【お知らせ】
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5/12(日)ヒマラヤの山奥に暮らす、むっちゃんとのZOOMお話会vol.2(録画視聴可)、お申し込み受付中。詳しくはこちら
2024年4月より、RASのセルフケア講座、ファシリテーター養成講座、特別解放コース、ファシリ向けカラーカード講座の料金が10%UPすることになりました。

【リトリート】
7/9(火)〜14(日)加計呂麻島&奄美大島リトリート5泊6日は、残1席となっております。
現在、五島列島、天草でのリトリートのご希望をいただいております。2名いらっしゃったら日程を決めて、あと1名募集しますので、お気軽にお問い合わせくださいね。

【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より、ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。
レベル1を受講希望の方がいらっしゃいます。新規受講者3名以上でオンライン開催決定(4名以上で対面開催も可能)となりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/02/06

日々のドラマから気づけること。〜日々と宇宙の講座の宿題より


皆さんに、4回目の宿題を出しました。☺️


これでベーシックも最後ですしね、
今までのワークを駆使して総決算♪していただけたらと
思ったのですが、、
やはり、皆さん、難しかった模様。。😂

まあ、それくらい普段、私たちは
「キャラクターとしての私」と同一化してることがほとんど、
ってことですね。


それがずーっと普通で、これまで生きてきたわけなので、
そっちに慣れ切ってますから、
そうじゃない視座からみる、って、
最初は難しく感じるのが当たり前。


なんでも、そうですよね。

例えばスマホひとつとっても、今まで慣れ切ったスマホから
新たに機種変更した時って、「うぅぅ。使いづら!」って
なるものでしょう?😂
でも、それでも毎日使うから、そのうち、慣れる。


キャラクター意識→プレイヤー意識でみるってことも
慣れるまでやってみる、のをオススメします。


最初から、うまくやろうとする必要はありません。☺️
やってみると、自分の今の状態がわかりますからね、
そこが大事です。

「あぁ、もっと感情に寄り添ってあげた方がよさそうだな」
と感じたなら、それをしてあげて下さい。


ただ、それも、
「あの時、本当は寂しかったんだな」とか、
なかったことにしていた感情を自覚して、認めてあげるだけで
いいので、変に助長させないようにしましょうね。

悲劇のヒーロー&ヒロインに自分を仕立て上げてしまうと、
どうしても、被害者意識が大きくなるばかり、、ですから。
(それが悪いということではなく。ただ、苦しさからは
抜けられませんよ、ということです。)


これも「プレイヤー意識で出来事を見てみよう」とすると
わかると思うのですが、
含めていないと、そこから見るって、なかなかできないんです。

やはり、そこにまとわりつく痛みがね、
邪魔をしてくるんですよね。😅

かといって、この時、痛みと戦ってはいけません。
「切り離したい!」とか「なくなれ!」とか、
そうやって戦えば、痛みはむしろ大きくなってしまいます。


そこで、今までの3つの宿題でやったことも
活かす必要が出てくるわけですね。

全部、連動してますので。☺️

さすが受講生の皆さん、
そこに気づいて、やってみたりもしたようで。👍


だから、この講座が終わってからも
日々の中で、これまでの4つのワークをやっていってみると、
見えてくるものがあるかと思います。


今のこの感覚を覚えておくと、例えば半年後、
今よりもいかにスムーズにできるようになってるか、
自分で自分にびっくりするかも!?しれませんよ〜。😁

その違いを知ってもらうためにもね、
一旦ここでやっておいてもらった、というのもありますので。


この後、アドバンスコースにも参加される方は
またベーシックとは趣向の違った面白いワークも含め、
いろいろ用意してますのでね、
さらに理解が深まると同時に、腹落ちしていくかと🌟
お楽しみに。☺️


さてさて、また、
受講生同士がお互いに読み合えるように
ここに宿題の感想をシェアさせていただきます❣️

が、そうじゃない皆さんも、ぜひ読んでみてくださいね。

日々と宇宙の講座の感想は、結構よく読まれているのですが、
きっと受講生たちの思いや悩みに共感したり、
各々の気づきや試行錯誤に「なるほど!」とヒントをもらったり、
するからなのだと思います。☺️

みんな、本当に真摯に、
自分と向き合ってますから✨


ただ、この中にある質問には
受講生用グループLINEでのみお答えしてますので
何卒ご了承のほど〜。

また、受講生には必要を感じたフォローもできますが、
読ませっぱなしになってしまう皆さんには、
ズレが生まれてしまう可能性はありますので、
そこも、どうぞご了承くださいませ❣️




4回までの講座を受けて,消化不良だけど,気持ちの悪さはなくて,
今の⾃分がどこにいるのかがわかった感じです。 
まだまだ道は遠い感じだけれど,どちらに向いて,
どんなふうに歩いていったらいいのか わかった気がします。 

今までの私は,気分転換に気分転換を重ねて,
嫌なこと⾒たくないことに蓋をしてきました。
その前は,⾃分だけが我慢すればいいと
お腹の奥の⽅に⽯を積んでいくようなことをしていました。 

結構,⾃分では頑張ってきたつもりだったけど,
頑張るところを間違えていたというか, 
⼒をいれるところを間違えていた感じです。 

それも⾃分を責めるわけではなくて,
そうしないと⽣きてこられなかったから。
その時々で精いっぱいのことをしてきたんだね・・・と
⾃分に⾔ってます。 

今回の振り返りで気づいたことは,私以外の⼈に
マイルールを押し付けたくなる⾃分がまだいたことです。
「⾃分と相⼿は違う」その⾔葉は,
ちゃんと⾃分で意識してはいるので すが・・・ 
その⾔葉を⾔ってみることで,ある⼀つのできごとを
「どうでもいいことだ」と思えることもありました。 

でも,譲れないこともありました。 その譲れないことを
「なぜ,私のルールを通したいのか」聞いてみると,
「そうしないと 恥ずかしい」
「⼈から『この⼈はなんなの?』と思われたくない」と出てきました。 

「ちゃんとしていないと恥ずかしい」
強烈な思い出が⼆つあることを今回,⾒つけまし た。
というか思い出しました。。 

⼀つは,全く関係のない場所で出会った⼈に,
「ああ,あそこの散らかっている家ね」と ⾃宅のことを⾔われたこと。
そして,もう⼀つは,家庭訪問に来られた先⽣が次の⽇に
「散らかっている家があった」と話したことをその内容から,
すぐに⾃分の家のことだと思ったことです。

その⼆つの出来事がとても強烈に私の中に残っています。
その時は⼦どもでしたから,あどけなく,悪気もなく,
親に伝えてもよかったのでしょうが,
それすらも悪 いことだと思い,⾔えませんでした。 

今頃になってそんなことを思い出してとても驚いています。
この⼆つの出来事が⾃分の中の痛みとなって,残っているので,
そういうことに関連したできごとに敏感に反応してしまうのですね。 

今,実験でやっているのは,⾃分のルールに当てはめて
それに従ってくれない⼈に対して怒りを感じたとき,
そのまま感情に飲み込まれるのでなく,
⾃分の気持ちをちゃんと吐き出すことをしてみています。 

そのために,もう⼀⼈の⾃分(⼤⼈の私)を登場させます。 
⼤⼈の私は,「あらあら,どうしたの?」と優しく声をかけます。 
ちっちゃい私は,感情のままに答えます。 

ちっちゃい私
「だってぇ,〇〇さんが・・・してくれないのぉ〜〜〜!!!」 
⼤⼈の私「それをしてくれないと困るの?」 
ちっちゃい私
「だって,私がだらしがないと思われるのがいやなのぉ〜〜〜!!!」 
⼤⼈の私「そうなんだね,そう思われたくないんだね」 

こんなふうに⼀⼈⼆役をします。
そうすると,無理に⾃分を納得させたり,だれかを悪者にして
⾃分が被害者になったりすることがなくなってきます。 

このやり⽅に段々慣れてきて,⾃分⼀⼈でも
考え⽅を整理することができるようになっています。 
だんだん,「あれっ?私,少し前に何を怒っていたんだっけ?」と
怒りの時間が短くなり, 
いつまでも覚えていることがなくなってきました。 

そして,もう⼀つ。 
あるとき,何気なくテレビを⾒ていて,
⼥の⼦がそれまでの⾟かったことを思い出して, 
知り合いのおばあちゃんに抱きついて,⼤泣きしていました。
「私は,そういうことをしたことがなかったなぁ」と
ぼんやりと思いましたが,「うらやましい」とか
「うちの親があんなだったからできないわ」とか
そんなふうには思いませんでした。
そういう経験をするチャンスがなかっただけ・・・
それでもあんなふうに⾃分の感情を出したり,
受け⽌めてくれる⼈がいたりしたら,少しは違っていたのかな? 
まぁ,チャンスがあったらやってみるかもしれないし,
できないからといって不幸だとは 思わなくなっています。 

たぶんこうやって⾃分が少しずつ変わってきていることも
⾃分の⾏動を振り返らなくな ってしまうと,
以前の癖がでてくるかもしれません。
なので,時々,振り返りをしていきたいなと思っています。 

萬⼣さんに教えていただいたことがある⽇,腑に落ちて,
「あれっ?これかも!!!」と, 
ふと気づくというのも楽しみに待ちます。
時間がかかるかもしれないけれど,それも楽しみです。



キャラクター意識で感じたことは、
起こった出来事に対して、その都度、感情が大きく反応していて、
また、自分だけの世界で自分がどう感じているかだけに
フォーカスしています。  

一方、プレイヤー意識で感じたことは、
プレイヤー意識をまずは意識してみることで、
自分の世界で感じていた感情から少し離れることができました。
そこで初めてより冷静に、起こった出来事に対して
向き合うことができました。
そうすることで、相手の立場や相手の気持ちにも目を向けることができ、
視野が広がり、より全体をみることができました。  

その結果として、キャラクター意識のときに相手に対して感じていた
怒りやイライラしていた気持ちは、なんだかどうでもいいというか、
不思議と特に気にならなくなりました。
むしろ、キャラクター意識で感じた感情に寄り添うことの方が重要で、
より大切なことだったんだな、
起こったことに対して過剰反応していて
大事な内なる気持ちに寄り添っていなかったなということを
改めて認識し、頭だけでなく体験をとおして、より理解が深まりました。

これからも、今回の宿題のようなことを日々やりながら
内なる声に耳を傾けていこうと思います。



回を重ねるごとに、私にとっては宿題が難しくなってきているのですが、
今回の、心に引っかかりを感じた出来事をプレイヤー意識で体験する
という宿題もとても難しかったです。 

一度、宿題期間中に夫と罵り合うようなケンカをしたのですが、
怒りながらも、そんな自分を冷静に見ている自分がいました。 
これは数年前から出来てきてはいるのですが、
まだケンカの最初の取っ掛かりでは、自動反応しています。
(大体、夫が先に怒り出し、私がそれに自動反応するパターン) 

ケンカの途中から冷静な自分が出現してくる感じなので、
最初から自動反応しないようにしたいと思っています。 
でも、この俯瞰で見るような感じは、宿題に出された
「プレイヤー意識」とは少し違うのかも知れませんね。 

今回たまたま心に引っかかる出来事自体が少なくて困っていたら、
1週間後に送られてきた宿題リマインドで 
「今、そんなに引っかかりを感じない、という人は
過去の体験についてでいいので」 と書かれていたことに気がつきました。 

子供時代〜10代の頃の体験を被害者のままで終わらせたくない。 
ここを受け入れることが出来たら、
自分を解放してあげることが出来るのだ。 …そう思って
何とかプレイヤー意識で体験することにチャレンジしてみたのですが、 
あの子供だった自分は一体、どうすれば良かったのだろう?
どう受け止めれば良かったというのだろう? 
そんな疑問ばかりが浮かんでしまう。 

プレイヤー意識が無いと、
被害者意識をどうしても引きずってしまいますね。 
ここはまだまだ感情消化が足りていない、ということを再確認しただけで、
プレイヤー意識で体験することは出来ませんでした。 

そんな自分に必要な「自分に寄り添う」も上手く出来ず、
停滞している状態です。 だけど今「上手く出来ない」って書いたけれど、
これもまた言い訳で、多分、あの死にたいと思っていた頃の感情を
思い出したく無いのだと気がつきました。 
あの孤独と怒りと悲しみに向き合うのが嫌だったのですね。
無理強いせず、もう少し今の状態の自分を見ていこうと思いました。 

宿題とは外れますが、「外側に言いたいことは、自分に言いたいこと」
という言葉がありますよね?最近、つくづくその通りだな、と
強く実感しています。 それを自分に当てはめてみると、私は今、
すごく自分にこう言いたいようです。 
「いつまで眠りこけているんだ!
 自我(エゴ?)の自分に騙されていないで早く目を覚ませ!」 

垂直の世界を垣間見る、なんて
自分には無理なのか、と思ったりもします。 
でも、一筋の蜘蛛の糸のような希望を持っていて、
これは手放したくないと思っています。


宿題が出てすぐに取り組み始めたのですが、とても難しく、
始めると理不尽な目に合ういつものパターンの怒りの感情と同一化とか、 
いろいろと忘れていた昔の出来事とその時の感情や
相手の顔が蘇ってきて、マインドと同一化してばかりになってしまい
進まない 状態が続いていました…。

プレイヤー意識になれずにマインドに留まってしまう…。
それが以前より強くなっているような…。 
まるで真実、核心に繋がるのを避けているような感じがしました。
気づいたら提出日!あちゃーって感じです。
ただ今まで出てこなか った感情とかも現れてきたので、
そこは宿題を通じて今までより自分を見られるようになってきたのかな
とは思いました。 

なかなか進まないので、以前の宿題でも確かやったと思うのですが、
テーマについて自分の思い・感情を書き出し、
その思い・感情 の逆を書き出して読みあげてみました。 
そしてプレイヤー意識になってみようとすると、
どっちでもいい、含んでいく事が私はまだまだ足りないと感じました。
いっぱい 枠を持っているし、日々の中で枠に気付けていないなと。
せっかく講座受けてるのにマインドにどっぷりだなあと思いました。 

自分の枠・こだわりに気付き、どっちでも良いんだと含んでいく事を
日々の中でしっかり行っていくのが改めて大事だと実感しました。 
だからなかなかこの宿題も進まないんだなと思いました。 

また、進むのは怖いけどもうサレンダーしないといけないですね。
怖いけど今まで何とかなってるし…。
自分が失うと思っていたものを完全に失う経験をまだ私はしていないし、
もし失ってもそれも体験することで味わえることと
含めていけば良いのではないかと思いました。
枠に気付かせるためにプレイヤーの自分がシグナルを送っていることに
気付いていけるようにしたいです。 

あとは以前の感想でも書かせていただいた、
会議の時に緊張している自分が自分ではないと気付いた時の感覚も
大事にしたい、習慣化したいと 思っていて、
ただ何でもかんでも
これは自分ではないとバッサリ切り捨てるのではなくて、
そこに枠や感情がある事も気にしながら
やった方が 良いのかなと思いました。
これは私ではない=プレイヤー意識から離れること  
という認識でいいのでしょうか?
私はマリオじゃない!って プレイヤー意識・視点になることと、
これは私じゃないと気付くことは、
同じことなのかと宿題を通じて感じました。 

とにかく私は枠に気付き感情消化を続け、
含めていくことをもっと意識していかねばと今回感じました。 
萬夕さん、皆さんありがとうございました。



プレイヤーとしてみるというのが
分かるような分からないような感じがしますが、
なんとなく、最近の出来事で当てはめてみると、
「別にそんなにこだわる必要ない」というメッセージを
受け取っているのかなと思ってます。 
最初に思ったのであればそれに従えばいいのに、それから色々思考に走り、
結局は「あぁあ、結果こうあってほしいというのと違った、残念」
というようになってまして、ちょっと考えすぎな傾向があるかと。 
頭で考えて解決しよう、よくしようと思っているのですが、
そうではないと言われているようです。 

でもなんかプレイヤーという位置付けが曖昧です。 
「気づけよ」メッセージを送る役割なのか、あるいは
何か出来事が起こった時にはいくつかの選択肢があるはずで、
それがある程度見えるのがプレイヤー・・? あるいはそのどっちも・・? 
理解を助けるため、過去にあった出来事を振り返って
段階を整理してみようと思います。 

会社勤めしていた私は、毎日「あいつのこういうところがやだ」
「あの人、全然仕事しないのに」と文句たれでした。
でも会社に行って、我慢して座っていれば(仕事も楽勝だったので)
お給料もらえる美味しい仕事と思って一生続けていこうと思ってました。 
毎日文句言いながらイライラして。 これがエゴの私。 

で、ある時「辞めるも辞めないも宇宙にお任せします」と決めたところ、
その後、「あ、辞めよう」ときっぱり思えて辞めました。 
辞めるなと言われても、その思いは変わることなく、
スッキリと辞めることができました。 その際にはは、
「あー、これだけ入っている毎月の給料が・・・」と思うこともなく、
ほんとにスッキリさっぱりした感じでした。 
この選択をしたのがプレイヤーの私ですか? 
それとも、辞めようと思わせたのがプレイヤーの私なんでしょうか? 
あるいはメッセージ送ったのもプレイヤーで、
そのメッセージを受け取って選択したのもプレイヤーの私?
なんかそんな気がしてきました。 

辞めた後、いろんなことが次々と起こったので、
エゴの私は恐怖を我慢して、
プレイヤーが送ってきたメッセージを受け取って、
次のステップにジャンプし、
プログラマーが設定している体験に乗ろうとしたのだろうと思えます。 
それともメッセージはプログラマーから送られてきているのでしょうか。
どっちでもいいんですが、プレイヤーとは、という部分が
なんだか曖昧で気になりまして・・。 
でも、これってやっぱり思考に走っているエゴ私を
象徴しているようにも思えます(頭で整理しようとしているから)。 

私は何回か転職してますが、会社で学んだしたことって、
「一緒に働く人がどんな人か、が重要」ということでした。 
でも今考えると、そんな枠ないほうが自分も楽だったろうにと・・。
これがエゴの私が今までの経験から引っ張ってきている枠なんですね。 
勝手に「こういう人じゃないとダメ」と決めつけて、
周りで同じような枠を持っている人とグチを言い合って・・・
勝手にイライラしてました。これはどっぷりエゴの私ですよね。 

プレイヤーの私は、枠を持たず、
あいつが悪いと思わない選択もできたってことですよね。 
あるいは、例えば、またもや私の枠にはみ出る人をよこして、
「ほら気づけよ」とメッセージ送る役割ですか? 
いや、両方ってことな気がしてきました。 

気づけよメッセージといえば、主人と結婚することになったのは、
おみくじのおかげと思ってます。 恋みくじなるものを引いたら、
血液型、干支、年齢、星座などで、こういう人がいい、
みたいなのだったんですが、それを見て、
「あ、この人私知ってる」となり、今まで気にしてなかったけど、
気になるようになって最終的に結婚しました。 
でも結婚までにもいろいろあって、この人とじゃなかったら、
こんな体験はしなかっただろうなー(というかせずに逃げてた)
と思います。 
目を向けたくないところだったから、向けざるを得なくなって、
とてもきつくてエゴの私はどん底でした。 
結婚も無くなりそうだったんですが、もはやこれは
私がどうにかできるものではない、、、と手を離し、
他の方向に目を向け始めたら、結局結婚することになりました。 
プレイヤーの私は、そこでしがみつくことも出来たのに、
そうしない選択を取ったということでしょうか
(でもその時はしがみつこうとも思いませんでしたが)。 

で、結婚までの体験については、「ここ見てね、これに気づいてね」
の大きな一撃メッセージだったのかなとも思えます。 
過去に同じテーマに関する出来事(恋愛に関することではない)が
2回ほどありましたが、私は完全スルーしてまして、
ここで「ほら、こうなったらみるよね、気づくよね」という出来事を
ぶち込んできた・・・? 
ぶち込んできたのは、プレイヤーの私・・?プログラマーの私? 
おみくじは「引かされた」、つまりプログラマーの私の設定? 
おみくじはできすぎているなーと思うんですけれども。。 

と、いろいろ考えてしまってぐるぐる回ってます・・・。 
でも、何が起こっても、それをどう感じるかによるし、
「反応」は過去の体験によるもの、自分の枠を通したものであることは
わかってきました。
ある言葉の意味付けもポジティブにするかネガティブにするか、
それも自分次第、感じ方も自分次第。 
起こってくることは全て自分に必要なこと、ということを
胸において物事を見ていきたいと思います。 
最近は、「おばば」といわれても、
「かわいい」と言われているような気さえしてきます・・。
受け取り方の違いって本当に大きいのですね・・・。 

あと、自分はできない選択をしているような気がします。 
他のひとより自分を下においている。
これはまゆさんにご指摘いただいたことですが、確かにそうかも。 
できないから頑張らなくちゃ、頑張る自分好き。
私できないからいろいろ教えて(構って)。頑張ってるでしょ?私。
と思うような選択をしていると思うのです。
できないと思っていることは、本当は簡単にできることなんじゃないか
と思えてきました。 
きっとそれを体験したかったから今までやってきたのかもしれないですが、
前述のように思えてきたし、そろそろ次に行くのが良いのではと・・・
これってプレイヤー視点ですよね。 

 「思考」して頭を悩ませてても、全然糸口が見えないけれど、
考えるのやめた後、ふとした時に「あ」と思える瞬間があります。 
悩んで出す結果より、ふと降りてくるものの方を大事にしたいなー
と思いますので、考えるの控えるくせもつけていきたいと思います。



今回の宿題、一言で言うと簡単じゃなかった~。難しい~。
というのが感想です。 

10個書き出すまでの早いペースは自分も少し驚きで、
まだまだ出てくるものだなあと思いました。 
別のテーマもありますが、私にはお馴染みの
公共の場で迷惑をかけるかけないなどのテーマが一番多かったです。 

見返してみていったんプレイヤー意識になったつもりで
書き出してみたのですが、無理している感が。。 
頭でやっているだけで、全然プレイヤー意識になれていないことに
気づきました。 じっくり向き合ってみないとなと思いましたが、
なかなかできなくて苦しくて一旦離れたりしてみたり。 
ぐるぐるして、あーそうかとか。
4か月間で教えていただいたことも思い出しながら、挑むような感じで、
面白がるなんてとんでもなかったです。。。 

全体を眺めて思うのはどのテーマもすべて
「私とあなたは違う」という分離と「過去の痛み」からのものです。 
先日の感想の時に書いた、電車の中での電話などの迷惑行為も
テーマの1つですが、引き続き同じ状況の車両に毎朝乗り、
自分を観察し続けました。 
このテーマは私の中で他のテーマより軽く見ていたようなところがあり、
数か月前の体験でもう大丈夫なのではないかと思っていましたが
大丈夫ではなかったようでした。 

改めて向き合ってみると過去の自分はあらゆる迷惑行為をしていたことを
思い出しました。 
その頃の自分は迷惑行為だと意識してやっていなかったな
ということも思い出しました。 
まずその過去を自分はきちんと見て認めてはいませんでした。 
迷惑行為をして一緒にいる人に怒られたり、
見知らぬ他人に叱られたこともあります。
その時には傷ついたこともあったと思います。 
他には変質者にあったり、車内で酔った他人の吐瀉物が
自分にかかったことなど、電車が苦手になったのも
色々なことがあったのだと思いました。 
そしてその時の自分や感情と向き合って感情消化に努めてみました。 

現在の朝の電車の迷惑行為する方は慣れもあり、
気にならなくはなっていましたが、自分の中では
「含めた」までにはなっていないだろう。 
そんな気持ちのまま毎朝電車に乗っていました。 

そしてある朝、いつもの電車内で
全く別のひっかかりテーマについてうなっていた時、
自分の枠にこんなものがあったんだ。。。 というものを発見して、
ひっかかりがとれてゆるんだ瞬間があるのですが、 その時に
ふと顔を上げて車内を見まわしてみると、いつもの電話している女性は
とても幸せそうな顔をして話しているのが目に入りました。 
なんて幸せそうな顔をしているんだろう!と思いました。
そしてその日は前回の感想にも書いた強面の男性が目の前に
すわっていたのですが、その人もとても穏やかな顔をしていました。
怖そうじゃない、よく見ると全然優しそうな人じゃないか。
と思いました。 

景色が真逆のものスイッチして不思議でしたが、
その時は暖かいものに包まれたような幸せな感覚が
自分の中に広がりました。 
あ~人は見たいように見ているのだけなのだな、
見え方もふとした瞬間に自分の気持ち次第でこんなにも変わるのだな
と改めて思いました。。 いつかと似たような感覚ですね。 
これが数日前のことです。
あの瞬間の感覚を心のどこかにいつも置いておきたいなと思います。 

今回書き出したテーマを全部プレイヤー意識でやり直せたわけではない
とおもいますが、。。 思ったのは
キャラクター意識とプレイヤー意識で過ごすのでは全く違うもので、
真逆な感覚になれるということ、そしてキャラクターの自分を
愛おしいというか、支えてあげたいような気持ちになれました。 
そんな気持ちになれることも自分にとっては嬉しいことですね。 
なかなか向き合えずに苦しい時もありますが、、、
引き続きこのプレイヤー意識に取り組んでいきたいなと思います。 
そうしたらコツがわかってくるのではないか、楽しめるのではないかな、
そんな期待をしています。 
ありがとうございました!



今回の宿題、今までで一番苦戦しています。 
苦戦しすぎて、なぜか
提出日より1週間も早く提出してしまうという・・・笑 

その後、さらに1週間宿題を続けてみましたが、
やはりプレーヤー意識になるのが難しいです。 

過去の出来事を題材に書き出してみたのですが、
マリオ目線ならいろいろと 思うことがあるのに、
さあ、次はプレーヤーで!と思うと、あれ?? 気がつくと、
全く別のことを考えていたり、手近にあった本を読んでいたり 
you tubeを見ていたり・・・ 本当に無意識なのですが、
どうやっても脳がプレーヤー意識になるのを 拒否するのです。 

プレーヤー意識ってなんだっけ?と
過去の講座のノートを見返したりする始末 でした。 

なぜ過去の事柄を題材にしようと思ったかといえば、
過去のことの方が 感情が湧き上がってこないはずと思ったのですが、
記憶の奥に封印していただけで
その時の感情が昇華されたわけではなかったのですね。 
怒りや悲しさは感じなくはなっていても、だって~だし・・・と
自分を正当化 する気持ちが出てきてしまう。 
自分の感情に寄り添うところからもう一度初めてみようと思いました。 

講座と同時にゼニスも受けていた私は宿題を通じて以外にも
たくさんの気づきを与えて頂いたのですが、中でもこれ!というのは 
まゆさんにはすでにお伝えしましたが、10代からの口癖
「なんかいいことない かなぁ」が 
 「今日は何して楽しもうかな」に変わったことです。 

ある時ふと、これが頭に浮かんで
「あ、今までの私なら”なんかいいことないかなぁ”」って 
思っていたのにと自分でびっくりしたんです。 

結婚してからは何かと忙しくこの口癖がでることはなかったのですが、
最近復活していて 気づくと独り言の時もあるし、
友人との会話のふとした時に言っちゃう口癖だったのです。 
なんか私、変わったのかも!?と実感する出来事でした。 

まだまだプレーヤー意識までの道のりは長そうですが、
たくさんの気づきを与えていただ けたことに感謝します。
ありがとうございました。








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