ」って言われても
いきなりそこには行けない。
なにせ、自分が納得しないとねぇ。
自分が納得するには、納得するまで実際にやるしかないわけで。
だから、こういうことを
私みたいな仕事をしている人間が言っちゃうと
もともこもないんですが、
使命と目的とかを人に聞いてもあんまり意味がないというか、
せいぜい「参考」とか「確認」程度にしかならないと思ってます。。
アクセス・バーズ(R)の講座では「答えは奪うもの」で、
「問いかけの状態であり続けること」が
可能性に常にオープンな状態を作ると教えますが、
「私の役割って何だろう?」と問いかけながらも
その答えが現れることには執着せずに
目の前のことに最善を尽くし続けるのが人生、
なんじゃないかな、と。
そうするうちに「これか・・・!」と
自分が納得するものに出会う、もしくは
すでにそれをやってる自分に気づく、みたいな感じで
おちてくる、ように思います。
何でも、一回やってみる、って大事です。
そこをスルーして、
遠回りせずに自分の役割にポン!ってハマる人は
あんまりいないんじゃないかなぁ…
近道なんて、ない。
だから、無駄なんて、ない。
ってことで、何でもやってみたらいいじゃん!!
そのためにここにいるんだから!
っていう、いつもの結論。(笑)
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