【お知らせ】
2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

【リトリート】
2025年も2/7以降で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、リクエストいただいてます。他にも希望者いらっしゃいましたら、まだ日程確定前なので、調整できるうちに早めにご連絡くださいね。今回の告知はしてませんが、以前の告知、こちらを大体の参考にしてください。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。


【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/07/03

日々と宇宙の講座ベーシック第二期3回目の、皆さんのご感想


6/26に3回目を開催しました、5回連続の


ご感想と気づきを、受講生同士が読み合えるように、
そしてそこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的として、
ここにもシェアさせていただきますね。☺️


アドバンスの方もそうなんですが、
皆さん、真摯に内観しているのがそれぞれに素晴らしく✨

こうやって毎回まとめてひとつのブログで紹介するのが
もったいないくらい❣️

本当は、ひとつにつき、ひとつのブログにして
シェアしたいくらい、
気づきに溢れてるなぁ…と思っております。👍


だから、講座の内容を知らない方が読んでも、
(ズレて解釈することはあるかもしれませんが😅)
きっとヒントになることがあると思いますよ〜🌟



本日もありがとうございました! 

今日の「ボートの上でオールを必死に漕いで、川の流れに逆らって
自分の思う方向へ行こうとする(すべて自分がクリエイトしている
というのを、すべて自分の思い通りにコントロールできるのだ
と勘違いしやすい)」のか、「川の流れを信じて委ねてお任せする
(コントロールが手放せたとき)」のかというお話は、
まさにミソや!!と思いました。 

キラキラスピリチュアルは、これを都合よく部分的に切り取って、
キラキラに見えるええ感じの角度で繋ぎ合わせているので、
「一切必死になる事なく、ただただ委ねているだけで、
楽に望む事が勝手に引き寄せられてくる」みたいな謳い文句に
だいたいなりがちだと思います。
(こう言う方が簡単に顧客や信者が集まりますので。)

でも、今日のまゆさんのボートの例を使うと、水面では
「委ねてまっせ~~~」みたいな涼しい顔をしておいて、
実は水面下では尋常じゃなく脚をバタバタさせて、
自分の思い通りの方向に行こうとしている必死な姿を
隠しているだけなんだと思います。 

それに、流れに委ねる事は、無駄な力を使わずに済むと言える一方で、
だからといってその流れに乗ってたどっていった先が
必ずしも常に平坦で穏やかであるわけではなく、
時には尋常じゃなく険しい時もたびたびあると思います。

まゆさんの林檎さん、私のMさん。世界中の誰もが知る超巨大企業の
某国の現地法人で社長をされていたMさんも、とにかく
目の前の仕事を心を込めて一生懸命こなしていれば、
必ず適性のある方から声がかかるから、その呼ばれた方向に逆らわず、
声がかかった方向に向かってただ進んできた。
それで気付いたら今自分はこのポジションにいた。
自分から望んだ事は一度もないといつも言っています。

呼ばれる方向は適性があるからその方向から声がかかるので、
たまに「なんで自分が…」と思った事はあったけれど、
会社も会社の製品も好きだったので、とにかく呼ばれるがままに
仕事をしていたと言います。Mさんがおっしゃるように、
適性があるので出世も異例のはやさでしたし、これについては
「流れに逆らわず、無駄な力を使わずに済んでいる」と言えますが
(Mさんが俺は今からBTSに入るんや~!ってなったら、
めっちゃ無駄な時間と労力を使いますw)、だからと言って
その道が常に楽で平坦で穏やかであるわけではなく、
某国から突然日本に呼び戻されたと思ったら、
突然不祥事を起こしたグループ企業の社長に任命され、
日本に帰国して最初の仕事は謝罪会見からスタートし、
その後は自分の代で見事に会社を立て直されましたが、
その苦労は計り知れないと思います。 

Mさんの話を聞いていると、やはりいろいろな国で様々な人と出会い、
酸いも甘いも、小さな仕事も大きな仕事も、
どん底も成功も経験されてきたので、人としても、
発する言葉も深みがあり、私は特にマネジメントで困った事があれば
基本Mさんに相談する事が多いです。 

キラキラスピリチュアルあるあるとして、
「一切がむしゃらになることなく、ただただ委ねているだけで
引き寄せが起こり、結果、ワテ、今こんなタワマンに住んでますの」
的な事が多いように思うのですが、
タワマンの高さはそれなりにあっても、話に深みは一切ありませんw 

まゆさんが授業でおっしゃっていたように、「手放す」って、
そもそもしがみついていなければできない事だし、
必死にオールを漕いで疲れ果てる経験だってあっていいし、
疲れ果ててもうやめよ~!って心底自分で納得できる体験だって
必要だと思うんです。

そして委ねてみたからって楽な道がそこにあるわけじゃなくて、
その道でもそれなりに苦労はするけれど、それも大切な宝物だと思います。
そういう宝物をたくさん持っている人は
人間としての器の大きさが圧倒的に違います。 

価値基準を身につける流れ⇒価値判断を含む流れ  
統合⇒分離⇒統合 のお話もあったと思いますが、
今回またMさんを例に出したのですが、こういう経験をして
最終的に深みのある人になっていくのかなと思います。

だから、それを「何もしてないのに
勝手に引き寄せの連鎖起きちゃってま~す」風にして、
影でめっちゃ必死になる必要はないのにな。。。と、
どんな体験もあっていい宝物なのになと、思いました。
まぁ、まずあるがままをそのままあるものとして受け入れないと、
何も始まらないですが。 

今日もオモロなお話をありがとうございました!


感想を書いていて追加で思ったことがあります。 
流れを信じて委ねてお任せしたからと言って、常に平坦で穏やかな道
があるわけではないと以前書いたのですが、それは今でもそう思います。

でも、流れを信じて委ねていった先で待ち受ける困難は、
すべて乗り越えられる試練のような気がします。
Mさんも、それなりに苦労はあったでしょうが、
自分の代で会社を立て直しされています。
乗り越えられない試練は、方向が違っている時に直面する気がします。 
流れを「信じて」任せられるとは、その先の困難も含めて
大丈夫と思っている状態なのかもしれません。
まゆさんがこの道で独立されると決めた時のような感じかもしれません。 

「委ねる」というのが、「望みが勝手に引き寄せられて 結果タワマンw」
的なのが流行りすぎて変な解釈をされているような気がするのですが、
私は今回の授業を通して、自分としては
前回、今回で書いたように理解しました。
流れを信じるとは、その先の困難も含めて信じるのではないかと思いました。

委ねた結果「金持ちと結婚」「タワマン」に違和感があったのですが、
それちゃいまっせ〜の理由を説明できるようでできなかったので、
今回の授業では、以前よりは少し説明できそうなところまで
来た気はするのですが、やはりこのように連続の講座形式を
取った方がいいくらい、根本からいろいろ伝えないと、
きちんと落とし込むところまで持っていくのは難しいなと改めて思いました。 


「委ねる」をタワマン的な感じで理解してしまうと、委ねた先に
少しでも自分に都合が悪い事(しんどい事や苦しい事)があると、
安易に「はい、これは違った、もうやめる」となってしまうし、
逆に「これをやろう!」と思い立ったのに、2〜3回チャンスを逃したから
「これは流れじゃないんだ」と諦めるみたいな事にもなります。

自分でも「委ねる」とか「流れ」を、頭でねじ曲げている時もあるし、
悪質な教祖的な人は、これを
「自分にお金を落とさせるための自分にとって都合の良い流れ」に
「委ねなさい」みたいな事を信者に言ってますのでw

私も講座を通してやや成長して参りました←自分で言う



回を重ねてきて、講義と宿題をやっていく中で
分離や統合について意識する機会が増えてきたのもあり、
力みもとれて馴染んできたように思います。 

そして今回はこれまでを踏まえて、より日々の自分の生活に置き換えて
考えられるようなお話が多くイメージしやすかったです。 

前回の分離についての宿題で、義務になって
「〜しなくてはならない」になってしまっていることが多い
と感じていたので、客観的にみて改めて手放そうと思えました。 
それと同時にルールや枠を抱え込んで今まで頑張ってたんだなと思い、
自分を労わりたくなりました。 

また、価値基準のお話で「わざわざ身につけてわざわざ手放す」
という図にとてもハッとしました。 
こどもの純粋な状態を大切にしたいと思いつつ、奪っているんじゃないか
ということが気にかかっていましたが、
それが人間のシステムなのかと思うとだいぶ力が抜けます。
責任の範囲の話と相まって
より自分のコントロールの手放しどころについての気づきとなりました。 

段階を経ずに2つめのワンネスにいきなり行くと混乱してしまう人がいる
というワードが耳に残っていたのか、まゆさんのメルマガにあった
内田善美さんの漫画が気になって読んでみました。
生も死も時間も溶け合って混じり合うような不思議な読み終わりに、
思わず心がワープして意識が遠いところにいましたw 
オールを手放して大きな流れに委ねる感覚を感じてみるだけでも
面白いなと思いました。 

 「奇跡の脳」も購入したので読んでみたいと思います。 

講座で日々頭の体操をさせてもらっているからか、
色々な思い込みにも気づき手放せているのか、
ユルユルになってきているのを感じます✨✨ 

次回もよろしくお願いします😊

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講座の前半の、被害者意識トラップはあるな〜と思いました。 
私の場合、主人の両親と同居した事で被害者意識の塊になっていました。 
その両親は私を可愛がってくれていたし、良い人達でした。 
でも同居となるとまた別でした。 6年ほど前に亡くなった義母は、
おしゃべが大好きなタイプの人だったので、
家の中でのそれは私にとって苦痛でした。 

下の子が幼稚園に上がり子供が家にいない時間が出来ると、
どんどんイライラが増えていきました。 
でも、その生活に不満があるのは私だけなのです。
主人も子供も嫌ではない。 自分さえ我慢すれば丸く収まる
と思って我慢はするが、不満は出てきます。 

主人に話す愚痴は、結局義母の悪口になってしまい、
はじめはうんうんと聞いてくれていた主人でしたが、
結局口論ばかりになりました。 
主人から、義母にもうすべて話してしまおう、と言われても
それは嫌で、私がそんな事を思っているなんて事は
知られたくはなかった。 
そして堂々巡りでした。 

家の事を全てやって、同居までしてこんなに我慢して頑張っているのに、
なぜ結局私が悪者になってしまうのか? 誰もわかってくれない、と
一人悶々として気が狂いそうでした。 

家の中で自分のしたいようにできない怒りの気持ちと、
誰が悪いわけでもないから自分が我慢するしか無い、という気持ちを
行ったり来たりしていました。 
今ならもっと気を楽に持てば良かったと思いますが、
あの頃はどうにもなりませんでした。 

そしてそんな自分は被害者でした。 
その枠の中で被害者として、良い嫁を演じていたかったんだと思います。 

でも今考えると、表では良い嫁の顔して、
裏では悪口を言ってたってことですね。 
ん?これってもしかしてこないだ話した、
長男の野球チームの監督と同じかもしれない? (☞こちら
心底軽蔑していた人と同じ事をしていたということですよね? 
は〜ため息しかないです。 
あの、サイテーな人と同じ事してたなんて!? 
ショックな気持ちと同時に、アホらしくも思えてきました。 
自作自演って、まさにこれですよね。 
こうなってくると、やはり繋がっていて無駄なものがない
という事も納得できます。 

今は義母に対する恨みなどはないですが、
野球の監督に対しても許せるような気がしてきました。
これで完全に許せたら含めたことになるのでしょうね。  

以前まゆさんにヒプノをやっていただいた時に、
義母は、前世の時の私の息子でした。 幼い頃に亡くなってしまい、
私は死ぬまで悲しい思いを引きずっていました。 
そして今世は義母として出会いました。 その義母との出会いが
スピリチュアルを学びたいと思う大きな要因になりましたから
無駄な事は無いですね。 
前世の息子が今世現れて、私を導いてくれた様な気持ちになりました。 

そのヒプノをした後、実際の現実では、
義母に対する態度にそこまでの変化はなかったと思いますが、
心の奥底で愛おしいあの子だという気持ちが残っていて、
何かが変わりました。 

義母が亡くなった時も、あの子が逝ってしまったという気持ちと、
義母に対する感謝の気持ちがありました。
あのヒプノはやって良かったと今でも思っています。 
ヒプノはそれ以来できてないですが、いつか
地球以外の時の前世も見てみたいな〜と思っています。 

今なら、もう少し義母と楽しく過ごしたり、
いい意味であしらったりできるかもしれないです。 
多分義母は、あの時の私の状況をわかっていたのではないかと思います。
その上で明るく接してくれていたのではないかと思うと、すごいなと。 
私が同じ立場なら出来るだろうか? などと考えていて、そういえば
あの頃の自分にに寄り添ってあげてなかった事に気づきました。 
また寄り添ってあげたいと思います。 


今まで3回の講座と宿題を通して、昔の自分の感情が呼び起こされ、
その頃の自分に寄り添う事が出来ました。 
自分の忘れていた感情が蘇ってくることもあり、
それに気づかせてもらえて本当にありがたいなと思います。 

こういう機会がなければ、深く考える事をしないで、
同じ枠の中で同じ事を繰り返していたかもしれません。 
また同じ事をやるかもしれませんが、
講座の内容を知っていると知らないでは大違いだと思います。 

まだまだ忘れている昔の感情がきっとたくさんあるはずです。 
昔の私に寄り添ってあげて、自分を受け入れてあげて、
認めてあげたいです。 いろいろ思い出させてもらえて本当に感謝です。 


まゆさんの話の中の 
『傷つけるのが嫌な人は自分が傷つきたくない。 
 相手が傷つく事を尊重できる様になる。 
 相手が傷つく事を恐れなくなる。 
 枠に気づくためには傷つく事も必要。 
 傷つく事を恐れず、受け入れて、その感情に寄り添う。 
 抵抗しない』 
のあたりは、なるほどなと心に入ってきました。 

昔よりはマシになりましたが、私は傷つく事がとても怖く、
人を傷つけてはいけないとも思っていました。 
相手が気づく事を尊重できる様になる、恐れなくなるって、
すごい事ですね。 
本当の意味での愛。 
全てを受け入れて、見守るみたいな。 
深い深い愛ですね。 

現在中2の娘の、友達とのちょっとしたイザコザや、
気持ちのやり取りの話を聞いて、心の中で
『いいぞ〜もっとやれやれ〜』と思っています。 
本人にとって必要な出来事が起きるものだと思うので、
成長の過程として寄り添って見守ればよいのかなと思っています。 

でも、立ち直れなくなるほどの傷つきは体験して欲しくない
と思ってしまいます。 
娘が選択した出来事なんだと思っていてもそれは怖いです。
あるかもわからない事を想定しても無意味なのですが。 
恐れがなくなるのは、身近な存在ほど難しい気がします。 

自分が悪役を引き受ける事を想像しても、
身近な存在になればなるほど恐怖がある気がします。
身近な人ほど嫌われたくないと思ってしまいます。
そこにも枠があるのでしょうか?なぜ怖いのか考えてみたいです。 


Mさんに紹介していただいた記事、とても興味深かったです。 



宇多田ヒカルさんは、生い立ちなどもなんとなく知ってたせいか、
影のある方だなぁと思っていました。曲を聞くと、なんとなく
物悲しいい感じを受けていたので、内面の話を聞けて、
彼女の葛藤などを知れて、私が想像もつかないような苦しみを
たくさん乗り越えてきてるんだろうなと、温かみのある人として
少し身近に感じられるようになりました。 

二つ目の記事は、境遇は違えど、介護や子育ての話は共感する事も多く、
私自身の過去のいろいろな出来事に思いを馳せながら、
読ませていただきました。ありがとうございました。



今回もありがとうございました。 

被害者意識の話で、99人悪いと言っていても、とあって、
そうは言ってもみんな悪いと思うのに
それを被害者意識と言われてもなぁ、、、と思いました。

しかし、この講座が始まってからかその直前か忘れてしまったのですが、
性暴力を告発されていた俳優が骨髄を提供したことがある
とのニュースか何かを、家事をしながらチラッと聞きました。
チラッとしか聞いてないので詳細とからわからないのですが、
その時、暴力をした彼も骨髄を提供した彼もどちらもその人なんだよな、
とスッと思えたのです。
何で突然そう思えたのかとても不思議でした。

やはり性暴力となるととても嫌悪感があるし、
それをした人を否定したくなります。でもその時は、何か自然に、
どちらも本当の彼であって、骨髄を提供したいと思った彼も本当なんだ、
と思いました。それは性暴力をした人を、許す許さない、とは別で
人は様々な面を持っていることがすんなり受け入れられた気がしました。 

極端な言い方になりますが、悪いことをした人は嫌い、と
今までは否定をしていたと思います。良いとこをする人が好き、と。
でも、悪いことをした人も良いことをする時がある。当然また逆もある。
(この講座を受けていると、良い行い悪い行いなんてないのかな、
と思ってきますが)

それと、その行いに対して許す許せないは別で、許せないのであれば
その感情に寄り添えば良いのか、と。 

ここまで書いて、すんなり受け入れられたことを
改めて頭で再度理解しようとして、ぐちゃぐちゃになってきました。
再度理解するために整理する、とかはやらない方がいいんですかね。
何かごちゃごちゃしてきてわからなくなってしまいそうなので、
すんなり受け入れられたなぁ、で終わらせようかと思います。 

最近はたまたま読んだ記事が講座の内容と近かったりなど、
そういったことが増えました。なんか面白い現象ですね。
好きだった曲の歌詞や漫画のシーンなどがふと頭に浮かんで、
あれはもしかして講座であった話と通じるものがあるのかな?、
と思うこともあります。

日々の生活の中に全部ある、というのは
こういった好きなものの中にもヒント?とかがあったりするんですね。



3回目の講座ありがとうございました。 

人のせいにする癖、すごくあります。 
人のせいにすれば自分が正当化されるから。 
もうそれが物心ついたときからの当然の思考で 
そこまで人にせいにしなくてもいいでしょってところまで
人のせいにしていると思います。 
また人のせいにしてた、って気づくことも多いです。 

人のせい=他人に委ねてしまっていて自分ではどうこうできない 
他人をどうこうすることはできないから
同じところに留まっている感じがするんですね。 
人のせいにしてしまうのなら 
自分の中の小さな自分が望むことをすれば良いだけなんですけどね。 
まだすぐには気付いてあげられていないので 
いつでも耳を傾けられるように、心にスペースをつくっておきたい
と思いました。 

自由と責任については 
例えば仕事中に一人になったとたん 
開放感はもちろんあるのですが それとは別に、
何かがあったときに上に判断を仰がずに自分で決定する
=責任 
というシチュエーションが浮かびました。 
自分で決めて良い分、責任が伴う。 
自分の責任だから、
自分の選択肢から選べるってわくわくするんですよね。 
感覚的にはそんな感じなのかなぁと。 
上司の選択に従うのはもうわかりやすい他人軸で。 

オールを漕ぐ、っていうのでも 
思い当たることがあります。 

なんとなく物事がうまくいきそうだなーっていうときは
ぼんやりとしたイメージのなか、
するするっと進んでいってしまったりするんですけど 
これ頑張らなきゃ! 
ちょっとしんどいかもしれないけど頑張ればやれるかもしれないから
頑張らなきゃ! みたいなときって、
どうあがいても進まないんですよね、、 
相当身を削って、無理しながら何とか耐えてもどうにもうまくいかない。 
ここ数年で2回ありました。 

それまでは、何とかなる!みたいな感覚があったので
何事も時間をかければ、雪解けのような感じで解けてくれる
と思っていたのですが 
これ、たぶんどうにもならないなって思った瞬間があります。 

自分が無理してオールを漕いでいることに気づいたとき。 
頑張っていればいつか認めてもらえる、あと何年か頑張れば、、
もうちょっと耐えれば、、 
で、いつ?? 
って終わりが見えなくて。 
いつもだったら時間をかければなんとかなるって、やってこれたのに 
それして何になるの?って。 

あのタイミングで気づかなかったら、たぶんまだ、気づかずに
あがいていたと思います。 
頑張る、って自分を曲げてまですることではないし 
その状態のまま進んでも不自然で 
それは本来の姿ではないし 
他人軸だから永遠に自分の欲しいものは得られないよねっていう。 

つい最近、無理した方向に進みかけたとき 
「それって真逆のことかと思うのですが」と突っ込まれ 
心のなかでは 
「それなんだよー!」 
「本当はそうだってわかっているけど、でも進まなきゃ、、!」 
という声がきこえてきて、猛烈になにかがこみあげてきて
泣きそうになりました。笑 

「わぁ気づいてくれたー!」みたいな感覚だったんですかね。 
頑張らなきゃいけないからここにきたけど 
そうじゃないですよ、って教えてもらった気がして 
すごく悔しくて、でもそのとおりで。 
自分の望むものとはあえて反対側に進んで 
頑張れば越えられるかも?って思っていたけど 
心のなかでは泣いていました。 

いまはその時気付かせてもらえたおかげで 
自分の気持ちにあった 新たな選択をしていっています。 

そもそもの自分のテーマってなんだろうな 
そのうちぼんやりと見えてくると良いなと、おもっています。 
自分の道とか、自分の特性とかを考えさせられる場面が重なって 
色々な角度から自分を照らしていって 
やっと自分という個性をひとつずつ発見できている感じがしています。



今回の内容も当てはまり過ぎて、あ痛たたたっ…っていう感じでした。 

被害者意識、まだまだやっています。 
過去の恋愛を引きずりすぎて、遠い昔のことなのに
記憶を引っ張り出してはあのヤロウ!とかリアルな感情を味わったり。 

自分の中で期待通りにならなかったことが、
いまだに許せていないんだなと感じます。 
相手のことをもう好きでもないのに、
なぜまだこんなに感情的になるのか、
薄々分かっていましたが、この講座を受けてハッキリしました。 
相手に嫌われたくないから物分かりのいい女を演じて、
本当の気持ちを相手に伝えてなかったから。
許せないのは本当はそんな自分です。 

私は相手に自分の気持ちを表現出来ませんでしたが、
同時に自分にも大きな嘘をつきました。 
本当はものすごく傷付いたのに平気なふりをしていました。
大丈夫だと思い込ませて自分を保っていました。 

なんだか身に覚えがある展開です。 
家族や友達、職場の同僚を心配させないように、
我慢して頑張っていたなと。 
そして自分が一番自分の気持ちを認めてなかったんだなと
今になって気付きました。 
自分にやさしい目を向けられないから相手を責めて自己嫌悪、
まさに負のループ。 

溜まった感情はそのままの状態で存在し続けるんですね。
感想を書き始めてこんな内容になるなんて予定になく、
自分でも驚いています。 

こんな時は自分によしよしすればいいんだなって、
やっと分かってきました。 
感情が爆発した時だけ、手当てのように自分に向き合ってきましたが、
今は毎日歯磨きをする感覚でよしよししています。 

人や物事のせいにしていると、
いつまでたっても自分にパワーを取り戻せないというのは、
身をもって体験してきました。エネルギーがだだ漏れしている感じ。
無駄に疲れるんですよね… 

私たちは各々が出来事にフィルターを通して意味付けをしている、
ということもなるほどなーと思いました。
あれこれと意味付けをしすぎて
自分の自由を奪っていることが多い気がします。 
それと同時にどう意味付けをするかは自由で、
だからこそそこに責任が生じるんですね。 

自分の解釈に責任を持ちながら本当の意味で自由に生きるって
改めて素敵だなと感じました。 

最後に、人生は自分がクリエイトしている=自分が思い通りにできる
という勘違いについて。 

人生において自分のコントロールが及ばないことがある
というのは何度も経験済みなのに、
まだ諦めきれないところがあるようです。 

どうしても父を助けたかった、どうにかできたんじゃないか… 
そう思うのはきっと私のエゴでしょうね。 
私の世界の父ではなく、父の世界をコントロールしようとすること
になってしまう。 
本人がそうと決めたなら、どうにも覆せない流れがあったのも事実です。 
相手の世界を尊重するというときれいすぎて嫌だなと感じますが、
そこはきっといい、悪いもない
誰も踏み込めない自由な領域だと思います。 

私にできることは、私の世界を曇りなく見渡せるように
フィルターを1枚ずつ取り除いていくこと。 
その地道な行動のどこかで、これからもっと自由に柔軟に
世界を眺めている自分に出会うのが楽しみです。 


P.S ちょっと前ですが風くんのブログ、嬉しかったです!
まつりという曲は意図的に432Hzで作られているそうです。
ハイヤーセルフといい、着眼点が面白いです。


HELP EVER HURT NEVER(通常盤)
 
LOVE ALL SERVE ALL (初回盤)(2枚組)







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