皆さんに、『ご自分の中の日々の分離』に気づいていただくための
宿題を出しました。
宿題の詳細については書けませんが、
皆さんの許可をいただいて、
ここにもシェアさせていただきますね。☺️
(ありがとう❣️)
受講生同士が読み合えるように、というのがメインの目的ですが、
参加していない方でも、お読みになると
共感することや気づかれること、
あるんじゃないかなぁ、と思いますよ🌟
(全貌を知らないと、よくわからないかもですが。😂)
アドバンスに進まれた方も、読んでみると、
今だから気づけることも、あるかもしれません。👍
<気付いた事=やはりバランス>
「自分の中の分離に気付いた時」を、ここでは
「日常で違和感(イライラ、もやもや等)を感じた時」とします。
違和感を感じた時に、自分のブロックと思われる事と反対の事を
口にした時に、大まかには下の1) 2) 3) のように感じるのですが、
実際は1) 2) の中間、2) 3)の中間…のような感じで、
もう少しグラデーションが細かくあるような気がします。
1) 張りつめた風船が一気にしぼむように気が楽になる
2) 対極を捉えれば腑に落ちる感がある
3) しっくりこない
1)は、自分が一つの事にこだわりすぎていた時に、
「他を見てもいい」と口に出すと、
ものすごく肩の力がふっと抜けるような感覚があります。
2)は、例えば、混雑した街中で肩がぶつかって文句を言われ、
心がザワついた時に、「感情をぶつけてはいけない」のブロックに対して、
「感情をぶつけてもいい」と言ってみれば
ニュートラルな気持ちにはなります。
でも、同様の出来事について、
「感情をむき出しにすべきでない」に対して、
「感情をむき出しにしてもいい」と言ってみると、
ちょっとニュートラルな気持ちになりにくいです。
(これはカテゴリー分けすると、2と3の間に入ると思います。)
3)は、知床遊覧船のニュースを見て、
あの杜撰な経営と管理体制に呆れたのですが、
「(人命を預かる遊覧船の事業主なのだから、安全管理については特に)
責任感を持つべきだ」に対して「責任感を持たなくていい」
と言ってみると、これは時と場合によると思いました。
1)は、自分がかなり偏りすぎた所(シーソーの端)にいる時は、
対極(もう一方のシーソーの端)を捉えると、ものすごい力でぐいーん!
とバランスが取れるから、このように感じるのかもしれません。
2)は、シーソーの端よりは少し中心寄りのところに自分がいるからか、
「あぁ、そういう考えもあるよね」とは思いますが、
1)ほど一瞬で風船がしぼむような力強い感じはしません。
3)は、対極を捉えても、対極をそのまま受け入れるかどうかは
時と場合によります。人命を預かる事業を行うのであれば、
人命に直結しない仕事よりは、業務中については
責任感と緊張感の感度は高めに持った方がいいと思いますし、
一方で、あまりに自分を責めて苦しくなるようなら
(例えば自殺が頭をよぎってしまうようなら)
責任感に縛られすぎなくていいと思います。
事業の内容、ポジション、業務中かそうでないのか、
現時点での状況等々に応じて、責任感を高めに持つ場面と、
責任感にしばられない場面とを使い分けた方がいいと思います。
課題をやってみて、私が思うのは、
・やはりバランスの問題
・バランスが取れるポイントは、常に陰と陽の中心にあるとは限らない
(シーソーのように、単純に右側1m, 左側1mの中心地点
というわけではない)
・場面場面によって、バランスが取れるポイントは右1.5m、
左0.5mかもしれないし、右0.8m、左1.2mかもしれない
・バランスを取るためには、対極を捉えて、そこから引き算をして
バランスが取れるポイントを見つける事
以上が今日時点での感想になりますが、今後ももちろん続けます。
まゆさんがおっしゃっていた、これを「習慣化する」という点も
非常に共感しています。
所謂「仕事ができる人」と呼ばれる人は、会話をしていて、
私が自分のグループで起きたいざこざの話や、
私が私生活でやらかした出来事を話すと、すぐに「私も気を付けよう」
と自分事に置き換えて教訓にするのを当たり前にやっている
といつも感じます。
これも良い悪いではないのですが、学びや成長は早いだろうなと
いつも思っていました。今回の課題とこれとは毛色が違いますが、
ある捉え方を習慣化していくという点で、大切さを感じています。
一方で、マネージャーをしていると、就業規則違反があれば
注意をしなければならない事もあるのですが、
ご本人に規則違反を伝えに行くと、
「私は昔はやったかもしれないけれど、今はやっていない」とか、
だいたい「自分のことではない」と言われます(笑)
口頭での注意を聞かないとなると、会社のルール上
反省文を直筆で書いてもらう事になるので、
反省文を書いてもらっています。
見て見ぬフリをしてしまうと、
気付かせるシグナルが大きくなってくるよ…と
まゆさんがおっしゃっていた時、これが頭をかすめました。
*
昨日お送りした感想に、
・バランスが取れるポイントは、常に陰と陽の中心にあるとは限らない
(シーソーのように、単純に右側1m, 左側1mの中心地点
というわけではない)
・場面場面によって、バランスが取れるポイントは右1.5m、
左0.5mかもしれないし、右0.8m、左1.2mかもしれない
と書いたのですが、私はこれを思った時に、
「だから太極図って、分度器二つの形じゃなくて、
勾玉二つみたいな形になっているのかも」と考えていました。
何事も、陰と陽、両極地点からちょうど真ん中の地点を取っていれば
それでバランスが取れるのなら、たぶん太極図は
分度器二つをくっつけた丸になっているように思いました。
私はやっぱり、場面場面によって、バランスの取れる中心点は
完璧な真ん中でない事もあると思います。
私がそもそもこの講座を受けようと思ったのは、
中途半端にスピリチュアル風を吹かせて、
龍神呼び出せるとか言い始めちゃったりw、
一万円札とおしゃべりできるとか言い始めちゃってw、
それに一定数の信者が集まってきて、信者がXに歯向かったら、
「人を非難したり悪口を言って、だからアンタの波動が低いから
アンタは低級な暮らしぶりなんだ」と言って相手を貶めて、
みんなも違和感を感じていたはずなのにそれは口に出さず、
ずるずるXとずっと付き合ってきたのを見て、
「アホペラスピリチュアルは危険や!!」と思ったのがきっかけです。
感想文に書いた
3) しっくりこない
という気持ちなら、しっくりこないでいいし、
まゆさんがLINEに書いていらっしゃったように、
とりあえずこの課題においては
「どうこうしよう」「許す」「含む」というのはまずしなくていいし、
実生活においても、自分が自然とどうこうしたいと思わないのであれば、
しなくていいと思います。
違和感を無理やり「許す」とか「含む」とか「統合する」に
持っていってしまう事で、本来あげるべき声があがらなかったりします。
私にとってのXは、知床遊覧船の桂田社長だったりします。
私は桂田社長には、同じビジネスパーソンとして心底どん引きでしたが、
だからって例えばネットで叩くとか、自宅のドアを蹴るとか、
そんな事はもちろんしません。
でも、もし自分が知床遊覧船の管理・経営実態を知っていた地元民なら、
違和感を持ったら違和感を認めて、
しかるべき組織に情報提供はしたと思いますし、
身近に乗船しようとしている人がいたら、懸念点は伝えると思います。
そんな事に目くじらを立てる自分は器の小さい人間だと思って、
「責任感を手放す」とか、「統合」とか言って、
スルーはしないと思います。特に人命に関わる状況なので。
スピリチュアルは、「許す」とか「龍神」とか、「統合」とか、
解釈がどうにでもできてしまうので、
どうこうしようと思えばどうにでもなってしまいます。
だから、まゆさんのおっしゃるように、まずジャッジも否定もしないで、
とりあえず自分の気持ちを認識だけするって、
最初の重要な一歩だと思いました。
私はまゆさんの講座を受けて、
特に質問や疑問は今のところないのですが、
まずはお話を「そうかそうか~ふむふむ」と聞いておき、
お話の内容がストン!と落ちるのは、ほんとこれも人それぞれ、
タイミングによると思います。
だから、「今わからなくていい」って、
これも本当にその通りだと思います。
私は大学生として就活をしていた頃、
大学の就職センターの指導員の方から、
「履歴書に連絡先として記載するメールアドレスは、
幼稚なアドレスではなく、常識的なものにしなさい」と言われました。
その時も話を聞いて、「その通りだな」と普通に思いました。
でも、会社で今の役職について、
実際に自分が採用する側に初めてなった時@29歳、
応募書類をお送りくださる方が連絡先として
「yuko-loves-kotaro-forever@yahoo」とか
「mikachan_kirakira_woman@gmail」とか書かれているのを見た時に、
「そっかーーーーーーーー!!!!!!!こういう事か!!!!!!!
就職センターさんの想い!!!!!!!!」と、その時初めて心底、
もうそれはそれは深く深く思ったんですね(笑)
そりゃあ、大学生の頃だって、
それなりに指導員さんのお話には納得していました。
でも29歳のこの時には、その時の何百倍も納得しましたよ!
(同時に自分も、メアド以外のところでさんざん痛い事
やってたんやろな…と思いました。)
だから、刺さる時とか、腑に落ちる時って、
ほんと人それぞれだと思います!!
でも、これもまゆさんがLINEのノートに書かれていたように、
普段から「目の前の事を意識的に見る習慣をつける」
というのをしていると、
腑に落ちるタイミングがはやくきたり、
腑に落ちる深さが深くなると思います。
(私だって、「いやyuko-loves-kotaro-forever@てwwww」
とだけ思っていたら何の学びにもなりません。
「あぁ、大学の就職センターがあの時伝えたかった事は
こういう事なんだ。。。そっか、採用する側からしたら
こんな風に見えてるんや。。。メアド一つとっても
こんなにインパクトあるんや。。。」とか、いろいろ思わなければ、
何の気付きも学びも成長もありません。)
ちなみに、二つ目のワンネスは、私はまゆさんの説明を聞いた時に、
こんな光景が頭に浮かんでいました。
自分の宇宙を、例えばLushのきれいな球体の入浴剤だとしたら、
二つ目のワンネスは大きなバスタブにはったたっぷりの水。
自分だけの宇宙=入浴剤を、
たっぷり水のはった大きな大きなバスタブに入れたら、
入浴剤は泡を立てて溶けた後、形は一切なくなる。
バスタブの中の水は多少色はついたかもしれないけれど、
透明のまま。その水に、自分は含まれている(溶けている)
とも言えるし、含まれていない(形は残っていない)とも言える。
こんな情景が浮かんだので、今はそんな感じで捉えています。
分離を感じた時に、その時の感情が
自分の中で自分を成す重要なことのように感じられ、
とても重い存在となっていました。
そのため反対側を挙げる前まではなんだかとても重苦しかったのですが、
反対側について考えてみていざ口に出して言ってみると、
重さが全然なくなり何事もなくなったかのような感覚になりました。
私の場合反対となることは〜でもいい、〜しても大丈夫
といったものになることが多かったのもあってか、
なんだか本当に何でもありのようなどっちでもいいような気持ちとなり、
とにかく重たい力のようなものが分散され軽くなる感じがしました。
分離を感じているときはその時の感情を
すごく自己同一化しているのだなと思いました。
好きでも大事というわけでなくても、せっかく芽生えたこの主張を
なんとしても手放すものかとその一つの見方に執着していました。
そしてそれを手放すのは自分らしさまでも手放さなきゃいけない
かのような抵抗と怖さを感じました。
分離している状態って、例えマイナスに思える感情であっても
それはそれでその時の自分を守っている(維持している)安心感
を与えてくれてるような面もあるのかもと思いました。
でも何もしようとしてないのに手放そうとしたわけでなくても、
反対側を挙げるだけで自動で解体されてしまうかのように
執着していたものが意味をなさなくなるのは、
あっけなくて面白いと思いました。
分離を感じた事としては変わらず存在していても、
自分にとって深い意味をもたらすという重要な存在ではなくなっていて、
ただの記号的な"事"でしかなく、経験の一つでしかないかのような
不思議な感覚でいます。
なんかすごい重た〜いおおごとにしていたのだなと気づかされました。
頭の体操のような不思議な感覚が面白いです。
そしてどっちがいいというわけではない感覚。
前回の講座からどんどんものの見方が自由になってきて
こだわりが減ってきてるように感じます。
でもやはり湧き出てくるものについては、
変わらず振り回されつつも(💦)
少し冷静になって淡々ととらえられている瞬間があるように思います☺️
引き続きよろしくお願いいたします✨✨
分離について考えてみて
①まあ、そうだなと納得できる
②まあそうなんだけど、納得できるまでは行けない感じ
③そうとは思えない
の三段回くらいに分かれているように思いました。
③に関しては、結構昔の出来事なのですが、
怒りの感情みたいなものがわいてきたので、
まだまだ残っているんだ〜と思いました。
それと、もしかしてこれは自分もやってしまっているかもしれないなぁ
と思うこともありました。
いろんな人がいていろいろな価値観があるということを、
昔よりはわかっているつもりでいました。
でも自分で思っているより、私はあの人みたいになりたくないとか、
そういう行動はとりたくないとか、
まだまだ分離している事が多いんだなぁと、改めて思いました。
まずは、自分の中にこんなに分離があったのか〜と
わかって良かったです。
反面、これを含めるようになるのは結構根気が必要だろうな
とも思いました。
焦らない、急がないで、楽しんでいけたら良いなと思います。
あと、1回目の講座の感想の後の、
LINEのノートのやりとりを時間をおいて読んでみました。
あの時は、はっきり言って読んでいても
全く頭に入ってこなかったような感じでしたが、
時間をおいてみたら冷静に気楽に読めました。
今後もあまり考えすぎないように、
リラックスしていけたら良いなと思ってます。
分離を当たり前として生きてきたので、
そこに気付くのが難しいと感じましたが、
教育とか親に言われたことがダイレクトに影響しているな
と思いました。
自分シリーズになりそうなくらい、
自分に課していることの多さにビックリします。
分離の反対がよく分からないものもありましたが、
自分が正解を求めすぎている感じもしたので、そのまま書きました。
今回の宿題をやってみて、
自分には自分が思っている以上に色んな感情があったことを知り、
そして、それを今までは流していたのかな、と思いました。
初めは、反対のことを口に出してみると、
そんなことあり得るの?ダメでしょ??、と言う気持ちが大きく、
これはなんかすごい宿題だな、と感じました。
宿題の説明を読んだ時、15個は多いなぁ、と思っていましたが、
今までだと流していた感情もちゃんと拾うようにしていくと、
結構日々分離?していることに気がつきました。
白黒つけないでいいと言うのは、ムカっとすることもありますが、
場合によっては無意味に自分を責めなくていい事にもなるのかな、
と思いました。
なるべく穏やかに過ごしたいし、良い人でいたいと思うあまり、
自分を縛ってしまうこともありますが、
どんな感情を持ってもいいんだよね、と思えると
結構楽になるのかもしれません。
今回の宿題とは別なのですが、1回目を受けてから、
前回の方々の感想を読むと本当に面白かったです。
受ける前は読んでいても、何かよくわからないなぁ、
と思っていたのですが、今なら、そう言うことだったのかー!、
と感想の内容を理解することができました。
ちょうど葛藤の多い時期だったので
最初の頃は分離を感じては、反対側を意識し、と書き出しもせず
10個くらいはやっていたかとおもいます。
途中でちゃんとカウントしよう、と
更に15個以上は書き出して続けてみました。
日常の中で分離はすぐにでてきて
反対側の意識をすることで
スゥーっとほどけていくような、
気楽に考えられるようになった気がします。
始めてからすぐに習慣のようになってきて、
葛藤の日々も冷静に考えられる心の支えのようになりました。
今自分が向き合っている感情は
そのままで良い
すべては自由だ
素直で良い
これまでも自分を優先にしてきたつもりだったけど
もっと自分の生活を優先して良い
見栄を張ったり
言い訳をするのはもう嫌
幼いころからそうなんですが
とにかく自由を求めているなと。
こんなに自由自由と言っているということは
やっぱり自由じゃないんだね、と思いました。
自由にさせていないのも自分なわけで。
おもしろいです。
【日々と宇宙の講座ベーシック第一期生の皆さんのシェア】