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2025年1月より、RAS認定ファシリテーターの更新制度が変更となります。ファシリ講座の受講を検討中の方は、お気軽にお問い合わせ下さいね。

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2025年も2/7以降で、なおちゃんとクジラを見る🐳屋久島リトリート、リクエストいただいてます。他にも希望者いらっしゃいましたら、まだ日程確定前なので、調整できるうちに早めにご連絡くださいね。今回の告知はしてませんが、以前の告知、こちらを大体の参考にしてください。
リトリートのリクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前 にはいただけると嬉しいです。


【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。

レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

RASセルフケア講座に関するQ&Aはこちら。(受講された方へ)

2022/08/01

他者の期待に応えるのをやめてみる 2〜日々と宇宙の講座の宿題より



ベーシックの受講生の皆さんの気づきはすでにこちら↑
でシェアしましたが、

「他者の期待に応えるのをやめる」ワーク(というか実験♪)を
やっていただきましたので、シェアさせていただきますね。


受講生たちのみならず、
これを読んでいる皆さんにも、類は友を呼ぶ?😂のか
(無自覚な方も多いですが)がんばりやさん がいっぱい
いらっしゃいますから〜。


受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてのシェアではありますが、

受講生じゃなくても、がんばりやの皆さんには
ぜひ読んでいただきたい。
気づきのヒントいっぱい🌟だと私は思いますよ〜。☺️


一応、また書いておきますと、

「人の期待に応えるのをやめよう」と
実験してみようとした時にわきおこってくる感情
=未消化の感情、痛み。です。


がんばりやさんほど、自分が期待に応えようとしていることが
デフォルトになりすぎていて、全く気づかずに応えようと
動いている場合も多いので、まずはそこに気づくことって、大切。


痛みがあっても、自分が気づいてあげないことには、
寄り添ってもあげられませんので。☺️


受講生はわかっていると思いますが、
これを読んでいるだけの方は勘違いしてはいけないので書いておくと、
期待に応えることが悪い、ってお話ではありませんからね。
念のため。


「良いこと」だと信じ切ってることって、人は疑おうともしませんが、
真逆をやってみることで初めて気づけることも、あったりするんですよ🌟



【人の期待に応えるのをやめる】 
まず、やめられたことから。 
宿題が出る数日前にフェイシャルのエステサロンをやっている友人から
「またエステを受けに来て」というお誘いメールが届きました。 
彼女の仕事の仕方に疑問があって本心では行きたくなく、、。
どうしようかな、と思っていたところへ今回のこのお題。 

本心では行きたくなかったのに、何故今まで行っていたのかと言えば
「少しでも役に立てれば」と思っていたから。
いえ、それ以上に中学時代からのつきあいにヒビを入れたくない、
疎遠になりたくないという気持ちがあったからなんですよね。 

でも実験だと思って「行かない」を選択してみます。
結果、疎遠になったら、結局そういうつきあいだったということですし、
思ったよりは寂しくないかも。
改めて、もうすでに気持ちに距離が出来ていたのに、
何で自分はそんなにいい顔をしようとしていたのだろう?と思いました。 

次に日常生活の中で。 
人の期待に応えるために、それほど自分は頑張っているつもりは
無かったのですが、7月の連休の旅行から帰った翌日には
2泊3日分の洗濯物を全部洗濯し終えたり、疲れているのに、
いつも通りに起きて朝食を作ったりしていました。 

洗濯物をすぐに片づけたくなるのは「自分がすっきりするから」
「自分が後で楽だから」と思ってやったことだけど、もしかして、
これは自分が自分に課しているマイルールなのか?この辺りは微妙です。 

疲れているのに朝食を作ったのは、
「ちゃんとしたものが食べたかったから」 
「夫にも食べさせてあげたかったから」。 
つまり「自分がそうしたくてそうしたのだ」と思ったけれど、
自分の本心をよく見てみれば、相手をがっかりさせたくないとか、
責められたくないという気持もありました。 

そう言えば「今年から有給休暇を5日取る」と夫に宣言したのに
まだ1日も取っていませんでした。
自営業なので病気や必要な用事以外で休むことは無くて、
しかも滅多に体調が悪くなることなどないから、実際のところ
有給休暇を取ることなどほぼ皆無(夏期休暇も従業員は3日あるけれど、
自分達は大体1日だけ)。そんな生活を長年続けていたけれど、
もう有給休暇取ることを自分に許していいんじゃないの?と思って
宣言したのに全然、実行出来ていませんでした。
屋久島リトリートの為に取っておいた、という理由もあったけれど、
リトリートは満席になってしまったし。
さて、どこかのタイミングで取るぞ!と思っても、やっぱり怖い。
非難されたり、文句言われたりするんじゃないかと思っている。
でも、それは自分が自分に休むことを許可出来ていないからでした。 

宿題をやってみて 「自分が自分に課しているマイルールじゃない?
良く見られたいと思っているだけ? がっかりさせたくない、
責められたくない、と思っていない?」 と、
自分がどうしてそれをやっているのか?を問うのは、
人のせいにしない為にも大事なことだなと思いました。



「⼈の期待に応えるのをやめる」 
① LINE で繋がっているお客さんからのメッセージを
 午前10時になるまで 開かない。 

② 午後9時以降の連絡については,返信は次の⽇にする。 

③ 妹たちが宿泊した後の布団の後⽚付けができなかったことを夫に話す。
「別に, すぐに⽚付けなくても困らないでしょ?」と⾔われ,
「やらなきゃいけない」と決めていたのは,⾃分だった。 

④ 家の中の掃除,毎⽇全部をやるのは⼤変なので,
 できるときにできること をやる。 
「家の中がきちんとしていない」と思うのは,⼩学⽣の頃,
 家が⽚付いていないことで恥ずかしいと思ったことが
 2度ほどあったから。
 それで,「⺟親が家を⽚付けられない散らかった家」と思われるのが
 とても嫌だった。 そう思っているので,その後も時々,散らかっていて
 恥ずかしいと思わされる出来事がやってきた。 
 今は,適度に⽚付いていて気持ちがいいのでそれを選択している。 

⑤ これをさっさとやったら気持ちがいいだろうな。と思えることを
 わざと先 延ばしにしてみた。
 すると不思議なことにこだわっていたのは私だけ。周囲の⼈は,
 それを責めたりするどころか,全くきづいてすらいなかった。 

⑥ 「⼈の期待通りにしか⽣きていないじゃん」と思えることが
 たびたび起こ る。この⼈が機嫌がよくいてくれるために,
 私はどうあったらいいんだろうと考える私。
 その機嫌がよくいてほしい対象は,両親だったけど,今は, 夫。
 近くにいる⼈の機嫌が悪くなることが怖い。 
 落ち着いて考えてみたら,その⼈の機嫌が悪いのは,その⼈の都合で,
 私が何かしてしまったわけではない。ほっとけばいいんだわ。 

☆ここまで気を付けてみて,気づいたこと☆ 

何かを決断するとき,無意識に「⼈の期待に応える選択」を
していたかもしれないと気づく。
気づいて⇒考えて⇒⾏動するこのパターンの中で, 考える中で,
どう⾏動するのか選択をしている。その選択が,今までは, 無意識に
「⼈の期待に応える選択」をしていた。 

だけど,選択肢は,⼀つではないはずで,いくつか並べてみて,
これに する?それともこっち?と選べるはずで,
ただ,反応するみたいな選び⽅ はしたくないなと思った。 

そして,さらに,なぜ,それを選ぶのかを良く⾒ていくと,
そこに⾃分 の傷を⾒つけることができる。
その傷に基づいて選択していると,選択の幅は狭くなる。
より⽣きづらくなることに気づいた。 

ただ,無意識に反応するのでなく,意図的に選択したい。
結果として選択 したものが同じ⾏動だったとしても,⼤きく違うと思う。 
⼈の期待に無意識に応えるのは,
「⾃分に⾃信がない」からというのもあ ると思う。 
「いい⼈であるべき」「悪い評価をされたくない」「こんな私じゃだめ」
そういう思いが渦巻いている。
⾃分で気にするほど相⼿はそうでもないのに, 過剰反応している。 

そしては,ついつい期待に応えようとして,
⾃分の能⼒以上の働きをして疲れ果ててしまっていた。 
「そんなにいい⼈できませ〜〜〜ん!!!」
と⽩旗を上げてみるのもいいと思う。 

ある⽇,ふと思いついて,
夫がソファに座ってテレビを⾒ていたすぐ前 で,
ゴロンと昼寝をしてみた。
今までの私は,「そんな姿を夫に⾒せるなんて恥ずかしい,とんでもない」
の妻だったのだが・・・その実験をしてみたら,
実に気持ちよく午後からの予定をすることができた。 
夫は,⽂句を⾔うわけでもなく,ましてや私を蹴とばす訳でもなく,
ただ,テレビを⾒続けていたのだった。 

こんなふうに宿題を出されないと,やってみないけれど,
実験なのだから,⾃分で課題を決めて取り組んでみたら,
また,私の思い込みが外れて楽しいだろうなと思った。



期待に応えようとするとしたら、仕事の場になります。 
今じゃ考えられないのですが、
20代は尊敬していた上司が頑張り屋なので、
一緒になって頑張りすぎてた時代があります。
毎日終電か終電後のタクシー帰り、徹夜も当たり前でした。 
感覚も相当麻痺していて、今思えば、
頑張り倒す自分に酔っていたところもありました。 
またどんな状況でも「できません」と言ってはいけないと教えられたので
「できません」とは言えなくなりました。 

先日久しぶりに、今から普通にやったら無理!と思うようなことを
やらなくてはならなくなったのですが、やはり
「無理です。」とは言えませんでした。 
今は以前のような頑張り屋ではないですし、
実際残業をすればできなくないですし、
誰かの期待に応えようというよりは、責任感というのか、
やらなかったことで会社にとってマイナスになる
=自分にもマイナスになる、評価も下がる
という考えからという感じです。 

こういうせっぱつまった状況はたまにありますが、
今はぎりぎりできればいい、期日を遅らせてOKなものは
どんどん遅らせて、残業もできるだけしないようにしています 

同じ講座を学んでいる方が以前書かれていた、
仕事に対する気持ちですが、以前の自分に重なる部分がたくさんあり、
とてもよくわかるなと思っていました。 
以前は私も仕事を抱え気味で、ヘルプミーが全くできませんでした。 

私の場合、あせって作業するとミスするので、
余裕を持ちたいのもあったのですが、先まわりをしてやっているのに、
結局業務って増えてくるんですよね。 それさえ見越して進めていても、
またさらに業務が増えてタイトになるので、
結局いつも余裕がなくなります。 

これは無限ループで、どんなに先回りしても同じ状況だな
ということを悟り、余裕を持とうと考えることを一切やめました。 
今はタスクを抱え込まず、人にもできるだけ頼り、期日ギリギリでも
間に合っているからOKと思えるようになりました。 

また、以前は相手の期待している以上のものを、
ミスなく早く提出しようと意識していました。 「期待以上のもの」を
「早く」というのは、悪いことではないと思います。 
でも私の場合、それが掟化してしまい、荷が重い時がでてくるので
意識することをやめたら、ずいぶん楽になりましたね。 

この宿題中に1つできたとしたら、締め切り時間との闘いで
かなりぎりぎりで仕事を進めている最中に、急に上司が
別のタスクの話をしてきたので、途中まで聞いていたのですが、
こちらがぎりぎりなのでと遮って、上司のタスクを優先せずに
仕事を進めたことですかね。 

上司は気を悪くするわけではなく、別の人と引き続き話を進めて
ことなきを得ていました。 以前だったら上司の話につきあって
モヤモヤしていたかもしれません。 
でもたったそれだけなのに、言った後に申し訳なかったかな?
と思ったり、帰り道や寝る前にも、そのことを結構気にしてしまう
自分がいました。 

以前ほどは人からどう見られるかは、気にならなくなっているかな
と思っていますが、まだまだ結構気にしてるんだな。。と思いました。 

ただ、気にしても仕方ないことだなと眠る前にリセットして、
翌日には引きづることはなかったです。 
他のことでもそうですね、最近は気を悪くさせてしまったかも?
と思っても、気にしてもきりがないなと切り替えられるように
なってきたかなと思います。 

次回の講座もよろしくお願いします!



このワークを通して、「気が利く人であるべきだ」というフィルター
があったことに気がつくことができました! 

今までは、例えば「母が寒くなったわ」と言ったら、
頼まれてもいないのに気を利かせてエアコンを止めていました。 
また、職場で先輩に会議室の予約方法を聞かれたりしたら、
頼まれてもいないのに気を利かせて私が予約をしていました。 

今回のワークを意識して、人の期待に応えなくていいと思っていたら、
同じように母が寒いわとつぶやいても、
反応せずに動くのをやめてみました。
すると、母は私が動かないので変だな?とぽかんとしていましたが、
その後、自分で動きリモコンの停止ボタンを押していました。 

また、職場の先輩には違う内容のことを質問をされましたが、
やり方を説明するだけにとどめて、私が動くことをしませんでした。
すると、しばらく沈黙が続き、私達の会話を聞いていた周りの同僚
のうちの1人が動きだしました。 

私は、いつの間にか気が利く人であるべきというフィルターが
自分にとって当たり前すぎるぐらいに浸透していました。
そのため、直接、頼まれてもいないのに気を利かせて、
私がやらなくてもいいことまでやっていたり、
私がやることで他の人が覚える機会を奪ってもいたのかもしれない
ということに気がつきました。

また、周囲も私に話しかけたら、頼まなくてもいつもやってくれる
という認識をしていたんだなと相手の反応をみて思いました。
同時にこれは、私自身もそうだったなと
今回のワークで気がつかせてもらいました。
相手にしてもらいたいことを、遠回しに聞いたり話したりして、
お願いしますと頼まずにやってもらおうとしている自分がいたことに!

これからは、シンプルにお願いしたいことがあったら、
お願いしようと思います。 このフィルターがあることで、
他人にもその考えを無意識に押し付けていて、また逆に、
無意識に私自身も反応をしていました。 

今回のワークで、1つのフィルターに気がつくことができたのと、
私が動かなくても大丈夫だった!ということがわかりました。
小さなことを含めて、今までどれだけ他人のために動いていたのか
と思い、もうそんなに頑張らなくても大丈夫だよと自身に言ってあげました。



仕事の話になりますが、どうしても新店の責任者って事で
色々私がやらなければと思ってます。だから今回は
これは部下でも出来るだろうって仕事を振ったり、
ここまでは私がやらないと駄目じゃないかと思ってたものを
少し手を抜いてみたりしました。

またお客様が我々に求めているものを
とてもハードルを高く私の中では設定していましたが、
そこまでしなくても良いかな?要望があれば対応すればいいや
と思うようにしました。 そしたらとても楽でした。
あっここまでやってくれるし大丈夫じゃんと…。 

でもここまでやらないと駄目じゃないか?と、
お客様への対応に関しては、大丈夫と解るまでとても怖かったです。
批判されたりクレームになったり、
お客様に反発されたりするんじゃないかって…。
でも何もなくてあららって感じでした。

まあ仕事なので全てにおいて手を抜いては難しいでしょうが、
全てを完璧に非の打ち所なくやろうとするのはしんどいし、
そこまで求めなくても良いんだなと思いました。

そして完璧に出来ないとそれを責める自分もいて、
責める必要はないかなと思いました。
責める事で余計にそっちに転がってしまうのも困りますし…。
気にしだしたらキリが無いですね。

でもそっちの方を一生懸命考えてしまうのが自分は好きなんだな
と今回感じました。
違う可能性や反対のことを含んでみていけたらと思います。 

また、頼むのは良くないとか、人にばっかり仕事振って
いい加減な人と思われたくないとか、
この人達、全然お客に対してサービスがなってないと思われたり、
どうせやってくれないしとか、部下やお客様に対して
私自身が疑心暗鬼だし、自分自身に対しても疑心暗鬼の様に思いました。 

あと、必ずギブアンドテイクでないと駄目だという思いが強くて、
手伝って貰ったり助けて貰うには、
こちらからも何かを提供しなければいけない思いが
私の中に強くあるせいで、人の期待にも応えなければと
強く思っている事に気付きました。

人の期待に応えないと皆の中に入れない。
仲間にして貰えないみたいな掟があるように思います。

昔から人の中に入って行くことが苦手でした。仲間外れにされたり、
大勢の中に入って行くことがとても難しく感じていました。
人の期待に応えられないと価値がない。
応えられないと社会の一員になれないみたいに考えていて
余計に色々自分への制約や掟に繋がっているように思います。
視野が狭いですね。 

そのままで良い。在るだけで良いとは離れてしまう考え方だと思うので
気を付けようと思います。











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