11/20に2回目を開催しました、5回連続の
受講生の皆さんのご感想を
ここにもシェアさせていただきますね。☺️
皆さんも書いてくれているように
じわじわと伝わって、
だんだん理解度が深くなっていく感じが面白いところだし、
私もうれしいところ❣️なんですよねぇ。
やっぱり、こういうことって、
自分の実際の体験の中に活かされていくことで
アハ体験が起きて、本当の意味で根付くというか、
それを生きる、ってところに入っていくというか。
なので、
シェアはあくまでも、受講生同士が読み合えるように、
そしてそこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということがメインの目的ですが、
それぞれに書いてくれている具体例がわかりやすいので、
このブログだけを読んでいる皆さんにも、
視点を変えたり多角度から眺めるヒントになるんじゃないかな
と思います。☺️
ただ、頭の中でだけ「なるほど〜」と思ってても
人ってすぐに忘れてしまうので😂
自分に起きている出来事に当てはめて
実際に自分ごととしてやってみる(=応用)、ってことが大事。
「毎回まゆさんの話をなるほどなと思いながら聞くだけでは、
聞いたことと自分の体験がなかなか結び付かないのです。 」
って書いてくれた方もいますが、
これは個人セッションしてても感じることで、
ホント「応用」が苦手な方は多いと思いますので、
結びつけるためにも、ね❣️
そして、
「ベーシックからの教えがここにきてじわじわと
深いところから自分の意識へ働きかけをしていて、
何でもない地味なところから気付きが湧いてくるのを感じています。
ジワジワと。 」
って書いてくれた方もいる通り、ジワジワ、なので、
この講座でお伝えしてることは、ワークもしつつ、
1年近くかける必要があるんですよねぇ。☺️
私たちの長年のクセって、(物理次元では)
そのくらい意識的に働きかけないと、なかなか変わらないとこ、
ありますからね。
なぜって、多くの人は
「頭で理解してからじゃないと受け入れられない」から
なのですが。😂
「当たり前」と思い込んで見過ごすとこにこそ、
ギフトが埋まってるってことも、また肝。
これ、頭でっかちだと見過ごしますからねぇ。😂
でも、ちゃんとやってくと「ジワジワ」ね、
「応用」も得意になっていくはず、って、思いますよ❣️
前回の宿題の一つ目はまさにまゆさんの言っていたように、
正解をすごい知りたくなりました。
提出する段階で、これでいいのかな、、?、と、
ベーシックから課題をやっていますが、
こんなに送るのをためらったのは初めてでした。
送ってしまったあとはそんなに気にならなくなりましたが、
送るまでは、見当違いなことを書いていたらどうしよう、と
とても不安になりました。
皆さんの書いたものを読んで、なるほど〜、と
とても面白かったです。
まゆさんのお話も、こんなに抽象的?なことを説明できるのは
本当にすごいな、と改めて思いました。
学生の頃通っていた塾で、人が理解できるように説明できて
本当に自分が理解してるって言えるよね、
と言われたことを思い出しました。
ピックアップされる情報は自分のフィルターによる、と言うのは、
ネットを見てると特にそう思います。一度何かを調べると、
そのことに関する情報ばかりを表示してくれるようになるのは、
余計なお世話に感じることが多々あります。
でも、それを自分自身でもやっているということなんですよね。
どうしてもみんな同じフィルターを持ってるように感じてしまいますが、
夫と生活していると、受け取る情報が違うんだなと思うことは多いです。
夫は、音楽フェス、などには興味がなかったようで、
大人になるまで存在を知らなかったようです。
また、芸能人の結婚や離婚にも興味がないのか、あまり知らず、
夫にしてみれば私はすごいゴシップに詳しい人に見えるみたいです。
でも、夫の家族は私と同じくらい芸能人の情報を知っていたし、
夫の妹さんはフェスを録画して見ていたりしてたので、
社会人になるまで実家で暮らしてたのに家族と何話してたの?
、、、と驚きました。家族仲も良いので余計に不思議でした。
でも、それも私のフィルターなんですよね。
騙し絵は面白かったです。
特に最後のアインシュタインとマリリンモンローの絵は
特に面白かったです。
距離によってや意識によっても見え方が変わる。
同じものを見ていても見え方が変わる。
そして、同時に認識することができない、
わかりやすく体験することができました。
子どもが遊んでいるのを見てると、いろんなものを使って
さまざまな見立て遊びをしていてとても興味深いです。
ただのつなげたブロックでも、武器になったり、
仮面ライダーの変身ベルトになったり、線路になったり、
色々考えてるんだなぁ、と思います。
私と見えてる世界が違うんだと言うことを、より実感します。
夫や子どもでも、自分と見えている世界が違うことを実感するのだから、
他の人と違って当然ですよね。
と、わかってもなかなかそれをいつも意識できるようになるのは
まだ難しそうです。
序盤にまゆさんからもお話がありましたが、前回の課題での
他の方の解答と自分とを比べてしまってました。
その後、私は私で良いんだと言い聞かせていました。
どうしても他人と比較してしまう自分がいます。
気持ちに余裕がないと特にそうなる気がします。
今回の講座を聞いていてとても楽しかったです。
ベーシックで学んだ基礎を踏まえてゆっくりじっくり
繰り返して話してくれるので、深まる感じがしました。
宇宙では死について良いも悪いもないという話がありましたが、
私が昔から引っかかっている、『死』、特に殺人などについて、
死が悪い事ではないという事が
なんとなくスッと入ってきた気がしました。
講座を重ねたり、イティハーサを読んだりした事が
影響してるのかもしれません。
受け取るタイミングがあるというのはその通りだと思いました。
同じ話を聞いても、全く入ってこない時と、入ってくる時があって、
それはその人の必要なタイミングなんだろうと思います。
まゆさんの昔のブログを読み返したりした時に、
以前と違うなと気づく事があったりして、そう思います。
この講座をベーシックから受けてアドバンスに入りましたが、
自分の中への入り方が少し違ってきた様な気がします。
ベーシックの時はわかった様なわからない様な、なんとなくで、
手探りでやっていた感じでしたが、
ベーシックの中で自分についていつくかの発見があって、
何か少し変わったのかもしれません。
歳を重ねていく分、様々な人に会い、いろいろな経験をしていく事で
自分の中の心の幅が増えていくような気がして、
自分ではただ生きているだけのつもりでも
自然と含める事が増えているのかもそれません。
そういう意味でも、生きてるだけで、
そのままで良いんだとも言えるのかも、と思いました。
私の今までを振り返ると、
いつの間にか変わっていたという感覚があるので、
そうやって少しづつ自分でも気づかないうちに
枠がなくなってるのかもしれません。
歳をとるごとに、良い意味で適当になって来ていると思います。
それの中には含む事ができたから
そうなっている部分もあるのかもしれません。
日々の出来事の中に、まだまだ反応して、
イラついたりしてしまうことはありますが、
例えば20年前の私と比べると、動じない事が増えてきていると思います。
キャラクターを脱いだ自分は、自分の好きな事をやっているので
満足して周りが何も気にならなくなる。というお話がありましたが、
私も以前より周りが気にならなくなっているという事は、
いつの間にかキャラクターを脱いでいるのかもしれません。
もしかしたら、昔私が苦しんでいた頃、
周りと自分の掟とを擦り合わせていたから
外側が変わっていったのかもしれないですね。
昔の事をいろいろ思い出すと、もしかしてそうだったのかな?
と思えて来ました。
私の中には、いじめるいじめられるのフィルターではなく、
好かれる嫌われるの方があるのかもしれません。
だから、きっと嫌われてるとか感じてしまうんでしょうね?
何故なのかはもう少し考えてみたいと思います。
などど、感想を数日かけて書いていましたが、ここまで書いた後に
イライラモヤモヤする出来事があり、とても心が乱れています。
感情が不安定になっていて、すごくドロドロした感情が出てきています。
心に余裕ができたと思えば、またイライラする、の繰り返しですね。
同じ人に同じ様なイライラを感じるのは、
そこに枠があるんだと思いますが、
それがなんなのかはよくわかりません。
頭の中であーでもないこーでもないと独り言が続いています。
私の中の〜べきはまだまだ無数にありそうです。
↑このイライラの出来事の後、何故イライラするのかを考えてみて
答えの様なものが出て来た時に、それを、ああそう思うんだね。
そうかそうか、というふうに感じてみました。
次の日には気持ちが軽くなっていました。
そして、その次の日にその人を含む数人で会食があったのですが、
心の中は澱みなくスッキリして、楽しくおしゃべりできました。
この講座を受けて来た事が活かせたのではないかと、
とても嬉しい気持ちになりました。
講座での宿題を通して実体験をした感覚があるからこそなのかな
と思いました。
まゆさんの、元同僚の方々のお話興味深かったです。
すごく想像しやすくて、自分だったらどうだろう?とか、
いろいろな価値観の人がいるんだなぁ、という事の
わかりやすいお話でした。
今回はSさんの印象がとても強く残っています😆
普通の人が引っかかりそうなところをさらりと反応しないでいる姿は
(そういう意図はないのでしょうが)、
一歩先を行って悟っている人のように感じてとても興味が湧きました。
その後まゆさんがグループLINEで
Sさんも他のところで怒ることもあり、
テーマが違うだけだと聞いて少し我にかえり、
執着がない=身軽でしがらみもなく自由な感じがして
羨ましく思っているという自分の気持ちに気づきました。
それぞれ違うフィルターで見ていて暮らしているということは、
頭では納得しているものの、日常生活ではすっかり忘れてしまって、
何かがあってやっと入り込んでいた自分に気づき
冷静になったりしています。
その繰り返しに、なんですぐ忘れてるんだろうと思うのですが
そのレイヤーを、行ったり来たりして生きてるものなのかな
と思ったりもして、
気づくだけでもまだ意識できている方なのかなと思うようにしています。
ベーシックからの教えがここにきてじわじわと
深いところから自分の意識へ働きかけをしていて、
何でもない地味なところから気付きが湧いてくるのを感じています。
ジワジワと。
その一方で、
「第2のワンネスから見たら善も悪もないんだけどね」
と言うまゆさんの言葉に、そっかと思いつつも、
とても恐ろしく感じてしまう部分があったりしたので、
そう感じてしまう自分の痛みは何なんだろう?と
寄り添ってみようと思いました。
そういう面も含めてジワジワきています。
次回もよろしくお願いします✨✨
今回の講座の前日夜に、
その内容とリンクするような出来事がありました。
風くんのライブに姉と行こうとなって、
先日先行チケットに私が応募したのですがあえなく落選。
二次先行に応募することになって判明したのは、
姉が規定通りの手続きをやっていなかったということでした。
規定外の応募は選考から弾かれるようで、
大事なチャンスを最初から失っていたのです。
姉と話した後から無性に悔しいという気持ちと怒りがこみ上げてきました。
手続きの必要性を予め伝えて、やったかどうか確認したのに
姉が適当な対応をした結果、チケットが取れなかった→私は悪くない。
姉は最初、そんな話は聞いていないと言い訳をした!→ありえない!
お風呂に入りながら、この気持ちを俯瞰して見てみようと思いました。
なんで怒っているのか考えると、上記のような
自分の怒りを正当化する理由しか思い付きませんでした。
そこで、私は自分はちゃんとやったのに、相手がそのようにしなかった
というような出来事で怒りのスイッチが入るのか~と
自分トリセツのようにとらえると少し気持ちが落ち着いてきました。
そうすると、姉が手続きしなかったことで応募すらできてなかったけれど、
応募できていたとしてもチケットが取れたかどうかは分からないよね、
という考えが出てきました。
チケットが取れなかったことを、全部姉のせいにしていたけれど、
チケットを取れない可能性は姉のミス以外にもあるわけで、
それを見ずして姉ばかり責めている自分に気付きました。
私は悪くないと思いたい自分がいました。
講座の中で紹介された騙し絵。
片方を見ているときはもう一方は見えない。
両方を同時に見ることはできないというのは、
当たり前のようでいて盲点だなと思いました。
私は怒りを感じていた時は、
一方だけを頑なに見ていたのだなと気付きました。
風くんのライブに行ければきっと素晴らしい体験ができるはず。
その一方で行けなければつまらない日常があるだけと思っている。
行けることが素晴らしいと思いすぎると、
行けないことで生じる可能性を切り捨ててしまっている
(ex.行けないことでもしかしたらゆっくり必要な休息が取れるかもしれない)。
何か(得られると思った体験など)を失ったように感じているけれど、
また別の体験ができる機会を得たということ。
以前、まゆさんがコインの表と裏の話をしていましたが、
表と裏は確かに違うけれどどちらがいいということはない、
そこに意味付けをしているのは個人だということが
なんとなく分かった気がします。
秘湯リトリートのキャンセルの時も、
行く行かないを両方考えられたことで
どっちでもいいに気持ちがなったように思います。
同じような出来事だなぁと思いながら感じたのは、
やっぱり体験しなければ分からないということ。
毎回まゆさんの話をなるほどなと思いながら聞くだけでは、
聞いたことと自分の体験がなかなか結び付かないのです。
感想やワークで半ば強制的に(笑)自分を省みることが
役に立っているなぁと思います。
ベーシックの内容を復習する感じなのもありがたいです。
頭での理解は快・不快でいうと快で、
何か得たような満足感がありますが (だからこそ
分かったような気持ちになって、何もしないことが多々あります)、
体験はその両方が含まれていますね。
物事を知るためにはいろんな体験ひとつひとつが大切で必要なんだな
と改めて思います。
当たり前すぎることで言葉にすると伝わりにくいですが、
講座を通して当たり前がそうじゃないというか、
日常の彩りって実はすごいなと感じています。
アドバンス二回目の講座、ありがとうございました。
理解が深まるごとに善悪のジャッジをしている癖に気がついては
楽になっていく瞬間を味わっています。
この講座を受けるまで、
ジャッジをしない、という言葉を頭では理解したつもりでいましたが
理性で抑えつけようとしていて
上辺だけのわかったふりになっていました。
なので、どこかで納得しきれていない感情がわいてくることがありました。
今では反対側を意識することで良い悪いなんて存在しなかった、
と腑に落ちるようになってきています。
良い、悪い、と決めつけて世界を狭く苦しくしていたものが、
徐々にゆるみ、ひろがっていきつつあります。
そして日常の中で振動数をスイッチングすることが大切だ
と日々実感しています。
受講生のみなさんそれぞれに
今向き合っている日常や感情があると思うのですが
それもまたフィルターがあっての着眼点で、その違いが面白く、
もっと見てみたいと思っています。
好きなことだけを選んで生きてきて、
すべて自分のためと思っていたけど
本当に自分が求めていたことは別のところにある、と
最近ふと思った瞬間がありました。
やりたいことをやる=自由ではない というお話が
タイムリーですごく共感しました。
自分がどのように世界を見ているか、
どのような世界を創っているのか、視点をイメージすることが
新しい世界を覗いているような感じがしつつも
自分を保つ信念のようなものにも思えて
心強くも、ゲームのような楽しさも感じています。
【日々と宇宙の講座アドバンス第二期】
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