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【リトリート】
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【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
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レベル1を受講希望の方がいらっしゃいます。新規受講者3名以上でオンライン開催決定(4名以上で対面開催も可能)となりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

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2022/06/06

日々と宇宙の講座ベーシック第二期2回目の、皆さんのご感想


5/29に2回目を開催しました、5回連続の


ご感想と気づきを、受講生同士が読み合えるように、
そしてそこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的として、
ここにもシェアさせていただきますね。☺️


皆さん、講座の内容を、それぞれに、
ご自身の日常や、これまでの人生を内観して
自分のものとしてつかまれたり、つかもうとしていたり、
その過程を書いてくれているので、(素晴らしい❣️)

講座の内容を知らない方が読んでも、
(ズレて解釈することはあるかもしれませんが)
何かしらヒントになることがあるのではないかと思いますよ🌟



本日もありがとうございました。
前回の講座のトピックはオモロイと思うものと、とりあえず現時点では
「ふむふむ」と聞いておくものとが混在していたのですが、
今日の講座はどのトピックもすごくおもしろかったです。

その割には、Zoomの録画に映り込んでいる自分が、
近所のスーパーのパンに縫い針入れて逮捕された主婦レベルの悪そうな顔
をしていたので自分でも引いたのですが、
心の中では全トピックにオモロ!と思っていました。
次回からはモナリザの微笑みを心がけようと思います。←いらん心がけ 

「同じドラマの枠」の話もオモロかったです。 
先日友人が、ある33歳の女性の友人(私から見たら友人の友人で、
私は全然面識がない)がすごくショックを受けていて、
励ましてあげたいけれど、何て言っていいかわからないから、
あなたならこの場合何て言う?と、その33歳の女性に起きた出来事を
私に話してくれました。 

その33歳の女性はとてもきれいな方で、今婚活を頑張っているそう。
ある日飲み会(合コン?)に参加したところ、その飲み会に参加していた
35歳の会社経営者の男性から、「男が32過ぎた女を選ぶわけがない」と
面と向かって言われたとの事。
その女性は、どうでもいい男性にそんな事を言われても
ショックは受けないけれど、若いのに社長をしているようなすごい男性から
それを言われたので、かなりショックを受けたのだそうです。 

私は精神世界の面から思う事と、
自分も仕事には割と真摯に向き合ってきた方ではあると思うので、
ビジネスの観点から思う事があり、次のように答えました。 

私は、こういう「おやおやおや?!」という人が目の前に現れた時は、
自分の写し鏡として現れたのか、
はたまた自分が苦々しいと思って目を背けてきたものを見せているのか、
これはどういう意味があるのだろう?と
「この人が私の目の前に現れた意味」に気を取られてしまって、
ファンキーモンキーベイベーヤローの名前すら
たぶん覚えていられないと思います。(出現の意味を考えてしまって
相手そのものには意識がいってないので、髪型とかその時の服装くらいは
覚えていると思いますが、名前とかまではたぶん記憶に残りませんw 
で、名前もわからないから、後で人に話す時もたぶん
「パーマあてがい兄さん」とか、「サマーセーター兄やん」とかに
なってしまうと思いますw) 

で、この場合は、ちょっと本人にはキツイかもしれないけれど、
自分の写し鏡のパターンの可能性もあるのかなと思いました。
自分自身もどこかで女性のいい時期を線引きしていて、
「このラインが最後だ」と思って、自分で勝手に引いたラインから焦って、
別に心底行きたいわけではない飲み会に行って、
ライン引き兄やんに会ったという流れもあるかもしれないと思う
と伝えました。

私の周りでは、40代でマッチングアプリで出会って結婚、現在妊娠中
という方もいるし、他にもアプリで出会って30代後半で結婚という方、
結構いますので、世の中
32と33の間に謎の国境警備隊を配置してくるヤツばかりではないと思う
とも伝えました。 

ほんで「35歳で社長だからすごい」てwww
とりあえず会社作れば誰でも社長と名乗れますし、
知床遊覧船の社長みたいな社長も、一応社長ですよ?

私もグローバルビジネスの世界に身を置いて11年、
世界の名だたる企業のトップの方々や、大物弁護士さんたちと
仕事をしてきて今言える事は、
「"本当に"仕事ができる人」に性格の悪い人はいないという事です。
社長のようにマネジメント能力が問われるポジションにいる人の場合は
特にです。(有名企業の社長だから、世界的に有名な弁護士だから、
イコール仕事ができるわけではない事も身をもって理解しています。) 

ある程度大きな仕事を成し遂げようと思ったら、
絶対に人の手を借りないといけない=人を動かさないといけないので、
人望がないと人がついてこないので仕事が回らなくなります。

たぶんみなさんの周りにも、所謂「デキるマネージャー」と呼ばれる人
がいると思うのですが、そういう方は各所に顔が利くので
調整能力や問題解決能力も高く、事前の根回しや仕事の後のフォローも
行き届いていて、その人がお願いしたらみんな動いてくれるような、
その人さえ間に入れば紛争が解決するような、
人望の厚い人(万人から好かれる人)だと思うんですよね。

心の中で思うのは勝手だが、女性に面と向かって
「32過ぎた女を選ぶ男はいない」って口に出しちゃう社長wwww 
ほんでその人…すごいんや?wwww 
社長は社長なんだろうけど、恐らく仕事はできないと思うよ?www
そんなヤツの言う事を真に受けるかどうかはお任せするけども? 
と答えました。 

これは今日の講座の一ヶ月以上前の話なのですが、
「同じ土俵に乗る乗らないは選べる」というのを聞いて、これと、
他にもいろんなエピソードを思い出していました。

相手は変えられないけれど、
特定の人を「相手」として意識している「自分」は、
なぜその人を意識しているんだろう?
土俵を下りたいのか、乗ったままでいたいのか?
下りたいのに下りられないのならそれはなぜだろう?と、
自分も感情が揺さぶられた時は考えてみようと思いました。 

 「逆算したらライブに行きたいと思わされているのでは?」の視点は
目からウロコでした~!今日まゆさんのエピソードトークを聞いて、
この視点で考えると辻褄が合うというか、腑に落ちる感覚がありました。

私は神社仏閣で願掛けした事は軒並み叶っていないのですがw、
世界的に有名な企業の某国の現地法人で社長をされていたMさんとは、
まゆさんと林檎さんの出会いのようでした。

私はある時、その企業の社員が問題行動を起こしているのを知って、
でもその真偽の程を判断できるのは、
その企業のトップ3くらいだったので、
どうしてもその企業のトップの人に直接物申したい
と思っていた時がありました。トップはあまりに大物すぎて、
もはや日本にいるのかどうかもわからず、
先方が覚えているかどうかはさておき、唯一会った事があったのが
Mさんだけだったので、Mさんに会えないかなと思っていました。
(Mさんに最初に会ったのも、その企業のあるイベントに、当時
ある小説がドラマ化された際に、主人公のモデルになった有名弁護士さん
がいて、なぜかその弁護士さんと私と私の上司が来賓としてイベントに
招待されたので、そのイベント後の食事会でMさんと直接話す機会
がありました。そのドラマは当時めちゃくちゃヒットしたので、
その弁護士さんは知名度も急上昇して引っ張りだこでしたが、
なぜそのイベントに名もなき私も来賓として呼ばれたのか未だに謎です。) 

Mさんに会って物申したいわ~と思っていたある日、仕事が終わって、
職場のあるビルの狭い通用口から表の通りに出たら、
目の前にMさんがいました。
私の職場のある場所からは結構離れた所に普段いるはずで、
しかも移動の時は常にお付きの運転手さんがいるので、
そもそも街をフラフラ歩いている事のない方なのですが、
なぜか目の前にいました。

あれから6年くらい経ちますが、
今では一緒に寺に行くほど仲がいいです(笑) 
Mさんに会いたいと神社仏閣で願った事はありませんがw、
「会えたら直接物申したい」と、たぶん3ヶ月くらい思っていたと思います。

確かにあの時は、引き合わされた方が大きかった感覚がありましたが、
今ではなぜ引き合わされたのか、
わかったようなわからないような感じです。
まゆさんは林檎さんとの引き合わせに、
「ああ、こういう事だったのかな」と思ったりしましたか?
そこに無理に答えを求めるものではないと思うので、
何かを期待しているわけでもないのですが、もしその後
何か自然と思う事があったらまたどこかのタイミングで教えてください! 

 「最終的に実は繋がっている」のくだりも、
納得する体験があったのですが、とりあえずこの辺でやめておきます。

今日のトピックはほぼ全部に、実体験として
「そうだな」と思う事ばかりでした。



昨日は第2回の講座をありがとうございました!感想を送ります。 

引き寄せしたいと実現にこだわるよりも、全部含んだ方が可能性が拡がる
ということが前回よりもすんなり入ってきたのは
講座や宿題を経て見方が拡がったからなのかなと思いました。 

分離している世界が横軸で統合まで立ち上がっているのが縦軸
ということでしたが、 横軸は分離のドラマの世界でしか見えてない世界、
縦軸は分離も統合も含めて立体的に見えている世界という認識で
合っていますか? 

そして、今回1番ひっかかったのは神様の捉え方のことでした。 
前回もそういう話は出てたと思うのですが引っかからずに気にならずに
スルーしていました。 

私は特別何かを信仰しているわけではないのですが、 
神社とか気のよい空間は好きで
神様的存在?のエネルギーを敬っています。 
お願い事をするというよりはエネルギーを感じる触れ、有り難いな
と思う感じです。 

また母がカトリック教徒で小さい頃教会に行ったり、
カトリック系の学校に通っていたこともあり
なんとなくのイメージの神様を敬っています。 
あとはお墓参りでは父親やご先祖さまに挨拶するイメージで接しています。 

今まで考えてみたこともなかったのですが
こうして並べて眺めてみると私の場合、
その神様的存在に見守ってもらおうとしているのかな?と思いました。
けど実際神様?的大いなる存在をどう捉えていいのかわからない
のが現状です。 

神様を上にしてると、
そうゆう関係性から逃れられないということでしたが、
そこ手をつけていいの?と思う領域、
自分の中で絶対的になっていた考えだったので
触っていい箇所だと思い考えもしなかったのだなと思いました。 

無理にどうこうしようとしなくていいと思いつつ、 
神様という概念もエネルギーの違いであって
それが心地いいなら讃えるのもいいけど、それが全てじゃないよ
ってことなのかなと思いました。

神様とワンネスの部分の違いがよく理解できていないかも。。。
とも思いました。 
神様は高次の振動数が高い存在と捉えていたので
それとこれは違うの?でも含むの?と混乱💦
これもそれぞれの人のフィルターがあるので
自由に捉えていればいいことなのかな?? 
↑ 
これがどうこうしようとしてるってことですよね😂 

振動数の表をみていて、神様ここなの?ってハッとしました。
で理解できず混乱してから、わたし神様的存在を上にしてたわ!
とやっと気付きました。 

触ろうとも思わないくらい自覚できないくらい染み付いてることって
多いんだろうなと思いました。刷り込み恐るべしです。 

そしてその可能性を一瞬想像できたとき 
自分が捉えられていた世界がもっと拡がる感じがしました。
どんだけ小さい世界を生きてたんだろうとハッとしました。 

けど気づくだけでいいんだなというのも、
常に自覚するようになってきました。 

この感想の最初に前回と見方変わって拡がったと書いていましたが、
まだまだ拡がりまた今回もガツンときました。
ひぇ〜と思いつつ、責めずにその一歩を褒めようと思います。
毎回衝撃的ですw 

次回もよろしくお願いします☺️



はじめにまゆさんがふれていた、
前回の感想についてのまゆさんの解答について、
私も間違えてた事がたくさんあり、恥ずかしい気持ちで落ち込みましたが、
1回目、2回目と講座を受けてきて、少し肩の力が抜けてきました。 

今は、起こる事、感情をそのまま受け止めていけば良くて、
それをどうこうする必要も無くて、後々何か気づきがあるかもしれない、
くらいに思っておきます。 

わかろうとする事に執着せずに、その時が来ればわかるのかも
くらいな感じで良いですね。 
いつでもこの講座の録音を聞ける事だし、何か気になった時に
聞き直す事ができるのだと思うと、嬉しいです。 

自分に起こった事に対して、なぜこの様な出来事が起こっているのだろう
と考える時があるのですが、今までは、
漠然と考えなんとなく答えを出している感じでした。 
今後はその反対側を見たり、枠を考えてみたりすれば良いんですね。
今後はそこに着目してみます。 

昔の自分の事を思い返してみると、
誘われると断れない事がかなりありました。 学生の頃、
積極的な子と仲良くなった時には、特にそうでした。 
その子と一緒にいて楽しかったのですが、とりあえずYESと言ってしまい、
内心嫌で悶々とする事がたくさんありました。 
そして、自分の事をダメな人間だと思っていました。 

今思えば、そういう枠を作って、演じていたんですね。 
そうやって自分で自分を傷つけていたんですね。 

でも、あの頃の私は、それでも精一杯頑張っていたと思います。 
その時の自分に頑張ってたね、偉いね〜といってあげると、
胸がスーッと軽くなった様に感じました。 

寄り添って、手放すってきっとこれなんですね。 
今まで手放すという事は、あっちへ行けーだと思い、
YouTubeで見たように放り投げていました。
 
インナーチャイルドを癒すという事は知ってましたが、なぜだろう?
それをやってきてなかったのかも? 
今までの私は、現状ばかりを見て昔の自分に目を向けず、
可愛そうな事をしていたのかもしれません。
もっと、いい子いい子してあげないとですね。 

講座の話を聞いていて思い出したのが、
以前職場にいた女性のことでした。 
外見からは想像のつかないものを背負っている人でした。
それを知って彼女のその覚悟と強さを尊敬しました。 

子供の友達にも、評判の良くない子がいたのですが、
話してみる良い子だなぁという事もありました。 

家ついてって良いですか?というテレビ番組見ていても、
見かけではわからないものを秘めている人が多い事を感じます。

はじめの印象や、外側で決めつけてしまうのはもったいないですね。 
とはいえ、講座の最後の方の、木や森の話は納得なのに、
自分の引っかかる事を思い出してみるとモヤモヤしました。 
自分の好きではない人にも存在価値があって、
良いところもあるんだろうけれど、やっぱり引っかかりを感じます。
頭ではわかったつもりでも、まだまだ感情が追いつかないですね。 

私にとっての、龍やミカエルや天使の存在は、敬うというよりは
いつも一緒にいてくれる身近な存在という感じです。話しかけると、
いつもそばでニッコリ微笑んでいてくれる様なイメージで、
例えるならお守りみたいな感じでしょうか? 

そういえば、そもそもは緊張する場面に行く前にやり始めたので、
不安を取り除いたり、緊張をほぐしたくてやってるのかもしれませんね。 
自分で自分を安心させたくてやってる事だったのかも! 
今書きながら思いました。 

それと、前回の感想の中に、今の穏やかな生活になったのはなぜなのか
が知りたい、と書きました。 
先日、以前辛い辛いと思っていた頃に知った相田みつをの詩を、
ふと思い出しました。 

『幸せはいつも自分のこころがきめる』

その時の私は本当にその通りだと、ハッとしました。 
自分の生活が幸せかどうかを決めるのは、自分なんですよね。 
その時から、それに影響されて
少しずつ変わっていったような気がします。 

いろいろな出来事があって、小さな気づきが重なって、
少しずつ今の自分になってきたような気がしてきました。 
そういう意味では、本当に毎日の小さな出来事の中に
すべてがあるのかもしれないですね。 
自分が全てを作り出すという意味で、自分=宇宙なのでしょうね。 

 2回目の講座を終えてみて、改めて頭で考えて頭で理解しよう
という事ばかりだったんだなと思いました。 
本当にわかるという事は、勉強したからというものではなく、
年輪の様に、経験の中からの少しずつの気づきの積み重ねなのかな
と思いました。 

自分の内側を見つめると、こんなに豊かに答えをくれるんですね。 
きっと今までも、いろいろ答えをくれていたのに
気付けなかったことがたくさんあったんでしょうね。 

あと、マイバースデー、まゆさんが話しているのを聞いて、
あれ?と思いました。なんか聞いたことある気がする? 
完全に全く記憶から無くなっていましたが、
私も読んだことあります! 
記憶はかなりうっすらですが、でも読んでだと思います。 
めちゃめちゃ懐かしかったです〜



2回目の講座も面白かったです。 
1回目の講座、宿題、2回目の講座、と受けて、
少しずつ理解というのか、そっかー、と思えることが
増えている気がします。 

今回の講座で自分の感情にフタをしない方がいい、
無視をしない方がいい、との話がありました。
宿題提出後から2回目の講座までの間で、私は
自分の感情にフタをし続けてきたんだな、と思っていたので、
その話がすんなり入ってきました。

些細なイライラなどがあっても、まぁ、そんなに怒らないでも、とか、
相手にも事情があるし、とすぐに感情にフタをし続けていました。
それが良いことだと思っていました。
穏やかに過ごすためにも大人の対応だと思っていたんです。
でも、そうじゃないんですね。

些細なことでもイライラしたら、イライラした!、
って思うようにしたら、スッキリするようになりました。
今はイライラした、とちゃんと感じてから、
分離について考えるようにしています。 

あと、会社に特に何をされたわけでもないのに苦手な人がいます。
その苦手な人のことも、
私はあの人が苦手だ、嫌いだ、とちゃんと思うと、
その人に対しての気持ちが小さくなったような気がします。
人の事を苦手と思ったり嫌いになったりしてはいけない、
と思っていたんです。
ちゃんと感じたら、苦手は苦手なんですが、
今までは苦手すぎて余計に気になってたり憂鬱になったりしたけど、
それが小さくなった気がします。

講座の中でも嫌いな人の話があったので、感情をちゃんと感じろ、
と教えてくれるために私の前に現れたのだろうか、、、
と思ったりもしました。 

今回の講座では、1回目の内容と宿題の確認ができた感じでした。
2回目の後半の内容については、2回目の宿題と今後の講座で
少しずつ理解していけるのかなぁ、とより楽しみになりました。



2回目の講座ありがとうございました。 

感情に寄り添ってあげられていたかな? 
ドラマティックすぎて、冷静を演じていたような。 
感情から逃げていたような 
感情を出すのが恥と思っていたな、と。 

他人を見ているともっと冷静になればいいのに、
とか思っている自分がいます。 

嬉しいときは喜ぶけど、悲しいときや苦しいときは、、
ある程度までしか表現しません。 
拾いあげてよー!と深いところでは訴えかけてきますが 
どうしていいのかがわからなくて 
一旦蓋をして、過ぎ去るのを待つ、ということが多かったと思います。 
寄り添う、ってこれまでしてこなかったんだな。 

突然感情が溢れ出てくることもあります。 
それまでの温度差があるのは自分でも感じているのですが 
その勢いが嫌いではなく 
むしろ待っているような感覚もあります。 

それは普段感情に蓋をしているから 
たまりにたまった感情たちが、わぁーっと溢れ出てきているのかなぁと。 
溢れ出すきっかけをいつも待っていて、
何ならきっかけづくりにも貢献していて 
でも結局蓋をして、って。 
消化しないですよね。同じところでぐるぐるしている。 

自分が作り上げたルールは 
自分を傷つけないための 
自分を守るためのルールだということ 

自分を守るためのルールが
実は自分を苦しめていることも多いということ 

前回の宿題をやっていて 
ルールの反対側を意識することで救われた感じがしたのは 
真意とは真逆のルールを作ることによって生じる感情、
それに自分が気づいて欲しいと思っていたからなんですね。 
本当はどちらでもおなじで。でも分離を感じさせているのは
感情に気づくためでもあって。 

自分の枠が正しいと思いつつも 
そうではないことに気付きたいと思っている自分もいて 
それを受け入れようと新たな地へ飛び込んでみたりもするのですが 
摩擦は避けたい 
受け入れたくない 
と、結局いつも同じところにいる気がします。 
受け入れたくない、ってつまり自分が一番正しいとか思っちゃってる。 
頭で意見を抑え込んだり、納得したふりをして その時は良くても、
納得していない自分がまた浮上してきたりします。 

評価されなかったらどうなってしまうと思い込んでいるのか、
という言葉がすごく気になって じっくり考えてみました。 
最初は言語化できそうにないな、と
感想とはわけてノートに書き出していました。 

評価されなかったら? 
無能、役立たずだと思われる、思われたくない 
➝無能じゃないよということに気づきたい 
無能だと感じさせることをあえて持ち続けている自分
無能さに気づくためのドラマであって 
無能はただのアイテムで 
そこに至るまでの感情は? 
本当は有能無能どちらでもいいのだけれど(どちらもおなじ) 
自分が自分を一番認めてあげたかったのに 
認めないようにしむけていたのは自分で 
その評価を他人軸に任せていたから 
色々とややこしいドラマが起きていたのだなと。 
認めない自分、は 
もう必要ないですね。 

ここまで書いたらお腹の中のむずむずしていた部分が
ほどけた感じがありました。 
また次回の講座も楽しみにしています。



感想の締め切り当日の夜、
早く取りかからなかった自分を呪いながら書いています。 

正直にいうと、何から書いていいか分かりません。
まゆさんの説明は分かりやすいけど、まだ頭の理解で終わっていて、
それに対して自我があれこれと言ってくる感じ。 

自我自体もよく分からないけど、いろいろ考えさせて疲れさせて
本当の自分を見せないようにしているというか、
現状維持したいというか。 
せっかく感情に蓋をしてここまでやってきて落ち着いているのに、
このままでいさせてよ、って。 

でもこのままでいいの?もういい加減飽きてるよねって
お尻を叩いてくる自分もいて。 
あれこれ自分の中の声がうるさくて、これが自我祭なんでしょうか。 

分かりたい、理解したいという気持ちの中に、
ちゃんと分かっていないと次に進めないという思い込み
(学校の勉強システム)や、優等生でありたいという気持ち、完璧主義、
親や周囲を心配させることや迷惑をかけることをしてはいけない
(いい子でいる)など、
昔のいろんな思い込みや感情が芋づる式に出てきました。 

そして自分の中の理想像が強くあるんだなと気付きました。
その型にぴったりおさまれば幸せになれるとばかりに
自分にあれこれとダメ出しをし、自分をはめ込もうと躍起になり、
疲れて諦めては今度は別の型を持ってきたりして、その繰り返し。 

自分に何かをすることがやさしさと思ってきましたが、
きっとそれは手当てに近いことでしかなく、
自分に対してどうあるかというスタンスの方が
やさしさなのかなと思います。 

土壇場にならないと思い腰を上げない自分、
早々と書き上げて次の課題に取りかかる人もいると焦るけど、
自分が勝手に比べてダメだとジャッジしているだけなんですよね。 
夏休みの宿題もためるタイプだったよな、しょうがないな
と思いながら書いています。 

自分で作ったルールについてですが、
もともとは自分を守るためだったことや、
そのルールを適応して守られたという経験があればなおさら、
大きくなってもそのルールを握りしめているんだなと思いました。
そもそも自分で作ったことにも気付かず、
その存在にすら気付いていないことが多いです。
他の人との交流で感じた感情や違和感などの感覚が、
気付くヒントになるのかなと思いました。 
自分の感情に目を向けるってやっぱり大事ですね… 

ところで今、職場に苦手な同僚がいます。 
職場の制服はないので、『社会人としての常識の範囲で自由』ですが、
腰履きジーンズ。
お客さんのお買い物を頼まれれば自分の家の買い物も済ませ、
就業時間内にもかかわらず自宅に戻り置いてくる。
仕事が早い=できる人だと思っており、早いが間違いだらけ。
時間になれば終わってなくても自分だけ先に帰る。 

書けば書くほど気分が悪くなりますが、
私の中の仕事に対する思いやあり方が、彼女のそれと違うんだろうな
とか(どちらがいい、悪いというのではなく)思うようにしていますが、
なんかもやもや…。 

彼女のこと、『ずるい人』としか
分離して見てないんだなと分かりました。 
学生時代に子供を生んで、社会人になるのが遅かったから
なにも言われずここまできてしまったのかも…と譲歩してみたものの、
甘い!30半ばでこれは痛いよと厳しくそれを打ち消す自分もいます。
自分が相手をそう見たいから、
ずるい人以外の面を排除しようとするんでしょうか。 
悪い人なら心置きなく憎める!、
自分は悪くないみたいな心理が働くのでしょうか… 

ちなみに注意してもむくれて物に当たるので、こちらのダメージも強く、
最近は傍観しています。 
世間話はするものの心の中では半分彼女のことを切り捨てている状態で、
面白いなと思ったのは、私は彼女に嫌われたくないと思っていることに
気付いたことです。 

好きな人ならともかく、嫌いな人に嫌われても別にいいや、
という気持ちでいると自分では思っていました。 
でも実際は…どんだけ人から嫌われることに臆病になっていることか! 

彼女のことは、マイルールや思い込みに気付かせてくれる
ありがたい存在として頭では理解できるけど、心ではもやります…。 
恋敵が別の面が見えたとたん(彼のことがどうでもよくなったなど)
親友になるというパターンはありますが、
マイルールが適応される職場を離れたら
関係に変化があるかもしれませんね。 

長くなりますが、引き寄せについて。 
自分に何かを信じこませる感じに、
無理~とツッコミを入れてしまうので、全然できません。 
できる人が正直羨ましいです。 

これまでの人生で、仕事、パートナー、住むところ、お金、
一度にすべて失ったことがありました。
この先何にも考えられず、実家に帰るということだけを決めて
過ごした日々。 

失って初めてゆだねるということをしました。というより、
自分ではもうできなかったのでそうせざるをえなかったという感じ。 
当初は悲壮感はなくそれなりに楽しいこともあり、そうするうちに
結果的に実家に帰ることもなく、パートナー以外すべてが
あれよあれよという間に手に入りました。しかも好条件で。
 (パートナー以外は別の可能性を受け入れたからだと考察します。) 

ものすごく頭でっかちで、期待しがちな私からすると、
信じられないくらい自分の気持ちに素直に期待もせず過ごした期間で、
振り返るとあれはなんだったんだろうと思います。 
ゆだねるを体感した貴重な体験でした。 

それなのに、ですが。一方でまだ人生を自分でクリエイトして
願いを叶えたいと、コントロールしたいという自分(自我?)が
出てきて混乱しています。 

グレーだと居心地が悪く、白、黒ハッキリ決めると脳は楽だ
という話がありましたが、私も分かったぞ~スッキリ!
という感覚を求めているなと感じます。 
お掃除でもしてきましょうか。 

引き続きよろしくお願いします。








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