5/22に2回目を開催しました、5回連続の
そこでお伝えした<投影の原理>と<振動数の原理>
の理解を深めていただくために、
課題を3つほど、やっていただきました🌟
その中から、課題2
「嫌いな人、苦手な人、感情を揺さぶられる人について、
自分がその人をどういう人だと思いたがっているのか?
どういう土俵(枠)の中で
どういう役割をさせているのか?」
を考えてみての気づきを、
ここにもシェアさせていただきますね。☺️
受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてますので、
受講生以外の方には「?」な部分もあるかもしれません。
でも、読んでいただくと、
たくさんの大切なヒントが見つかるのではないかな、
受講生の中だけにとどめておくのはもったいないな、
と思いまして。☺️
特に私たちは「被害者」役をやりたがりがち、ですので
「被害者」役をやるためには「加害者」役が必要であり、
その前提としての土俵に気づけると、
役を降りることも選択できる、ってことも、
なんとなく、おわかりいただけるのではないかな…と思います。
さて,せっかくのチャンスであるので,分析する。
私は,礼儀知らずで,ずうずうしい⼈が嫌いなのだ。
⼈に何かしてもらったら,それに対して礼を尽くすべきと思っている。
そして,私がしたことのまねをして
他の⼈に気に⼊られようとしているんじゃないかと
勝⼿に思っている。
セコイ⼈も嫌い。
礼儀知らずの⼈は,⼈に対して不快感を与える。
⼈にしてもらったことを感謝できない。
そこが許せないのだと思う。
私が正義であると主張しているようなものだ。
「あの⼈は,礼儀知らずで,とっても失礼な⼈だ」と決めつけている。
よりよい社会の中でみんなが・・・というより,
「私が気持ちよく過ごすためには,そんな失礼なことはすべきではない」
と思っている。
また,「⼈の真似をすることは悪いこと,⾒えない所、
私の知らないところで真似をするならまだしも,
本⼈の前で堂々と・・・しかも上回るようなことをするなんて,
ずうずうしい⼈」と思っている。
ここまで書いてきて,私の中にずいぶんとマイルールがあること,
そして,⾃分が被害者であるアピールを感じている。
相⼿の⽅は,私を不快にさせようとしたことではないことは
わかっている。それでも,
私は,⾃分だったらそんなことはしない
と⾃分のルールに当てはめて考えているので,腹が⽴つ。
そして,感情を揺さぶられるといったら,⺟のことです。
私がずっと⾔ってほしかった
「ありがとう」と
「あなたの顔を⾒るとほっとするの」
その⾔葉を残して⼊院しました。
⺟の意識が無くなり,家の⽚づけを始めました。
私が適応障害になって,家を出てからの⼿帳をふと⼿に取り,
読まなきゃいいのに,⾒てしまいました。
⺟との関係は,次第に穏やかになっていて,
「このまま,⺟が亡くなっても,⼤丈夫」
と
思えるまでになっていたのに・・・そうはいきませんでした!!!
私のことを「⾃分勝⼿だ」と書いてありました。
⽗が「あいつは病気だから仕⽅がない」
と⾔ったが,
私の⾝勝⼿さが許せないと。
⾒なきゃよかったーーーー!!!
私と⺟の間では,相談するということができませんでした。
いつも⾃分の思ったとおりに私を動かす,コントロールしてくる。
⾃分の思いどおりにしようとしました。
だから,
⺟のもとから離れていたのです。
⺟親だったら,⼦どもを⼼配するのでしょうが,⺟の⼿帳には,
「⾃分が可哀想,あの⼦のせいで私が嫌な思いをする」
とさんざん書いてありました。笑うしかない!!!
ずっと虚しさを感じていたのですが,
私の求めている⺟親像と実際の⺟親が違うだけ
なのです。
そう思えるようになるまで,さんざん闘ってきました。
暴⾔も吐いたし,さすがに⼿は出さなかったけれど,
その⼀歩⼿前まで⾏きました。
やり尽くして,「私は,⺟親はこうあるべきと思っているけれど,
⺟のしていることが違うだけ」そんなふうに思えるようになったのです。
だから,今回,⺟が⼿帳に私のことを悪く書いてあるのを⾒ても,
さほど怒りませんで
した。
そして,⺟のしていることで感⼼するのは,
同じ⼟俵に乗ってこないことです。
私がどんなに挑発しても乗ってきません。だから,いつも⼀⽅通⾏です。
そこで肩透かしを⾷らった私は,よけいに腹が⽴つのです。
そして,⺟は,絶対に謝らないし,ありがとうもなかなか⾔えない⼈で
ずっとそれが不満でした。たとえ,⼦どもでも
何かしてもらったらお礼を⾔うのは当たり前だし,
親なんだから⼦どもを⼤切にして,当然。
体調が悪い⼦どもを気遣うべきだし・・・
そう思っていました。
まだ,もうちょっと落ち着くまで時間がかかりそうですが,
それでもそんな私を許して
あげようと思います。
ここまで書いて,⺟が逝きました。
次第に弱ってきて,1週間前に⼊院し,翌⽇には意識不明になりました。
病院からの呼び出しがあったらすぐに⾏けるように,スタンバイしたまま,
寝不⾜の⽇
が1週間ほど続きました。
⺟の⺟親の命⽇が6⽉2⽇なので,その⽇かな?とは感じていました。
やはり,その⽇
でした。
さんざんやり尽くして,穏やかな関係になれていたので,
私は,とても冷静でした。
病室で,⺟の⽬をそっと閉じて,「おかあさん,ありがとう。そして,
私を産んでくれてありがとう。今まで本当にお疲れさまでした。
お⺟さんの⼦どもに⽣まれて本当によかった
よ。」
⺟の⾝体にふれながら話をしました。
まだ,温かい⺟の⾝体は,何も答えてはくれませんでした。
⺟が亡くなるとすぐに葬儀に向けて怒涛の⽇々が始まりました。
それでも⼼を込めてそ
の時にできることをしていきました。
亡くなった後も,多くの⼿続きを⼀つずつ終わらせていきます。
ふとしたときに,あぁ,もういないんだな。と感じます。
⼈って変われば変わるものですね。
私がこんなに変われるとは,⾃分でも思っていませんでした。
⺟のことを憎み切って,怖がって⽬を合わせることもできなかったけれど,
最期の時に
私が看取り,感謝を伝えることができました。
ひどい⼈と設定しているときは,ひどい⾏動をされて,
冷たい態度を取られていました。
私の設定が変わると,
⺟は観⾳さまのように穏やかなお顔になりました。
通夜も葬儀も,私が⼀番泣いていました。
⺟のことが⼤事だからこそ,⾃分の気持ちがわかってもらえないと,
⾃分の望むような答えが⺟から帰ってこないと,
それが怒りになっていたのです。
本当に⾃分次第なのだと痛感しました。ただね,
これまで私がやってきたことは無駄ではなかったと思います。
さんざんやり尽くして,腑に落ちて,今までの⾃分とは変わって,
この体験のおかげでたくさんの⼤事なことを実感できたからです。
Advance を受けていなかったら,
ここまで冷静になれなかったと思います。
いつでも萬⼣さんの温かい⼤きな愛のおかげで
私は安⼼して体験をすることができます。
そして,ここまで⼼の中をさらけ出すことができるのは,
⼀緒に学ぶ⽅々のおかげです。ありがとうございました。
自分の両親などの家族、夫にあてはめると考えやすかったです。
考えてみた結果、結局自分は「迷惑をかける」がキーワードのようです。
自分が被害者役で相手を「迷惑かけた人」として
土俵にひきずりあげようとしているなと思いました。
日常生活でも相手が気付かずに行っている迷惑だと感じる行為でも、
相手の自覚がないからこそイラっとしてしまう時もあります。
これは自分だけ土俵に上がりジタバタしてるからですね。
そんな風に向き合っているうちに、先日の感想で、
自分は家族に迷惑をかけられたと書いたことについて思い出しました。
幼いころは常に母の顔色をうかがいながら生活していました。
父のことは10代の頃から父親と思ってはいけないんだな
ということに気付き憎むようになりました。
憎み続けるのが苦痛でいつのまにか父の存在は忘れていましたが。。
祖母、祖父たちに対しても軽蔑をしながら生きていました。
成長して振り返ると、あんなことがなければとか、
何故あんなにひどいことを言われたのかとか、
普通はこうなのにうちはなんで違うのか?を反芻してきました。
また、自分の思い通りにならなかったことや、苦しみの理由を
疑いもなく家族のせいにしてきました。
皆それぞれの人生を生きているわけで、その背景をわかっていても
「許せない」と「もういいよ」の間をいったりきたり。
このループは幾度もやってきました。
苦しかった、傷ついた、迷惑をこうむった。という意識は
確かにありましたが、誰も私に迷惑をかけようとしたわけではなかった。
それなら受容できるか?
いえ、家族は意識的、無意識的にも私を利用し、
自分の弱さや苦しみをまぎらわそうとしてみたり、
大人の都合で子供を無視してふりまわしたり。
大人同士のやりとりにも、どんなにがっかりとしてきたか、
悲しい気持ちになってきたか。
少し前だとここで激しい怒りが湧くので、
そこで感情消化をするようにしていました。
ですが先日は当時の家族1人1人の姿が思い出されました。
そして不思議とそれぞれの苦しみや心情が見え、
そこに寄り添えるような感覚になりました。
そうだよね、わかるかも。。という気持ちだけで怒りはなかったです。
そして人生は思い通りにいかないのがデフォルトで、
思い通りにならないあれこれのほとんどを
彼らのせいにしてきただけなのでは?と考えたら胸が苦しくなりました。
誰も私に迷惑をかけようとしていたわけではない。
私を傷つけようとしたわけではない。
自分が自分をさらに傷つけてきたのですね。
不公平さも自分のフィルターで不公平と思っているだけですね。
まゆさんの
究極誰も悪くない。
成功も失敗もない。
という言葉が改めて浮かんできます。
宿題を通して、家族に対しての受容は、少しずつ、
できているのかもと感じました。今はそんな気がしています。
職場の上司について考えてみました。
面倒な仕事は部下にやらせて、自分はできるだけ楽をして、
仕事をしているふりをしている人だと思いたがっていて、
仕事としてやらなきゃならないことがたくさんあるからこそ、
みんながまじめにちゃんと働かないといけないという枠の中で、
ポジティブに考えると、うまく立ち回り頑張らない働き方もある
という役割をさせていました。
まじめに仕事をしないで楽をしている上司のことが私は嫌いで、
その働き方が許せなかったのですが、このワークをして、
いつでもどこでも
ちゃんとまじめに頑張って仕事をしなければいけない!という
マイルールに自分が縛られていたことに気がつくことができました。
だから嫌いだったんだな、納得できないと思っていたんだな
と思いました。そして、上司のことを仕事をしないダメな人だ
とジャッジしていることにも気がつきました。
同僚や上司から仕事ができると思われたい自分がいるからこそ、
上司のことを仕事をしないダメな人だとジャッジしているんだろうな
と思います。
今は、逆に上司の働き方で真似できるところは真似してみよう!
と思っています。
自分で責任を背追い込んで頑張りすぎてしまうところがあるので、
誰かに仕事を頼むときの頼み方などを
せっかくなので参考にしてみようと思います!
〈母親〉
「どう思いたがっているのか」
⏩感情的な人。加害者のくせに被害者ぶる人。
子供の頃、すぐに手が出て罵ってきた人。弟を家庭内暴力児にした人。
可愛いがられたり、優しくされたりしたことがない。
母なりに大事に思ってくれていたようだけれど、
「可愛い」なんて思ってくれたことなど無いのでは?
「どういう土俵(枠)で、どういう役割をさせているのか?」
⏩「親は子供を愛さなればならない」
「子供には安心出来る場所が必要だ」という枠がある。
また「加害者と被害者がいる」という土俵で、加害者役をさせている。
母によって作られた(と思っている)「私は存在が歓迎されていない」
という私の痛みの吐き出し口としての役割をしてもらっている。
つまり萬夕さんが講座の中で言っていた
「''私は被害者なんだ!"という捻った攻撃」を私は母にしている。
〈職場の女性〉
「どう思いたがっているのか」
⏩相手に媚びて取り入ることが上手い。
「いい子」だと人から思われやすい表面と無愛想で低い声を出す裏面の
落差が大きい。自己防衛本能が強くて苦手な人(私)には内にこもり、
無意識に避けようとするのがダダ漏れで、挙動不審になったりする。
八方美人で裏表のあるぶりっ子。
「どういう土俵(枠)で、どういう役割をさせているのか?」
⏩「人間関係は良好でなければならない」
「相手によって態度を変えるのは良くない」「ぶりっ子してはいけない」
等の枠があるが、中でも私の大きな痛みである
「自分は存在が歓迎されない」という枠を刺激する役割をしている。
また彼女は甘え上手なので、他人に甘えられない私の僻みやら嫉妬やら
コンプレックスやらも刺激している。
(萬夕さんはご存じの通り彼女との間には色々経緯がありますが、
長くなるので省きます)
課題②を終えて。
外側(母や職場の嫌いな女性)に、いくら目を向けても不毛だ
ということは、ずっと前から分かっていることなのに、
イラッとさせられるとコントロール欲が出てどうにかしよう
(外側を変えよう)としてしまう。
私は萬夕さんが言うところの「まだまだお元気」な状態で、
「含める、統合する、垂直を体感する」なんて10年早いのかも知れない。
だけどこれだけ分離していると、やっぱり苦しいのです。
以前、あるWSで母との葛藤を話した時、他の参加者の方から
「お母さんのことが大好きなんですね」と言われたことがあります。
「いや、私が恋しいのは現実の母じゃなくて、
もっとお母さんらしいお母さんが欲しかったの!実の母なんて
“お母さん“とすら呼びたくないの!触れたくないほどの嫌悪感があるの!
あなたの見たいような愛の物語に変換しないで!」と思いました。
今でも母と話しているとイライラして声を荒げてしまうことが
多々あります。まるで子供の頃に傷つけられた鬱憤を晴らすかのように。
最近の母は、そんな私に「(話しの飲み込みが悪くて)ごめんね」と
素直に謝ったりするようになりました。
(いつもではないけれど少なからず、、です。)
後でそのことを思うと、「こっちこそ怒鳴ってごめんね」と、
泣きたいような気持ちになるのです。
でも一方でまだまだ嫌悪感があります。
先日用事があって母と会ったのですが、書類を見ている私のそばで、
その書類を覗き込んできた母の顔が近くなった時、凄く嫌でした。
無理して好きになる必要は無いけれど、何も問題なんて無い、
どっちだっていい、どのように在ったっていいのだ、
と腑に落としたいのに。
「小さな自分をハグしてあげて」
萬夕さんに何年も言われていることだけど、嫌々にしか出来ない。
ホオポノポノと恵子さんに習った発声は、ずっと続けているけれど、
出勤前の慌ただしい時間帯なので機械的、惰性的になっているのだろう。
前回の講座の後「真剣に向き合わなくちゃ!」と試行錯誤。
ノートに自分の思いを吐き出す、というのは
気持ちが入っていかなかった。
自分の内側に話しかけてみても、何の声も聴こえない。
数年前に参加したインディアンドラムのWSを思い出し、
自分の内側にあるものを言葉にならない言葉でメロディーに
乗せてみたら、しみじみとした哀しみが沸き起こり泣けてきた。
私は対人関係で特に人が怖いことをずっと問題視してきていて、
根底に私は受け入れてもらえないという強い思い込みがある
ように感じます。
なので受け入れてもらわねばという気持ちが強く、
またコミュニケーションが出来ないとも強く思っていて、
しっかりコミュニケーションをとらないとこの世で生きていけない
という掟があるんだと思います。
だから人と接する際に些細なことでも
うまく出来なかったことにフォーカスし、自分を責める。
相手がどう感じたかは解らな
いのに今の応対はダメだとか
話し方がダメ、声がダメ、表情がダメ、目線がダメとか…。
緊張してもダメ。それなりにうまく
接していたと思われても
あら探しをしてしまい自分を責めます。
ホテルのコンシェルジュの様な対応を常に自分に課しています。
また、受け入れてもらえない思い込みから
拗ねて他人を見ているようにも感じています。
どうせ相手してくれない。どうせ仲間に入れてくれない。
だからそういういじわるな人が現れ、それを感じとって
ますます緊張し怖がる自分がいるのだと思います。
また人への怖さと自分がコミュニケーションに自信が無い事に対して、
自分自身に嫌悪感も持っているように感じ、
それで余計に自分を責めているのではと思います。
私がいなければとっくに別れてると何度か聞いているので、
私の存在のせいで母が我慢の人生を送っている。
私が原因で幸せを
奪ったように思っていて、
父がきつかったのも私のせい。両親がうまくいかないのもわたしのせい。
それで私は受け入れてもら
えない、存在を喜ばれていない
という思いから、 そういう思いをさせる人が現れてくるのだと思います。
中学生の時は毎日殴られ、いじめられ、みんな助けてはくれず。
普通の生徒たちにも距離を置かれ、塾の帰りには酔っ払いに襲われ
病院に運ばれたり。
高校になってからいじめから解放されたと思ったら
今度は自分自身が人や視線に恐怖を感じるようになり、
何とかここまでやっ
てきました。
まだまだプレイヤー意識の段階に上がれてないので
今回の課題もとても難しかったです。
ただ被害者意識からは外れて来ているとは思いますので、
このままじっくりやっていきたいと思います。
【日々と宇宙の講座アドバンス】
【日々と宇宙の講座ベーシック第二期】
【日々と宇宙の講座ベーシック第一期生の皆さんのシェア】