【お知らせ】
2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

【リトリート】
2025年も2/7以降で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、リクエストいただいてます。他にも希望者いらっしゃいましたら、まだ日程確定前なので、調整できるうちに早めにご連絡くださいね。今回の告知はしてませんが、以前の告知、こちらを大体の参考にしてください。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。


【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/05/01

日々と宇宙の講座ベーシック第二期1回目の、皆さんのご感想


4/24に1回目を開催しました、5回連続の


受講希望の皆さんのご都合で調整したら、
奇しくも、アドバンスと同じ日ってことになりまして、
私、午前も午後も、めいっぱいしゃべり続けるの巻、
でございました。😂


まぁ、何度もお伝えしている通り、
何かを成すとか、何かを得るとかのためではない、
本質的なところをお伝えしていく講座ですので、

準備ができていなかったら興味すらわかない、、
まだまだ一般的に見たら、マニアックな内容です。


でも、人間、行き着くところは皆同じ。
(今世で、とは限りませんけど。😂)
最終的にはここしかないでしょう、と
私は思っておりますけどね。☺️


なので、やるかどうか分からなかった第二期ができること、
こうしたことをお伝えできる方々が一定数いらっしゃること、
私としては、とてもうれしいです✨


ではでは、ご感想を、受講生同士が読み合えるように、
そしてそこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的として、
ここにもシェアさせていただきますね。☺️


ただ、アドバンスのご感想の方にも書かせていただいた通り、
キワな内容をお伝えしているため、「わかったつもり」でも
簡単に誤解やズレは生じやすいです。

受講生には、ズレが生じても、LINEグループや次回の講座などで
軌道修正できますが、(質問にもそちらでお答えしています)
このブログだけを読んでいるみなさんには、それもできません。

なので、気づかずにズレてしまう可能性はある
ということはご理解の上、読んでみてくださいね。☺️

ズレることが悪いわけではないですし
(苦しくはなりますが😅)
それよりも、読むことで起こるかもしれない気づき、
が、より大事かと、思っております。✨


また、アドバンスに進まれたみなさんも、
ベーシック第二期のみなさんのご感想を読むことで
改めて気づくこと、「自分も同じように思ってたなぁ」と
懐かしく思い出すこと、も、あるんじゃないかなぁ…☺️

逆に、ベーシック第二期のみなさんも、
第一期のみなさんのご感想を改めて読んでみるのも、
いいかもしれません。

同じことを感じている人を見つけて「あ!一緒だ!」
って共感するのも、またね、楽しいかも♪



【フィルター】 
フィルターのお話を聞きながら、以前まゆさんが書かれていた
こちらの記事に思考がリンクしていました。 


 しかし、問題は、その人が何をしたかということではなく、 
 あなたがそれにどう反応したかということです。 
 つまり、あなたの苦しみの原因は、あなた自身の解釈にあるのです。 
 「許し」を通じてのみ、あなたは、自分が経験したことを変容させる 
 ことができます。 
  
「ある事象」に対して、その人がどう反応したかによって、つまり、
その事象に対するその人の解釈から、
それぞれ生じる痛みや苦しみが異なります。

これはゼニスのプラクティショナーがカウンセリングの段階で、
無理にほじくり出さなくてもいいと思いますが、
可能な範囲で見つけ出せるといいポイントだと思います。
なぜそのように反応したのか?という、反応の裏側とその奥も含めて。

特に私は神経が図太いのか、芸人魂がすごいのかわかりませんが、
私はまぁまぁエグめの事が起きても、「いやオモロすぎるやろ!」
「この人キャラ光りすぎやろ!」と思って基本大爆笑してしまい、
目線がお笑いに偏ってしまっているので@基本全部ネタとしか思えない、
自分のぶっ飛んだおもろな~れフィルターも自覚しつつ、
相手のフィルターを通して見えている見え方、そして
そのフィルターが形成されるに至った経緯に寄り添っていこうと思いました。 


【引き寄せは必要ない】 
実は最近、自分の人生を振り返った時に
「これは自分でも成功体験だったと思う事」を挙げて、
その成功体験をつかむ前、例えばそれを手に入れたくて祈り倒したり、
それこそアファメーションとか、
他に何かスピリチュアル的な事をしたか?という事を振り返っていたんです。

私で言うと、仕事や仕事仲間、お客さんには
とてもとても恵まれたと思います。でも、昇進も昇給も海外出張も、
望んだ事もなければ、会社や上司にそんなお願いを自分からした事は
一度もありませんでしたが、すべて流れでそうなっていきました。

逆に神社仏閣で必死に願った事は、どれも叶っていないかもしれません(笑) 
手に入れられないと思っているから、欲しいと思って、それで叶わなくて、
更に執着していたと思います。 

私は会社ではマネージャーをしており、自分のグループの人事マターは
人事部ではなく自分で対応しているので、
採用も基本的には自分一人で完結させています。

最近新しく3名の方を採用したので、
別部門のマネージャーと採用の件で話をしていたところ、
その部門に所属している、決して仕事ができるとは言えない子から、
理由も明記せず(例えば自分は新規の業務がどれくらいのスピードで
どれだけの量できるようになったからという根拠も記載せず)、
ただやる気が出ないから給与を上げろとだけ言われたと聞きました。

私もその子と仕事で絡むことがありますが、初歩的なミスが多い上に
ものすごく仕事が雑です(笑) 
私はそれを聞いて、本当に会社から必要とされている人ならば、
会社がお金を積んででも引きとめるはずで、
向こう(会社)からそれをしてこない時点でなんで気付かないんだろう
(なんでわざわざ自分から給与上げろと言いに行くんだろう)。。。
と思ってしまいました。

目の前にある仕事を心を込めてこなし、
自分の提供した仕事に対して喜んでくれる人がいれば、
それが自然と評判を呼んで更に仕事が増え、
お客さんや同僚からの信頼と評価があれば、
自然と会社は自分を放っておけなくなると思います。

目の前の仕事やお客さんに対して、真摯に、
そして心を込めて誠実に向き合っていれば、
結果は後から自然とついてくるもので、
先に「お金」という結果を求めるのは順序が逆だし、
動機が「お客さんの喜び」とか「お客さんの笑顔」ではなく、
「自分の懐に入ってくるお金」になってしまっているから
仕事のクオリティーがその程度になってしまっている、
だから自分自身評価されない
(会社なので仕事のパフォーマンスが評価されない)
って気付かないのかな。。。と思ってしまいました。

給与を上げてほしいから、
「やる気出ないから給与上げてください」とだけ上司に言いに行くって、
まるで「北風と太陽」の「北風」のように、
力ずくで上着を吹き飛ばそうとしているようにしか思えませんでした。 

先月、昔某国の某大手企業で社長をされていたMさんと、
同じ五黄の寅年同士@36歳差、奈良県の朝護孫子寺に行ってきました。
Mさんはある時、某国から突如日本に呼び戻され、
不祥事を起こした某大手企業の関連会社の社長に任命され、
その会社の再建を命じられた方で、
当時記者会見などにも対応されていたのですが、
Mさんの代で会社は見事に立て直しに成功しました。

Mさんの座右の銘は「他力本願」
(Mさんの言う「他力本願」はちょっと違う意味ですが)だと言います。

Mさんも、社長をやりたいとか、昇進や昇給を自分から願ったり
口にした事は一度もないと言っていました。
目の前の仕事を一生懸命やっていれば、
必ず自分に適性のある方向から声がかかる(誘われる)から、
その方向に進んでいくだけだといつも言っています。

確かに自分だって、「この子ならこの仕事を安心して任せられる」
「この子はこれが得意だからきっとやれるはず」と思って仕事を任せます。
逆も然りです。
自分に適性がある方向から声がかかるってその通りだと思います。

だからMさんは社長をやりたくないと内心思っても、
適性があるから呼ばれたのだと思って、流れに逆らわず、
呼ばれた方向にただただ進んできたと言います。
(これがMさんの言う「他力本願」です。) 

私もMさんの言う事に心底共感しつつ、一方で、
「金くれ」とストレートに上司にお願いしている北風の彼女を見ていて、 

それワシやないかい!! 

と、さんま師匠から未だにホテルニューオータニでの浮気を
いじられ続ける陣内智則の如く、
内心自分に全力でつっこんでいる自分がいました。 

私は"人"に対して仕事上こんな事をモロに言っていないだけで、
神社仏閣では仕事やお金以外の事をめっちゃ願って、
手に入らないものをなんとか手に入れようとしていたのだと、
彼女を見ていて思いました。 

まゆさんがよく「人に言いたくなる事は自分に言いたくなる事」
っておっしゃっていますが、これもそうだと思います。 
私も人にあれこれ言いながら、よく心の中の陣内智則が 

それワシやないかい!! 

と叫んでいます。
でも、「それワシやないかい!!」って思えない(内省できない)と
結局何の学びにも成長にもならないので、
「それワシやないかい!!」ってめっちゃ大事やなと思います。

さんまのお笑い向上委員会(improvement committee)で、
陣さんがさんま師匠に「それワシやないかい!!」って叫んでるの見て、
「そう、『それワシやないかい!!』が向上に繋がるんや。
まさにimprovement committeeや」って思いながら
向上委員会見ちゃってる自分がいます。←何の話? 

結局最後がお笑いオチになってしまいましたが、
今日の講座だけでなく、
以前まゆさんからお聞きした事も含めての感想でした。



昨日は第1回日々と宇宙の講座をありがとうございました。
まだまだ咀嚼中ではありますが、感想を送ります。 

まず、何か得ようというのではない純粋な興味で
この宇宙の仕組みについて学べるということで
好奇心が満ち溢れてワクワクしています。 

今回いちばんガツンと衝撃を受けたのは、
振動数が高いものがいい、低いものや分離が悪いわけではないということ。
無意識になんとなくのイメージでいい悪いに振り分けて
そうゆうものなんだと思っていました。 

野菜の例は価値判断なく考えられて、とてもわかりやすかったのですが、
分離っていってもそれぞれの違いってだけであって、
それだけでいい悪いはないのだとハッとしました。
むしろそれぞれ違うからこそ個性があって、
それも肉体があるからこそ感じられることで
それはそれで豊かなことのように感じました。 

だから何を選ぶかであって、なんでもありなんだな。
選ぶ自由があるんだな。バランスを取るということなんだな。
とにかくいい悪いじゃないんだなということが心に残っています。 

なんとなく善い行いをしてレベルアップしてこそ天国に行ける
というような到達点のような漠然としたイメージが刷り込まれていたな。。 
自分のフィルターはそのように世界を映し出していたんだなと思いました。 

スピリチュアルってなんとなく高尚でいてなんぼなイメージだったけれど、
それも勝手な自分のフィルターだったんだな、
もっと壮大で色々含んでるものなんだなと思いました。 

また、引き寄せと願いを叶えたいという純粋な願望についても
色々混同して考えてしまっていましたが、
自分の中で勝手に定義づけられてしまっているものを再点検して
それだけじゃない世界の存在っていうのをなんとなく理解しているだけで、
少し立体的に感じられるなと思いました。 

不可知の世界はわかり得ないかもしれないけど、
存在を意識してみるちょっとロマンチックというか
絶対分かり得ないけどそこに含まれている自分を
少しイメージして感じてみる。。大いなる宇宙、深いな。 

そしてなんて面白いんだろう。。 
これからどんなに私の常識覆るんだろう。。 
ギュウギュウになっている頭に
風穴開けられるのが楽しみで仕方ありません! 
次回もよろしくお願いします🌈



先日の第一回目の講座ありがとうございました。 

見直して何度も聞けるの良いですね。 
やっぱり細かいことは結構忘れている事もあったり、
繰り返し聞く事で、納得できたり、閃いたりする事もありました。 
なるほどと思うことがたくさんありました。 

自分のフィルターを通して見ているの話しのあたりで、
同じ家にいる家族の話が出てきた時は、まさに私もそうだったので、
本当にその通り〜と思いました。 
1番近くにいる人なのに、なぜこんなに分かり合えないのか、
と深く思っていた時期があったので、とても納得でした。 

起こっている全ては私が作り出しているという知識はあったのですが、
そうは言っても実際は相手がやってる事なんだから、
なんで私のせいなんだ、どうすりゃいいんだよ、
とその頃はだいぶ思ってました。 
私がドラマの中にどっぷりハマっていたという事なんでしょうね? 
最近でもイライラしたりする事もありますが、
なぜこのような出来事が起こっているのか?と
考えられるようになりましたし、ある程度は、いろいろな人がいて、
いろいろな考えがあるんだと思えるようになり、
ジャッジする事は減ってきてると思います。 

あと、話を聞いていて思い出したのが、少し前にやっていた
「ミステリという勿れ」というドラマです。 
主人公が、真実は一つではない。人の数だけ真実はある
と言っていました。 
いじめる人といじめられる人、それを見ている人、
それぞれの側からの真実があるというような話だったと思います。 
わざとではないと言う人、いじめられたと言う人、
いじめがあるのかどうかは、その人それぞれの主観による、みたいな。 
それを見ていて本当にそうだと思いました。 
あるのは、起こっている事実だけ。 
世界で起こっている争い事にもその人それぞれの真実があると。 
まさに、先日のフィルターの話なのかなと思いました。 

それと、人からの態度で自分が嫌われてるかも?と思ったり、
LINEの会話で不快に思わせてしまったかも?とかも、
あるある〜と思いました。 
今は以前に比べると気にならなくなってきましたが、
悶々とした経験があるなーと思いました。 

引き寄せの話も興味深かったです。 
引き寄せのやり方ってすごーくたくさん世の中に出回っていて、
良い事なんだっていう認識でした。 
めんどくさがりなので、引き寄せは結局ちゃんとやれたことないですが、
ホオポノポノはちょっとやっていたことあります。 
なににせよ、やりすぎは良くないということなのかな? 
中庸が大事ということなのかな? 
でも、良いとか悪いとかないから、やりたいようにやればよいのか? 

分離がないと統合もないって、言われてみればそうだなと思いました。 
葛藤は分離に気づくサインって言葉、
なんだかすごい良いなとおもいました。
そして、自分のテーマに気づく。 
そうやって繋がってるんですね。 

振動数の話も、無意識に高い方が良いと思ってました。 
よく波動をあげるとか、波動に合った人が寄ってくるとか聞きます。 
嫌な人がいたりすると、自分の波動が低いからなんだろうな?とか、
思ったりもしていました。 
最近は嫌な人にあまり会わないですが、
まだいろいろ体験する段階だから、そういう事があってもよいんでしょうね。 

ふたつ目のワンネスのあたりはまだよくわからない感じがありました。 
自分が創造主だとか、自分が宇宙みたいな事は聞いたことはあるのですが、
ワンネスが2種類あるというのは今回初めて聞いた気がしました。 

ここ数年毎朝、ミカエルと龍と天使に一日楽しく過ごせますように
とお願いしていて、だいたい幸せな一日を過ごせているのですが、
それらも結局は自分だったという事なのでしょうか? 
ただ単に自分に言い聞かせてるって事だったのかな? 
あと、宇宙存在に助けてもらいましょうみたいな、
宇宙人と言われる人たちも結局は自分という事なのですね? 
全部が自分なんですもんね。 
そこら辺がなんだかごちゃついてます。 

今はまだこういう話が自分の中に落とし込まれてないなと思うのは、
じゃあ同じことを説明して下さいと言われても、
それはできそうにないなと思うことです。 

今回も、この講座を受けることを家族に話したら、
「また変な宗教みたいなやつ?」と言われてしまい否定しましたが、
それがなんなのかの説明はできないのです。 
「違うよ」としか言えなくて。 
すごく否定されるわけではないのですが、少しもどかしかったです。 

動画を見ているときはたくさん納得できるのですが、
あっという間に忘れてしまいます。 
何度もみないとだめですね〜 
そのうち、知識ではなく、自分の内側に腑に落ちるときが来るんでしょうね? 
そのときが楽しみです。 

自己紹介の時に、ちらっと話しましたが、
元々スピリチュアルは好きでしたが、本を読む程度でした。 
その後結婚した主人の両親は、悪い人ではないのですが、
同居した事がつらくて、それをどうにかしたくて
セッションなどに行きだしました。 
それと、夫との間で息子に対する意見の食い違いや、
家のことを何もしてくれないなどで、かなり険悪な時期もありました。 

今は、義母は亡くなり、息子は高校、大学進学で
家をずっと離れているので、それを境に状況はかなり改善しました。 
特にコロナ禍になってからは、夫と娘と3人、あと、義父はいますが、
穏やかな日々が続いています。 
辛かった頃から、いろいろな本を読んだり、まゆさんのところで
セッションやヒプノ、他のところでもアカシックレコードを見ていただいたりなどいろいろありましたが、その都度これという目立った変化があったわけではなく、
後から考えたらなんとなく良くなっているなぁという感じで、
徐々に徐々に変わってきたような感じです。 

まゆさんに感想を送った方が良いんだろうな〜と思いつつ、
特にこれといった出来事があるわけでも、
感じるような事もあるかないかくらいだったので、
特段書く事ないな〜という感じでした。 

以前、義母の介護は私一人でやっていたのですが、
今では義父の介護は夫と義兄がいろいろやってくれて、
かなり楽になりました。 
主人も以前よりは家のことにだいぶ協力的になってくれています。 
ここ数年は、あまり嫌なこともなく、平和な日々を過ごしています。 
これってなんなんでしょうか? 
きっと、私がかわったからなんですよね?
でも、自分でもなぜだかよくわかりません。 
特にスピリチュアル能力があるわけでもないし、
出来事があったわけでもないし、
いつのまにか良くなっている感じなんです。 
そこがなんだか少しモヤモヤする感じでもあります。 

ゆるせた?手放せた?執着しなくなった?
ってことだったのでしょうか? 自分自身の嫌なところを
まあいいかと思えるようになったからでしょうか? 
内観すれば良いのでしょうか? 
きっと、小さな変化が私の中に起こっていたんだと思いますが、
自分では気づく事ができていません。 

この感想を書きながら、今の私が知りたいのは
そこらへんなのかもしれないと思いました。 

今回の講座をきっかけに、
こんなような事が少しでもわかっていけたらなと思います。 
あと4回どんな話が聞けるのか楽しみです。よろしくお願いします。 

いろいろ思い返していたら、とても長くなってしまいました。
最後の方は話がずれてしまったかもしれません。すみません。



第一回目、面白かったです。わかったようなわからないような、
何とも言えませんが、感想を送ります。 

引き寄せについての話で、
自分が婚活しているときのことを思い出しました。 

30歳を過ぎて、今後結婚や子どもをどうするかどうしたいのか
考えたことがありました。「絶対に結婚したいし子ども欲しい」とも
「いやいやどちらも必要がない」とも
どちらかにはっきり決めることはできませんでした。

その時、特に相手がいるわけでもなかったので、
「とりあえずどうなるかわからないけど、自分なりに頑張って
相手を探そう。結婚を目指そう。そして、もし結婚出来れば
次に子どもを望もう」、と思いました。ただ同時に、
「やるだけやってダメだったら結婚できなかったら
それはそれでいいじゃないか、自分なりにやってみたけどダメだったな、
ということで、 実際に今結婚してなくても楽しいし
自分はそういう人生なんだ」、とも思っていました。

子どもについても、「子どもも血のつながった子どもだけじゃなくて、
里親や養子縁組もあるし、自分の子どもが望めなくても
別の道もあるんだよな」、と考えていました。 

その後は、私の場合自分に「絶対結婚する」と言い聞かせないと、
何もせず何も変わらない可能性が高かったので、
意識して行動するようにしました。 

婚活については、私はその後結婚し、子供を授かりました。
結婚も子どもも自分だけでどうにかなるものではないので、
上記のように考えたから結婚できたわけでも
子供を授かったわけでもないと思いますが、まゆさんの話を聞いて、
「そういえばあの時はそう考えていたなぁ」、と思いました。 

あと、悪口の話や自分は幸せだと言い聞かせる話は興味深かったです。
善悪など、白黒はっきりさせたほうが私としては楽なのですが、
自分をジャッジしすぎてはいけない、というのは難しいなぁ、
と思いました。でも、自分をジャッジしすぎて
ぐちゃぐちゃになっていることはあるかもしれません。

何かの出来事に対して、自分の行動が間違っていた場合、
間違っていると認めることがつらかったり、
そのつらさを少しでも和らげるために自分の行動の正当性を考えたり、
人のせいにしたりしてしまうことがあります。
それはミスはいけない、間違ってはいけない、と決めつけているから
なのでしょうか。 また、多少つらくても、自分は幸せだ、
と思っていたほうが良いと思っていました。 

何事も切り捨てずに、含む、受け入れる?ことって、
なんだかとても難しくて、一体どう物事をとらえたらいいんだ、
となりそうです。でも、これも頭で理解しようとしている、、、
とぐるぐるしてきますね。 

この感想を書きながら、これでいいのかなぁ合ってるのかな?、と
ここでも正解を考えてしまっていました。



数年前に統合という考え方やその方法を知って、
感情を手放すということを一時期集中してやっていました。 
自分を解放するためなのになぜかどんどん苦しくなっていく。 

やっているつもりでよく分からない手放すという感覚、
なんで私はできないんだろう…駄目だなぁ 

どうせ私にはできない→諦める→いじける→しばらく無→苦しい
→現実を変えたい→もう一度挑戦→もやもやする→冒頭に戻る、
の繰り返し。 

 『振動数は高い方がいい、低いのはだめだ』という刷り込みがある
という話でしたが、
低い分離した今までの自分では幸せにはなれなかったから、
高くすればこの状況が改善すると思い、
ひたすら高くすることを目指していました。 

現実をよくしたいという統合は、すべてを含んでいくはずが
知らず知らずのうちに偏って執着を生んでいました。
覚醒体験とか本気で羨ましいと思っていた時期もありましたし…。 
そうなれば自分の存在を認められる気がしたし、
人生が劇的に変わるとさえ思っていました。 
変えたいという思いの底には自己否定が強くあったのだと思います。 
そして統合をしているつもりが、それをすることを通じて
様々なことをいい、悪いとジャッジして
自分のフィルターを厚くしていたと思います。 
結果的に習った統合のメソッドを手放して今に至ります。 

そんな経緯もあり統合についてなんとなく知っていましたが、
統合とは分離したものを含んでいくことという図がとても分かりやすく、
頭の中にすんなり入ってきました。 

そして切り捨てるシンプルを私はしているかもしれないと気付きました。
仲良くするのは分かってくれる人だけでいいとか…
自分の小さな世界に閉じこもって、
言わないから気付けない周囲に向かって勝手にいじけている姿
が浮かんできました。 

でもそんな自分もこきおろすのではなく、
私の一部として含んでいきたいと思います。 

そして今度、人に対して批判的になった時には
『自分と相手とは別ものだという分離が、今ここにある』
ということを思い出します。 

『私はそんなこと絶対にしない』は、
『自分に対してそんなこと絶対にするなよ』と言っていることと
同じだと聞いたことがあります。 

あらゆる可能性を自分にゆるしていくこと、選択肢を自分に与えること。 
直接相手を受け入れられなくても、自分に許可することで、
いずれは許容範囲が広がるような気がします。 

先程の、あらゆる可能性を自分にゆるしていく、という言葉を書いた時に、
自分の心と身体がふっと緩む感じがしました。なんか嬉しかったです。



自分にしか自分のことを傷つけることができないというお話 
自分のことを愛せるのは自分しかいないというような 
よくきく文言と同じ意味合いなのかなと思いました。 
傷つけているのは自分で 他人が切りつけてきているわけではない 
いつも人のせいにしたいと思っていたなぁと。 
ゼニスで『許し』のシートがよく出てくるのもそういう事ですね。 

できる限り人との摩擦を避けてきたし 
閉じこもる事が好きで(必要を感じて)定期的にやっています。 
摩擦も悪くないなと思うこともあります。 
切り捨て始めるという事も実感しています。 
歳を重ねるとそうなってしまいがち。 
切り捨て始めると自分も受け入れ口が狭くなってしまって
辛いんですよね。 

人のために何かをしてあげたいという気持ちは葛藤を生み出す
ということ 
してあげたい、は自分のエゴという事は勿論 
思い通りに行けば見返りを求めていたという事 
思い描いていたようにいかなければ 
苛立ちや葛藤を生み出します。 

世話焼きな母の姿を見て 
そこまでする必要はないと常におもっていたけど 
役に立ちたい、必要とされたいという欲によって 
自我が前に前に、必要とされていなくても 
あの手この手でどうにか役に立とうとしている自分が 
葛藤をうみだしていたのです。 
どちらでもいい 
役に立たなくてもいい 
主張を辞めるのではなくて 
押し付けを手放すということ。 

宿題をやってみて 
自分は自分以上に背伸びをして無理をしているなぁ
というのが一貫してありました。 
最終的にすべては自由で 
決められたことは何ひとつもないと、また言われているようです。 
それは常日頃から人に伝えようとしている事で 
自分は真逆を生き、
最も求めている『自由』という答えを隠していたのです。 

ちらっと出てきた差を取っていくというお話がきけるのも楽しみです。







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