【お知らせ】
2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

【リトリート】
2025年も2/7以降で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、リクエストいただいてます。他にも希望者いらっしゃいましたら、まだ日程確定前なので、調整できるうちに早めにご連絡くださいね。今回の告知はしてませんが、以前の告知、こちらを大体の参考にしてください。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。


【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/08/09

原因を他に置いたり自分に置いたりして、気づけること〜日々と宇宙の講座の宿題より


7/24に4回目を開催しました、5回連続の

今回は、宿題ワークを2つ出しました。


課題1は、
ヘルメスの7つの原理の中の<原因と結果の原理>の理解
を深めていただくためのもの。

その原因を、他に置いた場合と、自分に置いた場合と
両方から眺めてみていただきました。


ちなみに、課題2は、
そろそろマインドから離れていただきたいなぁ…
と思いましたので、絶賛、
『瞑想』をしていただいております。☺️


ちょうど「DOではなくBE、というのがわからない」という
質問もありましたしね。
でもこれは、言葉で説明できるものでもないので…

あえて言うなら、DOをすべて止めた時の状態。
なので、=『瞑想』しか、ないんですよね。😂



順番として、
いきなり「個」としての「私」を無視して
「この世は全部幻想ですよ」とか
「『私』は存在しません」と言われたところで

まず普通は、私たちはそれをまた
頭で知識として受け取り、
理解しようとしてしまいますから、、😂

そうすると意味がわからないし、もしくは「つもり」になるし、
ズレるし、拒絶したくなるし、受け入れたくない方向になったり、
しちゃうよねぇ… って思うのです。


だから、マインドともあれこれうまく遊びつつ、
今までただただ「当たり前」だと思い込んでいたことに「?!」を
感じ始めたり、その結果、自我も疑えるようになったり。

そうやって、自我を納得させつつ、意識を「それ」に向けていく
のが、プロセスとしてはいいのではないかなぁ、と思い、
ベーシックからアドバンスにかけて、やってきました。


でも、このままでは、延々、
マインドと遊び続けてしまいかねませんのでね。😅


というわけで、ここでは、
課題1を受講生がやってみて、気づいたことを、
シェアさせていただきますね❣️


受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてのシェアではありますが、

受講生じゃなくても、
気づきのヒントいっぱい🌟だと私は思っております。

実のところ、シェアは大盤振る舞い❣️ですよ〜。😆



今回のワークは,10個見つけるのが大変でした。 
やってみてわかったことは,私のルールに相手も当てはめて, 
それがちゃんとできなかったり,きちんとしていないと
腹を立てたりするということです。 

頭では,人は人,私は私とわかっているのに, つい,反応します。
それでも,以前よりは落ち着いた感じにはなっています。  

そして,もう一つ,コミュニケーションの不足もまた,感じました。 
いつものことですが, 
「あの人は,こうに違いない。こう思っているに決まっている」 
と勝手に思い込んで,自分勝手に判断して,腹を立てていました。 

「そうかもしれない」と思ったら, 
相手に上手に自分の思っていることを伝えて, 確認をしたらいいのです。 
そうしたら,自分の思い込みやマイルールを見つけることができます。 
そういうところがどうも下手です。  

私は,あまり腹を立てないタイプだと思っていましたが,
こうやって何度か自分を振り返るワークをしてみると, 
結構,腹を立てているのに気づきました。 

それも,「腹を立てることはいけない」というよりも,
こういう時に反応しやすいんだな。と思えるようになっています。 



起きた物事の原因と結果を自分においた場合は、
自分次第で解決ができることだったり、
自分で選択したことで起こったことだと感じたので、
次に同じようなことがもし起きたら、
今度はこうしよう!こう言ってみよう!など、
起こったことに対して前向きな気持ちで向き合うことができる
と感じました。  

一方、その原因と結果を自分以外においた場合は、
自分ではどうにもならないことばかりで、
他人が選択したことで起こったことだったりするので、
どうにもできない虚しさやどうしょうもない無力感、
他者への怒りなど、ただただ感情的になってしまって、
起こったことに対して、何も解決しないのに
心が疲れるなぁと感じました。  

また、全体を眺めていて思ったことは、
自分のせいにしても、自分以外のせいにしても、
どっちが悪いとか、悪くないとか…
何だかどっちもどっちな言い分で、
どっちのせいでもないように感じてきました。

ただ、はっきり言えることは、
自分でそれを選択しなかったら起こらなかったり、
起こるのを防ぐことができたことかも!と強く感じました。



このワークをやらなければ、見過ごしてきた
外側を原因としている出来事がちらほらでてきました。 
当たり前化していて、疑問を持つこともなかったので
無意識って怖いですね。 

今回あげてみた出来事は、どれも深刻なことではありません。 
全体を眺めて思ったのは、
結果は自分でどうにでもできること(できたこと)かな
ということです。 

そして、外側のせいにするのは楽なのですが苦しくて、
結果を変えたいならまず自分に原因をおかないことには、
何も変わらないだろうなと感じました。 
自分の選択が自分の世界を作っているのだから、
結局自分次第なんだと感じました。 

また、外側のせいにすることで言い訳していることもありました。 
例えば部屋が片付いていないのは、忙しいとか、
夫があまり協力してくれないから。というのがありました。 
でも、片付けるためにきちんと時間をとっても
ぼーっと一日過ごしてしまったり、
別のことをして終わってしまう日が多かったり。 
原因をこちらにおいて考えたら、本気でやろうとしていませんでした。 

昨日の朝も夫に一緒に片付けようと声を掛けてみましたが、
今日はやめようといわれて、ほっとしたり。 
別に一緒にやらなくてもいいところもあるので
自分だけやればいいのですが。。。 
片付けが進まないのは自分のせいだけじゃないと思うことで
楽になります。 

でもいつまでもこの状況だと、ストレスにもなり、
喧嘩の原因になったりもします。 
その時は楽ですが、いずれ苦しくなるなあと思いました。 
その時その時で結果に向き合っていないと、
無意識に外側のせいにして無限ループにはまるのかなと思います。 

また、自分に原因をおくことで、かなりシンプルになりますし、
自分から行動していくきっかけになると思います。 

また、望み通りにならなくても、さらに工夫してみたり、
折り合いをつけようとしたり、外側のせいにしたままにしないことで、
結果や自分のとらえ方は変わっていくのではないかなと思えました。 

ただ、結果にこだわり過ぎるのではなく、思うようにならなくても、
常に自分の選択の結果でもあると、責任をねじまげず、
結果を含んでいくことでそこに立ち止まってしまうということは
なくなるのかなと思いました。 

あと、無意識(反射的)に外側のせいにするところは
注意してみたいなと思います。



自分のせいにすることも、相手のせいにすることも
どちらも私はやっているなと感じました。 

特に拗ねた自分でいる時は、自分のちょっとした非を見つけて
自分が悪いと自分を責め続け、また一方で俺のせいじゃない、
あいつが悪いんだ。あれさえ無ければうまくいっていたはずなのに
っていう怒りも持っていて、
拗ねた自分は巧みにそれをやっているように思います。
以前感想で書いた何に対しても否定的で拗ねている自分です。

その拗ねた自分の絶妙な隠れ蓑というか…。
拗ねた自分に面と向かわないように色々と自他のせいにして責めて
拗ねた自分に気付かないようにされているのかなと。
自分をさんざん責めて落ち込んだら、今度はやっぱり俺悪くない。
あいつの〇〇が原因だ!とかすり替えてみたりしていました。 

また、自他のせいにしていると、ものすごく視野が狭くなっていて、
いろんな可能性やアイデアがあるのに発見出来なくなっている
と思いました。

〇〇のせいでこうなったらどうしよう。
そしてその事で頭がいっぱいになり
さらに不安に陥っているように思います。 

そして自他どちらのせいでも結局悪い事のみ、
良い方には広がらないなと感じました。 

課題の中で出来事を振り返ってみて、自分への疑い、自信の無さと
自分のせいにすることや、 他人への不信。他人のせいにすること。
ある意味どちらも同じことのように思いました。
不信という一言で一致するなと。

最終的には自分への不信ということになるのでしょうが、
自分自身の中にある不信さを自分や他人、この世を使って
現しているのかなと感じています。 

また自分も他人もこんな酷いことをするのか?
という驚きもありました。それは人としてどうなの?って。
これは掟なんだなと思います。 
そのことでも責めてしまってましたね。



まず母とのことでやってみました。やはり子供時代のことを
「自分のせい」にして考えるのは難しかったのですが、
成人になっても外側の影響を自分に受け入れさせていたのは
「自分のせい」だと思いました。

そして自分が変われないことを外側のせいにして
言い訳していただけなんですよね。
こんなことは今さらなことで、
ずっと昔から「頭」では分かっていたことが、
やーーーーーっと腑に落ちてきた感じです。 

そして最近のことで言えば、私が一方的に怒っているだけでした。 
例えば善意からの余計なお世話や干渉、
歳を取ったせいで物事の理解が悪かったり、
何度も同じ話しをすることに対して、
過去からの怒りの蓄積が吹き上がり、瞬殺で怒り口調が出てしまう。
ほぼ「自分のせい」でした。 

他のことでも、一見
「これは、私が悪いのじゃなくて相手が悪いでしょ!」
と思えることでも、自分の在り方が現れているだけだということ、
こちらも、やーーーーーっと腑に落ちてきました。
(いえ、まだ頭から咽喉元辺りに落ちて来ただけかも知れませんが。) 

私のベースにあるのは、存在していることへの罪悪感なのですが、
この信じ込みからの言動を無意識にも意識的にもしているし、
この信じ込みフィルターを通して物事を見ているのだから、
当然と言えば当然なのですよね。

でも「頭では分かるけど」と言いつつ、やっぱり認めたくなくて
反発したりしていました。 

夫は短気なところがある人で
「そんな言い方しなくてもいいでしょ!」とケンカになることも
多々あるのですが、私に罪悪感があるから
余計に責められているように感じて防御しているんだな、
私の方も、もっと違う対応が出来るはずだよな、と思いました。 

兎にも角にも自分に必要なのは感情消化! 
私はONもOFFも夫と一緒なので
中々自分だけの時間を捻出するのが難しいのですが、
この課題の提出期限の前日の土日は
夫がゴルフに行くことが決まっていたので、
自分と向き合う時間を過ごすことにしました。 

手つかずのゼニスの色塗り、課題1のワーク(これ)、
課題2の瞑想等もやりながらですが、
自分の声を聴く時間もたっぷり取りました。 
が、あの先日通勤途中で出てきた、
自分の中のぎゃん泣きしている子供は出て来てくれず、、
少し泣けただけでした🥲 

力み過ぎて「自分を解放したい!」の逆が立ち現れてしまったのか、
まだ無意識に抵抗しているのか、、? 

だけど「ほら、どうせ、、」って言うのはエゴの声ですよね? 
そもそも私がスピリチュアルに興味を持ったのは、
自分の根源と繋がって生きたいと思ったからなのですが、
自分の心の声では無く、エゴの声ばかり聴いて生きてしまっていました。
もうエゴの声は聴かず、何度でも自分の中の子供に話しかけてみようと思います。












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