【お知らせ】
2024年12月31日から2025年1月2日まで、年末年始のお休みとさせていただきます。
12/6(金)ZOOMでディープな?お話会vol.8〜たまには恋愛の話でも。【12/15まで録画視聴可】、お申し込み受付中。詳しくはこちら
12/8(日)15(日)21(土)夜に、遠隔でゼニスレベル1の48種の浄化、全部受け🌟(バラも可能)、お申し込み受付中。詳しくはこちら
1/12(日)野菜料理人あいちゃんの絶品✨フルコース&瑛くんのサントゥール演奏で新年会❣️、お申し込み受付中。詳しくはこちら
2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

【リトリート】
2025年も2/5(水)〜9(日)4泊5日で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、お申し込み受付中。3泊も応相談。お気軽にお問合せ下さい。告知はしてませんが、以前の告知のこちらを大体の参考にしてくださいね。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。

【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/07/23

日々の感情から気づけること。2〜日々と宇宙の講座の宿題より


6/26に3回目を開催しました、5回連続の


3回目の講座の中で、何かとひっかかる方の多い
「自由と責任」についてもお話ししたので、
今回はそれに関連した、ちょっとした訓練をしていただきました。☺️


誰かに何かを言いたくなった時に、
『相手を責めるのではなく、自分で完結した言葉』
に変換してみるトレーニング🌟
 
ベクトルを、 相手ではなく、自分に向け直すことで、
自分の本音に気づけることもありますのでね。☺️


今回も、受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてシェアさせていただきます。

でも、受講生じゃなくても、
読む人が読めば、ギフトの宝庫🌟


アドバンスの方もそうですが、
いろんな個性、いろんなバックグラウンドを持つ皆さんが
それぞれに書いてくれているからこそ、

私の書くことにはハマらない方でも😂
「この人の書いてること、共感するな〜!」とかね、
私の書くことは意味がわからん〜という方でも😂
「こういうことか!」ってわかったりとかね、
あると思いますよ❣️



「あなたに〇〇されて、私は〇〇と感じました」 について気付いた事は、
上手くこのフレーズに乗る(このフレーズにかちっとはまる)パターンと、
乗らない(はまらない)パターンがある事です。 

 <このフレーズにすんなりはまる時> 
は、相手と自分がいて、
自分の勘違いや被害妄想であるかどうかはまず置いておいて、
実際に相手から自分に何かされた(と思っている)パターンです。 
こちらは以前の授業で出た「枠の中で展開する相手と自分のドラマ」
を念頭に置いてみると、
「自分のこういう思いや経験が相手をこう意識しちゃってるのね」と、
なぜ自分がそういう心の動きになったのかを内省しやすくなると感じました。 

 <このフレーズにすんなりとはまらない時> 
は、相手から自分に直接何かされたわけではないのに、
全く関係ない第三者にイラっとしている時で、
私は圧倒的にこちらの方が数が多かったです。
今回やってみた中で、割合で言うと
7:3でこのパターンの方が多かったです。

まゆさんが前々回の授業で例に出されていた、
芸能人の不倫のニュースにもやっとするような、あんな感じだと思います。
こちらはこの短いフレーズにははまらないので、
もう少し掘り下げて内省する必要がありますが、
だいたい掘り下げたりたどっていくと、
自分が苦々しいと思って実際に過去に接した相手の事を、
その第三者に投影しているパターンばかりでした。 

今回やってみた課題の中から、
フレーズにはまった時の事例とはまらなかった時の事例を
一つずつ書こうと思ったのですが、むさくそ長文になる上に
絶対ブログには載せられない内容になりそうだったので割愛するのですが、
どちらのパターンでも少し立ち止まってみると、
実際相手は自分に何もしていない(こちらが勝手にもやっとしていただけ)
である事が98%なのではないかと思いました。

フレーズにはまったパターンの事例の中で、
後でご本人と少し話してみたら、めっちゃいい人やったというものもあり、
自分の独り相撲というか、本当に勝手な枠の中で
一人で相手と戦っていただけだったのかもしれない
と思ったエピソードもありました。

こちらが一方的に相手を意識していて、
相手は全く何も思っていない事もあると思いますし、
こちらも相手もお互い意識はしているという事もあると思いますが、
後者の場合でも、お互いが全く同じ枠の中でお互いを意識し合っている
という事はなく、恐らくそれぞれ異なる枠で、異なる意識の仕方を
しているのだろうと思いました。



まず、「自由と責任」について10個ほど挙げてみました。 
感情的になっていたことなどもありましたが、
やりながら少し冷静になってきて自分で完結する言葉に置き換えることで
距離をもって捉えられ、整理できる感じがしました。 

パッと反応としてでる感情、
その向こうにあるうっかり見逃してしまう本心はとてもシンプルなことで、
ほんとはこうしたかったっていう素直な思いを、
遠回りでまわりくどく色々くっつけて重たくなっていただけなんだな
と思いました。相手を責めてることも、実は私は悪くないよねと
自分を防御したいだけだったり。それがだんだん歪み、
本来の点からズレて拡大してしまったりしているなと思いました。
そして事実に気づいてしまえば、モヤモヤもすっきりしてきて
成仏していくような感覚になりました。 

そして少し時間を置いてから、「期待に応えない」宿題をやりました。
やってみると誰かに責められたくないからやってるだけだったりしても
それは周りの期待に応えてというより、そう見せかけて実際は
自分が自分に課している期待だったのではと気付きました。
こうした方がいいんでしょ?とやっていることは
誰かのルールではなく
自分が勝手に想定して作り上げていた物だったのではと。 

あれ?私なんでそんなふうにしてるんだっけ? と思ったら、
そういえば…と芋づる式に記憶が蘇り、過去の様々な出来事の中で
こうしなきゃうまくいかない、手に入らないと頑張ってきた結果
作り上げ背負ってしまったルールだったのだと気付きました。
そうすることで自分を存在させようとしてたんだな
ということを思い出して、
あー私頑張ってきたんだなと
過去の自分の一生懸命で純粋で健気な部分を感じ
涙が溢れ、愛おしく感じました。
いい悪いは置いておいてその時の私でできることやってきたんだもんね。
と、素直に認められました。

ハーっと力が抜けて残りの5個についても挙げてみると、
心境が変わったからか淡々と捉えられていて
内側の状態で外側の見え方もだいぶ変わるなと思いました。
やさぐれてたり、批判的になっていると、周りのことも
そうゆう視点でしか見られなくなるなと思いました😅 

そもそもマイナスポイントだけじゃなくてもいいよね?と思い
宿題の本来の意図とは違うかもしれないのですが、
ここ最近のポジティブな面についても挙げてみることにしました。 
自分を労ったり、良かったことをじっくり味わうってことが
なかなかできず、つい足りない部分が目についたり、
探したりしてしまいがちだなと思いました。 

 次回もよろしくお願いします!



課題を書き出して、以前からの自分を考えてみると、
相手に対してあなたはなぜこうじゃないの!という怒りの気持ちと、
あなたに〜されて傷ついた、などの悲しい気持ちには
よくなっていたと思います。 
特に、悲しみの感情にはよくなっていた気がするので、
やはり被害者になりがちだったんだと改めて思いました。 

他人に対して、無意識にこうであって欲しいと期待しているので、
勝手に裏切られた気持ちになるんでしょうね。 
そしてもう期待しないようにしよう、と頑張って思おうとすると、
悲しさや虚しさを感じていました。 

いろいろな人に、いろいろな悲しみを感じていたけれど、
そんなに考えすぎないでも良かったのではないか、
という気がしてきました。 
みんなそれぞれいろいろな事情があったり、私の思い込みがあったりで、
私の世界がそのように広がっていっていただけなんだろうなと、
講座を受けた今では思います。 

もし他人の目線でこれらを考えてみたとすると、
『ちょっと考えすぎの様だし、気にしすぎなんじゃない?
そんなに悲しい気持ちばかりになるのなら、もう少し自分の気持ちを
伝えれば良いんじゃない?』 と言ってあげたくなりました。 
とは言っても、今はなんとなく平気な気分なのでそう思えますが、
その時の精神状態によっては、
まだまだ被害者になる事も出てくるんだろうなと思います。 

他人に対してなら、もっと気楽に考えたら?などの言葉が
すらすら出てきますが、自分に対してだと、気楽にとか、
考えすぎだなどという思考はなかなか出てこないですね。 
自分に対しては難しいかもですが、昔に比べれば私も、
自分に甘々になってきてます。もっともっと甘やかしてあげたいです。 

私は、人間が怖いと思っていた事があります。 
この世にあるいろいろな悲惨な現状を目にして、ある意味
この世で1番恐ろしいのは人間なんじゃないのか
と思ったりした事もありました。 
それは多分、自分が傷つけられたという思いの恐れから
始まったんだろうと思います。 
傷つけられるという発想自体も、今はもうどうかと思いますが。 

それで今回講座を受けていて、
怖がって言いたい事を言わない事が多かったけれど、
傷つく事を怖がらなくても良いのでは?と言う考えが湧いてきました。 
傷つく事で得られる事があるはずだと思います。 

実際に、どのくらい変われるかはわからないけれど、
もう少しずつ自分の気持ちを言葉に出すようにしてみたいなと思います。 
 今はもう歳を重ねてきたので、
昔よりはだいぶいろいろ言えるようになったし、図々しくもなりましたが、
もっともっと図々しくなりないな〜なんて思っています。 
 そして、昔の傷ついた自分をいい子いい子してあげる事を
忘れないようにしたいです。



最近の出来事だけではなく、過去の出来事も思い出して書き出しました。
読み返してみると、最近のことは、心の中で言い換えたら
それで納得していることが多いです。そのせいか、読み返さないと
思い出せないものがほとんどでした。

しかし、過去の出来事になると、そう簡単ではないようです。
さすが、数十年以上前の出来事なのに覚えているだけはあります。
今までにも思い出したことがありましたが、嫌な気分になったり、
何で私が、と落ち込んだりするだけで寄り添っていなかったんだな、
と実感しました。 

こうして書き出してみると、過去の出来事の中でも、
特に寄り添わなきゃいけない出来事、感情がわかりました。
個別に思い出した時はみんな同じかと思ったのですが、読み返してみると、
これは特にやらなきゃダメだ、と感じるものがありました。

今までも、ふとその時のことを思い出して
辛く悲しくなることはありましたが、
今回ちゃんと言葉にしたことによって、少しだけ前に進めた気がします。

また人のせいにしていたことを、誰を責めるわけでもなく、
その時の出来事とその時の感情を
ただ起きたこととして受け止めればいいんだ、
と思えたことはよかったです。
そして、その感情には寄り添えばいいと今は知っているので、
これから少しずつ受け止めていけるかもしれません。

過去の出来事を思い出して落ち込んだり悲しかったりすることは
結構あって、いつまでも覚えている自分が嫌だったんですが、
どうやって向き合えばいいのかを知れてよかったです。 

感想を書き始めた時は、何を書こうかなぁ、イマイチピンとこないなぁ、
と思っていたのですが、書き始めると出てくるものですね。
書きながら、宿題についても理解ができた気がします。



まずひとつ思い浮かべたときに 
ぐわぁっとこみあげてくるものがありました。 
自分に求めていたんだなぁ、と。 

寄り添う、って頭ではわかっているけど 
自分可哀想だったな、って気付いたらあとは後回しにして、
それが癖になっていたのです。 
まだまだ寄り添ってほしい、と
心の中が訴えていると感じました。 
あと、寄り添ってあげるのを
少し面倒だなと思っていたことにも気付きました。 

結局はすべて自分で。 
自分が自分にどう接してあげられるか、で。 
リストアップしたものは相手に求めているようで
本当は自分にしてほしくて。 そう思うと、
正しい方向へエネルギーを向けられているような気がします。 
本当に本当にごめんね、自分の強がる姿が、
独りで切なくも浮かんできます。 

相手のせいだと思い込んでいるから 
自分で自分を納得させようと、
あれこれ理由をひっぱりだしてきても納得できるわけがなくて。 
そんなやり方が当たり前になっていて 
すごく不自然な対処の仕方を、自分に対してやってしまっていたんだなと。 

相手のせいだと思ってしまう自分が悪いから、
相手を責めずに寛容な姿を持とう、それが正しい!大人!
って思い込んでいたことに気付かされました。 
寛容な姿を演じようとしても心は訴えてきますよね。 
そこじゃないですから。 

自分の感情に耳を傾けるって、
すごく楽で健全な方法だなぁと思いました。 
心の声は、まだ足りていないですよ〜っと言っていますが 
ゆっくりと向き合って消化していきたいと思います。



今回の宿題で、リアルタイムの言いたいことがあまりなく、
過去の出来事を思い出して書く方が最初は簡単に感じました。 

過去を思い出して当時の記憶がよみがえると、
まだこんな感情を持っていたんだなとしみじみしました。
私は過去では悲しかったことと、傷付いたことが多く出てきました。 

面白いなと思ったのは、内容は悲しかったこと、傷付いたことだったのに、
読み返してみると沸々と怒りが沸いてきたことです。 
当時は子供だったり、若くて未熟だったりしてどこか弱い存在のようで、
自分が望むような扱いをされなくても何も言えなかったり
それを当たり前として受け止めていたり… 
もう違うんだ、こんな扱いをされて腹立つ~!ムキーッ!っていう感じで
怒りが沸いてきたのかなぁと思いました。 

でも、悲しかったり傷付いたりしたという過去だけが残っていて、
感情がそこまで伴わないものも少しだけあって、
それはもう消化されつつあり、
もう少しで手放れるものなのかもしれません。
宿題のために無理やりリストアップしたとも考えられますが😅 

最初に過去の出来事の方が書きやすいと言いましたが、
少しずつ慣れてきたのもあり、これも書き換えられるよね、と
だんだんリアルタイムのものも敏感に感じるようになりました。 

書き換えをすると、そのまま相手に投げつけていた言葉や感情が
整理整頓されて、まゆさんはベクトルを自分に向け直す感じと
表現していましたが、まさにそんな感じがします。 
感情の発生をすべて相手のせいにするのではなく、
感情の持ち主として責任をもって対処する、
地に足の着いた行動のように感じました。 

正直、相手のせいにする方が楽だし、自分を見なくて済むというか
表面的に自分を守れると思います。 
でも、この書き換えも自分と向き合うことのひとつだなと気付きました。
書き換える時に自分はどう感じているのか、
感情をどの言葉で表現するのが一番しっくりくるのか、
必ず自分を確かめないといけないからです。 

その確かめる過程で感情と距離ができて、少し楽になる感じがします。 
書き換えをすることで感情に飲み込まれないことと、
自分の感情を大切に扱う感じがいいなぁと思いました。










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