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2024年4月より、RASのセルフケア講座、ファシリテーター養成講座、特別解放コース、ファシリ向けカラーカード講座の料金が10%UPすることになりました。

【リトリート】
7/9(火)〜14(日)加計呂麻島&奄美大島リトリート5泊6日は、残1席となっております。
現在、五島列島、天草でのリトリートのご希望をいただいております。2名いらっしゃったら日程を決めて、あと1名募集しますので、お気軽にお問い合わせくださいね。

【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
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レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

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2022/06/21

日々の枠から気づけること。2〜日々と宇宙の講座の宿題より


皆さんに、2回目の宿題を出しました。☺️

1回目に出した『ご自分の中の日々の分離』に気づいていただくための
宿題をベースに、そこから今度はマイ・ルール、
どんな枠を作り、日々、その枠内でどんなドラマが演じられているのか、
それに気づいていただくためのワーク。


この写真は、先日の秘湯巡りリトリートの時に寄った
カフェで撮ったものなんですけど、
このテーマにぴったり🌟だなぁ、と思いまして。


世界は広大無辺なんだけれども、
私たちはこの額縁のような枠でもって切り取った世界を
まるで真実かのように認識している…。

本当は、どんなふうに切り取っても自由なのに
同じ切り取り方ばかりを選んでしまいがち…。

でも切り取られた世界も、それはそれで美しい✨
ただ、それは全て、ではない。
世界を、なにもわざわざ狭い枠の中に、
閉じ込めなくてもよいのでは…?


これを見ながら、そんなことをね、思いました。☺️


また、受講生の皆さんの気づきを、
ここにもシェアさせていただきますね。
やっぱり毎回ね、それぞれに、素晴らしいので✨


受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてますので、
受講生以外の方には「?」な部分もあるかもしれません。

でも、読んでいただくと、きっと
たくさんの大切なヒントが見つかるのではないかな、
と思いますよ❣️



今回の課題は 「どういう枠のもとに展開されたドラマであったか
を振り返ってみて、その枠を『今後も選択する/手放す』と
宣言するところまででよく、それ以上はどうこうしなくていい」 
というものでしたが、私は敢えて「どうこうする」というか、
「宣言をした後」にフォーカスさせてください。 

というのも、私は今回の枠の話(まゆさんがおっしゃっていた、
学歴やSMAPの例)は10代、覚えている限りでは中学生の頃から
気付いていました。 例としてまゆさんが講座の中でおっしゃっていた、
「私は東大出身」と誰かが言った時に、「自慢話をされた」
「マウント取られた」と感じたり、逆に「うちの子はどこどこ大学出身」
と張り合ったりしてしまう場合は、自分自身に何らかの理由があって
学歴にコンプレックスなのか、或いは執着というか、
通常よりは強めの気持ちがそこにあるからそのように反応してしまう
(東大出身発言をした人を相手として強く意識してしまう)。
学歴に何の執着もなれば、東大出身発言も「へーそうなんだー」
くらいにしか思わないはずなのに。 

相手に対して強弱の程度はあれど反応してしまうのは、
自分の中に何かがあるので反応しているのだと、
これは昔からそう思っていました。私はその上で、
「あの人を目指そう!」といったように、
ポジティブに相手を意識している時はそのまま流れに乗っかって
飽きるまで相手を意識させていただき、
ネガティブな意味で相手を意識している場合は
「相手にしないようにする」という方法を取ってきたと思います。

ネガティブに相手を見ている時は、
はっきり言って「嫌い」なわけですから、
相手にする事で余計向こうも増長してくる事もあります
(自分が意識をしているからそう感じているだけという場合もありますし、
実際こちらが反応してくれるのでおもしろがってどんどんやるパターンも
あると思います)から、とにかく一切相手にしないようにしてきました。 

この「相手にしない」というのを
10代20代の頃は「手放す」と勘違いしていたような気がしますが、
30代の今は、これは全く「手放し」にはなっておらず、
勝手に無理矢理シャッターガラガラピシャン!閉店ガラガラ!
ってしただけやんと思います。

本当に手放すという事は、実際には「相手にしない」ではなく、
もっと自然に「相手が気にならなくなる」ものだと思うのですが、
これには閉店ガラガラ@秒と違って、
基本的には年単位でかなり時間がかかるものだと思います。 

まゆさんがこの講座・課題を通して、
「目の前の事を意識的に見る習慣をつける」
という事をおっしゃっていると思います。
そして「経験を奪わない」とも。
即ち「本人の体験としての気付きを奪わない」という事だと思いますが、
この自分の中の気付きを繰り返していくうちに、
自然と手放せてくるのだろうと思います。 

前回の講座で学歴の例が出たのですが、私はたぶん33歳くらいまで、
やはり旧帝国大学出身者や、アメリカの上位優秀校を出ている人は
すごいなと盲目的に思っていました。

自分が会社で採用をする側になって、
東大・京大出身の方はやはりすごいと思い
(筆記試験もやはりずば抜けて優秀な結果を出されますし)、
試験結果に裏打ちもされているし、
面接の受け答えも無駄がなくきちんと話されていると思い、
何人か採用した事があります。
アメリカの有名校を出ている方も採用試験に来られました。

ただ、実際に仕事をしてみると、
「試験が得意=仕事ができる」では全くもってないのだと、
つくづく思い知らされます。試験や勉強は得意だと感じるのですが、
誰かが作った方程式やパターンをベースに、規則性に従って
効率よく処理を進め、しかも一つの事を完璧にこなすのではなく、
7割程度のクオリティーで割り切って満遍なくこなす事は
総じて得意なようですが、新しく何かを創り出したり、
人の気持ちを読んで上手く立ち回る事などは苦手である事が多く、
一担当者として何かの業務に特化すると才能が発揮されますが、
交渉事やマネージャー業務には向いていないだろうなと、
今まで採用と人事で関わってきて実感として思うようになりました。

それから「旧帝国大学出身者がすごい」という盲目的な考えは消え、
いろいろな人を才能・特性・性格と適性のある業務内容とで
(仕事中はですが)見るようになりました。 
でも、この自然な枠の消失は、私の場合はですが、
採用をやらせてもらえなかったら絶対に33歳では気付けなかった事
だと思います。 

こうしていろいろな経験と気付きを繰り返して、枠が消えていったり、
敢えてその枠を持ってみたりするのだろうと、
それが人生のおもしろさでもあると思いました。



自分の中にある枠について考えた時に、
本当に沢山の細かい枠があることがわかりました。
その枠によって悩んだことがあるのに、
いざ選択しようとすると結構迷うものですね。
すんなり決められるものと決められないものがありました。 

今までは自分の中の枠を当然他人にも当てはめていたけど、
その枠を選択することができるってことを知って、
私はこの枠を持つけど、他人は持ってないんだよな、と言うのが
何かすんなり受け入れられた気がします。

すぐに全部が上手くいくわけでないのですが、今後は、
分離と枠について考え、それを今後どうするか決める、
また一度決めたことでも再度選択し直すことができる、と思うと
気が楽になってきました。
何度もトライアンドエラーと言うか、実験していって
更に納得できることが増えるのかもしれませんね。 

講座の中で、子どもの頃の経験から自分を守るために、
ルールやジャッジを作ることが多い、とありましたが、
今回枠について考えて本当にその通りだなと思いました。 

子どもの頃の経験や置かれていた環境を思い出すと、
自分の中の枠やルール、ジャッジに納得できます。
それに少し悲しく寂しい気持ちにもなりますが、それを知れたこと
また自分で選択できることがわかって本当によかったです。 

宿題とは関係なくなってしまうのですが、
6/3のブログを読んでいたら涙が出てきました。
ここに共感したとか、どう思ったとか、
そう言った感想をうまく伝えることはできないのですが、
悲しかったのか?それもよくわからないけど、ただ涙が出てきました。
子どもを寝かしつけた後で夫も不在の時だったので、
気にせず泣ける時でよかったです。
ゴールデンカムイ、興味あったのですが、
読んだことないので読んでみようかな、と思いました。 

あと、こちらも関係ないのですが、最近
宇多田ヒカルのインタビューを読みました。(☞こちら
今やっている講座の内容に通じるような発言も多いように思えて、
また同世代なのもありとても面白かったです。
これを読んでる時も途中で涙が出そうになりましたが、
会社での休憩中だったので、我慢しました😅 

講座がスタートしたので、
自分の中で色んな感情が出てきているのかな、と思っています。 
最初は、講座を申し込んだ目的ははっきりしていませんでしたが、
今の段階では、自分を大事にするために
インナーチャイルドと改めて向き合うために、
申し込んだのかな、と思っています。
今年は、自分を大事に大切にしよう、と思ってスタートしたので、
その方法を知るために申し込んだのかな、と思いました。



今回の宿題をやってみて、ひとつひとつの枠について考えていると
とっても重たく感じました。 そう思ってるつもりはなくても、
無意識に持ち続けてしまっているもので、
散々手放したつもりになっているのにまだ出てくるのかと思いました。 
15個あると永遠に終わらなさそうで😂その枠に縛られているのは
もう十分だし、いらない!勘弁して!と思いました。 

全体的に枠を眺めてみると枠によって自分を縛り、
他人に対しても縛って許容範囲を狭めていたのだなと思いました。
枠によって自分を守っているつもりが
ガチガチの防御になってしまっていて堅い殻に覆われて、
反対のことは受け入れられず跳ね返してしまっていることが多いな
と感じました。 
それを続けたいか?と問うと悩む間もなくNoで 
すぐにでも手放したいものでした。 

そういうのは日々の生活で刷り込まれているもので、
きっかけは些細な出来事かもしれないけれど、いつの間にか
自分のルールとなって強化されていったものなのかなと思います。 

今2歳と4歳の子を育てているのですが、 
こどもは本当に素直でやわらかく、本能のままで素晴らしい存在です。
本来だとそのままのびのび自由にさせてあげたいし、
自分が小さい頃もそう望んでいましたが、
徐々に社会生活でのルールを覚えていくために
枠に当てはめ縛るようになってしまうことが
多々出てくるようになりました。 

日々の自分の態度や接し方などの行為が根本に影響与えているんだろうな
と思うと少しゾッとします💦が、自分のしていることに気づいて
意識できていることが大事だなと思いました。 
気づいていれば、選択できるのだから。なので、まずは分離して
その状態に執着していることに気づく練習から始めようと思います😆 

次回もよろしくお願いします✨



私がとても引っかっていた事についてですが、
長男が小学生時代の野球チームの監督のことです。 
チームメイトの父親でもあり監督もされている方でした。
自分の気に入った父達にコーチなどのスタッフをやらせていて、
毎週その人達で飲んでいました。 
私の夫は、ストレートに物を言う時があるせいなのか、
その飲み会には呼ばれなくなりました。 

その会の中で、チームの子ども達の悪口を言っていると聞きました。
夫がいない時はうちの子も話題に上っていたそうです。 
本当に悪い事をしてるならまだしも、
子供を馬鹿にした様な発言が多かった様です。 それを知ってしまい、
その人の事を心底軽蔑して、最低な人間だと思っていました。 

一生懸命野球をしている子ども達の事を、表ではいい顔をして、
裏で馬鹿にしてる。しかも自分の子供の事は棚に上げていました。 
思い出すたびに怒りが湧いてきましたが、
息子はそんな事実は知らずに友達と楽しく野球をしていたので、
私は我慢していました。 

それから何年も経ちますが、思い出すとまだ怒りが湧いてきます。 
数日前のまゆさんとのやりとりの後、
その時の自分に寄り添ってみたら引っ掛かりが少しなくなりました。
いろいろな子供達が言われていることに対する怒りの感情が多い
と思っていたけれど、あの時の私は、
自分の子供のことを言われた事で、
自分が傷ついていたのかもしれません。 
結局は内側の事なのですね。 

以前は思い出すと怒りの感情が蘇ってきたのですが、
あの人もストレスがあったのかな?などいろいろな考えが湧いてきて、
完全に許せてはいないのですが怒りが少し薄らぎました。 

でも、同じ土俵にはのりたくないと思っている気持ちの中に、
嫌悪の様な気持ちもまだあります。 
これについては悪口を言うべきではない、とか、
思いやりを持つべきなどの枠を考えましたが、
まだ完全にスッキリするところまではいけていません。 

その他の枠については、相手に気を使うべきというような枠が
いくつかありました。 という事は、
相手に気を使う、遠慮する→自分が我慢する→自分が被害者になる
という枠だったのかなぁと思いました。 
確かに、かわいそうな自分という事多かった気がします。
そういう自分が好きだったのかもしれません。 
相手を大事にして、自分を大事にしていなかったのかも。 

そしてそれらの中で持ち続けたいと思うものは
ほとんどありませんでした。 
その上で相手の行動をジャッジしないでいられたら最高だと思いますが、
そこはまだ難しい時もあるかもと思いました。 

あとは、自分の中のルールに沿った枠の中でそのルールを破る人物や、
自分の気持ちを素直に上手く表に出すことができない私に対して
反対の人物が現れていたのかも、と思いました。 
その枠たちを手放したいと呟いてみると、
素直にそうしたいと思えるものと、
少しの抵抗の様な感覚の物もありました。 

今回の宿題ですが、すぐに手をつけてはいましたが、
なぜかやる気が起きず、なかなか進まずでした。
体調的に疲れていたなどの要因もあるのかもしれませんが、
なぜだか最後まで意欲的に書こうと思えなくて
また結構ギリギリになってしまいました^^;



前回の宿題から、その時なぜ分離を感じたのか 
断片的すぎて忘れているものもあったので 
また書き出すときは具体的に書き出そうと思いました。 

自分の枠については 
似通ったものも多く 
自分のこと、本当に自分に認めてほしいんだね、ってなりました。 
枠の内容によって重さや軽さを感じたのは、
その時の心が必要としている度合いかなーとか。 

もっと褒めてほしかったんだなと。 
他者に、ではなく自分に。 
家族からの褒めてほしいというアピールに敏感だったのは
そのせいかなともおもいました。 

誰よりも楽な道を選んでいる自覚があるし 
自分に対しては相当甘い方だとおもうのですが 
気づかないところでジャッジが入って 
本当に誰にも気づかれないようなところで 
ダメレッテルを貼り続けていたんだなぁと。 
そのように仕向けていたのも自分でした。 

で、枠の中で無理に生みだしたものって 
その場しのぎのようなもので余計にドラマがややこしくなりますね、、 

宿題を進めていくうちに 
これ、全部手放したい、だよねと思い 
「これからも選択します」という宣言をするときって
どういうときなんだろう? 
まだ手放したくない、とか 
もっと気付きたい、とか 
こだわっていたいとかそういうことなんだろうけど 
またしんどいドラマ味わいたくないしな〜とか頭で考えていたのです。 

でも、ありました。 
手放します、と素直に宣言できない枠。 

自分の良さに気づくための枠、は 
まだ持っていたいなと。 
そこに至るまでがしんどかったので 
しんどい経験手放したい!と思ったのですが 
自分の良さに気づけるための枠、今はまだ必要なんじゃ?と
宣言をためらったのです。 
自分の良さに気づく機会がなくなってしまうのでは?と。 

しんどい経験以外にも色んな角度から、そのチャンスは訪れると思います 
たとえば、ハッピーな方法で。 
「こういうところが長所だよね」とか 人に言われればすごく嬉しいし、
それが一番良いなと思います。 

でもしんどい経験から気づけた自分の良さって 
納得の深みが違うんだなと、今回おもいました。 

枠の焦点を変えれば“手放す”も選択できるとか 
色々考えたのですが 
当てはまる枠がいまは浮かばないし 
そもそもむりして手放すのも違うなとおもうので
いまはまだそのままにしておきます。 

宿題を始めるまえに、ふと湧いてきた感覚があります。 
今住んでいる自宅から最寄駅まで、片道20分程かかるのですが 
この往復が好きではなく 
あまり良い思い出もありませんでした。 
ある日ふと、いつも通っている景色を思い出して 
「すべて美しかったな」と思ったのです。 
全部が楽しかったな、と。 

いつも不便だな、とか 
好きじゃないと思っていた道のりが 
暗い気持ちで上乗せされて気づけなかった。 
本当は何もかも楽しくて、嬉しくて 幸せなことなんだと。 

この感覚、たまに思い出すのですが 
今回ひさしぶりに思い出した気がします。 
どのように説明したら良いのかがわからないですが 
含む、ということにも通ずるのかなと。 
イメージとしては 
無、から 在る、になったときの喜びというか。 
なんとなく書いておきたくなったので書いておきます。



今回の宿題である枠の捉え方がよく分からず、
前回の宿題で勘違いしていたルールをもう一度書き出してみました。 

主な活動の場が、悲しいかな…職場となっているためか、
仕事やもっと大きく捉えて社会に対するルールがほとんどで。 
社会人の常識とされることの、私バージョンといえるものでした。 

それらのルールを見ていると、 
この職場じゃなくなると成立しないルール、 
この職業じゃないと成立しないルール、 
この国じゃないと成立しないルールもあるよな、と感じてきました。 

この○○という枠が変わるとルールが成り立たなくなる可能性に気付いて、
なんか脳が混乱しています。 

自分が築いてきたルールや選んできた枠が曖昧になってくるというか、
確信を持っていたのに絶対じゃなかったんだ、みたいな。 

 一方でルールを持っていたり、
その枠に入るとお約束の展開になる感じがして、
だからこその安心感があったり、渦中にいてのみ込まれると
ドラマチックになるのかなと感じました。 

枠とは自分の持っているルールを体験できる、
フィールドのようなものなのでしょうか。 

会社は選べるけど、親は選べない。 
親も選んで産まれてくるという考えもありますが、
全ては予め決まっているというふうに捉えられるし
(まゆさんの椎名林檎のライブに行きたいと思わされた体験しかり)、
いろんな見方があって面白いですね。 

枠って、共通認識のようなものでもあるでしょうか
(○○大学はすごい、とか)。うまく言えないけど、このあたりが
自分のルールと混同して、よく分かりません。 

枠を手放そうとすると、私は間違ってないという思いが出てきました。
悔しいとか、なんで私がとか… 
同じ枠内でドラマを繰り広げている相手に対して、
そっちが変わるなら私も変わってもいいくらいの上から目線(笑)。 

上までの文章から少し時間をあけて以下を書いていますが、
その時よりも客観的になっているみたいで、
枠を手放さないといけない、そして枠を(たくさん)持っている自分は
駄目だと思っている自分がいるなぁと感じました。 

手放すって含んでいくことだと思いますが、言葉のイメージからか、
自分から排除するような感覚で捉えている自分もいて、
宿題だから枠を手放ししてみなきゃとやる自分は
明らかに排除の感覚でした。 

枠をこれからも持つか、持たないか選択するだけ、
そこにいい悪いもないのに、勝手に手放す方がいいとジャッジして、
自分がどう感じるかを確認する前に、
頭で手放すを選択していることに気付きました。 
枠がよく分からないからこそ頭でなんとかしようとしていました。 

だから枠を持たない(手放す)という選択に、悔しいとか
嫌な感情が出てくるうちは持っておこうと思いました。 
この時点で選択肢はないように感じます。 
もう一方を選んでも無理やりすぎて。 

ただ、可能性として、今は選べないとしてももう一方がある、
ということは知っておこうと思いました。 
そして枠に気付いた上で、思い切りやりきる方に振り切ると、
案外こんなもんかと外れやすいのかもしれないと思います。 

また次回、よろしくお願いします。





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