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2022/07/29

他者の期待に応えるのをやめてみる〜日々と宇宙の講座の宿題より

 

ちょっと思い立ち、
追加で「他者の期待に応えるのをやめる」宿題ワークを出しました。

過去の私の投影?wなのか、がんばりやさんが多いので😂
実はこれ、アドバンスの皆さんにも絶賛トライしてもらい中です。


がんばりやさんほど「コワイ実験」でもありますが。😂

「人の期待に応えるのをやめよう」として
実験してみようとした時にわきおこってくる感情
=未消化の感情、痛み。です。


がんばりやさんほど、自分が期待に応えようとしていることが
デフォルトになりすぎていて、全く気づかずに応えようと
動いている場合も多いので、まずはそこに気づくことって、大切。


痛みがあっても、自分が気づいてあげないことには、
寄り添ってもあげられませんからね。☺️


受講生はわかっていると思いますが、
これを読んでいるだけの方は勘違いしてはいけないので書いておくと、
期待に応えることが悪い、ってお話ではありませんからね。
念のため。


「良いこと」だと信じ切ってることって、人は疑おうともしませんが、
真逆をやってみることで気づけることもあるんですよ🌟


今回も、受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてシェアさせていただきます。

でも、受講生じゃなくても、読めば
宝の山🌟だと私は思いますよ〜。☺️



人の期待に応えるのをやめる 

普段誰がやってもいい仕事を
自分の仕事の流れでやった方がスムーズだったり、
業務の一環として身に付いているので
他の人が気付くよりも早く自分でやっていましたが、
今回の宿題でやめた!と思い様子をみていたところ、
ものの見事にスルーでした…。 
私がやっていると思われて誰も手を出さないというか、
やっていないことすら気付かない。 

言わないとダメだなと思ったので状況報告して、
その後ミーティングで上司がその業務の分担を提案した時は、
申し訳ないという気持ちと、なんで自分が全部しなければならないのか、
分担は当然ぐらいの強い気持ちの相反する思いが出てきました。 

そんな出来事があり、人の期待に応えることでできる自分を
どこか心地よく感じていたのかなと思いました。 
そしてその期待は人の、というよりは、
どこかで自分に対する期待にすりかわって、
もっとできるはずとか自分に無理をさせる方向になっていました。 

自分に無理をさせても得たいものってなんだろうなと思いました。 
周囲からの信頼と周囲との調和、自己評価や価値感の向上? 

それにしても自分が自分にかけている期待のすごさに
ちょっとあきれました。 
できて当たり前みたいな感じで、できていないと自分を責める… 
人がどう自分に期待しているかはなんとなく感じるもので、
それより自分が自分にかけている期待の方がすごそうだと感じました。 
そこまで他人は求めてないかもよって
自分に声をかけてあげたくなりました。 

そして他人の期待に応えない時の、謎の罪悪感もすごいです。 
それだけ自分が自分に絶対やるようにと課しているのかなと思います。 

また、意に反して他人の期待に応えてしまった時は、
自分の心の中で既にそうなる展開を許しているというか、
諦めに似た感情がわき上がっているなと感じました。 

断ることに抵抗を感じることが多いので、
なかなかハードルの高い宿題でした。 
相手の気持ちを汲みつつ、自分の思いを伝える。 
まず相手のことを考えてしまうから難しくなってしまうけど、
自分の気持ちをシンプルに伝えられた時は気持ちのいいものだと感じました。



期待に応えるのをやめる。 
仕事については、宿題の内容を読んでる時点で、無理、と思いました。
そんなことできない、怖すぎる、と。 

自分なりに何で怖いのか、と考えてみると、
周りの人は私に期待なんかしていない、と思っていると気がつきました。
だから、期待していないからこそ、
仕事は最低限しっかり進めなければいけない。
周りをガッカリさせないようにしないと、と。 

誰も自分に期待してない、と言うのは子どもの頃から思っていることです。
4歳離れた兄が病気だったこともあり、両親も含め周りの関心は
兄に向いていることが多かったです。
(勝手にそう感じていただけかもなぁ、と今は思います) 

その環境だったからか、ずっと自分は2番なんだと思ってきました。
生まれた順番も2番だから、
私はずっと2番なんだ、1番になることはないんだ、と。
その流れで誰も自分に関心はないし、期待もしてない。
でも、期待されてないけど、ちゃんとしなきゃガッカリされてしまう。
今までここまではあまり考えたことがなかったんですが、
ガッカリされたり失望されたりするのがとても怖いんだと思います。

だからか、人の輪の中に入るのも苦手でした。 
自分のことを頑張り屋だと思ったことはないのですが、
恵子さんのWSでも、頑張り屋さん?、と聞かれたので、
今回の宿題で意外と頑張ってるのかもなぁ、と思いました。 

あと、自分のことは自分が一番否定してるんだよな、と
ここ数年はずっと思っています。考えてみれば、
誰かに強く否定されたことなんてないのに、
自分が一番自分のことを否定してるんですよね。
だから、頑張っていたとしても、いやいや大して頑張ってないよ、と
無意識に否定しているのかもしれません。 

期待に応えない、を実践するのはなかなか難しいですが、
できる機会があればやってみたいです。実験なんですもんね。
それによって、気づけるのはどんなことなのかな、と興味があります。
最近は、イラッとした出来事や、人から冷たい態度をとられたりしても、
その時の感情や出来事の意味、等を考えられるようになり
だんだん面白くなってきました。



『ひとの期待に応えるのをやめよう』で、できそうな事を考えてみました。 

今の職場や家庭の中では、
そこまで無理して期待に応えている感覚がないので、
この追加の宿題で何をやれば良いのか、あまり思い浮かびませんでした。 

なので想像してみました。 
もし、期待に応えない行動を起こしたとしたら、
特に職場では居た堪れないと思います。
これは出来ませんと伝えたらどう思われるだろう?と考えると、
嫌われるという恐れが湧いてきます。 
すごい人と思われなくても良いけど、
ダメな人間だとは思われたくないです。
職場というコミュニティーの中での居心地が悪くなるのが嫌です。

結局自分は他人からどうみられるかの方に重きを置いているんですかね。 
でも、無理をしてるわけではなく、
それが心地よいならそれでも良いのかも知れません。 

ありのままの自分で良いんだという言葉は知っていますが、
なかなか難しい時もあります。 
普段でもなるべく失敗しないようにメモしたり、努力はしているのに、
それでも失敗してしまうと自分はダメだと落ち込む事があります。
落ち込む必要はないんだとはわかっていても、
落ち込んでしまう時があります。
以前よりは、まあいいやと思えるようになってきましたが、
思えない時もあります。 

今、ふと思いましたが、ありのままが難しいと書きましたが、
なぜ難しいと思うんだろう? 
無理に言いたい事を言わなくちゃ!と思わなくても、
それで辛い状態に追い込まれていなければ、
自分のやりたいようにやれていれば、
それで良いのかも知れないと思いました。 

なんとなく最近は、自然体に生きる事ができているのかも?
と思いました。 
反対に、無理な事を出来ないと言えた事を想像してみると、
すごく気持ち良いです。 言いたい事を言えて、モヤモヤはありません。
イヤイヤ行動して、悶々とするよりもはっきり言えたら
どんなに気持ち良いかと想像します。 

でも、陰口を言われるかもという不安もありますが、逆に、
はっきり言ってもらったほうが良い時もあるし、
言い方やタイミングの問題で、
はっきりいう事は良い場合もありますよね。 
でも、それも受け取る側の問題なのかもしれませんね。 
私はそれができなかったから、
ハッキリ言う人が苦手だと思う事が多かったけど、
ハッキリ言ってもらえて、後から考えてみれば良かったと
思った経験もありました。 

なんだかいろいろ頭で考えているとこんがらがってきてしまいましたが、
自然に任せながら自然体でいられるようになれたら良いなと思いました。 

家の中では、7年ほど前に義母が亡くなったこと、
子供達が大きくなってきた事でかなり楽になり、ここ数年は
割とやりたい事をやらせてもらっているので、
良い母親、良い妻を無理してやっている感覚はほとんどありません。 

ここ数年は、見たいライブなどにも1人でも行ってみたりしていますし、
これからもやりたい事はやっていこうと思っています。 
昨年は藤井風さんのライブにも1人で行ってみました。 
藤井風さんは、まゆさんも書かれてましたけど、
スピリチュアルな発言も多いし、
曲にもその要素がかなり反映されてますよね。 
彼を知った時に、今はこういう発言をしている人が変人扱いされず、
公に出てくるんだなぁと嬉しく思いました。 

今は夏休みで娘が家にいるのですが、
仕事で疲れてるのでご飯は自分でやってねというと、
適当に作って食べてくれるようになりました。 
家事も適当にやったり、
義父の介護も家族がいろいろやってくれるのは、
ありがたくやってもらいます。 
昔は、旦那さんは何もやってくれないから私がやらなくては!と、
無理して頑張ってイライラしてましたが、
今はわざとやらずにやってもらいます。
そうすると、だんだんやってくれる様になってきました。 
なので、今はそこまで無理している感覚はないです。 

期待に応えようとして頑張っていた昔の自分に、
頑張っていたねと言ってあげたいです。



人の期待に応えるのをやめる、という実験ですが 
すぐにはピンときませんでした。 
自分に無理をすることなく、人の期待に応えないで
生きてきたことの方が多かったかもしれません。 

そんなことを感想に書きだしていたら実験にふさわしいタイミングで、
新たな仕事のお誘いをいただきました。 
単純に声をかけてもらって嬉しいという気持ちと、
新たな分野に挑戦してみたい、という気持ちが湧いてきました。 

ただ、今の仕事を辞めるつもりはなく、
もし新たな誘いを受ければ休日に短時間働くということになるのですが 
今の仕事でさえ来月から時間を減らしてもらうように申請をしていて、
自分の時間が欲しいと感じていたところでもありました。 

その新たな誘いについては 日数を減らして返答しようかなぁとか、
でも身体的にもうすこしゆとりがほしいんだよなぁとか
あれこれ考えていたのですが 
書き途中だった宿題の文章を目にした時に、
断れば良いのか!と気づきまして。 

そう気づくと、
自分の気持ちを何も疑わずに期待に応えようとしていたということ、
誘ってくれた人の役に立ちたい、役に立つ人間だと思ってもらいたい、
それを立証するために頑張りたい、
が本心だったというところに辿りつきました。 

新たな分野だと思っていたのは
「無理してでも頑張ってあがいている自分」という分野で、
得ようとしているものは「あがいている自分」。 
これ、ここ最近で試されていることなんです。 

この感情を元に動いても何も生まれない。 
オールを漕ぐ方向を見誤っているから。 
今回この宿題がなかったら誘いを引き受けていたかもしれません。 
それはそれでも良いんですけど、
本当に求める方向へは行けずにこれまでと同じやり方になって、
また繰り返すことになっていたのではないかなぁと。 

今回のことで、仕事が絡んでくると多少無理してでも頑張る自分、
を選択してしまっているんだなぁと、それも無意識に、
ということに気づきました。 

自分の身体に正直に、無理のない生き方を選んできたつもりでしたが、
どこかで「無理をする自分」も望んでいて、選択もしていたのでした。 

あとはどのタイミングでだかは忘れてしまったのですが、
自由な人間を演じていた、という部分にも気付かされました。 
それが周りの望む姿だと思っていたことにも。 
でもそれも気づいた今となっては別にどうでもいいことだなぁと。 
自分が自由だと感じていられれば良いことです。 

自分を認めることと、自由について。 
向き合わされているのはいつもここですね。



人の期待に応えるのをやめる実験を通して気付いた事は、まず
「私は人が私に対して対価(お金、親切、労力)を払った場合は、
その対価の1.2か1.3倍くらいのものをお返ししたいと常々思っている」
という事です。

ネガティブなものを与えられた時は、
たぶんあまり怒ることはないですが、
無視するか、関わらないようにするか、ネタとして引き出しに蓄え、
宴会の席で5回爆笑が取れたら(1ネタ5擦りできたら)
オイシイと思って昇華させ、親切にしてもらったら等価よりかは、
少々プラスを付けてお返しをしたいと思います。

では、やりたくないのに無理にお返しをしているかと言えば、
素直にそうしたいと思ってやっていると思います。
うわべでやったり、本心からやっていないと、
それは相手にすぐ伝わりますし、心からの行為でなければ
相手にも失礼だと思うので、本心でそうしたいと思わないならやりません。 

なぜそう思うようになったのか?を振り返って考えてみると、
私は18歳以降(高校卒業後)自分にかかったお金は全て
自分でアルバイトをして払いました。大学の学費も、台湾の大学院の学費も、生活費も教科書代も車校代も交通費もすべてです。

高校を卒業してから、大学と大学院にストレートで行っていますが、
学業以外の時間は全てバイトに費やし、
バイトと授業の全スキマ時間を利用して大学の課題をこなし、
学業とバイトを両立させて、学費もなんとか普通に払う事ができました。
たぶん大学生の頃(日本にいた時)は
バイトで年収400万くらい稼いでいたと思います。こう言うと、
変なバイトをしていたと勘繰る方がたくさんいるのですが、
私は家庭教師は時給3,800円に設定して個人で案件を取っていて、
常に7~8件は抱えていたのと(土日ははしご)、
家庭教師がない時間帯は飲食店や百貨店にバイトに行っていたので、
なんだかんだ月に手取りで35万くらいは稼いでいました。

大学院の受験にダイレクトに響くので、
大学ではA以外の成績は取らないように気をつけていたので、
学部優秀賞ももらっていて(奨励金35万円もらえたので)、
大学院進学の際も、大学院の方から10万元の奨学金を
なぜか出してくれたので、学生の時分は、生活費に加えて
半年毎に50〜60万円の学費の請求がくるので精神的にもしんどい
というよりかなり必死でしたが、
なんとか都度支払いがちゃんとできる状況でした。 

私の実家は裕福な方だと思うのですが、
両親は自分でデザインした戸建ての家を2件建てていて、
母は車や犬が好きだったので、
家にはプードルやチワワやコーギーが4匹くらいいて、
その子たち専用のステンドグラスの付いたサンルームもありました。
車もドイツ車を毎年新しいものに買い替えていました。
そして、あゆが引くほどのでっかいブランドのサングラスをして、
「ウォーリーを探せ!」の絵バリにみっちみちにFとかかれた
FENDIのジャケットを羽織り、ドイツ車に乗って
私が中高の頃はよく学校に迎えに来てくれていました(笑) 

私が大学にあがる頃に、母の更年期がひどくなり、毎日
「え、どうしたん?」というくらい母の様子がおかしくなりました。
当時は更年期だと知らなかったので、普通に
「言ってる事おかしいですよ?」と真っ向から母に物申して
言い争いになり、それがきっかけとなって学費というか、
一切のお金を出さないと突然言われました。
(母は積極的には働いておらず、優しくデキる父が一家の大黒柱でしたが、
家の財布はガッチリ母が握っていました。)

当時18歳で、もう私立四大に受かった後だったので、
どうしようかと思いましたが、意外とバイトを始めたら、
多少無理をすれば割と稼げるようになった
(家庭教師も口コミで依頼がどんどん来るようになった)ので、
気付いたら結果ストレートで学位が取れました。 

でも、その頃は朝学校行く、学校終わりに家庭教師行く、
家庭教師終わったら飲食店行き、深夜に帰ってくる
(課題はスキマ時間に全て終わらせる)という生活をしており、
バイトに行かない日は運転免許の合宿中くらいだったので、
相当働いたと思いますし、しんどかったと思います。

でも、バイト先の人たちが本当に優しかったので、
住む場所がない時もバイト先の人が自宅に泊めてくれたり、
バイト先の飲食店の店長さんが、店で寝泊まりしてもいい
と言ってくれたり、毎回バイトあがりにまかないを作って
持たせてくれたりして、そのおかげでなんとか生活ができました。
家庭教師にしても、よく時給3,800円を快く払ってくれていたと思います。

「あ〜今月もうお金なくなりそう〜!」という時に、
米国の歯学学会で通訳として働かないかと声をかけてもらい、
学会期間中のみ台湾からアメリカに飛び、
現地で5日日英通訳として働いたら50万円出してもらっていたのですが、
その間台湾での仕事を休んでも(講師として授業をキャンセルしても)
生徒さん25名全員がフォローしてくれ、本当にギリギリのところで
人に助けてもらってなんとか生活ができていたし、
みんなのおかげで卒業させてもらえたと思っているので、
本当に感謝してもしきれません。

当時付き合いの合った方々とは、今でもお付き合いのある人もいれば、
疎遠になった人もいるのですが、例え今つながりがなくても、
あの時あの瞬間出会えて、あの瞬間お世話になって、
あの時だけでも関われた事はすごくありがたかったと心底思っています。 

母の事も、特に恨みなどはありません。当時は更年期だったのですが、
こちらもそれを知らず普通に反抗してしまったなとは思いますが、
私は私でしんどかったけれど、母もしんどかっただろうし、
母には母の言い分があるはずなので、それは何とも思っていません。
むしろ、学生時代にギャン!!!っと突き放されたからこそ、
いくつも仕事を掛け持ちしてたくさんの人と関われたし、
生活がギリギリだったからこそ心が折れかけても
一つ一つの仕事のチャンスに食らいつけたし、
それが社会人になってからものすごく活かされたと思っているので、
この経験は私の中では特別なものになっているのも間違いありません。 

それで、私は人にいい顔がしたいからとか、完璧な人間でいたいから、
人の期待に応えたいわけではないと思うし、かといって何かや誰かを憎んで、その反動で期待に応えようとしているわけではないし。。。と思い、
一旦ここで率直に思った事を感想として書いて課題を提出しようか
と思いましたが、
少し前に感想文を書いてる場合ではない事態が起きたので、
提出しませんでした。 

感想文を書いている場合ではない事態とは、帯状疱疹です。
割とひどいヤツです。病院に行って薬を処方してもらいましたが、
飲み薬が切れたらまた出てきます。
もう一度病院に行こうかと思いましたが、その時は連休に入っていました。

それで、ゼニスで自己ヒーリングをする事にしました。
極度の疲労が原因でしょうから、直近の仕事のストレス等を振り返って、
「あーあの時あんな事で実はイライラしてたのかも」とか、
いろいろな事を振り返ってLv1-3のシートで
感情・メンタル面のクリアリングをした後に、
帯状疱疹のクリアリングをしました。

翌日一瞬よくなったように見えましたが、
その翌日またプツプツできてきて、しかも日ごとにひどくなります。
ゼニスをやって悪化する事があるなんて信じられず、怖くなり、
やはり病院に行こうか迷いましたが、
もう一度だけゼニスをやってみる事にしました。

クリアリングをしている途中に「気付き・目覚め」のシートが
ふと目に入ったので、もともとやるつもりはなかったのですが、
とりあえずやっておきました。
そうしたら、そのクリアリングが終わった直後、
そういえば18か19の頃に初めて帯状疱疹が出て、その若さで
帯状疱疹が出るなんてあり得ないと医者から言われた事があった
と思い出しました。 

それで、もう当時のしんどさは忘れたと思っているし、
感謝もしているし、何かを責めるつもりもないけれど、
とにかくあの頃のしんどかった自分に寄り添ってあげないと
解決しないのだとピンときました。

いくつか当時のしんどかったエピソードをしっかり思い出して
リストアップし、その時の出来事や感情に対してクリアリングをしました。 
そしたらですね、翌日に治ったんです、びっくりするレベルで(笑) 

もう水泡から膿というかナゾの汁が出ていた状態なので、
薬を飲んで症状がおさまったとしても、かさぶたになって、
かさぶたが取れるまで普通に考えて1〜2週間はかかると思うのですが、
翌日割ときれいに治っていたので、鳥肌が立ちました。
肌は治りました。そして好転反応として感情が乱れる事
(昔を思い出して悲しくなるとか辛くなるとか)も一切ありません。
むしろ、「気付いたのね〜」という感じで、背中の高い位置では、
何かがうひゃうひゃしている感じすらしました。そして、逆に
「あれも癒すといい」「これも癒すといい」という感じで、
自分でも忘れていた出来事がポツポツ浮かんできて、
「うひょ〜次それやるわ〜」という感じで、
次は意図する出来事を変えてまたクリアリングをする…というのを
繰り返しました。 

たぶん、私が感謝している気持ちも、誰かを恨んでいない気持ちも
本物なのだと思います。
でも、感情ではないどこかに痛みがあったので、それに気付けた事を、
私の背中の上の方の何かがうひゃうひゃ喜んでいるようでした。 

振り返ってみると、「私も『え?』と思う事はあるけど、
母も辛かっただろうし、母の言い分だってあるしな」と思っていましたが、
別に母に対してだけではなく、例えば仕事でもそうでなくても、
誰に対してもこのように常に考えていると気付きました。

忙しいと言って断るのは簡単だけれど、『忙しい』って言ったら
みんな忙しいのは同じだから、あまりこういう事を理由に断るのは
向こうの事情もしんどさもあるだろうから」と常々考えていると思います。 

「私も『え?』とは思うけれど、相手にも相手の事情があるだろうし…」
と考えているという事は、自分も「ん?」と思っていたことは無視して、
相手の方にしかフォーカスしてこなかったと気付きました。
自分を癒せるのは自分しかいないので、
相手に理解を示すのは悪い事ではないと思うのですが、
自分の「ん??」を見逃さないようにしていきたいと思いました。










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