ハレアカラ山からのご来光 |
RASの「ファシリテーター養成講座」及び
「解放コース39セッション」の中に、
「あなたが受けた最初の傷」を解放するセッション
というのがあります。
魂自体は最初から完全で、
誰からも傷つけられることはありませんから、
「傷つけられたように感じた」というのが言い方としては適切かな。
これ、今世ってことではなくてですね、
肉体に入るにあたって、の最初、になります。
魂が肉体に入るためには、肉体は波動としては低いですから、
肉体に合わせて波動を落とす必要があるわけです。
(波動が高いからいい、低いからダメ、
という発想はしないでくださいね〜。)
なので、
波動を落とすためには傷が必要なわけで。
傷がないと肉体には入れないので、
わざわざ「傷つけられたように感じる出来事」を経験したんですね。
最初に傷を与えた人(というかエネルギー体)を
音で特定していくんですが、
私は「ウ」でした。(笑)
「ウ」というエネルギー体さんが持っていた信じ込みも、
私がその、傷つけられたと感じた出来事を通して持った信じ込みも
同じ「正義だ」「不安」「愛されていない」だったので、
共通の信じ込みを解放したことで、
どこかに存在している「ウ」さんも、
同時に解放され、癒されたはず・・・ ^ ^
ざっくり言うと、
高次元レベルの憑依、みたいなもんです。
痛みで支えあっちゃってる感じ。
何を伝えたいかっていうと、
傷、痛み=信じ込みは、
そもそも肉体に入るために(人間やるのに)必要なもの!
ってこと。
そして、
魂は傷つかない、最初から完全なもの!
ってことです。
もともと何も欠けていない、完全な存在である私たちが、
「傷つけられた」と感じる出来事を体験して肉体に入り、
その時にできた信じ込みをベースに葛藤し、
葛藤は、自分の個性・本質と逆のことをしてるから起こるのだ!
ってことに気づき、
信じ込みを手放し、個性・本質へと還っていく・・・
っていう、
面倒臭いプロセスを、わざわざやるのが人生
です。
「信じ込みやブロックを全部取っちゃったら、
自分がなくなってしまうのでは・・・」
という恐れを感じる方もいるようですが、
肉体にいる限り、
全部なくなることはまずまずありません。
最後の最後まで残るもの、
それが個性・本質。
そして、その人にとっての人生テーマ。
となります。
人間の感覚でいうと、どうしても
痛みとか傷とか葛藤は<悪いもの、嫌なもの>って
くくってしまいがちですが、
決してそうではありません。
そりゃあ、もちろん辛いしキツイですよ。
私だってわざわざ体験したい!って
顕在意識では思えませんっ。^ ^;
でも、それでも
むしろ人間やるためには必要なのだ、って
葛藤があって当たり前、ってことを
受け入れてみると、
最終的には
どんな体験であってもギフトなのだ、ってことが
本当の意味で腑に落ち、
感謝の気持ちが湧いてくるんですよねぇ・・・
葛藤なくして成長はありませんし。
成長、進化は宇宙の摂理ですからねぇ。
どうしたって、そっちに流れるもの。
これ、いっても、
未消化の感情があったらなかなかできません。
無理やり感謝の気持ちにすり替えて
自分の本当の気持ちをごまかしては、意味がありませんからね。
そこは要注意!!
自分に素直になるのが一番!ですよ〜。
自分に嘘つくのは、やめましょう。
感謝できる人=いい人
感謝できない人=ダメな人
ってのも、信じ込みです。
「感謝しなければならない」で
自分を縛って、感情を抑圧しちゃあイカンです。
そうやって、ついつい人は二元論で分けるクセが
ついちゃってますが、もうやめなきゃね。
いいとか悪いとかではないので。
常識という名の集合意識にひっぱられないように、
いちいち意識的でありましょう。
覚者の皆さんは、口を揃えて
「何が起きても、大丈夫なのです」とおっしゃいますが、
本当に、大丈夫だから、大丈夫だと言ってるのだなぁ、、
ということが、
私にもだーいぶ、腹で分かってまいりました。
そもそも、
完全な存在が、わざわざ不完全な体験をしてるだけ、
な訳だもんねぇ。。
欠けてないのに、欠けていると信じ込む体験・・・
あるのに、ないと信じ込む体験・・・
同じなのに、違うと信じ込む体験・・・
違うのに、同じでないといけないと信じ込む体験・・・
妙なものです。
ここは、
信じ込み=観念の世界。。
ただ信じ込んでいるだけの時は、
思考と感情=自分
だと思ってドラマに振り回されますが、
「信じ込みを体験しているだけなんだ・・・」
って思えるようになると、意識のシフトが起きます。
何でもね、
信じる信じないは自由なので、
「仮にそうだとしたら」
って、一度は自分の中に取り入れてみて
気に入ったら採用してみる
気に入らなかったらポイ!
って感じでいいんじゃないでしょうかね。
「あなたは完全な存在です」
って言われたら、
どんなふうに感じますか?
「いやいやいや・・・」
「ありえない!」
って、思っちゃいます??
もし抵抗を感じたなら、
その抵抗とちゃんと向き合ってあげること。
つまり、ただただ、
未消化の感情を消化してあげること、
に尽きます。
完全になる、のではなく、
完全である、ってことを思い出すだけ。
それは、
何かを知ることでも、
何かができるようになることでも、
ありません。
これからは、
みーんなが、目醒めて生きる時代。
なんて面白い時代なのでしょうか。
選んで生まれてきたんだけど。(笑)