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2023/02/04

『ありえん!』と思う相手の気持ちを味わうことから気づけること2 〜日々と宇宙の講座の宿題より


1/8に4回目を開催しました、5回連続の


7つの原理もすべてお伝えし終えたところで、
課題を3つほど出させていただいたのですが、

その中から
「〜べきなのに…」と思う相手の気持ちを、あえて
想像して味わってみての気づきを、
シェアさせていただきますね。☺️


私たちはなかなか、
自分が「ありえん!」と裁いている人の気持ちなんて、
想像してみようとすら、しないもの。

ですが、あえてそれをやってみると、
『理解からの受容』が起こる場合も、あります。
(もちろん自分の痛みには寄り添ってあげる、が大前提でね❣️
思考でだけやってしまうと、いずれ苦しくなります。)


そうやって『含む』ことができるようになればなるほど、
目の前の出来事にただただ、自動反応するのではなく、
(感情に振り回され、ドラマどっぷりなのは↑この状態)

本当の意味で『選択』することも
できるようになっていくんですよね。


自分に許していないことは人にも許せていないな」と
書いてくれている方もいますが、そうなんです。

だから、人を許すことは、結局
自分を許すことにも繋がります。


で、自分に許せることが増えるということは、
選択肢が増えるってことでもありますので、
それだけ自由になるんですよね。


私たちは大抵の場合
「私の気持ちをわかってよ!」が先立ちがち、ですが

視座を反転させて、先に
「相手の気持ちをわかってみよう」としてみると
気づけることも、あるもの。☺️


あくまでもそれは
相手のためじゃなくて、自分のため。
(相手のためって思うと、不条理さが先立って
抵抗が出るでしょうし。😂)

だって、その方がホントは早く、楽になれますもん。
相手をコントロールしなくていい分ね。(^_−)−☆


ただ、「アイツのことなんて、わかりたくもないわ!」
ってなってるうちは難しいので😅 

そういう時は先に、とにかく自分の感情に
「だよねぇ、わかるわかる」の姿勢で
寄り添ってあげてくださいね💓


このプロセス↑に慣れてくると、
私を経ないと、たんにそうゆう事と
どっちでもいいような感じになります。 
と書いてくれてる人もいるように、

『個』としての『私』を経ないで、
シンプルにただ、現象を観るってことが、
つかめてくるんじゃないかな、と思います。☺️


ここではあくまでも、受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてシェアしてますが、

受講生以外の皆さんでも、読んでいただくと、
ヒントがいろいろ、見つかると思いますよ❣️




強い気持ちで居てほしい、とか自立してよ、とか 
そういった考えを押し付けたい気持ち 
何より自分がそうありたいという気持ちが見えてきました。 

余計な情報(これまで集めたデータ)で勝手に怒って、
嫌な気持ちを生み出していたけど 
嫌だと感じている要因は他にあるということも、
更に深い部分で納得できました。 

幼い頃の呪縛で自分を律しすぎていることや
(それが他者への押し付けとなる) 
ここまでしていたよと知ってほしいと思っている自分。 
〇〇の為に と、思うから他者のせいにしたくなる。 
また苦しくなるのなら
最初から自分の為だけに動いても良いのでは? 

自分用に書いておくと 
愚痴をききたくない→ききたくない理由は他にある 
ちゃんと調べなさいという呪縛 
自立しなよという押し付け 
直接言わないのが嫌 

こう並べてみると自分のポリシーのようなものを
思い出したかったようです。 

その現象を起こしたのは自分の感情であって 
エネルギーをそこ(現象)に費やさないで、と言っているようでした。



最近気持ちが揺れることがあまりなかったので、
昔のことを思い返してみました。 

私が気になる事でも、それぞれの立場、状況などで、
相手は何も気にしていなかったり、何か理由があったり、
そもそも考え方が違うのだろうと思えました。 

同じ出来事でも全く違う出来事になってしまういう事も
想像できました。
私がイラッとした事でも、当事者からすると
なんの悪気もないかもしれないし、
当たり前と思っているかもしれない。
イラッとされていることすら気づかない可能性も大なわけで、
イラっとした感情に振り回されている時間が
もったいない様に思えました。 

それでも、イラッとはしてしまうと思うので、
そうなったら感情を感じて認める、まずはそこからで良いんだ。 
嫌な顔をされたりしてこちらが悲しい思いを感じたとしても、
その人の心の中は考えてもわからないので、
その悲しい感情を感じて、認めてあげる。
気にしてしまうのはしょうがないけれど、
引きずる時間が短く出来そうな気がしています。 

これからも全ては出来なくても、感情を感じ、考えてみれば
落ち着くこともあるだろうと思います。



課題1をやってみて、
自分の中の「べき」を人に押し付けているな、と感じました。
あと、自分に許していないことは人にも許せていないな、と。

自分のことはそんなに真面目な人間だとは思っていなかったのですが、
結構真面目なのかな、もう少し労ってあげてもいいのかな、と思いました。

でも、なかなかそうは思っても難しいですね。
まだまだ自分の中の掟が多すぎます。
自分にもっと優しくしてあげたいです。

あと、人に「べき」を押し付けるなんて
何て自分勝手なことをしてるんだろう、とも思いました。
でも、すんなりそう思えるものと、
でもだって、と自分の中ですんなりとは納得できないものがあります。
それらが自分にとって大事なものかもしれないんですね。



最初はできるかな?と思いましたが、
一旦自分の利害は置いておいてやってみると、私という枠から出て
「あー、そうゆうことあるよねー。そうゆう時もあるある。
うんうん、以上。」と自己理解をする時のような感覚を
持つことができました。

自分からも相手からも離れて「事」としてシンプルに
捉えられたように思います。 
相手のやることを私もやっている時もあるし、 
時と状況や立場が違うだけで、その時の自分とは違うフィルターで
見て生きてるだけなんだなと思いました。 

私を経ないと、たんにそうゆう事と
どっちでもいいような感じになります。 
でも投げやりなわけではなく、誤魔化すわけでもなく、
ニュートラルな事があるだけというあっけないくらいそれだけ
という感覚が残りました。 

その後自分自身に戻ると、自分という枠の存在の重さを感じると共に
私は私のフィルターで個性で生きてるんだということが腑に落ちました。 
そして、本当はどっちでもいいし何選んでもいいんだなというのも
体感としてありました。

自分自身に対しても、
今までの私のパターンどおりした方が私らしいよね
と忖度してしまうこともあるけれど、
別の選択をしてもしなくてもどっちでもいいのだと思いました。 
講座でも藤井風くんの話題になりますが、 自分縛りからの自由って
こんな感じかなというのを感じました。



講座の始めの頃にやった宿題で、
自分の「〜べきだ」という掟探しがありましたが、
あの時よりも掟が探しやすくなっていて
対極の気持ちもなんとなくこんな感じかなというものがつかめたので、
分からないなりに前進している実感があって嬉しかったです。 

自分にとっては大事な掟であっても、対極にいる人はそこに興味がなく、
こだわりもないからスルーして、相手の地雷を踏んでしまうのかな
と思いました。 
駄目だとか悪いことと思っていないから、やっていることが無自覚で
そこを気にする人がいるということすら気付いていなかったり、
気付いていても大したことではないと思っている、
その人にとっては優先順位が低いことだったりするんだろうなと思います。 

そんな相手のことを無神経と非難することは簡単ですが、
大したことではないというスタンスの相手の方が含んでいて
振動数が高いのかなと思いました。 
なんかちょっと納得できないような気持ちです😅 

宿題やる過程で「〜べきだ」といろいろ書き出しましたが、
そう思う自分が正しいという考えでいるとなんだか段々と苦しいな
と感じるようになりました。
それ以外は認めません!みたいな頑なさを感じて、
「〜でなくてもよい」という極の反対側を想像するのは
バランスが取れる感じがして面白かったです。 

反対側が自分の中でタブーだったとしても、
相手が自分と同じような感性を持ち合わせているわけではない
と分かった上で、相手がどう思ってその行動を選択しているのか
が想像できると妙に納得する感じがしました。 

また、「〜べきだ」には、
他人からどう見られるかが重要視されているような気がして、
その反対の極にいる人は人からどう見られるかよりは、
自分がどう思うかという方を優先している感じがしました。




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